ゾンビ化の原理

     ◆

 

 大地だいちの『転覆てんぷく』が始まった時、トランスポーターはレイヴン城にほど近い尖塔せんとう突端とったんで、静かにたたずんでいた。異変いへんに気づき、まぶたを開けて周囲しゅういを見回す。


 不気味ぶきみ地鳴じなりの発生源はっせいげん特定とくていできない。あらゆる方向から、おおいかぶさってくるようで、時おり、不快ふかい金属きんぞくおんがまじっていた。


「インビジブルがやりとげたか。案外あんがいあっけなかったな」


 長い間、手のとどかなかった楽園らくえんが、ついに崩壊ほうかいしてしまう。自身の胸の中にだけ存在し、攻略こうりゃくにはげんでいた昔日せきじつの記憶がよみがえり、物悲しい気分きぶんにさらされた。


 今回の作戦立案りつあんは全くのだい三者さんしゃ。失敗を見込みこむどころか、それを願ってさえいただけに、彼の胸中きょうちゅう複雑ふくざつだった。


「いや、彼がやりとげたと言うべきか」


 ウォルターが〈とま〉へ向かってから、彼は安全な場所を探した。視界しかい共有きょうゆうを行える〈千里眼〉リモートビューイングは、発動はつどうしている時に目をつむる必要がある。


 さらに、能力のりを行っている関係上、二つの能力を同時に発動することはできない。発動中は〈不可視インビジブル〉を解除かいじょしなければならず、ひどく防備ぼうびになる。


 彼は辺境伯マーグレイヴの視界を通じて、一部いちぶ始終しじゅう見守みまもった。そのため、音声がとどいてなくとも、ウォルターが何かをしたことだけはわかった。


 彼にとって念願ねんがんであり、宿命しゅくめいとも言える『転覆てんぷく巫女みこ打倒だとう。それに一歩いっぽ前進ぜんしんしたことを考えれば、感傷かんしょうにふけっている場合ではない。


 気を引きしめ直したトランスポーターは、レイヴン城の城壁じょうへきごしに、力強ちからづよ眼差まなざしで〈止り木〉を見上げ、こうつぶやいた。


「さあ、姿を見せろ、『転覆の巫女』。お前の国が――お前のきずき上げた国が、悲鳴ひめいを上げているぞ」


     ◆


 一方いっぽうのダイアンは、避難ひなん先である東棟ひがしとう一室いっしつで、その時をむかえた。地鳴りの発生はっせいに気づくと、不審ふしんに思って窓へとかけ寄る。


 うわさに聞く岩の巨人きょじんが、ここまで押し寄せてきたのでは。さきにダイアンの頭をよぎったのは、そんな不安だった。


 けれど、中庭なかにわに変わった様子はなく、そこにいた数人は辺りを見回したり、空を見上げている。また、かい側の窓に、ダイアンのように外をながめる人影ひとかげがたくさんあった。


「うわああああ!」


 廊下ろうかのほうから、唐突とうとつに男性のさけび声が上がった。ダイアンがビクッと背後はいごを振り向く。表情をかたまらせたまま、それに続く声に、しばらく耳をすます。


 トーマス一家を始めとした同室どうしつ住人じゅうにんは、特段とくだん反応を見せない。イスや木箱きばこに腰かけたり、壁に寄りかかったまま、ジッとしている。


 まるで、さけび声が聞こえなかったかのようで、別の物音ものおとを聞き違えたのかと思うほどだった。


 彼女は怪訝けげんそうに彼らを見ながら、戸口とぐちへ向かう。そして、廊下へソっと顔を出した瞬間しゅんかんだった。


「きゃああああ!」


 今度は遠くで女性の悲鳴がひびきわたった。けれど、さきほどのさけび声とはべつ方向ほうこうから聞こえ、距離もだいぶはなれているように思えた。


「おい、こいつゾンビになってるぞ!」


 次に聞こえた大声おおごえはより近い。けれど、こえぬしは廊下に見えず、どうやら、部屋の中からだ。ゾンビ出現の話を伝えようと、ダイアンが部屋の中を振り返る。


 しかし、異変はその部屋でも始まっていた。トーマスの息子――ポールがヌーッと立ち上がる。頭と腕をダラリとたれ下げ、風に吹かれているかのように、ユラユラとゆれ始めた。


 表情には生気せいきのかけらもない。ダイアンに肌をなでるような悪寒おかんが走る。ゾンビを見なれているとは言えない彼女が、即刻そっこくそれと断ぜられるほどの異様いよう雰囲気ふんいきだ。


 随所ずいしょから、助けを求める声が、つづけに廊下にひびく。チラッと後ろを確認してから、父親のトーマスへ目を移す。彼もまた、うつろな表情で焦点しょうてんの合わない目を床に投じている。


 一つ屋根やねの下で暮らす彼らが『忘れやすい人々』――ゾンビ化しやすい人々であることを、ダイアンは痛いほど知っている。


 また、彼らの身に何が起きたかだけでなく、何が彼らの身に変化をもたらしたかまで、彼女は予想よそうがついた。


 ゾンビは理性りせい的な行動に終始しゅうしする。だが、ただちに人間へおそいかかるような危険きけん性は低い。空腹くうふくになれば食料を求めるが、基本的に日頃ひごろから食べるものを好む。


 そのため、屋内おくない侵入しんにゅうしてきて、食料をうばおうすることはあっても、人間に食ってかかることは、よほどいつめられないかぎりない。


 ただし、理性りせいが働かないため、非常に敏感びんかんになっている。接近せっきんしてきた人間や動くものに対し、過剰かじょう防衛ぼうえい行動をとることがある。


 気をつけるのは刺激しげきをあたえないこと。足音あしおとを立てないよう、ダイアンが慎重しんちょうあとずさる。背後に注意を向けなかったため、すぐに廊下を歩く誰かとぶつかった。


 振り向くと、うろんな目つきの中年ちゅうねん男性と目が合った。ぎこちない愛想あいそ笑いをうかべてから、すり足ですこしずつ距離をとる。


 そして、怒声どせいや悲鳴が飛びかう廊下を、一目散いちもくさんに走りぬけた。


     ◆


 ウォルターは呆然ぼうぜんと『転覆』を見守った。『転覆てんぷく魔法まほう』が解けたのは疑いようがない。けれど、自分が実行したことを、どうしても受け入れられなかった。


「そんなわけがない……、そんなわけがないんだ……」


 かえしのつかないことをしでかした。その考えが重くのしかかる。今だに信じられず、〈催眠術ヒプノシス〉で言葉たくみに誘導ゆうどうされたのではと疑った。


学長がくちょう、だましましたね」

「だましてなどいません」


 パトリックの『暗示あんじ』に不審な点はなかった。しかし、別の『暗示』に、あの時点じてんでかかっていたとしたら……。〈悪戯〉トリックスターによる一時いちじてきな解除なら、食い止められると思い立った。


(止まれ! 止まれ!)


 ウォルターが祈るような気持ちで『源泉の宝珠ソース』に向けて右手をかざす。しかし、感覚的に使用する〈悪戯〉トリックスターは、効果が目に見えないかぎり、自身でさえ何をしているかはっきりしない。


 逆に効果を持続じぞくさせている可能性も考えられ、能力を別の用途ようと――能力なしでは不可能な、『風』以外の魔法を使用する方法を思いつく。


 ワラにもすがる思いで、巨大きょだいな『火球かきゅう』を発現はつげんさせた。だが、願いもむなしく、塔が崩落ほうらくしていると錯覚さっかくするほどの地鳴りは、鳴り止むことはなかった。


 さらに、外から地鳴りとは別種べっしゅだい音声おんじょうが聞こえた。


 さわぎに気づいたウォルターが、窓から身を乗り出し、眼下がんか見渡みわたす。すると、続々ぞくぞく宮殿きゅうでんから人が飛び出し、何かから逃げまどっていた。


 口々くちぐちにさけんでいるのはわかったが、遠く離れているため、内容は聞き取れない。ウォルターはゴーレムか、敵の襲撃しゅうげきを受けていると考えた。


「おそらく、ゾンビ化が始まったのでしょう」

「……どういうことですか?」


「『転覆』させられていたのは、大地だけではなかったということです」

「はっきり言ってください!」


 表情をくもらせたパトリックが、ためらいがちにうつ向いた後、落ち着いた口調くちょうで語り出す。


「彼らは元々もともとゾンビだったのです。それを巫女が『転覆の魔法』によってゾンビ化を食い止め、さも生者せいじゃのように仕立したて上げていた。その魔法が解けてしまえば、症状しょうじょう再発さいはつするのは自明じめいです」


 ウォルターは夢にも思わなかった内容に絶句ぜっくした。


「以前に、ゾンビ化をもたらす三つの要因よういんについて、話したことをおぼえていますか? 簡潔かんけつに言うと、レイヴンズヒルから離れていること、人口じんこう密度みつどが低いこと、体力を消耗しょうもうしていることの三つです。

 一つ目は単純たんじゅんに距離の問題。二つ目はエーテルの濃度のうどでしょうか。エーテルには人間に引き寄せられる性質せいしつがありますから、人口密度が高いほどエーテル濃度が高いのです。そのため、魔法も発動しやすくなります。

 三つ目はよくわかりませんが、彼らは『源泉の宝珠ソース』の力を借りて、能力の効果を自身におよぼしていて、体力を消耗すると、それを維持いじできなくなるのでしょう。

 ようするに、ソンビ化とは『転覆の魔法』の網からもれてしまうこと。そして、ひとたび、彼らと『源泉の宝珠ソース』をつなぎ止めていた糸が切れてしまえば、元通もとどおりになることはありません」


「……全部わかってたんですか。わかった上でこんなことをさせたんですか」


 ウォルターがふるえるコブシをにぎりしめながら言った。


確信かくしんがあったわけではありません。しかし、十年前には予期よきしていました。その時、私は『転覆の魔法』を解く研究けんきゅうをやめました。人口減少がもたらす弊害へいがい痛感つうかんしていましたから。私は〈外の世界〉へ行く別の手段しゅだん模索もさくし始めました。

 口外こうがいしなかったのは単純な理由です。口に出すのが怖かった。言葉にすることで、〈外の世界〉へ行く夢を断念だんねんせざるをえないのが怖かったのです。他の方々かたがたも、気づいているのにあえて言わないでいる、ぐらいに考えていました」


「わかっていたのなら、どうして!」


 パトリックにつめ寄ったウォルターが、声をあららげながらすごむ。


「それを上回うわまわるメリットを感じた。ただ、それだけのことです。あなたも、市街しがい惨状さんじょうを見てきたのではありませんか?」


 パトリックは動じることなく言い返す。


 〈転覆の国〉は二十年前から、人口が半減している。辺境へんきょうではゾンビ化がひと段落だんらくし、『忘れやすい人々』がめっきり少なくなった。


 しかし、もっともゾンビ化しにくい街――レイヴンズヒルにおいては一定いっていすう残っている。その数は全人口の二割とも言われている。


 『忘れやすい人々』――彼らは『転覆』後の記憶を保持ほじできない。


 厳密げんみつに言えば、一時的におぼえられても、一週間程度頭から離れると、きれいさっぱり記憶からうしなわれ、思い出すことさえできなくなってしまう。


 そのため、彼らは新しい仕事や生活に適応てきおうするのが非常に困難こんなんだ。あらたな制度をもうけることも、政策せいさく推進すいしんすることもできず、パトリックは歯がゆい思いをたびたび味わった。


「学長は知らないんです。たとえ、普通の生活を送れなくとも、その人達との生活を大切にしている人がいることを」


 ウォルターはダイアンのことを思い出した。彼女はつらい思いを味わっても、『忘れやすい人々』との生活を選んだ。彼女の今の心境しんきょうに思いがいたると、急激きゅうげきに胸がしめつけられた。


「もちろん、彼らには同情しています。しかし、このまま現状げんじょうをズルズルと放置ほうちすれば、みずからの首をしめ、いずれ破綻はたんをむかえるでしょう。彼らを守るために、無用の犠牲ぎせいを生み続けるのはおかしくありませんか?」


「それはやれるだけのことをやってから、言うべきセリフです」

「もうあらゆる手はつくしました。あなたが知らないだけです」


 パトリックもけんか腰となって語気ごきを強める。


「すでに死んでいる彼らに、これ以上かまっている余裕よゆうはありません。今、我々に求められているのは、彼らを見捨みすてる勇気と、〈外の世界〉へみ出す覚悟かくごです」


 怒りをこらえ切れず、ウォルターが衝動的しょうどうてきにパトリックのむなぐらをつかむ。そして、力まかせに背後の壁へ押しつけた。

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