不運な出会い

     ◆


 ウォルターが去ってから、パトリックは意味もなく『源泉の宝珠ソース』へ視線しせんを投じていた。発光はっこう現象げんしょうはおさまったものの、かがやきは色あせていない。


 ふと辺境伯マーグレイヴへ目を向けると、心ここにあらずといった様子で立ちつくしていた。血走ちばしった目つきはどこかへ消え、顔つきは別人べつじんのようだった。


「どうしました? ものがとれたような顔をしていますよ」

「ああ……。まるで、夢からめたような感じだ……」


 いったい、自分は今まで何を――。ためらいなく行ってきた数々かずかず悪事あくじが、頭の中をかけめぐり、彼は途端とたんおそろしい気持ちになった。


 辺境伯マーグレイヴが〈不可視インビジブル〉の能力と引きかえに背負せおわされた宿命しゅくめい――それは『転覆てんぷく魔法まほうを解くために尽力じんりょくすること』だ。その効力こうりょくは、もはや洗脳せんのうに近い。


 かねてから望んでいたことだけに、彼は軽々かるがるしく引き受けてしまった。善悪ぜんあく区別くべつすらつかなくなり、それに狂奔きょうほんする事態じたいをもたらすとは夢にも思わなかった。


 『転覆の魔法』が解けたことで契約けいやく満了まんりょうした。ようやく呪縛じゅばくから解放され、辺境伯マーグレイヴ正気しょうきを取り戻した。


「やはり、何らかの能力をかけられていたようですね。あの日、〈樹海じゅかい〉で何が起きたのか教えてくれませんか?」


「わからない……。あの日、多くの仲間なかまうしなった。誰が味方なのか、誰が敵なのかもわからず、俺達は疑心ぎしん暗鬼あんきとなり、狂気きょうきにかられて同士どうしちをした」


 最初におかしくなった仲間ダレル・クーパー――彼の体を乗っ取ったスプーと、辺境伯マーグレイヴ死闘しとうをくり広げた。


 戦闘は彼が優位ゆういに進めた。しかし、ダレルが正気を取り戻すことを願い、決着けっちゃくをさけ続けた。その結果、逃走とうそうを許してしまった。


 気づいた時には、仲間の姿が見えなくなっていた。そして、変わりてた姿となった彼らを、次々つぎつぎと発見することになる。


(俺がダレルをやれていれば、こんなことにならなかったかもしれない)


 辺境伯マーグレイヴ失意しついの中、〈樹海〉をさまよい歩いた。まだ生存せいぞん者がいるかもしれない。わずかな望みにかけて、辺りがやみざされても、懸命けんめい捜索そうさくを続けた。


 夜通よどおし、歩き続けた。帰り道はわからなくなり、心身しんしんともにつかれ果て、大木たいぼくのたもとで腰を下ろした。目の前に、死という現実がチラつき始めた。


「結局、誰一人見つけられず、立ち上がる気力きりょくも、生きていく気力さえも失いかけていた。そこで俺は……何かに出会った」


 がた、何かが近づいてきた。その光景こうけいだけはおぼえていた。しかし、その部分だけが黒ぬりになっていて思い出せない。


「そして――生きたいと願った」


 当然、その後のやり取りも記憶にないが、その心情しんじょうだけは胸に残っていた。


 その時、階段のほうから足音あしおとが聞こえてきた。ほどなく姿を現したのは、後ろに二人の魔導まどうをしたがえた女性――ダイアンだった。

 

 相手が誰かわからなかったパトリックと違って、スージーは「ダイアン」とすぐに気づいた。辺境伯マーグレイヴは「……巫女みこ?」とつぶやいた。


「あっ、巫女。彼は……」


 ダイアンは守衛しゅえい制止せいしに耳を貸さず、躊躇ちゅうちょなく辺境伯マーグレイヴのもとへ向かう。


 相手は驚きの行動に出た。あわててひざとなって、敬礼けいれいしたのだ。それは体にしみついた本能ほんのう的な行動であり、『王笏セプター』がかなでた鈴の音を聞いたことによる、条件じょうけん反射はんしゃに近かった。


 『転覆』前のだい戦争せんそう――人狼じんろう討伐とうばつ戦の際、辺境伯マーグレイヴは巫女に同行どうこうした。えず身近みぢかで接し、絶大ぜつだいな力をはだで感じ続けた。そのため、巫女に対する畏怖いふねんが、体にきざみ込まれている。


「申しわけありません。俺はとんでもないあやまちをおかしました」


「ライオネル」

「……はい」


 辺境伯マーグレイヴの声はふるえている。国に対する反逆はんぎゃく行為こういを犯した身として、つみの意識で顔を上げることができない。


「顔を上げて」


 ダイアンが相手の目をまっすぐ見つめ、心を読んだ。そこから聞こえたのは悔恨かいこん懺悔ざんげの言葉。悪意あくいにそまっていないことを確信かくしんした。


「もう大丈夫ね」


 ダイアンは優しく、さとすように言った。


「……はい」


 今までの行為にも自覚じかくがあったわけではない。辺境伯マーグレイヴまよいを見せながらも、真摯しんし眼差まなざしで答え、深々ふかぶかと頭を下げた。


(ダイアンが巫女……)


 パトリックははなしくわわらず、すこはなれた場所から見守みまもっていた。


 心臓しんぞう鼓動こどうが早くなり、衝動しょうどう全身ぜんしんにくまなく行きわたった。のぞいた彼女のうなじを食い入るように見つめる。いつしか、そこから目が離せなくなった。


(今なら、巫女の息の根を止められる)


 さながらゾンビのように、理性りせい的な思考が遮断しゃだんされた。何かに取りつかれたように、それしか考えられなくなった。


 背後はいごから近づき、一気いっきに首をしめ上げる。パトリックの脳内のうないで、そのシーンがくり返し再生さいせいされた。かたわらの魔導士の姿は目に入っていない。


 所詮しょせん、パトリックもトランスポーターと同じ『最初の五人』。背負せおわされた宿命から、のがれることはできない。


 足音をしのばせ、息を殺しながら近づく。近くで様子をうかがっていたルーが、殺意さついをたぎらせるパトリックに気づき、すかさずダイアンの肩に飛び乗った。


「おっと、チビ助。おじょうちゃんに近づいていいのはそこまでだ」


 その言葉でパトリックは我に返る。しかし、自分が何をしようとしていたのかさえ、すぐにわからなくなった。


     ◆


 ケイトをさがしに城壁じょうへきとうを飛び出したスコットは、最後に彼女を目撃もくげきした場所の近辺きんぺんを走り回っていた。


 頻繁ひんぱんにズシン、ズシンとゴーレムの足音が耳にとどき、薄氷はくひょうをふむ思いだった。


「スコット、こっちです」


 路地ろじに入ったところで、ふいにケイトの声が頭上ずじょうから聞こえた。彼女はカギの開いた民家みんかの二階に避難ひなんしていた。


 その家へ入ると、ケイトがドタバタと二階から下りてきた。


「危ないじゃないですか。部隊ぶたいとはぐれたんですか?」

「いやいや、お前が一人でうろついていたから、さがしに来たんだよ」


 スコットがあきれた様子で反論はんろんする。ケイトが「あっ、そうだったんですか……」と気まずそうに顔をそむけた。


「ケイトこそ、何でこんなところにいるんだよ。確か、昨日は城に残るような話をしていたよな?」


「それには深い事情がありまして……」


 しばらく彼女は口ごもっていたが、戦闘へ参加せずに宮殿きゅうでんで隠れていたことや、命令もなしに城を飛び出したことなど、あらいざらい告白した。


 それを聞き終えると、スコットはため息をついた。ただ、結果的に軽率けいそつな行為になったとはいえ、彼女の純粋じゅんすいな思いを聞いたら、とても怒る気になれなかった。


「しょうがない。うちのチームに加わるか?」

「いいんですか?」


「今さら、城に帰すわけにもいかないしな。だけど、覚悟かくごしろよ。うちのチームは、もっとも危険な任務にんむにあたっているからな」


「やっぱり、遠慮えんりょさせてもらいます」


「待て待て……。いや、うちのチームでなくてもいいか。どちらにせよ、こんなところに一人でいるのは危険だ。どこかの部隊と合流ごうりゅうするまで、俺と一緒に来い」


     ◆


 城壁塔から脱出だっしゅつしたスプーは、大門おおもんから少し行ったところにある民家へ向かった。


 レイヴンズヒルまで来た『うつわ』――樹海の戦闘における被害ひがい者ダレル・クーパーの体を、その一室いっしつに押し込めていた。


 すでに、この『器』は顔がわれている。能力が通じないウォルターやパトリックからは、一目ひとめ正体しょうたいを見やぶられてしまう。しかし、この『器』はてられなかった。


 スプーら『エーテルの怪物かいぶつ』は、大気たいき中のエーテルをエネルギーとする。そのため、食事をとる必要はない。


 しかし、何も食べないでいると、血色けっしょくは悪くなり、体はやせ細り、いずれ骨と皮のみにくい姿となってしまう。ネクロは平然へいぜんとその状態でいるが、彼は違った。


 スプーは〈扮装〉スプーフィングによって相手の目をあざむける。それでも、能力を一時いちじてき解除かいじょする場面を考慮こうりょし、普通の人間と同程度の食事を欠かさない。


 入念にゅうねんに体のケアをしてきたのが、この『器』に執着しゅうちゃくする理由の一つだが、何と言っても、一番大きいのは手に入れた経緯けいいだ。


 敵の目をごまかすため、多少たしょう偽装ぎそう工作こうさくをした。耳にかかるぐらいの長さだった金髪きんぱつを、短髪たんぱつにしたのだ。


 スプーは民家を出て路地へ出た。その時、運悪うんわるくスコットとケイトの二人と行き会った。ポーカーフェイスをくずさなかったが、それが逆に不審ふしんかんあたえた。


 スプーは何食なにくわぬ顔で、そばを通りすぎようとしたが、スコットから「おい」と呼び止められた。


「どこへ行く?」

「今から城へ戻るところだ」


所属しょぞく部隊はどこだ?」


 スプーは言葉につまった。現在、『扮装ふんそう』をほどこしておらず、ダレル・クーパーの姿でいる。ユニバーシティの制服せいふくを着ているので、非戦闘員であるという言いわけは通用つうようしない。


たんなる伝令でんれいだよ」

「伝令だって、腕章わんしょうをつけているはずなんだけどな」


 大門付近ふきん主力しゅりょく部隊の他にも、各地区ごとに部隊が展開てんかいしている。それらを識別しきべつするため、異なったラインの入った腕章が事前じぜんくばられていた。


「腕章……。どこかで落としてしまったようだな」


「だったら、部隊名と腕章の色を答えてもらおうか。落としただけなら、わかるだろ?」


「……君達も腕章をつけていないようだが?」

「俺達は特別な任務を与えられていてな。あいにく、どこの部隊にも所属していないんだ」


ねんのため、特別な任務とやらの内容を聞いておこうか」

「お前みたいなやつを、さがす任務だよ」


 観念かんねんしたスプーは肩をすくめながら、ため息をついた。


「わかった。認めようじゃないか。おそらく、私は君達がさがしている男だ」


 顔色かおいろ一つ変えずに言いはなった相手を見て、スコットは恐怖きょうふ心を覚えた。ケイトがスコットの背後に隠れる。


「ムダな血を流したくない。見逃みのがしてくれないか?」


 用心ようじん深いスプーは確実に勝てる戦いしかしない。彼のとる戦法せんぽうは、いつだって、だまし討ちだ。


「見逃すわけにはいかないな」


 チーフのかたきを討つと決めたスコットは、意地いじでも退くわけにいかない。


「ならば、言いかえよう。――るなよ、魔導士風情ふぜいが。死にたくなければ、道を開けろ」


 おに形相ぎょうそうをしたスプーが、背筋せすじのこおるような、ドスのきいた声で言った。戦闘能力にけていると言えないスプーが、強い態度に出れたのには理由がある。


 たった今起こった『転覆』によって、これまでは〈樹海〉の奥深おくふかくでしか使えなかった能力――〈やみちから〉が、使用できるようになっていた。


 最悪さいあくのタイミングだった。スコットにとって、あまりに不運ふうんな出会いとなった。

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