ダイアンの決意

    ◆


 近くで見守みまもっていたスージーが、あわてて仲裁ちゅうさいに入る。


「私は理性りせいにもとづいて物を語っています。たいして、あなたは感傷かんしょうで物を語っている。最初からえるわけがありません」


 パトリックもムキになっていたため、スージーが心配そうに「ウォルター」と相手の腕に手をかける。


「ウォルターにも責任せきにんがあるんですよ。この国にかけられた『転覆てんぷく魔法まほう』を、あなたはいてみせた。つまり、この国の『転覆』や彼らのゾンビ化に、少なからず関与かんよしている何よりの証拠しょうこです」


 はきてるように言ったパトリックがにらみ返す。彼には彼なりの正義せいぎがあり、間違った行為こういをしたつもりは微塵みじんもない。


 ウォルターが相手のえりをさらに強くしめ上げる。表情は怒りにゆがみ、そばの窓から突き落としかねないいきおいだ。


「私を見誤みあやまらないでください。決して、かるはずみな考えで動いたわけではありません。これだけのことをしでかした。非難ひなん矛先ほこさきとなるのは承知しょうちの上。処刑しょけいでさえあまんじて受ける覚悟かくごです。

 それだけの信念しんねんをもって行ったのです。ですから、あなたも相応そうおうの覚悟をもって、私をなぐるなり、ここから突き落とすなりしてください」


 ウォルターの腕にいっそう力がこめられ、パトリックが苦悶くもんの表情をうかべる。スージーが体をはって止めに入る。


「やめてください。ウォルター、やめてください」


 所詮しょせん、よそものにすぎない自分のワガママなのか。キレイ事を言っているだけなのか。言い返せないことが、ウォルターの感情をかき立てた。


 外から、悲鳴ひめいに近いどよめきがわき起こる。窓から地上ちじょうを見下ろすと、雪崩なだれをうったように宮殿きゅうでんからおお人数にんずうが飛び出してきた。一人一人が豆粒まめつぶほどの大きさでも、だい混乱こんらんにおちいっているのが一目ひとめでわかった。


「絶対に認めません。学長がくちょうは間違ってる……、絶対に間違ってる!」


 やり場のない思いを持てあまし、ウォルターは発作ほっさ的に〈とま〉から飛び降りた。


(ちくしょう……、ちくしょう!)


 胸の内ではき捨てながら、重力じゅうりょくに身をまかせ、風を全身ぜんしんに受けながら落下らっかする。地面じめん直前ちょくぜんでブレーキをかけると、ふわりと空中で一回転して群衆ぐんしゅうのまっただなか着地ちゃくちした。


 周囲しゅうい視線しせんを集めながらも、ウォルターが状況じょうきょう把握はあくにつとめる。ゾンビらしき足元あしもとがおぼつかないのが数人おり、まわりから距離を置かれている。


 ゾンビは目についた人を、手当たり次第しだいいはらおうとする。そのたびに上がる周囲のさけび声が刺激しげきとなり、興奮こうふんをあおり立てるあく循環じゅんかんとなっていた。


「あそこのゾンビをどうにかしてください」

「宮殿の中にはもっといるんです」


 近くに他の魔導まどう見当みあたらない。口々くちぐちにうったえかけられ、ウォルターが一番攻撃的なゾンビにねらいをさだめる。


「どいてください!」


 射線しゃせん上にいた人達があわてて両サイドへはけると、ウォルターは『かまいたち』をはなった。数メートル吹き飛ばされたゾンビは、三度地面をころげ回った。


 本来ほんらいなら『火』の魔法でとどめをさすところ。ウォルターにはそれができる。しかし、相手はついさっきまで生きていた。その事実が頭をよぎると、途端とたんにおよび腰となった。


(彼らをすく手立てだてがあるかもしれない)


 ゾンビが起き上がる素振そぶりを見せたが、ウォルターはかまえた右手を下ろす。


巫女みこをさがし出して、もう一度『転覆の魔法』をかけてもらえば)


 巫女の場所ばしょ見当けんとうもつかない。けれど、ウォルターは一縷いちるの望みにすがるしかなかった。残りのゾンビを次々つぎつぎ転倒てんとうさせた後、同様どうよう騒然そうぜんとなっていた東棟ひがしとう方面ほうめんへ移動した。


     ◆


 ゾンビからのがれるため、東棟を飛び出した住人じゅうにん達は東門とうもん殺到さっとうした。守衛しゅえい懸命けんめいにそれを制止せいししている。


「外に出してくれ! ゾンビがそこまで来ているんだ!」

「ダメだ! 門は開けられない! 建物に引き返せ!」


「建物はゾンビだらけなんだよ!」

「だったら、ゾンビを早くどうにかしてくれ!」


 その時、一体のゾンビが群衆の中へ突っ込んでいき、人だかりがたちまちっていく。そこにウォルターが現れ、ゾンビをまたたく排除はいじょした。


「ありがとうございます」


 近寄ってきた守衛が感謝の言葉をのべた。


「今はどんな状況ですか?」


「ごらんの通り、大量たいりょうのゾンビが現れたというか、いっせいにゾンビ化したというか。なのに、門が開けられないので、魔導士の方を呼び戻すこともできません」


「何か、他におかしなことは起きてませんか?」

「ああ、今は落ち着いていますが、さっきまで地鳴じなりがひどかったです」


 このころには、地鳴りがほとんど聞こえなくなっていた。


 すこはなれた場所から悲鳴が聞こえ、ウォルターがあらたに現れたゾンビの対処たいしょへ向かう。それを終えた時、ふいに「ウォルター」と呼びかけられた。


 振り返ると、ダイアンが立っていた。ウォルターが反射的はんしゃてきに顔をそらす。そして、自分を責めるように声をしぼり出した。


「ダイアン、ごめん……。守れなかった、守れなかったんだ……」


 ダイアンがゆっくりとウォルターに歩み寄る。相手は今にも泣き出しそうな表情。彼女もとっさに顔をふせた。かける言葉は口をついて出ず、手をにぎってあげることしかできなかった。


城外じょうがいも通りに人が出てきています! おそらく、同じ状況です! 岩の巨人きょじんがうろついている分、外のほうが断然だんぜん危険きけんです!」


 城壁の上にいた守衛が大声で言った。


「今のを聞いただろ。外は岩の巨人だらけだ。まだソンビのほうがマシだ」


 守衛がおどすように言うと、群衆は一様いちように口をつぐむ。


「俺達もいずれゾンビになるんじゃ……」


「行かなきゃ……。助けに行かなきゃ」


 一連いちれんのやり取りを聞いていたウォルターがポツリとつぶやく。数メートル進んでから、空高そらたかく舞い上がり、城壁じょうへきを飛び越えていった。


 最後まで、ダイアンは顔を上げられなかった。なぐさめの言葉をかけなければ、という思いはあっても、相手の顔を見れば、心をかきみだされてしまう。


 彼女には能力が一つある。名前は〈読心〉マインドリーディング。彼女が手元てもとに残したささやかな能力だ。発動はつどう条件は相手の目を見るだけでよく、許可きょかは必要ない。


 それが自身の行為とわかっていても、この能力を残した経緯けいいは明らかでない。『転覆』前の記憶は大半たいはんが残っているものの、『誓約せいやく』によって肝心かんじんな部分が欠落けつらくしている。


 特に、『最初の五人』が深くかかわる『転覆』直前に関しては、ぬけ落ちた記憶のピースがあまりに多い。


 〈読心〉マインドリーディングは身を守るのに役立った。さいわいにも、一度も現れることはなかったが、自身の命をねらう敵を見ぬくことができる。それは彼女に安心感をもたらした。


 始め、ウォルターに能力は通じなかったが、同意どういを得てからは心を読めた。おかげで、すぐに疑惑ぎわくは晴れ、突然とつぜん部屋に出現した相手にも、心を許すことができた。


 けれど、心を読めるのはおそろしいことだ。知りたくもない相手の気持ちも知ってしまう。そのため、彼女はウォルターと背中合わせで話すことが多かった。


 『巫女』と呼ばれていた時代は、片膝かたひざをつかせ、顔をせた状態で家来けらいに話をさせた。『巫女は心を見透みすかすことができる』という話も常識じょうしきとして広まっていた。


 彼女は身を隠し続けた。確実なことは言えないが、それが自分で自分にした役目やくめであり、『転覆』前の自分からのメッセージだと判断した。


 また、力をうしなった今の自分では、周囲に迷惑めいわくをかけるだけとの思いもあった。しかし、長年ながねん、彼女をしばり続けたその考えを、とうとうあらためる日がおとずれた。


「私も――戦わないと」


 自身を勇気づけるようにつぶやく。ダイアンはおもて舞台ぶたいに立つ決心けっしんをかためた。


     ◆


 ダイアンは危険を承知で荷物の置いてある東棟の一室いっしつへ戻った。


 建物内の住人はあらかた避難ひなんを済ませたが、まだ上層じょうそうかいからはあらそうような声が聞こえ、取り残されて部屋に立てこもっている住人が若干じゃっかんめいいる。


 屋内おくないはゾンビがさまよい歩いてばかりだが、活動的なゾンビが外へくり出したため、残っているのは比較ひかく的おだやかだ。


 避難生活の疲労ひろうからか、トーマス夫妻はかすかに体をゆらめかすばかりで、その場から動かない。ポールだけは室内をフラフラと歩いていた。


 彼らの視界しかいに入らないよう、用心ようじん深く荷物の置き場所へ向かう。助けてあげたい。強烈きょうれつな思いにかられたが、今の彼女にできることは何もない。


 部屋を後にしたダイアンは、東棟を出てから、人気ひとけのない宮殿の裏手うらてに向かった。


 布でくるんだだけの簡素かんそ梱包こんぽうをとく。姿を現したのは、貴重きちょう品として屋根やねうら部屋から持ち出した物であり、『転覆』前に宮殿から持ち出したかずすくない所持しょじ品でもある。


 十数年間、ただの一度もそでを通すことのなかったドレスと、銀製ぎんせいのティアラ。巫女の時代、この二つは式典しきてんの際に必ず着用ちゃくようしていたお気に入りだ。


 あと一つは、普段ふだんはルーを呼び寄せるのにもちいていた、先端せんたんに鈴のついた『王笏セプター』だ。かつては常時じょうじ手にたずさえていて、巫女の象徴しょうちょうとも言える代物しろものだ。


 ダイアンは意を決してドレスへ着替えた。自身が巫女であると証明するには、これしか思い当たらなかった。


 元々もともと着ていたワンピースをしまう時、ふと、ウォルターからプレゼントされたブローチが目にとまった。しばらく目を投じた後、それをドレスへつけかえた。


 ちょうど彼女が着替え終わった時、上空じょうくうからルーが飛来ひらいした。


「おじょうちゃん、そんな格好かっこうをしてどこへ行くつもりだ?」

「だいたいわかるでしょ」


「まさか、正体しょうたいをバラすんじゃないだろうな?」

「そのまさかよ」


「どういう風の吹き回しだ? 十数年間、あのせまくるしい部屋でガマンしてきた日々がみずあわになるじゃないか」


「わかってる。でも、ウォルターが戦っているのよ。ウォルターだけじゃない。みんな戦っているの。私だけ、いつまでも隠れ続けているわけにいかないじゃない」


 ルーがわざとらしくため息をついた。


「いつから、そんな物分ものわかりの悪い子供みたいになった。いっときの感情に流されちゃいけない。今のお嬢ちゃんは無力むりょくだ。結局、誰かに守ってもらわなければならない。いったい、誰に守ってもらうと言うんだ」


 ダイアンにとって、それだけが唯一ゆいいつの心配の種だ。


「あの小僧こぞうに守ってもらうか? お嬢ちゃん。前にも言ったが、あいつはクセェ。あいつはクセェんだよ。お嬢ちゃんなら、俺の言っている意味がわかるだろ?」


 ルーの言うそれがどういった意味合いか、ダイアンは理解している。


 ウォルターの身に宿やどるものがどういった存在で、それが自身の敵であることも知っていたが、姿すがたかたちや能力については『誓約』の影響で記憶から失われていた。


「でも、〈転覆〉エックスオアーについて知っているのはわたしだけなのよ。それに一部いちぶの力を彼女にたくしてあるの。それを伝えなければいけないし」


「わかった、わかった。じゃあ、俺が一緒に行ってやるから、勝手にどこかへ行かないようにな」

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