さまよい続けた果てに

     ◆(三人称)


 ネイサンは体力の限界げんかいまでわれを忘れて走り、戦場せんじょうとなった原っぱ付近ふきんに一時間あまりで戻った。その少し手前てまえで、荒々あらあらしい息づかいが耳に届き、斜面しゃめんの下に護衛ごえいの一人――ルイスを発見した。

 

 地面じめんに座り込んだルイスは、片足かたあしを投げ出し、斜面へもたれかかっていた。そして、肩で大きく息をしながら、周囲しゅういへしきりに目をくばっていた。


 急いで斜面を下りたネイサンは「ルイス」とかけ寄ったが、相手の「誰だ!」という異常いじょうな反応に驚き、思わず立ち止まった。


 投げ出された片足は深手ふかでを負っていた。真っ赤な血に染め上げられた太ももは、やぶったズボンのはしがキツくしばり上げられている。


「俺だ。どうした、ケガをしているじゃないか」

「それ以上、近づくな!」


 ルイスがおびえながら右手を突き出し、その先にかすかな電光でんこうがひらめく。ネイサンは一歩いっぽあとずさった。


「何言っているんだ。お前、一人なのか? みんなはどうした?」

「……知らない」


「それは〈どろ人形にんぎょう〉にやられたのか?」

「違う。〈泥人形〉はとっくの昔に全部片づけた」


「だったら、その傷は誰にやられたんだ。他のみんなはどこに行った」


 ルイスが小刻こきざみにふるえる両手へ目を落とす。憔悴しょうすいしきっていたが、それがケガの影響なのか、それとも精神せいしん的な混乱こんらんなのか、ネイサンは判断がつかなかった。


「……りになったからわからない。〈泥人形〉を始末しまつしてから、手分てわけしてイェーツきょう捜索そうさくにとりかかった途端とたん、みんなおかしくなっちまった」


「わかった。話は後で聞こう。とにかくきず手当てあてが先だ。急いでウッドランドへ戻ろう」


 ルイスが「必要ない!」とネイサンの足元あしもと電撃でんげきを放った。


「……一体どうしたんだ」

「信用できない。お前、本当にネイサンなのか?」


「何をバカなことを。俺はネイサンだ。見ればわかるだろ?」

「この傷を負わせたやつも、そう言っていたぞ」


 明らかにルイスは正気しょうきを失っていた。話をすれば、多少たしょうは落ち着くだろうと考え、ネイサンはなだめるような口調くちょうで言った。

 

「それなら、何があったのか、話を聞かせてくれないか」


 しばらく言いよどんだルイスが、声をしぼり出すように話し始めた。


「最初におかしくなったのはダレルだ。あいつがサムをやりやがったんだ」

「……ダレルがサムを?」


「ああ。サムが『氷柱つらら』で腹を突きぬかれた。俺達が発見した時はもう手遅ておくれだったが、死ぬ直前ちょくぜんにハッキリとこう言ったんだ。『ダレルにやられた』って」


 ネイサンには到底とうてい信じられなかった。精神的に追いつめられても、温厚おんこう理性りせい的なダレルが凶行きょうこうに走るとは思えない。最もそれが似合にあわない男だった。

 

辺境伯マーグレイヴはどうした?」

「わからない。ダレルとやり合っているのを見たと言っていたやつがいたが、俺は見ていない」


 ふいにルイスが激痛げきつうに顔をゆがめ、太ももの傷口きずぐちへ手を当てた。


「その傷もダレルにやられたのか?」

「違う……。この傷はサムにやられた。あいつがいきなり不意ふいちしてきたんだ」


「サムが……? ちょっと待ってくれ。サムはダレルにやられたんじゃなかったのか?」

「そうだ。サムはダレルにやられたはずだった。それなのに……、あいつは死んだはずなのに、何食なにくわぬ顔で俺の前にあらわれやがった」


 ネイサンはあることが気になり、ルイスの傷口に目を向けた。『火』によるヤケドはなく、それは明らかに鋭利えいりなもので突きさされた傷跡きずあとだった。


「ナイフか何かでされたのか?」

「いや、『氷柱』でやられた。ネイサンは〈氷の家系アイスハウス〉なんだから、見ればわかるだろ?」


「それはわかるが、サムは〈火の家系ボンファイア〉だろ?」

「そうだ……、そうだよな。俺もおかしくなったみたいだ。あれはサムじゃなかったのかもしれない。もう誰が誰かもわからなくなった」


 ガクッと肩を落としたルイスが、両腕りょううでに顔をうずめた。ネイサンはソっと近づこうとしたが、ふと顔を上げたルイスにうつろな表情でこう言われた。


「ネイサン、もうほっといてくれ」


 手のつけようがなかった。たった一人でルイスを背負い、ウッドランドまで戻るのも現実的でないと考え直し、ネイサンは先に他の仲間を捜索することに決めた。


 大量の〈泥人形〉がころがる原っぱを起点きてんにし、周辺をさがし回った。


 しかし、生存せいぞん者は誰一人として見つからず、発見できたのは別の二人の死体したい。その内の一人は腹部ふくぶ生々なまなましい傷跡を残したサムだった。


 気づいた時には完全に日がしずんでいた。辺りはまさしく一寸いっすんさきやみの状態。今からウッドランドへ戻るのは遭難そうなん危険きけんをともなう。また、そんな体力も残されていなかった。


 挫折ざせつ感を味わいながら、ネイサンは斜面のくぼみで体を休めた。〈樹海じゅかい〉には魔物まものが住んでいる。昔からのつたえは、あながちうそではないのかもしれない。そう痛切つうせつに感じていた。

  

 もはや、立ち上がる気力きりょくもなくなり、時おり聞こえた断末だんまつのようなさけび声に耳をふさぐ。きっとオオカミのとおぼえに違いないと自分に言い聞かせ、ネイサンは夜が明けるのを静かに待ち続けた。


     ◆


 ジェネラルなど概略がいりゃくを知っていた者もいたが、この話を初めて耳にする者が大半たいはん。その壮絶そうぜつな内容から議場ぎじょうは重い沈黙ちんもくにつつまれた。


「〈樹海〉から生きて戻れたのはネイサンのみです。後日ごじつの捜索で、辺境伯マーグレイヴ、ダレル、イェーツ卿の三名をのぞく六名の死体が発見されました。イェーツ卿の死体も、数カ月後に〈樹海〉の外で見つかりました。

 お聞きの通り、機密きみつあつかいにされたのは同士どうし討ちだったからです。敵にやぶれたわけでなく、味方同士で殺し合ったがため、おおやけにすることができなかったのです」


 パトリックは沈痛ちんつう面持おももちでべ、いったんそこで話を区切くぎった。そして、顔を上げて、一同いちどうの顔を見渡みわたしながら言った。


「しかし、みなさん。もう一度、話を振り返ってみてください。すでに気づいているかたもいらっしゃると思います。

 ウッドランドにあらわれたイェーツ卿、突如とつじょ仲間にきばをむいたダレル、そして、一時的いちじてきによみがえった命を落としたはずのサム。これらのなぞが全て、昨日現れた〈侵入者〉の能力によって説明がつくことに」


 元老院げんろういん議員ぎいん達が「そうだな」「確かに」「我々は敵の策略さくりゃくにハマったということか」と口々くちぐちに言った。


「それをうらづける決定的な証拠しょうこもあります。〈侵入者〉の能力は、どういうわけか、私とそこにいるウォルターには効果を発揮はっきしません。そのため、我々の目には片割かたわれのギル・プレスコットという男が別人べつじんうつっていました。

 生前せいぜんの彼と面識めんしきがなかったため、全く気づかなかったのですが、関係者に確認したところ、体格たいかく、髪の色に顔立かおだち、高めの声など、ダレル・クーパーの特徴とくちょうと完全に一致いっちしていました」


 クレアが「ダレル・クーパーが犯人だったってこと?」と問いかけた。


「私はそう考えていません。外見がいけんは他人に似せられても、人格じんかくまで偽装ぎそうできるとは思えません。実際、その男は外見といにひどくギャップがありました」


「だったら、〈侵入者〉はなぜダレル・クーパーの姿をしていたのかね?」


「よく思い出してください。もう一人の〈侵入者〉がトレイシー・ダベンポートの姿をしていたことを。ウォルターの証言しょうげんによれば、二人の〈侵入者〉は普通に言葉をかわしていたそうです。

 このことから、どちらかがもう一方をあやつっていたと考えるべきではありません。にわかには信じがたいですが、ここは彼らが死者ししゃの体を乗っ取れると考えるのが自然ではないでしょうか」


 パトリックの仮説かせつ筋道すじみちが通っている。しかし、人間の体を乗っ取るという、のよだつ生物の存在を、すぐに受け入れる者は現れなかった。しばしの静寂せいじゃくの後、声を上げたのはジェネラルだった。


「私も学長がくちょうの説に乗りたいと思います。実際、我々は二人のトレイシー・ダベンポートをこの目で見ていますし、彼がそのような男でないと知っています。ダレル・クーパーにしても同様どうようです」


「私はダレル・クーパーを手にかけたのは、イェーツ卿の同行どうこう者だったアカデミーの研究けんきゅう員があやしいと思っています。こちら側の行動がつつぬけになっていたことからも、内通ないつう者がまぎれ込んでいたと見るべきです」


「その男が他人に成りすます能力者で、交渉こうしょう相手がゾンビをあやつる能力者ってことね……」


 クレアがつぶやくように言った。議員の一人が疑問ぎもんの声を上げる。


「それで、彼らの目的は何だったのかね?」


「その後の動きが五年間も途絶とだえたことを考えると、首をかしげざるを得ませんが、商談しょうだんのためだったとは思えません。最初から、我々を攻撃する目的だったのではないでしょうか」


 〈樹海〉の戦闘せんとうに関する話は、そこでひと段落だんらくついた。


 ウォルターはネイサンに目を向けた。そこにあったのは見なれた気力きりょく上司じょうしの姿でなく、肩をふるわせ、こみ上げる感情を懸命けんめいにこらえる男の姿だった。


「そうか……。裏切うらぎものも、頭がおかしくなったやつもいなかったんだな。よかった……、本当によかった……」


 ネイサンにとって何よりなぐさめとなったのは、かつての仲間にあらぬ嫌疑けんぎをかけたり、裏切うらぎり者のレッテルを貼る必要がなくなったことだ。それだけで救われた思いだった。


 仲間のかたきを討てるかもしれない。その考えにいたったネイサンは、五年もの間、積もりに積もった感情がとけていくのを感じた。そして、ふいに熱を取り戻したりょうこぶしを、ギュッと強くにぎりしめた。

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