スカイダイビング(後)

     ◆


 ネクロの答えには釈然しゃくぜんとしない点が残されていたが、トランスポーターは次の質問へうつった。


「もう一つ、聞きたいことがある。マリシャスというやつを知らないか?」


 ネクロがかすかに動揺どうようを見せる。表情から瞬時しゅんじうすわらいが消えた。


「知っているようだな」

「どこでその名を知った」


 ネクロは表情をくもらせ、口調くちょうも変えた。


「お前がマリシャスだったりするのか?」

軽々かるがるしくその名を口にするな」


 ネクロの声には多分たぶん怒気どきがふくまれていた。あまりの変貌へんぼうぶりに、トランスポーターが当惑とうわくおぼえるほどだった。


「その話しぶりだと、子分こぶんってところか。場所ばしょは教えてもらえないか?」

「たとえ知っていても、君に教えるわけがない」


「だったら、お前のかたきをたせてやるから、連絡れんらく先を教えてくれ」


「残念。『あの御方おかた』は深遠しんえんなお考えをお持ちだ。お前はもちろんのこと、我々の考えでは遠くおよばないところにいらっしゃる」


「マヌケな子分は信用できないということか。まあ、子分がこれだと、親玉おやだまもたいがいだろうな」


 生みの親たるマリシャスを侮辱ぶじょくされたことで、ネクロは豹変ひょうへんした。語気ごきを強め、ツバを飛ばしながら、こう言った。


「だまれ、この出来できそこないが! 『あの御方』がお前らを見かぎったのも、今なら身にしみてわかるよ」


 ネクロらは『転覆てんぷく』前から存在するため、一時いちじてきに父たる存在の記憶をうしなったが、行動を共にしていたため、あらためて巫女みこ抹殺まっさつという使命しめいあたえられた。


 マリシャスは放任ほうにん主義しゅぎのため、ときおり再会さいかいしたものの基本的にべつ行動こうどう。他の仲間なかま――スプーやサイコと同様どうよう、ネクロもその行方ゆくえを知らない。


 マリシャスは手下てしたの〈使い魔デーモン〉を二手ふたてに分けた。ネクロはスプーと共に〈転覆の国〉で大半たいはんの時を過ごした。


 彼らは〈やみちから〉をもちいることができる〈樹海じゅかい〉を活動拠点きょてんとした。そして、人々を〈樹海〉からとおざけるため、数々かずかず工作こうさくを行った。


 手口てぐち恐怖きょうふ体験を味あわせた後に気絶きぜつさせ、近隣きんりんの村へ送りとどけて、うわさを広まらせるというものだ。時にはスプーもその役目やくめをになったが、いわゆる『樹海じゅかい魔女まじょ』とはネクロのことだ。


 彼らが地道じみちに活動したおかげで、木材もくざい伐採ばっさい目的以外では、人々は〈樹海〉へ立ち入らなくなった。


「能力の出しおしみがアダとなったな。あの時、『盟約めいやく』の参加におうじていれば、ここで僕に殺されることもなかった」


 初めての会談かいだんの際、共闘きょうとうするのならばと、ローメーカーに『盟約』への参加を求められたが、ネクロは固辞こじした。


「そうとも言えるが、君と『盟約』をむすぶなんて、考えただけでもゾッとするよ」


 ネクロは死を目前もくぜんひかえているはずなのに、ちゃかすような目つきと嘲笑ちょうしょうをくずさない。ここから落下らっかしても生存せいぞんできる公算こうさんがあるとしか思えなかった。


気味きみの悪いバケモノめ。お前、本当に人間なのか?」


なみだもない君が言うセリフではないんじゃないかな。君と同じ種族しゅぞくと思われるなんて、こちらからねがげだよ」


「どうやら、ここから落ちる覚悟かくごができたみたいだな」


 ネクロがケタケタと声を上げながら笑い始める。


合理ごうりだよ、トランスポーター。君の言動げんどうは不合理だと思わないかい?」

「……どういうことだ」


「君は私をバケモノと呼んだ。その上、人間であるかどうかさえ疑った。それならば、なぜ、ここから落とせば私が死ぬと思ったんだい?」


 このゆさぶりにはねらいがあった。ネクロは会話の最中さなかに、すでに着々ちゃくちゃくと手はずをととのえていた。


「何を言い出すかと思えば。今からためしてやろうか?」


 疑念ぎねんをいだきながらも、トランスポーターは意地いじをはった。自身と同じ能力があれば、落下からの脱出だっしゅつはわけない。


 しかし、普通の人間がこの高さから落下したのなら、とうてい無事では済まない。ふと眼下がんかに目をやると、ゴーレムが城壁じょうへき付近ふきん続々ぞくぞくと集まり出していた。


「そういうことか。ゴーレムどもに受け止めさせようという算段さんだんか。あさはかだな。お前は僕の能力をよく知っていると思ったんだけどな」


 対象たいしょうのみを『転送てんそう』させるには同意どういが必要だが、接触せっしょくし続けていれば、自身のそれに巻き込むことができる。必ずしも、この場から落とす必要はない。


「ああ、知ってるとも。しかし、浅はかなのは君のほうだ。確か、他人の場合は同意が必要だったよな? 自由にしたまえ。どこへでも好きな場所へ飛ばせばいい」


 ずばり、ネクロのねらいはここで落下させないこと。


「あいつらは、私を助けさせるために、ここへ呼び寄せたんじゃない。ついさっき、君の殺害さつがいを命じた。ほら、よく見てみなよ。したなめずりするかのように、はたまただい好物こうぶつでも見るかのような目で、君を見ているだろ?」


 ネクロの言葉通り、むらがり始めたゴーレムは、主人の落下にそなえる様子はなく、自身を一心いっしん不乱ふらんに見つめているような気がした。


おにごっこは得意とくいかい? まあ、得意なんだろうけど。もし彼らから逃げ切る自信がないのなら、しっかりと私を殺せ。確実にな。さもないと、君が死ぬことになるぞ。キヒヒッ」


 ネクロの魂胆こんたん単純たんじゅん明快。最大さいだい懸念けねんは落下直後ちょくご生死せいしの確認に来られることや、『うつわ』からの脱出前に死体したい回収かいしゅうが行われることだ。


 要は、はるか遠方えんぽう――生死の確認が必要のない高さまで『転送』されたほうが、ネクロにとって好都合こうつごうだった。


 トランスポーターが意固地いこじにここから落とすことにこだわれば、ゴーレムに救出させれば良い。遠方なら時間がかせげ、『器』からの脱出に余裕よゆうが生まれる。


「最初からそのつもりさ。おどせば、おじけつくとでも思ったのか?」


「キヒヒッ。顔に似合にあわず威勢いせいがいいな。お前のことをあなどっていたよ。私が『盟約』にくわわらなかったのを、お前は能力の出しおしみと表現したな。本当の理由を教えてやろうか?

 ネックだったのは、署名しょめい同士どうしの殺さずの制約せいやくだ。理由は言わなくてもわかるだろ? それに参加したら、お前らが殺せなくなるからだよ!」


 『転覆てんぷく巫女みこ』と同等どうとうの能力をゆうし、ネクロの親玉ともくされるマリシャス。みずからを殺すことで恩恵おんけいを受ける存在として、その名前が彼の頭をかすめた。


 マリシャスが全ての力を取り戻すには、トランスポーターをふくむ他の六人から『誓約せいやく解除かいじょの同意を得るか、殺害するかしかない。


 『お前ら』と表現したからには、同じ『最初の五人』で『盟約』にも参加する――ローメーカーとエクスチェンジャーの二人も念頭ねんとうにあるのは明らかだ。


「そういうことか。最終確認だ。お前自身があやつり人形だったりしないよな?」


「それはない。あれだけの数のゴーレムを動かしているんだ。これにくわえて、人間一人を意のままにあやつるなんて、私の能力の限界げんかいをこえている」


 ネクロが挑発ちょうはつ的な笑みをうかべる。


「こちらも、いま一度問おう。――本当にここからでいいのか?」


 トランスポーターは決めあぐねた。こちらの判断の甘さを指摘してきし、別の場所へ落とすよう誘導ゆうどうしていると思えた。だが、その意図いと見当けんとうもつかない。


 反対に、ここから落とすよう仕向けているとも考えられた。この高さから落ちただけでは、死なないとふんでいるふしがあり、それを確かめたい気持ちもあった。


 しかし、トランスポーターは挑発に乗ることにした。とことんまでやりつくすと決めた。ネクロの言動は、死のふちに追いつめられた人間のものではない。


 下手へたにゴーレムによって救出されるのだけはさけたい。自身でさえ落下地点ちてん予測よそくできない場所へ飛ばす。その上で相手が生き残れば、人外じんがいだという確証かくしょうも得られる。


遺言ゆいごんはそれでいいか?」


「……ローメーカーによろしくな」


    ◆


 ネクロが『転送』されたのはレイヴンズヒルのはるか上空じょうくう――高度こうど三千メートル。


 トランスポーターも具体ぐたい的な座標ざひょうを心に思いえがかなかった。能力の限界ギリギリまで、ネクロをいざなった。


 そこは雲をも見下ろせる高さ。ネクロは垂直すいちょく降下こうかする最中、耳をつんざく轟音ごうおんを気にかけず、眼下に広がる雄大ゆうだい景色けしきに目もくれなかった。


 空を見上げながらだいになり、つつみ込むような空気のベッドに身をまかせた。そして、ネクロはただただ夢想むそうにふけり、笑った。


 この容赦ようしゃのない仕打しうちに、彼は感服かんぷくしていた。恍惚こうこつとした表情でほくそ笑み、相手の冷徹れいてつ行為こうい賞賛しょうさんを送りたい気持ちだった。


「ローメーカーではなかった……。もっと警戒けいかいすべきはローメーカーではなかった。さて、どんなやり方であのクズを料理してやろうか。キヒヒッ」


 不気味ぶきみな笑い声が自然とこぼれ出す。トランスポーターに復讐ふくしゅうするさま妄想もうそうしながら、興奮こうふんに打ちふるえた。


 時間にして三十秒足らず。ネクロは誰に気づかれることもなく、西地区の一角いっかく墜落ついらくし、筆舌ひつぜつにつくしがたい異音いおんを立てて、無残むざんな姿に成りはてた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る