幽霊パーティー3

     ◆(三人称)


 時をさかのぼって、ウォルターらがはなれに侵入しんにゅうを果たした直後。『交信こうしん』で報告を受けた後も、スージーは与えられた役割やくわりをつとめ続けた。


 同じ場所にとどまるのは怪しまれると考え、人を待っている振りをしながら、本邸ほんてい廊下ろうかを行ったり来たりした。離れの様子をうかがう時には、横目よこめでさり気なく行った。


 パーティー会場へ通じる入口が突き当たりに見え、そこには頻繁ひんぱんに人の出入ではいりがあったが、この廊下は使用人が二人通ったのみ。怪訝けげん眼差まなざしを向けられるも、スージーは会釈えしゃく無邪気むじゃきな笑みでやり過ごした。


 しばらくして、ふいに視線と人の気配を背後から感じ、スージーは反射的はんしゃてきに振り向いた。彼女の目が廊下に立ちすくむ若い女の姿をはっきりととらえた。


 ところが、若い女はまたたく間に視界しかいから消えた。始めは見間違いと考えた。しかし、ほんの一秒にも満たない時間とはいえ、網膜もうまくに焼きついた映像はあまりに鮮明せんめいだった。


 若い女は茶色いストレートのロングヘアーで、パーティードレスでなく、やみにまぎれるような暗い色のワンピースを着用ちゃくようしていた。何より印象的だったのは、相手が指先ゆびさき手招てまねきしていた――と一瞬のうちに感じられたことだ。


 スージーは若い女を幽霊ゆうれいと考え、恐怖に身をふるわせた。この場から逃げ出したい気持ちにかられたが、見張みはりの役目を果たさなければという思いが、彼女を踏みとどまらせた。


 恐怖の感情をやわらげるため、勘違いと確かめるため、若い女が立っていた場所まで、彼女は勇気を出して向かった。すぐそばに部屋の戸口とぐちがある。オズオズと中をのぞき込んだ。


 そこは使用人の休憩きゅうけい室。部屋がせまい上に雑多ざったな物が所狭ところせましと置かれている。明かりはついておらず、窓からやわらかな光がさし込んでいた。戸口から見える範囲では誰もいない。


 わずかな安心感を得て、スージーが廊下へ目を戻した瞬間、バタンと休憩室の中で大きな物音が上がる。驚きのあまり、彼女は「キャッ!」と飛びはね、窓側の壁まで後ずさった。


 しばらくビクビクと立ちすくんだ後、物音の発生源はっせいげんを確かめに戸口へ向かう。それにタイミングを合わせるように、かわいた金属音きんぞくおん突如とつじょとして鳴りひびき、スージーは目を疑う光景を目撃もくげきした。


 燭台しょくだいがテーブルの上をクルクルと回転している。それに目を奪われていると、追い打ちをかけるように、そばにあったイスが飛びはねて空中を一回転した。


 偶然ぐうぜんでは片づけられない現象が続き、彼女は夢の中にいるような心地ここちになった。頭がパニックとなり、彼女は次第しだいに目の前で起こる異常を受け入れ始めた。


 けれど、彼女の身に降りかかった戦慄せんりつは、ここからが本番だった。うなじに吐息といきのようなぬくもりを感じるやいなや、若い女の声がはっきりと耳に届いた。


「何をしているの? イタズラしちゃダメよ」


 悲鳴ひめいも上げられず、ドタバタと部屋へかけ込んだ彼女は、足がもつれて前のめりに倒れ込んだ。戸口を振り向いても誰もいながったが、つんばいのまま、追い立てられるように部屋の奥へ逃げ込んだ。


 その後、足がすくんた彼女は、立ち上がることさえできなくなり、『交信』でウォルターに助けを呼んだ。


     ◇


 『梱包こんぽう』を続けるロイを離れの裏庭に残し、大急おおいそぎで本邸に戻った。すぐさま『スージー?』と呼びかけると応答があった。


『今どこにいる?』

『知らない部屋です』


『どんな部屋?』

『せまい部屋です。いろいろ物が置いてあります』


『廊下に出れない?』

『やってみますけど、足が震えちゃって……』


 声を聞いただけで、ヒドくおびえているのがわかる。どれほどの怖い目にあったのだろう。急ぎ足で廊下を進んで、一部屋ごとチェックする。


 サロンや食堂など、以前来たことのある部屋の前を通り過ぎ、その先の小さな部屋で、ようやくスージーの姿を発見した。生活感せいかつかんのある雑然ざつぜんとした部屋で、彼女はうずくまっていた。


 戸口から小声こごえで「スージー」と呼びかけると、顔を上げた彼女が「ウォルター」と安堵あんどの表情を見せる。ただ、腰がぬけているのか、一向いっこうに立ち上がる様子を見せない。あわてて彼女にかけ寄った。


「大丈夫?」

「怖かったです」


 倒れ込むようにもたれかかってきたスージーを抱きとめる。体が小刻こきざみに震えている。すぐには立ち上がれないようなので、落ち着くのを待つことにした。


 そういえば、『幽霊パーティー』が開かれているんだっけ。そう考えたら、自分も怖くなってきた。まあ、こうして彼女は無事だったわけだし、大したことないか。


 恐怖をなだめようと部屋を見回すと――いた。女がいる。部屋のすみに置かれたイスに悠然ゆうぜんと座っている。――幽霊? いや、足はついているか。


 女はまるでテレビでも見るかのように、冷淡れいたんな眼差しでこちらを眺めている。いつからあそこで見ていたんだ。おびえるスージーに知らんぷりしていたのなら、まともな神経しんけいではない。


 イスがジャンプしたのも、この女の仕業しわざかもしれない。こっそりとはいえ、しばらく視線を投じているのに、あたかも自分がここに存在しないかのように女は振る舞っている。ある意味、幽霊より怖い。


「おや?」


 こちらの視線にやっと気づいた女が、眉間みけんにシワを寄せた。


「何か言いました?」


 そう言ったスージーが僕の胸元むなもとに顔をうずめる。しっかりと彼女を抱きかかえ、こう耳元みみもとでささやいた。


「大丈夫。見えているから幽霊じゃないよ」


 女が立ち上がった。背が高く、ほっそりとしている。服装は使用人のものではない。腰まで伸びた髪をゆらしながら、落ち着いた足取あしどりで近づいてくる。


 危険を察知さっちし、スージーを無理に立ち上がらせる。目の前で立ち止まった女は、怪訝な面持おももちで一心いっしんに見つめてくるだけで、なかなか言葉を発しない。


「屋敷のかたですか? すいません、ちょっと帰り道がわからなくなっちゃって」

「……私のことが見えるの?」


 ――どういうこと? やっぱり、幽霊ってこと……?


「また声が聞こえました」


 スージーがかすかに震える手で、僕の脇腹をギュッとつかむ。


「見えちゃダメなんですか?」


 鼻で笑った女が、唐突とうとつにやわらかい手つきで腕をなで回してくる。意図が全然わからない。むしろ幽霊であってほしい。


「君は空を飛びたいと思ったことある?」

「それはまあ……」


 あらゆる言動が理解不能だ。どうしてこんなことを聞くんだ。もしかして、僕が空を飛べることを知っているんだろうか。


「今すぐ飛んでみたい?」

「……飛べるものなら」


 無難ぶなんな答えに終始しゅうしした。空を飛びたいというより、この場から逃げ出したい――と思った瞬間だった。


     ◇


 ――空にいた。はるか上空じょうくうを飛んでいた。周囲には雲がただよっている。すさまじい風圧ふうあつにさらされ、息をすることさえままならない。


 眼下がんか暗闇くらやみにレイヴンズヒルの街がほのかに浮かび上がっている。点々てんてんあわい光を放っている様子が幻想的げんそうてきだ。――なんて、考えている場合じゃない。


『ウォルター、どこですか?』

『今、空にいる。空を飛んでいる! ただしくは落下している!』


『置いてくなんてヒドいです! 空を飛んでいる場合じゃないです!』

『飛びたくて飛んでるわけじゃないよ!』


 考えろ。どうしてこうなった。女の能力であることは間違いない。おそらく、あの意味不明なやり取りががねになった。パトリックの〈催眠術ヒプノシス〉と同じ、相手の同意を必要とするタイプか。


 いやいや、これは後回あとまわしにすべき問題か。最優先さいゆうせんに考えるのは安全に着地ちゃくちすること。いつの間にか、レイヴンズヒルの街並まちなみが視界いっぱいに広がっている。


 あらためて思った。重力って半端はんぱない。自然の力は偉大いだいだ。これほどの力を物顔ものがおあやつっていたなんて、恐れ多い気持ちになった。


 このスピードなら、あと二十秒とかからずに地面と衝突しょうとつする。しかし、早い段階で重力を無効化すると、前後不覚ぜんごふかくにおちいって、地面にたどり着くまでにシッチャカメッチャカとなる。


 いつもは加速時と着地前のみ魔法を使用する。を描いている最中さなか微調整びちょうせいはバランスをくずす最大の原因。ただ、ここまでスピードが出てると、ギリギリまで引きのばすのは危険だ。


 少しずつスピードをゆるめていこう。暗すぎて地面との距離感きょりかんがつかみにくい。建物の形が確認できるようになった段階で、徐々じょじょに重力を弱め、垂直すいちょく方向へ慎重しんちょうにブレーキをかけた。


 それから、適度てきどな重力とブレーキを維持いじしながら降下していく。見覚みおぼえのある建物が接近してきた。どうやら、屋敷の直上ちょくじょうに飛ばされたらしい。


 ほぼ直立ちょくりつ状態で安定あんてい軌道きどうに乗った。ただ、それで緊張きんちょうの糸が切れ、勢いあまって着地に失敗。後ろ向きにでんぐり返しをして、軽く頭を打った。


 とはいえ、無事地面に到着。一息ひといきついてから、思考を再開する。


 あの女は確実に殺しにきていた。僕でなければ、間違いなく死んでいた。やはり、相手は能力を持つ〈侵入者〉か。しかも、人の命をとも思っていない。


 そうだ、スージーを助けに行かないと。ひとまず『交信』で無事を確認する。あの女はもう部屋にいないそうだ。


 中庭から本邸に戻り、戸口まで出てきていたスージーをなんなく見つける。手を取り合って「よかった」と胸をなで下ろす。パーティー会場までスージーを送り届けることにした。


「あの女はどこへ行ったかわかる?」

「怖くて目をつむっていたからわかりません。でも、ウォルターがいなくなったすぐ後に、女の人の声が聞こえました。『ああ、うっかり殺しちゃった』って」


 何がうっかりだ。本当に頭にきた。ついにその時がやってきた。全力で戦う時が――この〈悪戯トリックスター〉のしんの力を解放する時が。何としても、この手であの女を捕まえてやる。


 やり返さなければ気がおさまらなかった。奇妙きみょう高揚感こうようかんにつつまれ、相手が凶悪きょうあくな能力者とわかっていても、不思議と死を恐れる気持ちはばえなかった。

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