エクスチェンジ

     ◇


 裏口うらぐちの先は、せまい廊下ろうかだった。足音あしおとしのばせながら、慎重しんちょうに進む。かどをまがった先に戸口とぐちが見えた。その脇まで行って、中をのぞいた。


 そこは食堂だった。くらで誰もいない。ちょうど窓から『電撃でんげき』らしき光が走ったのが見え、直後ちょくご怒声どせいが聞こえた。のんびりしていられない。


 ロウソクのかすかな光をたよりに、廊下を正面しょうめん側へ進む。別の部屋のとびらの前にたどり着き、半開はんびらきとなったそこから中を垣間かいま見る。そこは居間いまのようでかなり広い。


 反対はんたい側のはしに女の姿を見つけた。さわがしい外の様子を窓からうかがっていた。例によって、服装は部屋着へやぎのような地味じみなワンピースだ。


 女を指さしながらクレアに視線を向けると、首を横に振った。〈不可視インビジブル〉を使用しているようだ。音を立てないよう、わずかに扉を押し開けた。


 クレアに制止せいし合図あいずを送ってから、自分だけ部屋に入る。忍び足で近づくも、あっさり女に気づかれた。


「あら、いらっしゃい」


 女は余裕よゆうの笑みを見せたのとは裏腹うらはらに、別の扉から大あわてで脱出しようとした。きびすを返して廊下へ戻るやいなや、ナイフがもうスピードで飛んできた。「危ない!」とクレアを床にせさせる。


「どこにいるの!?」

「向こうへ逃げた!」


     ◇


 女が逃げ込んだ先はおお広間ひろまだった。ちょうど男がこちらに歩いてくる。


「敵よ! 逃げなさい!」


 男はデリック・ソーンだった。飛び上がらんばかりに驚き、あわを食って逆方向へ走り出した。少し遅れて入ってきたクレアが「あっちは私にまかせて!」と言って、デリックの後を追った。


 大階段の手前てまえで、女が観念かんねんしたように足を止めた。女のわなではない。これは自分が立ち止まらせた。〈悪戯トリックスター〉の有効範囲に女をおさめたのだ。


 対抗たいこう戦の日。魔法まほう無効むこう化させたと同時に、相手はゾンビをあやつれなくなった。もしかしたら、〈悪戯トリックスター〉は魔法だけでなく、あらゆる能力の使用をふうじられるのではないかと考えついた。


 それを確かめるため、パトリックに協力してもらい実験をした。魔法無効化を展開てんかいした状態で、ロイに対して〈催眠術ヒプノシス〉を使用してもらった。予想通り、能力は効果をおよぼさなかった。


 現在、女はことごとく能力をふうじられた状態。とはいえ、ナイフを所持しょじしているので、迂闊うかつ接近せっきんできない。それに、ここは敵の根城ねじろ。他の敵にも注意を払わなければならない。


「本当の能力の使い方を知ってしまったのね」


 意外いがいにも、女は知っていた。だったら、この余裕は何だ。虚勢きょせいを張っているだけだろうか。


「知っていたのか」


「ええ、もちろん。パーティの日に逃げたのもそれが理由。だって、そんな芸当げいとうができるからこそ、あなたは『転覆の巫女エックスオアー』を追いつめられたんじゃない。違う?」


 またその話か。なぜか、その話をされるとムカムカする。


 女はどこからともなくナイフを取り出した。まるで手品てじなのように。いったい、何本持っているんだ。


「ヒプノティストが来たとは聞いたけど、あなたまで来てるとは知らなかったわ。まあ、あの子があなたのことを知らなかったんだろうけどね」


 あの子が誰なのかはわからないけど、やっぱり、内通ないつう者がいたのか。


「私は能力を使えない。でも、それはあなたも同じよ。これからどうする? ナイフで切りあいっこでもする?」


 そんなことはひゃく承知しょうち。始めから想定そうていずみだ。別に能力をずっと展開し続ける必要はない。攻撃の時だけ能力を解けばいいのだから。しかも、それは見た目だけでは判断できない。


 〈悪戯トリックスター〉の有効範囲にいるかぎり、敵は能力が使えないことを前提ぜんていに戦わなければならない。これだけで大きなアドバンテージだ。


「うるさいわね。今、取り込んでいるのよ」


 女が一瞬いっしゅん手元てもとに目を落とした後、不愉快ふゆかいそうに言った。そして、シラを切るようなしぐさを見せてから、ふいに目をはずし、自分のみぎ後方こうほうへ視線を送った。


 しまった――とあわてて振り向くも誰もいなかった。


 とっさに前を向き直ると、女がナイフをかざしておそいかかってきた。きもを冷やしたものの、何とかかわす。しかし、女はそのまま脇を通りすぎて走り去ろうとした。


 追撃ついげきの『かまいたち』をはなった。能力無効化を再展開するため、なるべく速い攻撃を心がけた。


 女は飛んだ。物理ぶつり的に飛んだ。そして、二階の手狭てぜま通路つうろに飛び乗った。あんなこともできるのか。ただ、壁に衝突しょうとつした上に着地ちゃくちに失敗し、使い慣れた感じはしない。


「空を飛べるのはあなただけの特権とっけんだと思った?」


 片膝かたひざをついた状態で言われても格好かっこうがついていないけど、意表いひょうをつかれたのは事実。今のは新たな能力だろうか。


 このままだと有効範囲からはずれてしまう。再び『かまいたち』をはなってから、後を追って通路へ飛び乗り、すかさず能力無効化を展開する。女は近くの扉に逃げ込んだ。


     ◇


 大広間から廊下へ入った。すぐまがり角だったので、もう女の姿が見えない。角をまがった先の戸口から、突然とつぜんナイフが飛び出してきた。


 とっさに床をころがって回避かいひした。本当に驚かすことにかけては天才てんさい的だ。


 女が窓から外へ飛び出す。そして、一目散いちもくさんがけのほうへ走って行き、まよいなく飛び下りた。〈転送トランスポート〉で逃げる気だ。そうはさせないと、自分も後に続いた。


 崖下がけしたには森が広がっていた。樹木じゅもく密集みっしゅうした場所へ突っ込むのはためらわれた。空中でワンクッション入れ、少し先の原っぱへ下り立った。


 それから、大急おおいそぎでがけのほうへ戻ったものの、女の姿は見当みあたらない。もうおかの上に戻ったかもしれないと丘を見上げる。そこから目を戻す途中、ふと岩陰いわかげから人の足がのぞいているのに気づく。


 そこに倒れていたのは女だった。瞳孔どうこうは開ききり、目をそむけたくなるほど無残むざんな姿になり果てていた。


 おそらく、地面じめんとの衝突直前ちょくぜんに〈転送トランスポート〉で回避するつもりだったものの、それに失敗したのだろう。


 女は死んだ。あっけない幕切まくぎれだ。これで一つの目的を果たせた――のだろうか。あまり、実感じっかんがわかない。そうだ、上に戻らないと。クレアとヒューゴがまだ戦っている。


     ◆(三人称)


 女――サイコは遠くはなれた屋敷やしきにいた。彼女は地面に落下らっかした直後、戦闘せんとう中から送られ続けてきた『交換』要求に応じた。


 能力の名は〈交換エクスチェンジ〉。その名の通り、リンクをつないだ同質どうしつの物――たとえば、銃と銃が存在する位置を、瞬時しゅんじに『交換』できる。


 無機むきぶつでなければならないという制限せいげんがあるため、人間同士どうしの『交換』はできないが、特異とくいな使い方としては人間の『たましい』や能力の『交換』などがある。


 一口ひとくちに言えば、サイコはあらかじめリンクをつないだ人物と『魂』の位置を取りかえ、他人の体に乗り移った状態にある。


 サイコの『魂』が入った体はマイケルという国側の一兵士のもの。元々もともとサウスポートで働く役人だったマイケルは、ハンプトン商会しょうかいと持ちつ持たれつの深い関係にあった。


 マイケルはそのえんで内通者として部隊に送り込まれた。ただ、彼は下っぱの下っぱにすぎず、作戦の内容を知らされる立場ではない。それならば、なぜぞく軍は奇襲きしゅう戦法せんぽうを成功にみちびけたか。


 そのカラクリはこうだ。マイケルはおもに部隊と部隊をつなぐ連絡役をつとめ、自由に戦場せんじょうを移動できた。そのかいあって、味方の動きが手に取るようにわかった。


 伏兵ふくへいを送り込む絶好ぜっこうのポイントを発見次第しだい、サイコに『交換』の要求を送る。『交換』後は、マイケルがデリックに国側の動きを報告している間に、サイコが〈転送トランスポート〉のための座標ざひょうを記録する。


 元の体に戻った後、サイコは屋敷の兵士を記録した座標へと送った。伏兵を回収かいしゅうするには、事前じぜんに落ち合う場所を決め、サイコとマイケルが再び『交換』を行えば良い。


 これが国側を翻弄ほんろうさせた奇襲作戦の全容ぜんよう。作戦の立案りつあんはデリックが行った。マイケルはわずかな不審ふしんかんを持たれることなく、それを遂行すいこうした。


 また、この戦法はサイコが〈不可視インビジブル〉を使う必要がない。『魂』を交換しただけなので、外見がいけんはマイケルのままだ。ウォルターやパトリックでもサイコの識別しきべつは不可能だ。


 サイコの眼前がんぜんには『相手が交換を要求しています』という表示がくり返しポップアップされていた。


 崖下に横たわるサイコの体は、もはや動かせる状態にない。それに驚いたマイケルは『交換』要求を送り続けたが、サイコは無視むしした。


「うるさい男ね。『うつわ』が壊れていても、私の本体はピンピンしているのよ」


 一見いっけん、『魂』の交換は有用ゆうように見えるが、この使い方をみ嫌う者は多い。一時いちじてきとはいえ、赤の他人に自身の体をあずけなければならない上に、おたがいの同意が必要なため、自身の意志いしだけで元に戻ることができないからだ。


「さてと。かわいそうだけど、デリックのことは見捨みすてましょ。なかなか使える男だったけど、もうトリックスターの相手はコリゴリ。新しい『うつわ』でも見つけて、さっさとここを引き上げましょうか」


 サイコもスプーやネクロと同じ『エーテルの怪物かいぶつ』だ。ただ、その事実はひた隠しにしている。デリック達はもちろん、能力の『共有きょうゆう』を行う仲間にさえ知らせず、普通の人間をよそおっていた。


 現在、サイコがいるのは国側が本拠ほんきょを置く屋敷。今回にかぎれば、『交換』の目的は違う。当初とうしょのねらいは増援ぞうえんとして駆けつけたメンバーの暗殺あんさつだった。


 しかし、敗色はいしょく濃厚のうこうの今となっては、もうどうでもよかった。適当てきとうな新しい『器』はないか、できれば若い女性がいい、などと考えながら廊下を進んだ。


 ふと、サイコがある戸口で足を止めた。部屋の中にいたのはパトリック。『最初の五人』たるヒプノティストだと、すぐに気づいた。


 ウォルター、パトリックをのぞいた残りの三人とは、基本的に友好的な関係をきずいている。ただ、てき陣営じんえいの『最初の五人』がいかにわずらわしいか、身にしみて感じていた。


 かたわらにいるのはローブを着た男――ロイのみ。魔導まどうの姿は見当みあたらない。その時、パトリックが怪訝けげん眼差まなざしをサイコに向けながら、ロイに小声こごえで話しかけた。


 サイコは発作ほっさ的に決意けついした。この場で始末しまつしよう――と。

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