転覆の時

     ◆


 ウォルターとトランスポーターは、始めレイヴン城の正門せいもんにほど近い場所で戦っていた。


 まばたきさえ許さない、壮絶そうぜついかけっこが展開てんかいされた結果、二人はひがし地区のはずれまでやって来た。街並まちなみは様変さまがわりし、周囲しゅういには一般の民家が増えた。


 ウォルターは意識的に『風』の魔法まほうを攻撃にもちいた。どうしても空中飛行に『風』を使う必要があるため、それが一番スムーズに攻撃へ移れるからだ。


 通常、属性ぞくせいの切りかえには一秒もかからないが、多少たしょう神経しんけいを使う。何より『風』が一番使いなれていたし、その次に得意とくいな『火』は、人家じんか引火いんかする危険きけんもある。


 しかし、もはやの言っている状況じょうきょうではない。『風』はに欠け、敵にあたえる脅威きょういは小さい。威嚇いかくによって、敵をすこしでもひるませるため、『火』の魔法を中心に切りかえた。


 にえたぎるマグマのような『火球かきゅう』が飛びかい始めると、トランスポーターの表情から余裕よゆうせ、今は苦悶くもんに近い表情さえ垣間かいま見せる。


本格ほんかく的に嫌われちゃったかな)


 ウォルターは足を止めることなく、がむしゃらに敵を追跡ついせきした。トランスポーターは相手の鬼気ききせまる表情に、のよだつ思いさえ感じた。


 彼はウォルターと敵対てきたいする気はなく、たとえ捕まっても言いなりになって命ごいでもすればいいと、たかをくくっていたが、このままでは殺されかねないとあやぶんだ。


 怒りに顔をゆがませるウォルターの様子は常軌じょうきいっしている。それがさきほどの挑発ちょうはつを受けての怒りなのか、巫女みこの敵に対するものなのかは判然はんぜんとしない。


 トランスポーターの脳裏のうり退却たいきゃくの二文字がチラつく。その時、彼に救いの女神が現れた。ウォルターにとってはわる横槍よこやりとなった。


『ウォルター? スージーです』

『……何?』


学長がくちょうがですね、今にも殺されそうだから、〈とま〉の最上さいじょうかいまで来てほしいって』


 取り込んだ状況でも、到底とうてい、聞き流せる内容ではない。ただ、物騒ぶっそうな内容のわりに、スージーの声音こわね切迫せっぱく感がない。


『どんな状況なの? 今は一緒にいるの?』

『今、一緒に階段をのぼっています』


『わかった。今から、そっちに行くと伝えて』


 ウォルターがトランスポーターににらみをきかせる。相手は一息ひといきつけたことで、安堵あんどの表情をうかべた。


「何か、あったみたいだね」


 相手の問いかけに何も答えず、ウォルターは未練みれんたっぷりの視線しせんをしばらく投じたが、やむなくレイヴン城へ足を向けた。


     ◆


 ウォルターは〈止り木〉の頂上ちょうじょう――鎮座ちんざへ向かう途中、スージーと『交信こうしん』をかさねていたが、歯切はぎれの悪いコメントしか返ってこなかった。


 数百段もある階段をのぼり切り、鎮座の間の前に到着とうちゃくすると、スージーはとびら正面しょうめんに位置する小窓こまどから、外をながめていた。


「ウォルター、こっちです」


 部屋の中へ案内あんないされると、ウォルターは聞いていた話との違いにとまどった。ある意味、スージーのつかみどころのない反応はに落ちた。


 パトリックは防備ぼうびな背中をこちらに向け、宝珠ほうじゅの前にたたずんでいる。神秘しんぴ的な輝きをはなつ宝珠に注意が向かないほど、奇妙きみょう雰囲気ふんいきを感じた。


 ウォルターの到着に気づいたパトリックが、ゆっくりと歩み寄ってくる。足取あしどりは拍子ひょうしぬけするほど自然しぜんたいだ。


 部屋へ足をみ入れた直後ちょくご、ウォルターは別の人物の存在に気づく。扉そばの壁に背をあずけていた男と視線が交差こうさする。


 服装ふくそうから敵の能力者と判断し、とっさに身構みがまえたが、あまりにリラックスした相手の様子がまよいを生じさせた。


「お前がうわさのトリックスターか?」


 ウォルターが露骨ろこつに顔をしかめる。能力名で呼ぶのは敵にかぎられる。それにイラ立ちはつのる一方いっぽうだった。


「……誰ですか?」

くだん辺境伯マーグレイヴです」


 振り向くも、辺境伯マーグレイヴは身構えもせず、何かを待つようにこちらを見ているのみ。


 相手が中央広場事件を起こした犯人と知っていても、敵の一味いちみとまでは知らない。一向いっこうに状況が飲み込めず、ウォルターはますます頭を混乱こんらんさせた。


「これが何度かお話した『源泉の宝珠ソース』です。これによって、巫女はこの国全土ぜんどに『転覆てんぷくの魔法』を展開しています」


 ウォルターは宝珠を見上げながら、「はあ……」と気のない返事をした。


「見たことありませんか?」

「……ありませんよ」


 意味いみしんな問いかけに、探るような目つき。ウォルターはいぶかしんだ。


「それより、くわしく状況を説明してください」

「ウォルターに、この国にかけられた『転覆の魔法』をいてもらいたいと思い、呼び寄せました」


「えっ? ……何のためにですか?」

天地てんちを――この国をあるべき姿に戻すためです」


〈悪戯〉トリックスターでやるってことですか?」

「まあ、そうなるでしょうか」


 パトリックはふくみのある言葉でけむにまいたが、それを解除かいじょできるのは〈悪戯〉トリックスターでないと考えている。


「もっと、ちゃんと説明してください」


 ウォルターの同意どうい簡単かんたんに得られるとは考えられず、パトリックはなしくずしに、わなにかけるように話を進めようとしたが、考えをあらためた。


「あそこの辺境伯マーグレイヴ取引とりひきをすることになりました。『転覆の魔法』を解けば、ゴーレムを引き上げさせるというものです」


 ウォルターが辺境伯マーグレイヴ一瞥いちべつした。相手に変わった様子はないが、途端とたんに入口でこちらを見張みはっているように感じられてきた。


「それは学長の意思いしですか? それとも、おどされて言わされているんですか?」

「どちらとも言えます」


「……そんなことできません。たとえ自分にできたとしても引き受けられません」

「理由を聞かせていただけますか?」


「それによって起こりうる結果に責任せきにんが持てません。第一だいいち、今そんなことをしてる場合じゃないでしょ。みんな戦っているんですよ!」


「『転覆の魔法』を解ければ、戦闘は終結しゅうけつします」


戦場せんじょうに戻ります。あの人をどうにかしてほしいのなら、この場で僕がどうにかしますよ。ゴーレムだって、全部自分が相手します」


 ウォルターが闘志とうしをむき出しに言うと、辺境伯マーグレイヴが「面白おもしろい」と壁から背をはなす。


「彼をあなどらないでください。ジェネラルがなすすべもなくやぶれたそうです」


 その忠告ちゅうこく興奮こうふん状態にあったウォルターの耳に届かない。


「ウォルター、冷静れいせいに考えてみてください。巫女がこの国を大地だいちごと『転覆』させ、〈外の世界〉から隔離かくりしたのも、この国を守りたいという一途いちずな思いがあったからでしょう。しかし、今となっては我々の足かせでしかありません。

 敵の目的は我々の殺戮さつりくでなく巫女の命です。巫女が存在していないと証明できれば、彼らがこの国に手出てだしする理由もなくなります」


 理屈りくつはわかっても、巫女の敵と取引すること自体じたい、ウォルターは我慢ならなかった。また、パトリックの固執こしつする態度が、他に意図いとがあるのではないかとかんぐらせた。


「……無理です。問題が大きすぎます。それに、巫女がこの国に『転覆の魔法』をかけたのは、余程よほどの理由があったからだと思います。それがわからない以上できません。

 そもそも、何で僕にできると思ったんですか。〈悪戯〉トリックスターで解除できたとしても、それは一時いちじてきなものにすぎないですよね?」


「一時的でもかまいません」

「そのことに何の意味があるんですか」


 〈分析〉アナライズによって得た情報は、かえってウォルターの反発はんぱつを生み出しかねず、できればせておきたいと、パトリックは考えていた。しかし、ふとそれを逆手さかてに取って利用することを思いつく。


「実は、昨日コートニーをここへ連れて来て、『源泉の宝珠ソース』へ〈分析〉アナライズを使用してもらいました。それによって判明はんめいしたことが三つあります。

 『転覆の魔法』の効果を持続じぞくさせているのが、この『源泉の宝珠ソース』だということ。そして、術者じゅつしゃが巫女だということ。ここまでは我々の予想よそう通りです」


 しばらく、ためらった後、パトリックが重い口を開く。


「最後の一つ――それは、巫女が『転覆の魔法』を解除する権限けんげん他者たしゃ委譲いじょうしていたことです。誰だと思いますか?」


 話のながれからすれば、自分なのだろうと想像がついたが、もちろん、ウォルターは身におぼえがない。


「僕ってことですか?」


「はい。トリックスターという名が記されていました。巫女は解除権限をあなたへたくしていたのです」


「ありえません。僕は最近この世界へ来たばかりです。巫女にだって会ったことない。それに、コートニーからそんな話を一度も聞かされていません」


「私が口止くちどめしましたから」


 どうしてそんなことをするのか。ウォルターは裏切うらぎられた気持ちになり、不信ふしん感をあらわにした。


「私も始めは信じられませんでした。ですから、あなたの言葉が真実であると証明するためにも、今から〈催眠術ヒプノシス〉で確かめてみませんか?」


「わかりました。ただ、〈悪戯〉トリックスターは使いませんよ」

承知しょうちしています」


 相手を納得させるだけの文言もんごんを、パトリックが頭の中で組み立て始める。しばらくして、慎重しんちょうに言葉をつむぎ出した。


「もしあなたが、この国にかけられた『転覆の魔法』の解除権限を持っていたら、それを行使こうししてください。いいですか?」


「……望むところです」


 自分に記憶をうしなっていた時期などない。一、二ヶ月前に初めて、この世界にやってきた。自分であるはずがない。ウォルターは強い確信かくしんがあった。


 そんな意思とは裏腹うらはらに、ウォルターの体が無意識むいしきに動き出す。パトリックと辺境伯マーグレイヴは、固唾かたずをのんでそれを見守みまもった。


 ウォルターが正気しょうきを取り戻した時、宝珠に向けて手をかざしていた。宝珠があわい光を発し始めたの見て、自分が何かをしてしまったことに気づき、愕然がくぜんとした。


「そんな……、どうして……」


 やがて、強烈きょうれつな光が爆発ばくはつ的に広がった。とっさに身構えるほどのそれが静まると、今度はどこからともなく地鳴じなりが聞こえてきた。大気たいきをふるわすようなそれが、鎮座の間にも充満じゅうまんし始める。


 ウォルターが大慌おおあわてで鎮座の間を飛び出し、窓から空を見上げる。若干じゃっかん平衡へいこう感覚を失った感じがあったが、外には特段とくだん異状いじょうは見られない。


 しかし、地中ちちゅう奥底おくそこからふき出してくるような地鳴りが世界をつつみ込んでいた。


 こう思わずにはいられなかった。大地の『転覆』が始まった――と。

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