侵入者の尖兵

     ◆(三人称)


 ヒューゴと使用人しようにんの二人を後ろに従え、デリック・ソーンは本邸ほんてい廊下ろうかを進んでいた。彼はこんな話を向けて、ヒューゴを会場から連れ出した。


「私は潔白けっぱくを証明できる。ジェームス・ウィンターと〈侵入者〉とのつながりを示す、決定的な証拠しょうこもつかんでいる。そのことで、先日せんじつ彼を問いつめたのだが、今思えば、それが彼らの仲間割れを引き起こしたのかもしれない」


「その証拠とやらは見せてもらえるか?」

「ああ。こんな事もあろうかと、大切に保管ほかんしておいた。故人こじん名誉めいよのため、できればおもてに出したくなかったんだが」


 それは口からまかせにすぎない。数日前から、彼は自身の身辺しんぺんをかぎ回る男の情報をつかんでいた。そして、いずれ目の前に現れるであろう男――ヒューゴの殺害を、ひそかに目論もくろんでいた。


 ヒューゴはデリックを会場に引きつける役目やくめをになっていたが、ここまで告白した相手を引き止めるすべはなかった。しかし、運よくウォルターと会場の入口でちがいとなり、心置こころおきなく事に当たることができた。


 デリック自身はこの国で生まれ育った弱小じゃくしょう貴族にすぎないが、裏の顔は〈侵入者〉の尖兵せんぺいだった。〈侵入者〉がかげから支援しえんを行わなければ、彼はベレスフォードきょう右腕みぎうでとしての地位ちい確立かくりつできなかっただろう。


 〈侵入者〉をトランスポーターのめいを受け、〈外の世界〉より送り込まれた存在と定義ていぎするならば、彼とその支援者こそが〈侵入者〉の本流ほんりゅうであり、スプーとネクロの二人は一時的いちじてきな協力者にすぎない。


 この数年間、彼は〈侵入者〉の手足てあしとなり、この国を静かに侵食しんしょくし続けた。平和裏へいわりし進められた侵略しんりゃく順風じゅんぷう満帆まんぱんに進んでいた。


 ところが、〈外の世界〉において不測ふそく事態じたいが発生し、不本意ふほんい方針ほうしん転換てんかんをせまられた。さらに、不運ふうんかさなる。それに反発はんぱつしたあげく、恐喝きょうかつ行為におよんできたジェームス・ウィンターを、彼は衝動的しょうどうてきに殺害してしまった。


 殺害は想定外そうていがいの出来事だったが、デリックはそれを逆手さかてに取った妙案みょうあんを思いついた。それは新たな計画に最初から組み込まれていたかのように、方向性が一致いっちしていた。


 新たな計画のサポート役として派遣はけんされた女――〈外の世界〉を支配する勢力で最高幹部かんぶつとめる一人は、賛同さんどうするどころか実行役を買って出た。女は暗殺あんさつに打ってつけの能力をゆうしていたからだ。


 デリックが休憩きゅうけい室の前で立ち止まり、部屋の中をのぞき込む。ここで待っているはずの女はいなかった。ただ、姿を消す能力を持つと聞いていたので、しばらくその場にとどまった。


 その時、コンコンと壁を叩く音がした。音のした方向へ目を向けると、食堂の戸口とぐちから女の指がのぞいている。そこまで行くと、猟奇的りょうきてきな笑みを浮かべた女が待ちくたびれた様子でいた。


 後ろにいる男がターゲットだとアイコンタクトで伝えると、女はフッと姿を消した。ヒューゴを振り返った彼が、食堂を手でさし示しながら言った。


「今から取ってくるから、ここで待っていてくれないか?」


 ヒューゴは中へ警戒けいかいの目をひとしきり注いでから、「ああ」と足をみ入れた。


「少し時間がかかるかもしれない。彼のことを頼むよ」

承知しょうちいたしました」


 そう使用人に言い置き、デリックははなれへ向かった。使用人を連れてきたのは、殺害現場を目撃もくげきさせ、自身の潔白を証明させるため。それは逃走とうそうして身を隠すだけの時間をかせげれば十分だった。


 ヒューゴの殺害は近日きんじつ実行に移す作戦に向けた布石ふせき即刻そっこく拘束こうそくされない程度に疑惑ぎわくいだかせ、自室じしつに大量のマスケット銃というエサを残して行方ゆくえをくらます。デリックが言い渡された命令は、端的たんてきに言えば、陽動ようどう作戦だ。


 デリックは今の地位を失うことになるが、もう後には引けなかった。心に踏ん切りをつけたそれよりも、女の様子が気になった。


 まるで人を殺すのを心待こころまちにしていたかのようで、こんな連中に協力していたのかと、今さらながらゾッとする思いだった。


     ◆


 ヒューゴがながテーブルの一番手前てまえにあるイスに腰を下ろした。使用人は扉のそばで背筋せすじを伸ばして控えている。


 ほどなく、壁際かべぎわの小さなテーブルに置かれた花びんが、ふいに音を上げた。ヒューゴはそちらへ目を向けたが、すぐに興味を失った。


 しかし、十秒ほど後に同じ花びんが倒れ、テーブルの上をコロコロと転がり出した。あげくに床へ落ち、パリンと大きな音を立てて割れた。


 使用人が「もうわけありません」とそそくさと片づけへ向かう。ヒューゴも立ち上がって、破片はへんを拾い集める様子を少し離れた場所から見守った。


 その時、首筋くびすじをなでられる感覚がヒューゴをおそった。背後はいごを振り返ったが誰もいない。ヒューゴはきつねにつままれたような顔つきで、奇妙きみょうな感覚の発生源はっせいげんである首元くびもとをなでた。


 気のせいだと考え、ヒューゴは先ほどと同じイスへ腰を下ろした。うわそらでテーブルの上に目を落とすと、今度はおぞましい言葉が耳元みみもとひびき渡った。


予告よこく――君はそこのナイフでされて死ぬ」


 ヒューゴは悪寒おかんを覚え、すかさず後ろを振り向いたが、やはり、そこには誰もいなかった。しかし、ささやき声はあまりに鮮明せんめいで、声だけでなく、耳に吐息といきがかかる感触かんしょくさえあった。


「何か言ったか?」


 まだ破片を集めていた使用人は、立ち上がって「はい?」と目を丸くした。声音こわねが全く違う。明らかに、声は女のものだった。ヒューゴは言い知れない不安に襲われ、食堂内にくまなく目を走らせた。


 正体不明の声がナイフに言及げんきゅうしたのを思い出す。探してみると――あっさり見つかった。長テーブルの対極のはしっこにナイフが置かれていた。


 いつからあそこにあったかはさだかでない。最初から置いてあったのを、単に見落みおとしていたのか。ヒューゴがその存在に気づいていなかったのは確かだ。


 のナイフが不気味ぶきみに光を反射する。ヒューゴは目が離せなくなった。ひとりでに動き出し、今にも襲いかかってきそうだった。そして、その予感は的中てきちゅうした。


 突然カタカタと振動しんどうを始めたナイフが、ちゅうに浮き上がった。しばらく空中をフワフワとただよった後、まるで意思を持つかのように向きを変え始める。


 やがて、ナイフはピタリと静止せいしきした。そのさきはまぎれもなくヒューゴにねらいをさだめていた。


 女の能力名は〈念動力サイコキネシス〉。その能力から女はサイコと呼ばれ、その名は自分にふさわしい響きがあると感じていた。


 現在、サイコはものの能力を複数保持ほじしている。姿を隠すために使用している〈不可視インビジブル〉もその一つだ。しかし、サイコの固有こゆう能力は〈念動力サイコキネシス〉のみだ。


 その名の通り、〈念動力サイコキネシス〉は思念しねんによって物体を操作できる。対象は無機物むきぶつかぎられ、物理的ぶつりてき接触せっしょくによってリンクを確立しなければならない。また、個数こすうは三つまでに制限され、複数の対象を同時に操作することはできない。


 ヒューゴのほおあせがつたう。息のつまるような短い時間の後、ナイフが動きを見せた。ヒューゴは電撃でんげきを放って迎撃げいげきこころみたが、知覚ちかくを持たないナイフはそれをものともせず、目にも止まらぬスピードでせまって来た。


 ヒューゴは抜群ばつぐん反射はんしゃ神経しんけいを見せ、それを紙一重かみひとえでかわしきったが、その場にしりもちをついた。ナイフはそのままの勢いで進み、戸口そばの壁に突き刺さった。ヒューゴは慄然りつぜんとしながら、しばらくそれを見つめ続けた。


     ◇


 スージーを会場まで送り届けた。すでにロイは戻ってきていた。パトリックが話を聞きたそうにこちらを見ていたけど、話が長くなりそうなので後回あとまわしだ。


 女を探しに会場を飛び出す。あの女とデリックという男が結託けったくしていたら、ヒューゴの身が危ない。


 一部屋ごと立ち止まって、中へ入念にゅうねんに目を光らせる。女はなかなか見つからなかったものの、廊下の先で電撃のような光が走ったのを偶然ぐうぜん目撃し、そこへ急行きゅうこうした。


 そこは食堂だった。戸口にたどり着くと、すぐさま異状いじょうに気づいた。そばの壁にナイフが突き立てられ、使用人が長テーブル脇でイスの間に身をひそめている。そして、あの女が奥のすみっこにたたずんでいた。


 何かが視界しかいの端で動いた。長テーブルの陰に隠れて気づかなかった。床に座り込んでいた相手に「ヒューゴ!」と声をかけた。


「気をつけろ! この部屋に何かいるぞ!」


 ヒューゴの言う『何か』が女のことを言ってるかはわからない。どっちにしたって、自分はあの女に用がある。直接問いただしたほうがっとりばやいだろう。食堂へ慎重しんちょうに足を踏み入れ、長テーブルの脇を進む。


「おや、また会えたわね」


 女は目を見張みはりながらも、どこかうれしげだ。


「よくあの状況から生きて帰って来れたわね。何をどうしたのかしら?」


 よくもまあ、いけしゃあしゃあと。さっきのことがあるから、下手へたに耳を貸さないほうがいいか。ある程度間合まあいをつめてから、牽制けんせいの意味をこめて右手を突き出す。


「そっちに誰かいるのか?」


 立ち上がったヒューゴがキョロキョロと視線を泳がせながら言った。どうやら、声は聞こえていても、女の姿は見えていないようだ。


 戸口のほうへ、僕の肩越かたごしに視線を送っていた女が、ふいに頬をゆるめた。


「その場にせろ!」


 ヒューゴの指示に従って、とっさに床へ身を伏せる。頭上ずじょうをナイフがもうスピードで通りぬけていった。「チッ」と舌打したうちした女が、ナイフをキャッチする。


 間一髪かんいっぱつだった。女はこんな能力も持っているのか。いつ殺されてもおかしくない。攻撃に一切いっさいのためらいがない。


「ウォルター、敵はどこだ!?」

「向こう側の隅っこにいる!」


 依然いぜんとしてヒューゴはその姿を視認しにんできていない。けれど、そちらへ目がけて、闇雲やみくもに電撃を放つと、女は隣の部屋へ逃げ込んだ。


 僕が追いかけるしかない。かけ足で隣の部屋へ向かうと、そこは厨房ちゅうぼうだった。大きく開け放たれた窓の前で、女はのんに外をながめていた――と思いきや、したり顔でこちらを一瞥いちべつした直後、忽然こつぜんと消え去った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る