ネクロ追跡

     ◇


 脇目わきめもふらずに通路つうろをかけぬけ、西棟にしとうを飛び出した。城壁じょうへきがそう遠くない位置にあり、辺りを見回しても人影ひとかげがない。こっち方面ほうめんはあまり来たことがない。


 少しはなれた場所に西門にしもんがあった。前に西地区へ使いを頼まれた時、あそこを通ったことがある。急いでそこへ行き、守衛しゅえいの人にこうたずねた。


「ローブを着た人がここを通りませんでした?」


「ローブは着ていなかったけど、今しがた、そっちから来た〈火の家系ボンファイア〉の人が通ったよ。何か急いでいる感じだったな」

「ああ。ラインが太かったから、たぶん辺境守備隊ボーダーガードの人だろう」


 辺境守備隊ボーダーガードの〈火の家系ボンファイア〉と聞いて、ラッセルの顔がパッと思いうかび、トレイシーと一緒に行方ゆくえがわからなくなっている話を思い出した。


 まさか、ラッセルがゾンビをあやつっていた人物……? いや、ラッセルは優しくて人の良さそうな人だった。そんなことは信じたくない。


 守衛の人にそそくさとお礼を言い、西門をぬけて市街しがいへ出た。一度来たことがあるとはいえ、西地区には土地とちかんがほとんどなく、右も左もわからない。


 ただ、赤いラインの入った制服はよく目立めだつ。おかげで通行人から続々ぞくぞく目撃もくげき情報が得られた。相手はばしりに進んだり、細い路地ろじへフラッと入ったり、目的地がはっきりしない。


 確かなのは、中央地区方面へ向かっていることと、追跡ついせきをまこうとしていること。貴族型ゾンビをあやつっていた男に間違いない。確信に近い手ごたえを感じた。


     ◆(三人称)


 ネクロはウォルターの追跡に気づいていた。スプーと中央広場で落ち合う約束をかわしていたが、遠回とおまわりせざるを得ず、人影のまばらな入り組んだ路地に入っては、何度もふくろ小路こうじに行き当たった。


 ただし、中央広場には突端とったん遠方えんぽうから確認できる巨大な記念きねんが建っているため、目的地の方向がわからなくなることはない。慎重しんちょうすためにも、ネクロはまわみちを続けた。


 また、ネクロには優位ゆういに立っている点がある。それは通行人の目を通した姿と、ウォルターの目を通した姿がことなることだ。


 現在は辺境守備隊ボーダーガードの制服を身にまとったラッセルの『扮装ふんそう』がほどこされているが、ウォルターにはローブをまとった『うつわ本来ほんらいの姿に見えている。


 実際、目撃情報を頼りに追跡していたウォルターは、しだいに先入せんにゅうかん色濃いろこくしていた。『扮装』の能力については、頭から消えつつあった。


 とはいえ、ウォルターの勘がするどければ気づかれる可能性はある。また、通行人と一緒に目撃されれば、その事実は露呈ろていする。


 中央広場まであと少しというところで、ネクロはウォルターとはちわせた。相手はちょうど道の真ん中で聞き込みを行っていた。


 ネクロはけに出た。『扮装』を解除かいじょしたのだ。元に戻すには、スプーにかけ直してもらうしかない。


 さらに、常時『扮装』した状態だったため、少しもなりに気を配っておらず、衣服は薄汚うすよごれていて、見るも無残むざんさまだ。


 フードを深くかぶったまま、怪しまれないよう、あえてウォルターのそばを通りすぎる。市街でフードをかぶるのはめずらしくない。風が強い日や、通り雨が降った日はよく目にする光景だ。


 しかし、ネクロの見込みこみははずれた。背後はいごから「止まれ」とウォルターに呼び止められた。ドキリとしながらも、聞こえなかったフリをしてやり過ごそうとした。


 けれど、後ろからついてくる足音あしおとは止まず、しまいには荒々あらあらしい『つむじ風』で包囲ほういするという強硬きょうこう手段しゅだんに打って出られた。


 逃げ道をたれたネクロは観念かんねんして足を止める。そして、振り返ることなく言った。


「……どうして気づいた?」

「におったんだ」


 これは比喩ではない。ウォルターには言葉通りクサかった。すれ違いざまに強烈きょうれつ異臭いしゅうが鼻をかすめた。


「あのゾンビからも似たようなニオイがした」

死臭ししゅうが鼻をついたってところか。まあ、〈扮装スプーフィング〉は体臭たいしゅうまで再現するらしいからね。気にもとめてなかったよ」


 ネクロはじろぎ一つせず、だまってその場にたたずんだ。『つむじ風』に巻き上げられた小石こいしが、パラパラと石塀いしべいに打ちつけられる音が、周辺にひびき続ける。


「私は戦ってもいい。しかし、君はどうする?」


 おもむろにフードを脱ぎながら、ネクロが振り返る。なつかしさを覚えるその姿を見て、ウォルターは言葉を失った。


先刻せんこく述べた通り、君には〈扮装スプーフィング〉が通用つうようしない。凡百ぼんぴゃくをあざむけても、君をあざむくことはできないんだ。これがどういう意味かわかるかい?」


 くぼんだ目にやせこけたほお。肌は黒ずんで、髪の毛はボサボサだ。生前せいぜん精悍せいかんな顔つきは見る影もなかったが、顔立かおだちはまぎれもなくトレイシーだった。


「つまり、この姿こそが私の本来の姿ということだ。君はこの体を傷つけられるかい? まだ、生きているかもしれないよ?」


 〈催眠術ヒプノシス〉のような能力で洗脳せんのうされている。体を一時的いちじてきに乗っ取られている。ウォルターの頭の中に様々さまざまな可能性がうかんでは消えた。


 その中には、これがトレイシーの本性ほんしょうだという信じたくないものもあった。


 しかし、トレイシーは廃村はいそんにおける事件の際に命を落とした。これはネクロの巧妙こうみょう心理戦しんりせんだ。一縷いちるの望みをチラつかせ、ウォルターの心をゆさぶりにかかった。


 現実をなかなか受け入れられず、ウォルターの注意が散漫さんまんとなった時だった。


 横合よこあいから『風』のおりを突き破って、大口おおぐちを開けた『水竜すいりゅう』がおそいかかってきた。それに反応できなかったウォルターは、近くの石塀に叩きつけられ、『つむじ風』は瞬時しゅんじ消失しょうしつした。


「乗れ、ネクロ!」


 かけつけたスプーが馬上ばじょうから呼びかけた。ネクロがとび乗ると、スプーは即座そくざ拍車はくしゃをかけて馬を走らせた。


 ウォルターは一時的な呼吸こきゅう困難こんなんにおちいる程度で済んだが、大きくせき込んでしまい、息をととのえるのに時間を要した。顔を上げた時にはもう、馬の姿がだいぶ小さくなっていた。


「残念! こいつはもう手遅ておくれだよ!」


 遠ざかっていくネクロが、せせら笑うようにてゼリフをはいた。


   ◆


 スプーはレイヴンズヒルの玄関げんかんぐちたる大門おおもん目指めざした。目的を果たし終えた彼らに、もはやレイヴンズヒルにとどまる理由はない。


 ネクロは馬の背に腹ばいとなって、かろうじてしがみついている状態。片足はあぶみにかかっていたものの、もう片方かたほうの足は投げ出された状態で、地面やへいに何度も打ちつけられた。


「片足を引きずられているのだが?」

「少しは辛抱しんぼうしろ」


 苦境くきょううったえた相手をスプーは冷たく一蹴いっしゅうした。体は彼らにとって所詮しょせんうつわ』にすぎない。いつでも交換がきく消耗しょうもう品であり、痛みをほとんど感じないことから、負傷ふしょうに対してもひどく頓着とんちゃくだった。


 見通みとおしの悪い通りを選んで進みながら、何事なにごともなく大門へたどり着いた。スプーは門に隣接りんせつする円形えんけいの城壁塔に押し入ると、そばにいた守衛に鬼気ききせまる表情でつめ寄った。


「〈侵入者〉が市街に侵入した。ただちに、内側の門を下ろせとの命令だ」


 突然とつぜんのことで動転どうてんした守衛に有無うむを言わせず、スプーは一刻いっこくを争うかのように「早くしろ!」とたたみかけた。守衛が作業に取りかかったのを確認後、すぐさま外へ出た。


 ガラガラとくさり滑車かしゃがこすれる音がけたたましくひびき始めたのと同時に、先端せんたんのとがった鉄製てつせい格子こうし門がゆっくりと下り始めた。


 ネクロは痛々いたいたしいほどに負傷し、片足を引きずっていた。それに肩を貸したスプーは、もう片方の手で馬を引いて、格子門をくぐりぬけた。


 ふとスプーがレイヴン城へ一直線にのびる中央通りを振り向く。ゆっくり進みながら、警戒けいかいの目を送り続けると、半分ほど格子門が下りたところで、ウォルターが横道よこみちから中央通りにおどり出た。

 

 大門の異変いへんを数百メートル先から認めると、ウォルターは全速ぜんそくりょくでかけ出した。スプーはヒヤリとする思いで見守ったが、あと十数メートルまで接近した地点ちてんで格子門が完全に下りきり、胸をなで下ろした。


 格子門にはりついたウォルターが薄暗うすぐらい通路に目をこらす。暗闇くらやみに二人の顔がうかんだ。


 ネクロと共にいるのがギルだったことに驚きを隠せなかった。のない怒りがこみ上げ、格子門をつかむ手に力がこめられる。


「さよならだ」

「グッバイ、トリックスター」


 スプーは勝ちほこるように頬をゆるませ、ネクロはおどけた。屈辱くつじょくにまみれながらも、絶対に逃がしはしないと、ウォルターは即座に気持ちを切りかえた。


 門が上がるのを悠長ゆうちょうに待っている時間はない。数十メートルかけ戻ったウォルターは大門を見上げた。


 高さ三十メートル以上という威容いようほこる大門も、彼にとっては取るに足らないハードルだった。すみやかに目測もくそくを終えると、軽く助走じょそうをつけてから、渾身こんしんの力で地面をけった。


 すかさず『風』の魔法まほうでターボをかける。ゆるい放物ほうぶつせんをえがいたウォルターは、大門を眼下がんかに見ながら、レイヴンズヒルの空を舞った。

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