第11話 嘘喰い
ネットで犯人だとされている今井千夏。
彼女は部屋の中で引き籠っていた。
カーテンを閉め切った暗い部屋の中で彼女はパソコンを眺めている。
ネットでは自分が犯人のようにされている。
どれもまったくの事実無根である。
個人情報は晒され、偽善に満ちた正義の電話が朝から鳴り止まない。
電話回線を外し、スマホの電源は落とした。
親は疲れ果てたように職場へと向かう。
警察が家の周囲を警備してくれるのと、マスコミもネット情報だけでは大袈裟には取材が出来ないために遠くからカメラを向けている程度で済んでいる。
誰が何の為に、自分を犯人だと仕立てようとしているのか。
こんな事はしっかりと調べれば、解るはずだ。事実、警察は最初の時に軽く話を聞かれた程度で、それ以降はまったく、接触はない。疑われる謂れは無い。確かに、家に居る事が多い為に、新島早苗や神戸茜が死んだ時間のアリバイは無い。だが、殺す動機だってない。最初の二階堂由美には少し、馬鹿にされたりして、腹の立つ事はあったが、殺したい程じゃない。殺された時は胸がスッとしたが、だが、それは自分で殺害したからじゃないからだ。
何がどう、巡り巡って、自分が殺人犯にされてしまうのか。
恐れや恐怖よりも、疑問しかない。
どうして、自分が殺人犯にされてしまうのか・・・
深く考え込む。それだけの時間は充分にあった。
天井を見上げ、LED蛍光灯を眺める。
不意に思い出した。かつて、蟻を殺していた自分を。
あの頃は、何も出来ない自分に苛立って、列を成して歩く蟻にその怒りをぶつけていた。真っ直ぐに歩く蟻の列を乱し、圧倒的な力で抗う蟻を殺していると、何故か自分に自信が持てた。
由真と遠縁坂は今井千夏の家まで来ていた。マスコミは少し離れた場所で様子を伺っている感じだ。警察官が警戒するように立っているので、周辺を行く人々に取材をする事さえ、出来ないようだ。
「さて・・・同級生がお見舞いと称して、訪問するのは・・・普通だよね?」
遠縁坂は由真に尋ねる。
「まぁ・・・普通よね」
「そうだよね」
二人は確認し合い、歩き出そうとした。
「おい、お嬢ちゃん達じゃねぇか?」
背後から声を掛けられる。慌てて、振り返る二人はベテラン刑事達を見た。
「あぁ、刑事さん。どうかしたんですか?」
「ふん・・・お前さん方が行こうとした家に用事があってな」
ベテラン刑事は笑いながら告げる。
「それより、君達、この間のリスト・・・どこかに漏らしたんじゃないよね?」 若槻が心配そうに尋ねる。
「そんな事はしません。僕等も突然、こんな事になって驚いているぐらいですから・・・」
遠縁坂が慌てて、答える。
「まぁ・・・そうなら、良いけど。あと、マスコミがウロウロしているから、あの学校の生徒、ましてや白田さんは歩き回らない方が良いよ」
「やっぱりそう思いますか?」
「そうだね。君達は基本的に正式に容疑者じゃないわけだから、警察の庇護には入らないからねぇ。マスコミに取り囲まれてもどうにもできないよ」
若槻に脅されるように言われて、由真はゴクリと唾を飲む。
「解りました。僕らは帰りますけど・・・今井さんにどんな用事ですか?」
遠縁坂がベテラン刑事に尋ねる。尋ねられた彼はニヤリと口角を上げる。
「悪いが・・・今回は教えられないな。こっちも仕事でね。それとも、おじさん達が教えたくなるような何かを握っているのかな?」
「いえ・・・解りました。テレビでじっくりと見ていますよ」
遠縁坂の一言を聞きながら、刑事達は二人の前を過ぎていく。
若槻は高校生二人を横目に歩きながら、ベテラン刑事に声を掛ける。
「まったく・・・本当に漏らしてないんでしょうか?」
「気にするな。たいした問題じゃない。むしろ、あの二人に情報を渡した途端に動きがあった。俺はそっちの方に興味がある。今回だって・・・。こんな方法で犯人が捕まるなんて思わないが・・・さすがにそうも言ってられないからな・・・何がどうなっているのかを確認しないとな」
ベテラン刑事達は今井の家の玄関にやって来た。遠目から見ていたマスコミ達も騒ぎ出す。一斉にレンズが玄関先に向けられた。
二人の刑事が玄関先に立つと、別の方向から5人の私服の刑事達がやって来る。
「繁さん、御苦労様です」
刑事の一人がベテラン刑事に向かって挨拶をする。
「あぁ、令状は?」
ベテラン刑事が尋ねると、彼は背広の内ポケットから畳まれた紙を見せる。それを確認してから、ベテラン刑事はインターフォンを押した。
「はい」
インターフォン越しに少女の声が聞こえる。
「あぁ、愛知県警の室田です」
ベテラン刑事は警察手帳の一頁目をインターフォンのカメラに向ける。
「入れて貰えるかな?」
「はい」
少女は素直にそう告げるとインターフォンが切れた。1分程度で玄関の鍵が開かれる。マスコミが我先にと映像を抑えようと前に出そうになるが、それを制服の警察官達が止める。
出て来た少女は緊張した面持ちだった。
「あぁ、君が今井千夏さんだね?」
若槻がそう尋ねると、彼女は強張った表情のまま、軽く頷く。
「あぁ、出来たら、中で話がしたいんだけど、良いかな?」
通常はここで令状を出すのだが、マスコミの前では危険だと判断した若槻がそう声を掛ける。
「何故ですか?」
すると千夏が尋ねる。若槻は少し戸惑った様子で令状を持っている刑事を見る。彼も若槻の事を察して、令状には手を掛けずにいるが、目の前に居る少女の問い掛けに答えないわけにはいかない。
「悪いけど、家宅捜索の令状が出ていてな。ちょっと家の中を覗かせて貰うよ」
彼は懐から令状を取り出し、少女に見えるようにする。だが、それはマスコミにとっては狙い通りの画だった。シャッター音が響き渡る。警察は撮影しないようにと制するが誰も聞いてはいない。少しでも絵になるようにカメラマン達が必死にシャッターを押したり、ムービーカメラを回す。
「そういうわけだから、入るよ」
状況を考えて、刑事達はすぐに家へと押し入った。
7人の刑事達が押し入ったわけだが、今井千夏の様子は変わっていない。ベテラン刑事は彼女が当初、怯えているのかと思ったが、そうじゃないと気付く。緊張して全身を強張らせているが、何故か、目が笑っている。顔こそ無表情に近いが、目だけは何故か笑っている。その不気味な輝きをした瞳にベテラン刑事の直感が働く。
こいつは・・・嫌な感じがする。
それは犯人と対峙した時の感じじゃない。厄介事が起こる前触れみたいな奴だ。事件が荒れる時、稀にこんな気持ちになる。ただ、それがどうしてそうなるかなんてのはまったく解らない。だから、解っていながら、巻き込まれるしか無かった。
刑事達は当初の予定通り、家に設置されている通信回線とその終端に繋がるルータを押さえた。更には全てのパソコンやスマホなどの通信機器。今は使っていないような物も含めて、捜索する為に探し回る。
「とりあえず、全てを押収する。時間を掛けるな」
ベテラン刑事は早く、この場から立ち去ろうと、刑事達に珍しく指示を飛ばした。若槻は焦るベテラン刑事を見て、珍しいなと思いながら、千夏の部屋に入った。中は、普通の女の子の部屋と言った感じだが、かなりシンプルな感じもあった。あまり趣味などを感じさせない部屋の雰囲気。必要最低限の物だけが置かれており、探すのに手間取る事は無さそうだと彼は思った。
押収すべき物は全て押収された。パソコン、スマホ、通信機材。メモリーカードなどの電子記録媒体。それと日記などの記録も押収された。
「まぁ、悪いけど、とりあえず、これだけ押収させて貰うね」
刑事達は千夏に対して、高圧的にならないように気を遣っていた。
「あの・・・」
千夏が帰り際の刑事達に声を掛けた。それに驚いたのは刑事の方だった。
「な、なに?」
尋ねられて刑事の一人が応じる。
「私は・・・疑われているんですか?」
千夏の唐突な質問に戸惑う刑事。そこにベテラン刑事が口を挟む。
「あぁ、君が犯人って事を疑っているわけじゃないんだ。少し事情があって、話せないけど、押収した物が必要になってね」
「パソコンとかですか?」
「まぁ・・・そうだね。だから、君は心配しなくて良いよ」
ベテラン刑事は千夏を安心させようと無理に笑顔を作る。
そして刑事達は家を後にした。
「繁さん・・・笑顔、下手ですね」
車に乗り込むと若槻が笑う。ベテラン刑事は顔を真っ赤にした。
マスコミ達は被害者の同級生宅に家宅捜索が入った事で大騒ぎになっている。警察は事態を収束させるために、今回の家宅捜索は殺人の容疑とは関係が無いと発表するも、記者会見で記者から内容を問われても捜査上の秘密だと口を濁すだけで、マスコミを納得させるには至らなかった。
マスコミの報道は再び過熱する。同時にネット上に賑わった。特に家宅捜索に入った家の情報が晒され、今井千夏についても殺人の容疑が懸かっていると噂だけがひとり歩きしていた。
翌日も今井千夏は学校を休んだ。教室の中も暗い雰囲気に戻ってしまった。
由真は何故、千夏の家が家宅捜索されたのか。それが解らなかった。
「今井さんは・・・殺人の容疑で家宅捜索を受けたのかしら?」
遠縁坂にそう尋ねると、彼は首を横に振る。
「違うね。もし、殺人ならば、任意でも警察署に連れて行かれると思う。今回は特に彼女に何かを聞いたって感じじゃない。あくまでも押収が目的だと思う」
「・・・押収?」
由真は不思議な顔をした。
「あぁ、きっと、今井さんの家に殺人に関する何かがあると警察は踏んだんだと思うよ」
「殺人に関する何かって・・・凶器?・・・毒とか?」
「可能性はあるけど、それだったら、殺人の容疑も掛かるから、彼女自身も厳しく事情聴取を受けると思うよ。今回はそれが無かったから・・・何を押収したのかな?それが解れば、少しは事件の進展具合も解るけど・・・」
遠縁坂も警察の不可解な動きに先が読めない感じだった。
「でも、今井さんの容疑が濃くなった事は間違いが無いわ。何も無くて、警察が家宅捜索までするとは思えないもの」
「確かに・・・そうだけど・・・」
遠縁坂はあまりそれについて、納得していない顔だった。
マスコミ達は相変わらず、今井千夏の家の周囲に張り込んでいた。いつ、本人が出て来るかも知れない。家族は黙ったままだが、本人のコメントが取れれば、それがどんな内容でもスクープには違いないと狙っているからだ。
同級生殺人事件
そんなタイトルだけがテレビやネットを漂う。
「おい!アレ、今井千夏じゃないか?」
路上で見張っていたスタッフが声を上げる。
今井千夏の家の玄関から出て来た一人の少女。彼女は制服姿の今井千夏だった。緊張した面持ちで彼女は逃げるでもなく、その場に佇んだ。マスコミ達は獲物を見付けた猛獣のように角から飛び出し、彼女の周りに我先にと辿り着く。
「い、今井千夏さんですよね?」
レポーターがマイクを向ける。彼方此方からマイクやボイスレコーダーなどが向けられ、カメラのレンズが周囲を囲み、路上を明々と照らす照明が幾つも立てられる。
「はい」
小さな声で彼女は答えた。取り囲んだ人々からどよめきが起きる。
「あの、警察が家宅捜索に入られましたが、一体、どんな容疑だったのですか?」
レポーターは確信を突く質問を投げ掛ける。それを聞いた瞬間、千夏は顔を上げた。口角を上げ、自信に満ちた表情となる。力強い瞳の輝きをレンズに向け、彼女はまるで舞台女優のように両手を大きな声を発する。
「私は、二階堂由美を殺した。そして、新島早苗も殺した。全ては私が殺したのだ。警察はまだ、それを暴き切れていない。だが、時はやってきた。警察に全てが明らかにされ、ただの犯罪者となる前に私は・・・自分でこの罪を晒そう。皆に聞いて貰いたい。私は・・・この私こそが殺人者であると」
高らかと告白された内容は衝撃的だった。誰もが、容疑を否定すると思っていたのに、突然の殺人の告白なのだ。レポーターは呆気に取られ、言葉を失う。
その場は、完全に千夏に飲み込まれた。千夏はまるで笑っているように、踊るように彼等の前で全てを告白した自分を晒していた。圧倒的な存在感の前にマスコミ達はその真偽など考える力を失い、ただ、彼女の言葉を刻み付けるだけだった。
その日、今井千夏は殺人者として、世間に認知された。
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