パトリックと辺境伯

     ◆(三人称)


 辺境伯マーグレイヴとの約束の時間は正午しょうご。その一時間前、パトリックは誰にもさきげることなく、一人で屋敷を出た。


 昨日、鎮座ちんざの間で辺境伯マーグレイヴ遭遇そうぐうしたことさえ、一人でかかえ込んでいた。自身にだけ姿が見えたなど、言い出せるわけもなかった。


 彼の言うプレゼントとは何か。自分もチェンバレンきょうのように、見せしめとして殺害されるのではないか。茫然ぼうぜん自失じしつ大通おおどおりを進み、気づいたら中央広場の目の前まで来ていた。


     ◆


「お前がうわさの『小さな賢人けんじん』だな」

「はい。その名を自称じしょうしたことはありませんが」


 パトリックはアカデミー学長がくちょう就任しゅうにんするまで、その異名いみょうでよく呼ばれた。平民へいみんの身ながら辣腕らつわんを振るう男として、その名はストロングホールドにもとどろいた。


面白おもしろいやつがいると聞いてきた。そこで、お前にたのみがある」

「何でしょうか」


「俺は〈外の世界〉へ生きたい。お前の頭脳ずのうと知識でどうにかならないか?」

「はあ……。現状げんじょうではどうにもなりませんが、個人的にも興味があります。次に会う時までに調べておきましょうか?」


 パトリックがやすうけ合いすると、辺境伯マーグレイヴは「本当か!」と子供のように喜んだ。


本名ほんみょうはなんて言うんだ。そのかたくるしいとおじゃなくて」

「パトリックです」


「パトリックか……。何か、セドリックとひびきが似ていてまぎらわしいな。よし、小さいからリトルと呼ぶことにしよう。かまわないか?」

「かまいません」


 セドリックはジェネラルの名だ。この頃の辺境伯マーグレイヴは、まだジェネラルになる夢をあきらめておらず、過去には「いずれうばう予定だから、その名で呼ばないからな」と直接本人に豪語ごうごしていた。


 その後、辺境伯マーグレイヴはレイヴンズヒルを訪れるたびに、パトリックのもとへかよった。やがて、パトリックに会うために、レイヴンズヒルへかようようになった。そして、共同で『外世界がいせかい研究けんきゅう会』を立ち上げた。


 パトリックは元々もともと人付き合いが苦手にがてな上に、身分みぶんの差から周囲しゅういとは一歩いっぽ引いて接していた。そんな彼にとって、辺境伯マーグレイヴは気を使わずに付き合える親友しんゆうとなった。


    ◆


 辺境伯マーグレイヴはジェネラルと対等たいとうわたり合える唯一ゆいいつ魔導士まどうしだったとはいえ、試合自体じたい連戦れんせん連敗れんぱいで、一度もぼしをあげられなかった。


 しかし、パトリックとの何気なにげないやり取りによって、彼は転換てんかん点をむかえた。


「昨日の対抗たいこう戦、リトルも見てただろ? どうしたらジェネラルに勝てると思う?」


「遠慮なく言わせてもらいますと、上を目指めざしている他の魔導士や、魔法まほうが全く使えない私にとって、序列じょれつ二位で満足できないのは贅沢ぜいたくな悩みだと思います」


「そういうのじゃなくて、具体的ぐたいてきなアドバイスが欲しいんだ。何かコツとか、俺に足りないものとかさ」


属性ぞくせい同士どうし相性あいしょうもありますし、魔法の試合が、必ずしも魔導士としての優劣ゆうれつを決めるものではないと思います」


「もっともな話だが、それは負けしみにしか聞こえないんだよ」


「〈外の世界〉へ行くなら、あまり試合というわくにとらわれないほうがいいんじゃないですか。〈外の世界〉の敵はフィールド内でルールを守って戦ってくれませんから」


「……うん、そうか。そうだな、目の覚めるような大発見だな!」


 その日から、辺境伯マーグレイヴはジェネラルを目指すことをやめた。つねに〈外の世界〉の敵との戦闘せんとうをイメージし、純粋じゅんすいな気持ちで魔法にみがきをかけた。皮肉ひにくにも、それが彼に飛躍ひやく的な成長をもたらすことになった。


     ◆


 まだ中央広場には一昨日おとといの事件の余韻よいんがあり、警戒けいかいにあたる魔導士の姿もあった。自分が連れてきたと勘違かんちがいされないか。記念きねんのそばでたたずむパトリックはおそれおののいた。


 処刑しょけい台に立つ思いで待っていると、辺境伯マーグレイヴあらわれた。人目ひとめをはばからずに、広場を一直線に突っきる。日頃ひごろの彼からは想像できない、きびしい表情をしていた。


「約束通り、一人で来たみたいだな」

「はい」


「やっぱり、俺が見えているのか。昔からただ者じゃないと思っていたが」

辺境伯マーグレイヴ亡霊ぼうれいなんですか?」


 表情をやわらげた辺境伯マーグレイヴが鼻で笑う。ふと普段の顔をのぞかせたため、パトリックは心持こころもち肩の力をぬいた。


「ちゃんと生きているよ。ただ、まわりの人間は俺の姿が見えていない。だからこそ、俺はこうして平然へいぜんとしていられるし、あそこへもたやすく侵入しんにゅうできた」


「いつからそんな芸当げいとうができるようになりましたか?」


「ひょんなところで、新しい能力を手に入れた。名前は〈不可視インビジブル〉。いくつか制限せいげんはあるが、その名の通り、他人の視界しかいから完全に姿を消すことができる。ようやく、お前と肩を並べられたわけだ」


 〈不可視インビジブル〉の制限は二つある。一つは、二メートル以内の相手からは認識にんしきされること。もう一つは、他人と接触せっしょくすれば能力が強制きょうせい的に解除かいじょされること。ただし、それを五秒以上続ければ相手にも効力こうりょくをおよばせられる。


「それは、あの日の〈樹海じゅかい〉でですか?」

「たぶんな。実はよく覚えていないんだ。能力を手に入れたことは知っていても、どうやって手に入れたかは覚えていない」


 辺境伯マーグレイヴは能力を得たことをこの上なく喜んだ。しかし、その過程かていがベールにつつまれていることに、言いようのないうす気味きみわるさを感じていた。ただ、その感情もしばらくすると不思議ふしぎせた。


「あそこで何が起こったんですか?」


「まずは、おかしくなったダレルとやり合った。そして、説得に失敗した上に、手傷てきずわされて命からがら逃げ出した。あまかった。サムがやられたのに、俺はダレルを手にかけられなかった。自分の甘さにヘドが出る」


 怒りをにじませた辺境伯マーグレイヴてるように言った。


「それから〈樹海〉をさまよい歩いた。その先は覚えていない。気づいた時にはレイヴンズヒルに来ていた」


 自身の〈催眠術ヒプノシス〉と類似るいじした、何らかの能力がかけられている。そうパトリックは疑い出した。三名の議員ぎいん殺害という凶行きょうこうも、その影響だと推察すいさつした。


「その姿を消す能力で三名の議員を殺害したんですか?」

「ストレートに聞くな。俺がこわくないのか?」


 殺意さついすら感じる目つきにゾッとしながらも、パトリックはまゆ一つ動かさずに沈黙ちんもくで答えた。なるべく恐怖きょうふおもてに出さないことで、信頼していることを示したかった。


「――そうだ。三人とも俺が殺した」

「どうしてですか。戦死せんしした仲間達を思っての復讐ふくしゅうですか?」


 ふとそっぽを向いた辺境伯マーグレイヴが、悲しげにとおくを見つめた。


「わからない。怒りは当然あった。でも、最初から殺すつもりだったわけじゃない。レイヴンズヒルへ来た理由すら、俺自身よくわかっていないからな」


 辺境伯マーグレイヴ真剣しんけん面持おももちでパトリックを見すえる。


「お前も殺そうと思った」


 親友から発せられた言葉にショックを隠せない。それは恐怖にすら打ち勝った。よそよそしい冷たい眼差まなざしを向けられ、パトリックは地面じめんに目を落とした。


「お前も知っていたんだよな?」

「はい、数カ月前に提議ていぎされた当初とうしょから」


「その間、お前は何をした?」

異議いぎをとなえたことは一度もありません」


 当然、意見を求められれば助言じょげんを行うが、その役目やくめにてっし続け、賛成さんせい反対はんたい表明ひょうめいなどすぎた行為こういはしない。それこそ、パトリックが現在の地位ちい確立かくりつした処世しょせいじゅつだった。


「お前らが鳥かごでの生活にしがみついたがために、仲間達は犠牲ぎせいになった。人が足りないのなら、〈外の世界〉にとびらを開けばいい。たとえ危険きけんをともなっても、前に進むべきだった。

 その気持ちはお前も一緒だったはずだろ。そうすれば、仲間達は死なずにすんだ。少なくとも、希望や未来のために死ぬことができた」


「おっしゃる通りです。返す言葉もありません」


 しばらく沈黙が続いた。パトリックは『お前』と呼び続けられることに距離感きょりかんを覚え、もう昔のような関係に戻るのは無理だとさとった。


「ほら、約束のプレゼントだ」


 辺境伯マーグレイヴが差し出したのは『根源の指輪ルーツ』だった。


「もう俺には必要のないものだ」


 パトリックが受け取ると、辺境伯マーグレイヴ安堵あんどの笑みをこぼした。それは希望に満ちあふれた、見なれた彼の顔に思えた。


「リトル、これから俺は〈外の世界〉へ行く」

「……どうやって行くんですか?」


「さあな。でも、行ける気がする。いや、もう行けると決まっているんだ。お前も俺の後を追って来い。この国をひっくり返す方法を見つけてな。今度、俺がここへ来た時、まだそれを見つけられていなかったら、容赦ようしゃしないからな」


     ◆


「話は以上です。彼は言動げんどう錯乱さくらんしていましたが、行動は首尾しゅび一貫いっかんしていました。このことからも、彼自身の意志いしではなく、何らかの能力をかけられて行った可能性はおおいにあります。ただ、あれはあくまで彼だったと確信かくしんしています」


「姿を消す能力か……」


 議員の一人がそうつぶやいたきり、さしたる反論はんろんはなかった。


 話を聞き終えたウォルターはあることが気になった。能力を得たかわりに命令を行わされた状況じょうきょうが、ロイ達三名にもちいた〈委任デリゲート〉の内容とそっくりなことに。


 それに加え、ベレスフォード卿の屋敷で遭遇した例の女が、姿が見えなくなる能力を使用していたことにも。ただ、この場で口に出せる話ではない。


 パトリックは別のことで夢中むちゅうだった。この話はずっと記憶の奥底おくそこ封印ふういんし、思い出すことさえためらってきた。


 それを呼び覚ましたことで、偶然ぐうぜんたぐり寄せられた記憶――辺境伯マーグレイヴが別れぎわに残した言葉がふいによみがえった。


『もう一つ置きみやげがある。トリックスターというやつをさがせ。この国にかかった魔法を解くカギは、そいつの手ににぎられている』


 当時は意味のわからなかった発言が、突如とつじょ意味を持ち始める。かねてより、この国を転覆させているのは『源泉の宝珠ソース』であると見当をつけていた。


 さらに、それにコートニーの〈分析アナライズ〉を用いる計画をひそかに胸で温めていた。その欲求よっきゅうおさえがたい衝動しょうどうとなってあらわれた。


 パトリックの目はジェネラルが指にはめる『根源の指輪ルーツ』にくぎづけとなった。いたずらに興味を持つのはいけない。頭ではわかっても、どういうわけか、この感情にはあらがえなかった。

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