エーテルの怪物

     ◆(三人称)


 大門おおもんをぬけて、明るい場所へ出ると、スプーはネクロを馬にまたがらせながら、こう話を向けた。


「それで、どうだったんだ?」

あんじょう、リンクは切れたよ。でも、ゾンビはあいつをおそったんだろ?」

「ああ」

「だったら、リンクは切れても、命令までは解除かいじょされないってことだね」


 今回、二人がレイヴンズヒルを訪れた最大の目的は、〈悪戯トリックスター〉がネクロの能力にどこまで影響をおよぼすかの検証けんしょうだ。


 ネクロの能力である〈死霊魔術ネクロマンシー〉は間接かんせつ操作ができ、ゾンビには『ウォルターを殺せ』と、あらかじめ命令をあたえた。


 リンクの切断せつだんによってネクロの手をはなれても、ゾンビは忠実ちゅうじつに命令を実行し続けた。彼らにとっては胸のつかえが下りる結果だ。


「私も〈悪戯トリックスター〉の影響えいきょうにいたら、どうなっていたかわからないけどね」

「それなら、『アレ』の運用うんようには支障ししょうないということだな」


 『アレ』とは彼らが近日きんじつ実行に移す計画――レイヴンズヒル攻略作戦のかなめとも言える存在。知性ちせい理性りせいはおろか、意志さえ持たないそれは、ネクロが命令をあたえなければ、ただの土くれとしてしまう。


 大橋おおはし――レイヴンズヒルの南端なんたん沿いを流れる川にかけられた石造いしづくりの巨大な橋を、スプー達は速歩はやあし程度で進んだ。


 まだ大門の様子に異変いへんは見られず、スプーは安心しきっていた。先ほどまで酷使こくしした馬を気づかい、体力を温存おんぞんさせる意味もあった。


 ところが、彼らが橋を渡り終える直前、をさえぎるように、上空じょうくうからウォルターが舞い降りた。


 あっ気に取られたスプーを、ウォルターはするどい目つきで見すえた。


「ハロー、トリックスター」


 ネクロは能天気のうてんきな態度をくずさなかった。スプーも笑った。これではネクロを笑えないなと、自身のマヌケさにあきれ果てた。


「ギル。あなた達がトレイシーを殺したんですね」

「そうだ。君のおかげで、その名はもう名乗なのれそうもないけどな」


「彼はスプーっていうんだ」

余計よけいなことを言うな」


 スプーは下馬げばしながら、ネクロに向かってこうささやいた。


「私が時間をかせぐ。そのすきに体をてて、そいつに足止あしどめさせろ」

「オッケー。でも、またお引っ越しか。まあ、傷物きずものになっちゃったし、しょうがないか」


「私が相手になろう。見ての通り、後ろのやつは手負ておいなものでな。君もケガ人をいたぶるようなマネは嫌だろ?」


 スプーが手ぶりでひらけた場所への移動を求める。ネクロを警戒けいかいしながらも、ウォルターはそれに従った。十メートルの間隔かんかくをとって二人が対峙たいじする。


「あなた達の目的は何だ」

「逃がしてくれるなら答えてもいいが、そうもいかないんだろ?」


 ウォルターは沈黙ちんもくで応じた。


断言だんげんしよう、トリックスター。君は我々に勝てない」

「やってみなければわからない」

「もし勝ちたいのなら、『転覆の巫女エックスオアー』を連れてくるといい」


 ウォルターが表情をゆがませる。トリックスターと呼ばれることにも、巫女をエックスオアーと呼ぶことにも、腹立はらだたしさを感じ始めていた。


 スプーが奇襲きしゅうとばかりに先手せんてを奪う。地面じめんから『波しぶき』を上げて、瞬時しゅんじにそれを氷結ひょうけつさせた。これはくらまし。猫だましと言ってもいい。


 不意ふいをつかれながらも、ウォルターの対応は的確てきかくかつ迅速じんそくだ。後方こうほうに飛びすさりながら、すかさず『火』を放射ほうしゃし、一瞬いっしゅんのうちにそれをかしきった。


 しかし、自身の魔法まほう視界しかいをふさがれたウォルターに、立て続けに発動はつどうされた『水竜すいりゅう』が両サイドからおそいかかる。こちらが本命ほんめいの攻撃だ。


 しかし、ウォルターはバク転のように飛び上がって、それを流れるような動きで回避かいひした。さらに、着地ちゃくちを待たずに『かまいたち』を発動し、即座そくざに相手目がけてはなった。


 スプーは一歩も動けないまま、腹部ふくぶ直撃ちょくげきを食らった。数メートル吹き飛ばされてしりもちをつくと、しばらく唖然あぜんと相手に視線を送った。


(〈悪戯トリックスター〉だけでも厄介やっかいだというのに……)


 スプーはあせりの色を隠せず、日頃のポーカーフェイスをたもてていない。魔法の威力いりょく、キレ共にジェネラルに匹敵ひってきするものを感じていた。


 ただ、同時にウォルターの甘さも見ぬいた。『かまいたち』でなく『火球かきゅう』ならば自身を仕留しとめられたはず。人を殺しかねない攻撃に躊躇ちゅうちょがあるのは明白めいはくだ。


 平和な国家で生まれ育ったいち高校生にしてみれば、至極しごく当然の感覚だが、食うか食われるかの生死せいしをかけた戦闘においては、命取いのちとりになりかねない。


「認めよう。我々は少々しょうしょう君を見くびっていたようだ。現状、我々の力は君に遠くおよばない。だがな、トリックスター。依然いぜんとして、お前に勝ち目はないぞ!」


 ハッタリだった。冷静れいせい沈着ちんちゃくなスプーが虚勢きょせいをはったのも、窮地きゅうちにあるのを自覚じかくしているからこそ。秘策ひさくなど何一つなかった。


 とはいえ、見方みかたを変えれば事実とも言える。『エーテルの怪物かいぶつ』との異名いみょうを持つ彼らは、大気たいきにただようエーテルをエネルギーげんとし、無限むげんの再生能力を持つ。


 さらに、実体じったいかく生物せいぶつレベルに小さく、視認しにんがむずかしい上に頑強がんきょう消滅しょうめつさせるのは困難こんなんをきわめる。周辺にエーテルが存在するかぎり、不死身ふじみと言っても過言かごんではない。


 また、エーテルを体内に取り込んだ段階だんかいで別物質へ変換するため、ウォルターの〈悪戯トリックスター〉も脅威きょういとならない。それゆえ、みずからを死に追いやれるのは巫女のみと自負じふしている。


 ただし、彼らの実体はあまりにひよわで、戦闘能力にとぼしかった。しかも、彼らが共通して持つ〈闇の力〉――原理げんり的に魔法と酷似こくじし、唯一ゆいいつの攻撃手段しゅだんとも言えるそれが、この国においてはほぼふうじられた状態にあった。


 それがかろうじて使用できるのが〈樹海じゅかい〉。それこそ、彼らがその近郊きんこうから活動範囲を広げられなかった一因いちいんでもある。この国が巫女の能力〈転覆エックスオアー〉の影響下にあるためだと、スプーは推測すいそくを立てている。


 はたして、手負いのゾンビでこの男を足止めできるだろうか。疑問を持ち始めたスプーがソっとネクロへ視線を送る。すでに体から脱出したかは不明だが、馬上ばじょうから転落し、立ち上がるのにもたついていた。


(この体は気に入っていたんだがな)


 スプーは苦虫にがむしをかみつぶした。そして、最悪この『うつわ』はてなければならないと覚悟した。


 それは五年前の〈樹海〉において手に入れた、言わば戦利せんりひん辺境守備隊ボーダーガード屈指くっし魔導士まどうしとの死闘しとうすえだっただけに、格別かくべつな思い入れがあった。


「殺す気で来い、トリックスター! さもなければ、君の勝利は未来みらい永劫えいごうあり得ないぞ!」


 実体の物理ぶつり的な捕縛ほばくにだけ注意すればよかった。あえて安い挑発ちょうはつをすることで、死にいたりかねないレベルの攻撃を行わせ、それにじょうじて『うつわ』からの脱出をこころみる。それでウォルターの目をあざむけると、スプーはふんだ。


 できればさけたい選択せんたくだった。実体のままでは、新しい『器』を手に入れるのに途方とほうもない時間をようする。最低でも〈樹海〉に戻らなければならないからだ。


 ネクロの乗り捨てたゾンビが起き上がり、スプーがそれを視界のはしでとらえる。よそ見をとがめるように、ウォルターが再度さいど『かまいたち』を放った。


 スプーはそれを間一髪かんいっぱつで回避し、ゾンビの姿をウォルターの死角しかくに追い込むため、相手の右手に回り込んだ。そして、わずかに距離をつめ、接近戦に持ち込むそぶりを見せた。


 ウォルターは反射的はんしゃてきあとずさった。しかし、背後はいごに人の気配けはいさっして、あわてて振り向いた。足を引きずったゾンビが飛びかかってきた。


 意表いひょうをつかれて、ウォルターの判断が遅れる。本能ほんのうをむき出しにして、つかみかかってきた相手を、のけ反ってかわそうとするも、左肩をつかまれた。


 体勢たいせいをくずされながらも、とっさにゾンビの顔面がんめん目がけて『突風とっぷう』を放つ。相手の腕を振りほどくのに成功したが、反動はんどうで自身も地面をころげ回った。


 ウォルターはすぐに起き上がった。相手は負傷ふしょうしているため、動きは緩慢かんまんでぎこちない。立ち上がるのにひと苦労くろうの状態で、差しせまった脅威は感じなかったため、しばらく様子をうかがった。


 ゾンビと化しても、相手は知り合いのトレイシー。敵と認識するにはとまどいがある。痛々いたいたしい姿を見ただけで胸が痛み、次の攻撃にみきれなかった。


 ゾンビに気を取られたウォルターを横目よこめに、スプーが馬のもとへかけ戻った。さっそうと馬へとび乗ると、ネクロの所在を確認後、対峙する二人へ目もくれずに馬を走らせた。


 それを制止せいしするべく、ウォルターは「待て!」と攻撃態勢たいせいととのえたが、最悪のタイミングでゾンビが動き出す。起き上がるのをあきらめ、つんばいの状態で地面をはうようにおそいかかってきた。


 足首につかみかかってきた相手を、かろやかに空中飛行でかわしたが、気づいた時には、スプーの乗った馬ははるか彼方かなたまで行ってしまった。


     ◆


 スプーは街道かいどうを南に向かって馬を走らせた。追手おってがないのを確認後、心持こころもちスピードをゆるめた。ふと馬のたてがみにへばりついた黒い生物に目を落とす。


 それがネクロの実体だ。ウォルターが運動公園で発見し、『黒いマリモ』と形容けいようした異形いぎょうの生物とウリ二つの見た目をしている。


 巨大な単眼たんがんがあるだけで、鼻、口、耳は見当みあたらない。手足てあしもなく、ほぼ球体きゅうたいに近いが、体表たいひょうに小さな突起とっき無数むすうにある。そこから触手しょくしゅを伸ばせるが、体の一部というわけではない。


 また、体の周囲にえず黒煙こくえんを身にまとっているが、これは排出はいしゅつした使い古しのエーテルで、身を守るために一定いってい量を滞留たいりゅうさせている。


 慎重しんちょうに移動を始めたネクロは、上着うわぎすそからスプーのふところへもぐり込んだ。モゾモゾと腹をはい上がり、襟元えりもとからひょっこりと顔を出すと、短い触手をそこへかけた。


「やっぱり、魔法はいいね。はたから見ていてもおもしろいよ。ぜひ、次も魔法が使える『器』がいいな」


 のんな要望を口にしたネクロに若干じゃっかんのイラ立ちを覚えながらも、心身しんしんともに疲れ果てていたスプーは、黙ったまま鼻で笑うにとどめた。

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