パトリックの戦い1

 戦闘せんとうまくが上がったころ、パトリックはレイヴン城内にいた。議場ぎじょうわき廊下ろうかに置かれたイスに腰かけ、臨時りんじ審議しんぎかいの開始を今か今かと待ち続けていた。


 前日に実施じっしが決定した臨時審議会は、戦況せんきょうおうじた判断を迅速じんそくに行うためのものだ。しかし、予定の時刻じこくをすぎても審議会は始まらなかった。


 せわしない様子で廊下にあらわれた役人に、パトリックがもの言いたげな視線しせんを送る。さきほどは「まだ全員そろっていません」とだけげられた。


「まだクラークきょう到着とうちゃくされていません。ひがし地区のほうで、避難ひなん先をめぐって住民同士どうしのもめ事が起こっているようで。開会かいかいはもうすこおくれます」


「……全員そろうことが、それほど重要なことでしょうか」


 顔をそらしたパトリックが、当てこするようにボソッと言った。


「申しわけありません。審議会の原則げんそくですから」


 国家の存亡そんぼう左右さゆうする、一刻いっこくあらそ事態じたいにもかかわらず体裁ていさいにこだわる。これ以上ののきわみがあるだろうか。パトリックは胸のうちでため息をついた。


 その時、ひかえの――議員ぎいん従者じゅうしゃ待機たいきする部屋の一つから、〈資料しりょうしつ〉のケイトがおずおずと出てきた。パトリックと目が合うと、彼女は気まずそうに顔をふせた。


 パトリックはケイトの父親――バンクス卿と交流こうりゅうが深く、十年以上前から彼女とかお見知みしりだ。ただ、ここにいる理由は見当けんとうもつかなかった。


 バンクス卿は〈火の家系ボンファイア指折ゆびおりの実力者であり、元老院げんろういん議員の常連じょうれんだが、現在はその地位ちいにない。そのため、父親の連れそいで来ているとは考えにくい。


 ユニバーシティのメンバーは大半たいはん戦場せんじょうに出ている。ひとにぎりの魔導まどうが〈とま〉の警備けいびに当たっているが、彼女がそれに抜擢ばってきされる実力のぬしとは思えなかった。


『昔は優秀ゆうしゅうな魔導士だったんだ』


 以前、バンクス卿が愚痴ぐちっぽくもらした話を、ふとパトリックは思い出した。


     ◆


 この国が『転覆てんぷく』する前、ケイトはジェネラルや辺境伯マーグレイヴに負けずおとらずの魔導士だった。少なくとも、本人はもとより、彼女を知る者全員がそう認識にんしきしていた。


 それは『転覆』後も同様どうようだったが、いつの間にか、ヒドくあやふやなものに変化していた。なお悪いことに、ケイトは記憶と一緒に、魔法まほうの使い方を忘れてしまった。


 重要な役職やくしょくについていた彼女の評価ひょうかは、またたくきゅう降下こうかした。いつしか、バンクス卿の口利くちききで不正ふせいに地位を得たとまで、陰口かげぐちをたたかれるようになった。


 彼女はうしゆびをさされながら役職をわれ、閑職かんしょくに落ち着いた。新しい役職は気に入っていたが、周囲しゅういからの過大かだいな期待と失望しつぼうの嵐に押しつぶされ、心はふさぎがちになった。


 以前から他人とのコミュニケーションが下手へたで、挙動きょどう不審ふしんなところが若干じゃっかんあった。けれど、現在のようにムダに前髪まえがみをたくわえておらず、人の顔を見て話すこともできていた。


 もはや、魔法の実力はユニバーシティのレベルにたっしていなかったが、彼女は加盟かめいすることになる。それは父親の意向いこうだった。過去の栄光えいこうにすがる思いが強かったからだ。


 パトリックは一度、アカデミーに活躍かつやくの場はないかとケイト本人から相談そうだんされたことがある。彼女はゾンビが苦手にがてという理由をあげたが、話はウヤムヤに終わった。


 後日ごじつ、なぜか父親が直々じきじきことわりを入れに来た。しかも、〈催眠術ヒプノシス〉でゾンビ嫌いを克服こくふくできないか持ちかけられ、実際じっさい、彼女に何度かそれを実行した。


     ◆


 今日、ケイトをここへ連れて来たのも父親のバンクス卿だ。愛娘まなむすめを安全な場所へ置いておきたいという、ごくありふれた動機どうきだった。


『ゾンビにすらおびえるお前が、岩の巨人きょじんと戦えるわけがない。いいから、この部屋でおとなしくしていろ。戦場に出ても足手あしでまといになるだけだ。誰もお前を非難ひなんしたりしない』


『だったら、ロクに魔法が使えなくなった私を、なぜユニバーシティに入れたんですか? どうしてめたいと言った時に、辞めさせてくれなかったんですか? 家の体面たいめんを気にしたんですか?』


 自分の娘を守りたい、戦場へ送り出したくない。そんな父親の思いを、ケイトは理解していた。


 しかし、父親はユニバーシティへの加盟を強要きょうようしたちょう本人ほんにんだ。その一員いちいんでなければ、そもそも戦場に出る必要はなく、彼女の心がかきみだされることもなかった。


『この非常ひじょうにくだらないことを』


『この部屋へじ込めようとしているのもそうです。私が戦いもせず城にこもっていたら、バンクス家の面目めんぼくは丸つぶれですもんね」


 バンクス卿が怒りにまかせて、ケイトを室内に向けて突き飛ばす。


『ツベコベ言わずに、この部屋にいろ。いいな、この部屋を絶対に出るんじゃないぞ!』


    ◆


 ケイトはここにいる経緯けいいを、残らずパトリックに打ちあけた。


「あなたはどうしたいのですか?」


「もちろん、戦うのはこわいです。でも、みんな戦っているんです。もし他のみんなもチーフのように死んでしまったら……。そう考えたら、ここで何もせずにジッとしていることが怖くてしょうがないんです」


 戦死せんししたネイサンの思いを受けついだウォルターやスコット、くわえてふく室長しつちょうのマリオンも戦場に出ている。それなのに、自分だけが安全あんぜん地帯ちたいでヌクヌクとしている。それが何より許せなかった。


「たとえ生き残れたとしても、私、きっと後悔こうかいします。おかしいですよね。こんな時でも自分のことばかり考えてる。そんな自分もいやになります」


ふたもないことを言いますが、あなた一人の力があるなしで大勢たいせいに影響はありません。足手まといになるという話も事実でしょう。現在の情勢じょうせいは、あなたが思っている以上に深刻しんこくです」


 何も言い返せないことに、ケイトはくやしさを覚えた。


「私もあなたと同じ臆病おくびょうものです。あなたの先輩せんぱいと言ってもいいかもしれません」


 顔を上げたケイトが怪訝けげん眼差まなざしを向けた。


「私は五年前の事件に深く関与かんよしています。あのだい惨事さんじ未然みぜん防止ぼうしできる立場たちばにありました。しかし、自己じこ保身ほしんのために口をつぐみました。

 あの時、自身の意見をとおしていれば、犠牲ぎせいしゃを出さずにすんだのではないか。今だにそんな悔恨かいこんの情にさいなまれています」


学長がくちょう。クラーク卿がお見えになりました。まもなく開会いたします」


 先ほどの役人が廊下の先から呼びかけてきた。


「私もこれから戦ってきます。後悔こうかいしないために、今回は信念しんねんをつらぬくつもりです。なので、あなたの行動をとどめるつもりは毛頭もうとうありません。むしろ、積極せっきょく的に応援したいぐらいです」


 意外いがいな言葉を投げかけられ、ケイトはキョトンとした顔つきになった。


「岩の巨人が怖くなくなる『暗示あんじ』をかけましょうか?」

「いえ……、大丈夫です」


 ほほみをうかべたケイトは、軽く頭を下げてから、廊下を走り去った。それを見送ったパトリックが、大きなしん呼吸こきゅうをしてから議場へ足を向けた。


 パトリックは常々つねづね痛感つうかんしていた。この国の人間に宿やどる『巫女みこ』という存在の大きさを。全ての記憶を失ってもなお、人々は本能ほんのう的に畏怖いふの念をいだき、神聖しんせいな存在としてあがめている。


 パトリックの戦い――それは『巫女』という呪縛じゅばくからこの国を解放すること。初めて元老院に対し、公然こうぜんをとなえる。


 いや、異をとなえるといったなまやさしいものでなく、要求を突きつけると言ったほうが正しいかもしれない。


 パトリックは並々なみなみならぬ決意けついをもって審議会にのぞむ。とことんとおし、現在の地位をかなぐりてる覚悟かくごだ。


 要求を通すためには大門おおもん突破とっぱされたほうが都合つごうがいい。非情ひじょうな考えが頭に渦巻うずまき続けていたが、それを振り払うことすらしなかった。

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