第10話 拡散する嘘

 朝一番、若槻がベテラン刑事の元へと駆け寄って来た。

 「繁さん、これ見てくださいよ」

 彼は手にしたタブレット型パソコンをベテラン刑事に見せる。

 「朝っぱらから、こんな物を見せるなよ。目がチカチカするだろ?」

 彼は露骨に嫌そうに画面を見る。

 「なになに・・・雑誌記者事故死は女子高生殺人事件の犯人による連続殺人の疑い?」

 そこにはネットニュースとなった記事が流されている。

 「何の冗談だ?昨日の捜査会議でも話題には上がっていないぞ?」

 確かにベテラン刑事もその線は怪しんだが、神戸茜が執拗に女子高生殺人事件を取材していた以外の接点は無かった。

 「今、サイバー犯罪課とかに確認させているんですが、どうも、ネット掲示板などに細かく内容が上げられているみたいで、それが炎上しているようなんです」

 「炎上?・・・ネットかよ。上げた奴は誰なんだ?」

 「それがすぐに解れば世話はありませんよ。ただし、そちらの方も今、調べさせてます。ただ、今の段階だと捜査令状を取れないので、プロバイダーなどの照会が難しいのですが・・・」

 「ちっ・・・人権侵害か何かで裁判所に令状を出して貰えるように課長に掛け合ってみるよ」

 ベテラン刑事は何か、面倒な事が動き出したと思った。


 白田由真は目覚めてすぐにスマホに一通のメッセージが入っているのを確認する。相手は遠縁坂だ。

 -ネットで神戸茜の事件が二階堂由美の事件と同一犯だとされているよー

 そのメッセージに驚く事は無かった。確かに不明ではあったが、そんな気はしていたからだ。彼女はすぐに遠縁坂に返信した後、ネットのサイトを見た。すでに彼方此方に拡散されているようで、検索すれば、すぐに情報が出て来た。

 元々、二階堂由美の事件以降、ネットでは様々な憶測などが飛び交っていた。好事魔が多いと言うか、学校中のプライバシーの在る事無い事がネット上に拡散されていた。その多くは分別も無い誹謗中傷であり、関係者でまともにそれを相手にしている人は居ない。だが、その中で白田由真は格別、犯人だと誤解されていた人物だとも言える。ネットには酷い事が書かれ、一部、個人情報も晒されていた。今はすでに警察の方からの削除要請などで、消されて沈静化しているが、それが再燃する可能性は否定が出来ない。

 情報源となった掲示板を読んでいくと、その中に犯人として挙がってくる人物が居た。

 今井千夏

 ネット上ではかつて、蟻や蛙、猫などを殺していたと書かれている。蟻については知っているが、蛙や猫を殺していたのは知らなかった。いや、これはあくまでもネット情報である。それを鵜呑みにしてはいけない。由真は一瞬、信じそうになったのを軽く、慌てて考え直した。

 どこまでが真実で、どこからか嘘か解らぬ情報が流され、その中で今井千夏は凶悪な殺人鬼とされていた。まるで、彼女が殺人を楽しむような性格に脚色されている。確かに普段の今井は何を考えているかよく解らない感じだが、必ずしもこういう事を思っているなどと誰が確認したのか。

 まったく出所の解らない情報を読み終えた由真はそれを確認しないと気持ちが収まらなかった。この事を遠縁坂に伝えると、彼も同じ気持ちだった。

 

 「ふーん・・・それでネットの奴等は今井千夏が犯人だって騒いでいるの?」

 ベテラン刑事はサイバー犯罪課の寺内という技術職の男に尋ねる。彼は手際よく、キーボードとマウスを動かし、魚拓と呼ばれるスクリーンショットの画像を見せた。

 「幾つか取って、IPとか確認していますが・・・多くは関係ない地方からの書き込みです。ほとんど、乗っかっただけのガセでしょ」

 彼は笑いながら言う。

 「ふーん・・・。これがどこから書き込まれているか解るの?」

 ベテラン刑事は不思議そうに彼に尋ねる。

 「まぁ、概ねは・・・もっと細かく知ろうとすれば、彼等が使っているプロバイダーの情報などが要りますけど」

 寺内は自信満々に答える。

 「なるほどねぇ・・・俺が知りたいのはこの情報を最初に入れた奴なんだけど、解る?」

 「あぁ、それですね。すでに調べてあります」

 彼はとあるネット掲示板を出した。

 「このスレ。あぁ、例の二階堂由美の殺人について立てられていた掲示板なんですけど、この121番の投稿者の記述が発端みたいですね」

 ベテラン刑事と若槻は画面を覗き込む。

 「二階堂由美、新島早苗、神戸茜を殺したのはあの学校の生徒だよ」

 若槻が読み上げる。その後、これを話題の中心にして、投稿が伸びていく。

 「なるほど、情報を小出しにしながら、この掲示板を見ている奴を巻き込んで拡散している感じがするな」

 「そうですね。この121はかなりうまく、立ち回っています。掲示板を見ている人間の想像力を掻き立て、勝手な思い込みなどをリードさせながら、最後に今井千夏へと誘導している感じがしますね。無論、途中で枝分かれするように別の人間んを容疑者にする向きもありますが、それは一切無視して、今井千夏が連続殺人犯のような雰囲気を作り上げてしまっています。あとは放置しておけば、この掲示板を見た誰かがブログやSNSなどを使って、拡散していく。そうして炎上が始まったようですね。彼女がSNSの個人垢を持ってなくて良かったですよ。多分、一気に燃え上がったでしょうに」

 寺岡はあるホームページのアドレスをクリックした。

 「学校のホームページはすでにダウンしています。多分、メールサーバもダメでしょう。今頃、学校の電話なんて、わけの解らない奴が苦情の電話を入れているんじゃないですか?」

 寺岡は笑いながら告げる。

 「なるほどな・・・出来れば、そのお121だっけ?そいつの居所が知りたい」

 「難しい質問ですね。最近はスマホとかもありますから・・・」

 「さっきのプロバイダーに照会する方も俺から上に掛け合っておくから」

 ベテラン刑事が低姿勢でお願いする。寺岡は溜息をつきながら了承する。

 

 学校では緊急の職員会議が行われていた。校長が居並ぶ教員の前に立ち、挨拶をする。

 「えぇーと・・・現在、インターネット上で我が校で起きた殺人事件における情報が流れているせいで、苦情などが多く寄せられています。一時期、静かになっていたマスコミも学校の周辺に多く集まっており、生徒達が大変、危険に晒されていると聞きます」

 教員達は沈痛な面持ちでその話を聞いていた。

 「特にその中で名前が挙がっていいる数人に対して、とても強い苦情が寄せられており、とても危険な状態となっています。今日は確か、彼等は休みを取っているのですね?」

 校長の問いに小酒井はコクリと頷く。

 「そうですか・・・彼等の自宅にもマスコミが押し寄せていると聞きます。警察の方には安全を確保して貰うように依頼はしております。こちらも出来る限り、生徒の安全は図りたいと思うのですが・・・」

 校長は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 「あの、校長先生。いっそ、問題のあるクラスを暫く、閉鎖したらどうでしょうか?」

 学年主任がそう告げる。

 「それも手ですが・・・この事態がいつ解決されるかも解りません。そうなると、そのクラスの生徒達の授業などに今後、問題が発生してしまいます」

 教頭がそう告げると学年主任も黙ってしまった。

 「問題はありますが、あくまでもインターネットでの憶測でしかありません。私が記者会見をして、それを強く否定したいと思います」

 校長が強い意思でそう言い放つと教員達から拍手が起きた。

 

 白田由真は教室で休んでいる生徒の席を見て回る。今日、学校に来なかった生徒は今井千夏、小堀恵那、進藤薫。小堀恵那は正直、由真の想定外な人物だった。とても明るくて、友達の多い女子生徒だ。人を殺すなどあり得ないと思ったが、ネット上では、彼女の叔父にあたる人がかつて、人を殺して、現在、刑務所に服役しているらしい。由真からすれば、それがどう関わるのだろうかと思ったが、それでも、彼女の個人情報は晒され、SNSのアカウントなどはすでに消去されていた。彼女の友だちなどはとても心配している様子だ。

 「自殺者が出てもおかしくない雰囲気だね」

 遠縁坂が周囲の雰囲気を見ながら告げる。過激な炎上はそれだけで人の精神を追い込む。突然、言われの無い事で炎上された者の気持ちは由真は痛いほど、解る。

 「しかし・・・この中に真犯人は多分、居ない」

 遠縁坂の言葉に由真もコクリと頷く。それから遠縁坂は言葉を繋ぐ。

 「敢えてミスリードをさせて、混乱させている気がする。きっと、真犯人はこの混乱に乗じて、新たな事件を起こすつもりだと思う」

 「新たな事件?」

 由真は少し怯えたように遠縁坂を見た。

 「あぁ・・・そのための細工だよ。これだけ、大騒ぎになれば、逆に人々の目は分散され、闇が生まれる。犯人はこの瞬間をわざと作り上げた。かなり狡猾な奴だ」

 「じゃあ・・・この三人は犯人から外しても大丈夫なわけ?」

 「それは・・・」

 遠縁坂は由真の問い掛けに困惑する。ここに名前が上げられたからと言って、彼等が犯人じゃない証拠はどこにも無い。敢えて、自分が犯人に疑われる事で疑惑の目から避けるという方法も無いわけじゃない。

 「まぁ、むしろ、僕らは犯人の動きを予知するべきだと思う。次の犯行を妨げるだけじゃなく、真犯人に辿り着けるチャンスかもしれないからね」

 遠縁坂の力強い眼差しに由真も頑張ろうと思った。

 

 状況は着々と進んでいる。ネット住民など、所詮は他人事の連中だ。中途半端な情報を撒いておけば、勝手に食らい付き、妄想をぶち撒ける。それが燃え上がれば、現実のマスコミだって騒ぎ出す。あまりにも簡単な仕組みだ。

 たった、一つの不可解な殺人事件は、世間を騒がせるには充分だ。ましてや、警察が思ったような成果を出せないでいれば、自ずと、ネットの世界の欺瞞に満ちた正義感の持ち主どもが我先にと探偵ごっこしてくれる。

 そして、哀れな仔羊たちは彼等の餌食となり、何も知らぬまま、火の中へと放り込まれ、燃え上がるのだ。願わくは簡単に死なないでおくれよと思うだけだ。

 私はじっくりと状況を観察して、次の行動の機会を伺っている。騒ぎは予定通りに起きた。あとはこの荒波をどのように潜り抜けるか。とてもアクション性の高いゲームだよ。

 だが、これも悪くない。混乱の中で起きる殺人。

 とてもサスペンスじゃないか。

 警察もマスコミもまんまと私の策に落ちて、何も出来ないまま、右往左往とすると良い。私はその間に、じっくりと楽しませて貰う。


 サイバー犯罪課の寺内はついに居場所を突き止めた。すぐにベテラン刑事の携帯電話に連絡を入れる。

 「へぇ・・・それで居場所は?」

 「あくまでも解ったのは発信された無線LANのルータ親機までです。そっこから先は自動に割り当てられるので、どのパソコンまでかは解りませんが・・・」

 ベテラン刑事は彼が何を言っているよく解らない。

 「ルータってのが解れば・・・解析は出来るのか?」

 「ログが残って居ればあるいは・・・」

 「はっきしないな。家宅捜索の令状はどうなっている?」

 「今、催促していますが・・・名誉棄損とかで出ますかね?」

 寺内は心配そうに尋ねる。

 「学校への偽計業務妨害も入れたら出るよ。俺らは先に行ってるから」

 ベテラン刑事はスマホの通話を切った。

 「寺内さん、突き止めたんですね」

 若槻が感心している。

 「それがあいつの仕事だろ?それより、この住所まで行ってくれ」

 若槻がハンドルを握る車はゆっくりと走り出した。

 

 

 

 

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