第12話 ひずみ
捜査本部は混乱を極めた。
突然の今井千夏の自白。誰もが想定外であった。
ベテラン刑事はテレビを点けて、報道を見ている。
「今井千夏は現在、自宅警備をしていた警察官が確保して、自宅に居るそうです」
若槻が現状を聞いて来た。
「あぁ・・・まさか、こんな事になるなんてな・・・」
ベテラン刑事はただ、驚きしかない。
「捜査はどうなるんでしょうか?」
「変わらんよ。予定通りにやる。ただ、自白している以上、事情聴取は要るだろうな。本人の安全の為にも少しの間、警察に泊って貰う方が良いだろう」
「本人の安全?」
ベテラン刑事の言葉に若槻は尋ねる。ベテラン刑事は面倒臭そうに答える。
「決まっているだろう。自殺にしないようにさ。ここで自殺されたら、収拾が着かなくなるぞ」
「なるほど・・・」
ベテラン刑事が言うようにすぐに今井千夏の逮捕令状が出た。今井千夏を安全に護送する為に多くの捜査員や警察官が投じられ、自宅周辺は夜中だというのに混乱状態になった。
今井千夏は二人の女性警察官を前に不敵に笑っていた。警察官達も不気味に思いながら、自殺の可能性を考えて、彼女の行動を注意深く見ている。
「もうすぐ、警察に捕まるのかなぁ?」
不意に千夏が目の前の警察官に尋ねる。二人は顔を見合わせる。
「まだ・・・連絡は入ってないけど」
その答えに千夏は怪訝そうな顔をする。
「なんで?私は自分が犯人であることを告白したのよ?それもテレビで」
彼女は強い口調で二人に言うが、二人共、困ったような顔をするだけだ。
警察は自分を犯人だと思っているのでしょ?なぜ、すぐに動かないの?
今井千夏は思ったような警察の動きじゃない事に不満だった。スマホもパソコンも無いからネットの反響も解らない。テレビも見させて貰えないし、親は怒っている。どうでも良い。そんな事より、自分が世間でどうなっているかが知りたい。
「ねぇ、外はどうなっているの?」
そう尋ねても警察官達は答えなかった。
自宅でテレビを見ていた由真は絶句した。
画面全体にモザイクが入って、声も変えられているが、そこに映っているのは今井千夏だった。そして、信じられない事に彼女は自分が殺人犯だと自白している。
「今井さん・・・嘘でしょ?」
これは今井という人物を信じて発した言葉じゃない。今井が犯行を行えるとは思えないという気持ちから発した言葉である。確かに蟻を殺している異常な行為は見た事があるが、それが直接、殺人に繋がるとは思っていない。むしろ、普段の千夏からすれば、殺人なんて大それたことをやれるなんて思わなかった。
由真はすぐに遠縁坂に連絡を入れる。
「僕もテレビを観たよ。驚いたね。ネットも騒ぎ始めているみたい」
遠縁坂も千夏の自主に驚いていた。
「今井さんが犯人なの?」
由真の問い掛けに遠縁坂は僅かに考える。
「僕には・・・彼女が犯人だとは思えないなぁ。無論、その確証は無いけど」
今井には二階堂由美の事件でも新島早苗に関しても、明確なアリバイは無い。ついでに言えば、神戸茜に関してもだ。容疑者リストに挙がる理由はそれだけに過ぎない。そもそも動機があるようには思えなかった。
「まだ、警察が彼女の身柄を確保して無いようだけど・・・こうなったら、とりあえず、警察署に連れて行かれるだろうね」
遠縁坂は冷静にこれからの事を語る。彼女の自白をしっかりと聞いて、裏付け捜査をするだろう。その時点で彼女の言っている事に整合性が無ければ、証拠不十分で釈放となるだろう。多分、今井千夏はそれを考えているのかも知れない。だけど、遠縁坂にはそれが何の意味があるのか解らない。考えれば考えれる程、解らなくなり、最後に辿り着いた結論を由真に伝える。
「彼女は真犯人に脅されているんじゃないかな?」
その結論に由真は驚く。
「真犯人に脅されて自白したの?」
「あぁ・・・自分から、厄介な事になるのを望むのは・・・少し、意味が解らないんだ。だとすれば、犯人は彼女に接触して、事件を混乱させようとしているんじゃないかな」
「なんで、そんな事を・・・」
由真の問いに遠縁坂は言葉に詰まる。
「んっ・・・きっと、警察の動きを見るため・・・とか?」
かなり苦しい見解を述べるに留まる。
「でも、だったら、今井さんは真犯人を知っている。もしくは繋がる何かがあるかも知れない」
由真は千夏の身辺に真犯人が迫った形跡があると踏んだ。
「それは・・・そうかも知れない。僕らに出来る事は少ないけど、明日、彼女の周りを調べてみよう」
今井千夏は警察によって自宅から所轄の警察署まで護送された。
取調室に連れて来られて、彼女は椅子に座らされる。前にはベテラン刑事が座っている。
「やぁ、お嬢さん。久しぶり」
久しぶりと言うほど時間は経っていないが、彼は敢えてそんな挨拶をする。
「家宅捜索の時の刑事さん。私のスマホとかから、何か出ましたか?」
千夏は悪びれた様子も無い。
「あぁ・・・それはどうでも良いけど・・・本当に君が二階堂由美を殺したのかね?」
ベテラン刑事は単刀直入に尋ねた。それに千夏は少し笑った感じで答える。
「えぇ、そうよ。私が殺したわ」
「どうやって?」
千夏が答えると同時にベテラン刑事は彼女に即座に問い質す。彼女は一瞬、凍り付いたように固まるが、すぐに余裕のある表情に戻る。
「簡単よ。画びょうの針に毒を塗っておいたのよ」
「毒を?」
「えぇ・・・フグの毒を塗っておいたのよ」
千夏は余裕のある答えをしている。
「なるほどな・・・おい、取り調べを若い奴に代われ。俺は降りる」
ベテラン刑事は呆れ果てた様子で席を立った。千夏は突然、何が起きたか解らずにベテラン刑事を見上げている。
「繁さん、良いんですか?」
一緒に居た若槻が慌てて、ベテラン刑事を止める。
「構いやしない。折角だから、ホテル留置所に泊めてやりな。間違っても本物と一緒にするなよ。お1人様部屋にお通ししろ」
ベテラン刑事は怒鳴りながら、取調室を後にした。
「やっぱり、あの子は嘘を付いていますね」
若槻も千夏が偽っている事を感じていた。
「あぁ・・・糞みたいな話だが・・・意味が解らん」
「真犯人に脅されているとか?」
若槻の話にベテラン刑事は顎を摩る。
「お前、たまに良い事を言うな・・・だが、スマホとかにそんなのあったか?」
「削除されているとか?」
ベテラン刑事は考え込む。
「まぁ、良い。どっちにしてもあの状態で連絡を取るにはスマホぐらいしかありゃしない。鑑識にスマホの解析をやらせろ。とにかく、今は家宅捜索したアレからどんな情報が取れるかが大事だからな」
飛んだ誤算だった。
今井千夏はおかしな奴だとは薄々気付いていた。故に囮のカードとして切ったはずだった。彼女の餌に警察や白田由真がどのように動くかを見て、捜査の進展具合などを確認するつもりだった。
だが、まさかの自白である。
自らが殺人犯になるという愚を犯すとは思わなかった。
おかしな女だが・・・私の逆鱗に触れた事までは考えていないだろう。
私のやった事の全てをあの女狐は奪い取ろうとしている。
許せぬ。
実に許せぬ。
私の作品を汚す行為だ。
私のシナリオの中で演者がある程度自由に動くのはゲームの楽しさを増すものとして許している。だが、それがゲームの全てを台無しにする事は許せぬ。
この愚者に何らかの天罰を与えねばならない。
千夏が逮捕された翌日、その日は土曜日だった。学校は休みだったが、街中には多くのマスコミが聞き込みをしていた。
由真は千夏の身辺を探るために、遠縁坂と待ち合わせをしていた。制服姿では目立つので、私服で待ち合わせたが、考えてみたら、男の子と二人だけで会うというのは、なんだか・・・デートみたいだ。
恥ずかしいと思いながら、待ち合わせの神社の境内で待っている。遠縁坂は待ち合わせの時間の5分前に姿を現した。
「早いね。待たせた?」
相変わらず、爽やかな笑顔で挨拶してくるなと由真は思った。
「ううん。今来たところ。それより、これからどうするの?」
千夏の身辺を探ると言っても、家の近辺はマスコミや警察がウロウロしていて、近付けない。
遠縁坂は境内の座れる場所に由真を誘い、そこに腰掛けた。
「まずは今井千夏が本当に犯人なのかどうかを検証したいと思う」
彼はキャンパスノートを取り出す。それはかなり使い込まれた感じがするノートで開くと中にはびっしりと書き込みがされていた。
「これは僕がこれまでに調べた事が書いてある」
そこには証言のメモもある。
「人から話も聞いたの?」
「あぁ、全員とはいかないけど、それとなく話易い人から順々に聞いて行ったよ」
個人でここまでやる人を見て、由真は単純に感心するしか無かった。
「二階堂由美が行方不明になってから発見されるまでの約4時間30分。今井千夏は午前中の授業を全て出ている。そして、休憩事件も席に座っているのが数名の生徒の記憶に残っている。そして、二階堂由美の捜索に関して、彼女は参加をしていない。確証は無いが、教室に残って居たのではと言う証言もある。
「でも、私が教室に戻って来た時、誰も居なかったわよ?」
由真が机を蹴り飛ばした時、教室には誰も居なかった。
「遅れて、教室を出たか、別件があったか。多分、その程度だろう。この辺は他に見ていた生徒が居ないため不明。ただ、憶測からするけど、状況的に言っても彼女は二階堂由美に近付けない。そのタイミングを完全に逸している」
遠縁坂はそう結論付けた。これは当初からも充分に予測が出来た事でもある。
「じゃあ、警察の誤認逮捕って事?」
「いや・・・警察は未だに逮捕とは発表していない。警察に連行されたのも任意の事情聴取かも知れない」
由真は一つ、疑問を感じる。
「じゃあ、何故、警察は何故、家宅捜索をしたの?家宅捜索をするって事は、何かしらの物証などを確保する為でしょ?」
遠縁坂は少し考え込む。
「確かに・・・そうだと思うけど・・・犯人じゃないのに、家宅捜索を受けるって事はやっぱり解せない。本当ならあの刑事さん達に真相を聞き出したい所だけど・・・さすがに答えてくれはしないよね」
「解んないわよ。何でも聞いてみないと」
由真はそう言うと、スマホを取り出し、ダイヤルした。
ベテラン刑事は鑑識で報告を捜査会議より先に受けていた。
「機械の事はよく解らんが・・・やはり、ここが発信源なのか?」
ベテラン刑事の問い掛けに鑑識の課員はコクリと頷く。
「アドレスはこのルータで間違いありません。ただ・・・色々と調べてて、解せない所があります」
「解せないところ?」
ベテラン刑事と若槻はハモるように同時に声を発した。
「はい。接続のログを解析したのですが、このルータのログが消されています」
「ログが・・・消されている?」
「はい。ログが消える要因は色々と考えられるので意図的かどうかは不明ですが、家宅捜索に入る前のログが消されているために、このルータに接続されていた機材がどうだったのかは不明です」
「それが解らないと・・・何か不都合なのか?」
ベテラン刑事は何が問題なのかが解らなかった。
「まぁ・・・あくまでも可能性でありますが・・・無線ルータでありますので、無線の電波が届く範囲内は全て、このルータとの接続可能域なのですよ」
その説明にもベテラン刑事はイマイチ、理解が進まない顔をする。
「つまり、電波さえ届けば、家の外でもこのルータに接続が出来ます」
「それは・・・つまり、他人がこれを使えるのか?」
ベテラン刑事は驚いたようにルータを見つめる。
「可能性だけです。最近のルータはセキュリティも厳しいですから・・・ただ、ルータ自体は出荷時のままの設定になっていますから、詳しい人なら、あるいは・・・」
「そうか・・・いや、それが解れば充分だ。また、何か解ったら教えてくれ」
ベテラン刑事達は鑑識を後にする。
「少し忙しくなるな。今井千夏の家の周辺を探る。書き込みがあった時刻などに不審な人物や車が家の周りに居なかったかを聞き込み、あるいは監視カメラ等を探せ」
ベテラン刑事は珍しく真剣な眼差しで早足に廊下を過ぎていく。
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