第6話 座禅
「あっ、初めまして」
襖を開けると先人がいた。
「私、唯だよ」
幼さの残る中学生くらいの女の子だった。
「久しぶりの仲間だ」
「仲間?」
「うん、前はもっといたよ」
「もっと?」
「うん、でも警察が来てから、いなくなっちゃった」
「警察!」
「おいっ」
その時、和尚さんが背後で襖を開けた。
「お前は味噌と醤油、どっちが好きだ」
「私、味噌~」
唯が素早く右手を高々と上げ、元気よく答える。
「私は、しょ、醤油です」
ズルズル、ズルズル・・
静かな本堂に麺をすする音だけが響く。晩ご飯はカップラーメンだった。本堂にはこのボロボロのお寺に似つかわしくない、見上げるほどのバカでかい立派な本尊が鎮座していた。その前で私と唯はズルズルとカップラーメンをすする。
和尚さんは私たちのすぐ隣りで、静かに立膝で一升びんを煽っていた。
「明日は三時四十五分、本堂に集合」
酒を飲み終わると、和尚さんは立ち上がった。
「は~い」
唯が元気よく答える。
「え?さ、三時?」
私は戸惑う。だが、和尚さんはそれだけ言い残して行ってしまった。
「四十五分・・」
なんでそんな中途半端なんだ・・。
「しかもめっちゃ朝早い・・」
早朝の本堂は、完璧な静寂に包まれていた。濁りの無い静寂だった。早朝、山、お寺、全てがそろうとこういう静寂になるらしい。初めての経験だった。
「眠い」
そして、滅茶苦茶眠かった。眠いとかそういったレベルではなかった。
「なんか気持ち悪い」
気持ち悪くなるほどの眠気だった。体は完全に休眠モードのままだった。なのに意識だけを無理矢理起こしているので、神経とか脳とか、なんだかもういろんなとこがしっちゃかめっちゃかだった。
「わっ」
私はふと薄闇の中に人の姿を見つけて驚いた。誰もいないと思っていた本堂の薄闇の中に、誰かが一人座っていた。唯だった。
「全然気付かなかった・・」
気配すら感じなかった。
「唯ちゃん?」
小さく声を掛けたが、唯は座布団の上に胡坐を組み、目をつぶったまま微動だにしない。
「お前は救いが欲しい」
「わっ」
突然すぐ背後で声がして、慌てて振り返ると、薄闇の中にぎろりと丸い目玉が私を見下ろしていた。
「・・・」
まったく気配を感じなかった・・。
「お前は救いを求め彷徨っている」
「は、はあ・・」
なぜ分かったんだ。
「だったら座れ」
「座る?」
「そうだ。座るんだ」
「あ、あの、」
「意味は考えるな。ただ座ればいい」
「は、はい」
座禅が始まった。
「座禅なんて初めて、なんか新鮮だな」
そう思ったのも最初の数分だった。ものの数分で私の足は軋み始めた。しかも、昨日の疲労と寝不足でやたら眠い。眠いんだけど、足は痛い。足は痛いけど、猛烈に眠い。
(きついぞ。これ)
ちらりと唯を見る。唯は依然として涼しい顔で何事もないかのように静かに座り続けている。
「・・・」
私は再び目を閉じた。
何分経っただろうか。足の痛みは容赦なく勢いを増してくる。
(がまんだ。ガマン、我慢)
多分もう三十分は経ったはずだが・・、
(まだだろうか。まだだろうか)
薄目を開け、和尚さんをちらりと見る。和尚さんも座り続けている。全く終わる気配は無い。
私の足はもうちぎれそうだった。痛み、痛み、痛み、しかし、痛みから逃れようとすればするほど、それはむしろはっきりと意識され私に迫ってきた。
(耐えるんだ。耐えるんだ私)
たかだか四十分。もうすぐだ。もうすぐ終わる。もう一度、和尚さんをちらりと見る。やはり全く終わる気配は無い。
(あんな幼い唯ちゃんが平気でやっているじゃないか。私だって)
そう奮い立った瞬間、漠然としていた足の痛みが、透明なナイフのように鋭く私の足を突き抜けた。
「うをぉ~」
私はその場にひっくり返った。
「いった~」
痛すぎて、足の感覚が全く無くなっていた。自分の足をさすっても全くなんの感触も無い。
「足が~、足が~」
自分の足なのかこれが。触ってもなんかモコモコとした違う生物のような感触だけがあって、その周りを痺れがシュワシュワと走り回っている。
「なんじゃこりゃ~」
自分の足が、完全に自分の足では無くなっていた。
やっと、自分の足を取り戻した頃、ふと我に返り両脇の二人を見ると、大騒ぎな私など全く意に介さず座り続けている。
私は携帯を取り出し時計を見た。
「・・・・・」
十分しか経っていなかった・・。
もう一度二人を見る。相変わらず私など意に介さず静かに座り続けている。
「・・・・」
仕方なく私は再び胡坐を組んだ。
――チ~ン
やっと御堂におりんの音が響いた。
「ふ~、やっと終わった」
私は骨の芯から痛む足をさすった。
「座り続けていれば、お前は救われる」
和尚さんの落ち着いた声が響いた。
「あのどのくらい座ったらいいんですか」
「とりあえず十年」
「十年!」
「とりあえずね」
「とりあえず?とりあえず十年座ったらどうなるんですか」
「もう十年だね」
「・・・」
「唯、私まだ三年だよ」
唯が言った。
「お前は五年目だ」
「そうだっけ。忘れちゃった。ギャハハハハッ」
「十年・・」
それがすでに絶望のような気がした。
私に救いは訪れるのだろうか・・。
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