チーフの過去

     ◇


「くすぶっているのは俺だけじゃないだろ? ケイトだって、レイヴンズヒルを背負しょって立つ魔導士の一人と、昔は言われてたそうじゃないか」

古傷ふるきずをえぐらないでください。きっとそれは、誰かが記憶違いをしているんです」


 初めて耳にする話だ。ここ数年、ケイトは試合に出ても、ものの数分で降参こうさんに追い込まれる状況らしく、魔導士として上を目指めざす気持ちはさらさらないと言っていた。


 現在准士官じゅんしかんである彼女いわく、下士官かしかんに落とされないのが不思議な成績で、〈資料室〉で真面目に働いていることが評価されているとしか思えない、と本人は分析ぶんせきしていた。


「昔のケイトをよく知らないけどさ、その話を何人からか聞いたぞ?」

「……ある時期をさかいに魔法の使い方がわからなくなったんです。それがいつであるかさえわかりません。全てが夢の中の話のようで、本当に夢だったのかもしれません」


「じゃあ、ぞくに言う『転覆てんぷく』した時に何かあったのかもな」

「それはわかりませんけど……、『転覆』した後のような気もします」


 『転覆』前については、パトリックから雲をつかむような話を聞かされただけ。話を掘り下げたい欲求がたちまち胸をつき上げる。しかし、自分の過去に話がおよびかねないので、慎重しんちょうに事を運ばなければ。


 少し間を置いて、「二人は『転覆』前に何をしてたの?」とさり気なくたずねる。


「『転覆』前の記憶は途切とぎれ途切れであやふやです。周りの人達が言うように、魔導士として一線いっせんで活躍していた気もしますが、肝心かんじんな部分が思い出せません」


「俺は結構覚えてるぞ。北東の片田舎かたいなかの生まれなんだけど、『転覆』前はずっとそこにいたよ。ゾンビは全くいなくて、たまに辺境へんきょうの警備にり出されてたな。前線ぜんせんにいたわけじゃないから、人狼じんろうと戦ったことはないけどな」


 『転覆』前はゾンビがいなかっこと、別種族の人狼のことなど耳寄りな話ばかり。歴史研究家とでも名乗れば、他の人にも根掘ねほ葉掘はほり質問できるだろうか。


 この国の人達には、巫女みこに関する記憶がすっぽり抜け落ちているという共通点がある。ケイトの記憶はこれまでの人達と似通にかよっている反面、比較的スコットの記憶ははっきりしている。もしかしたら、巫女と関わりが少なかったからだろうか。


 顔を上げると、待ちわびるような視線を二人から注がれていた。話の自然な流れでは、次は僕の番か。ただ、迂闊うかつに話を作ると、辻褄つじつま合わせに苦労しそうだ。


「その頃から、キツネと一緒に暮らしてたのか?」


 自分には人間よりもキツネが多い僻地へきちの出身という設定がある。スコットはしっかり覚えていてくれたけど、その言い方だと意味合いが変わる気がする。


 ここはごまかすしかない。家族に複雑な事情を抱えている、あるいは暗い過去を背負せおっている雰囲気で、「うん……」と答える。


「……キツネとは打ち解けられるものなんですか?」


 キツネは身近みぢかな動物ではない。人をかすだとか、事実にもとづかない話を植えつけられた記憶しかない。言葉をつまらせていると、思わぬ人物から救いの手が差し伸べられた。


     ◇


「こんなところであぶらを売ってたのか」


 ふいにチーフが姿を見せた。一日中ボーッとしている姿を見慣れているせいか、普通に歩いているだけでも見違みちがえた思いがする。


「誰か一人でいいから持ち場に戻れ」

「新しい仕事が入ったんですか?」


「そういうわけじゃないが、細々こまごまとした仕事がたまに舞い込んでくるんだ。それをマリオン一人に押しつけてる自覚あるか?」


 正論せいろんだけど、チーフが言うと台無だいなしだ。マリオンのことを思いやっているのか、いないの全くわからない。


「……少しぐらいチーフが手伝ってくれてもいいですよ」

「それはダメだ。ここへ入る時、『何もしなくていい』と上から言われたから」

「『何もしなくていい』は『何もするな』と同義どうぎではないのでは……?」


 スコットやケイトの率直そっちょくな反論にもチーフは動じない。理由は知らないけど、だんじて仕事を手伝わないという鉄の意志を持っている。


「ここで何をやってたんだ?」

「ちょっとウォルターに魔法の講義こうぎを」


「君はいきなり序列じょれつつきの士官に勝ったんじゃなかったか?」

「はい、正確には相手の反則負けですけど」


 日頃ひごろから、他人はおろか万物ばんぶつに興味がないといった様子なので、その話を覚えていたのは意外だ。


「だったら、もうお前が教えられる立場じゃないだろ」


 相手が居丈高いたけだかなチーフだろうと、スコットは毅然きぜんと応対する。そのため、二人がにらみ合う光景は珍しくない。けれど、おたがい引きぎわがよいので口論こうろんに発展することはない。


「ウォルターはまだ試合経験が少ないですから」

「そんな状態の彼に、お前は楽々らくらくと先を越されたわけか」


 ところが、今日の二人はかつてない喧嘩腰けんかごし応酬おうしゅうを見せた。


「『風』のみで戦うとかいう、あのしょうもないことはまだやってるのか?」

「しょうもなくないですけど、まだやってますよ」


辺境伯マーグレイヴうわつらをマネしてるだけだと気づかないのか?」

「俺の自由ですよね」


 スコットは怒りをこらえながらも、退く様子は見られない。二人を見守るケイトが目をおよがせ始めた。


「お前、まさか負けた時の言い訳にするために、くだらない意地いじを張っているんじゃないだろうな?」


 つづけに挑発され、スコットは今にもつかみかかりそうな勢い。すぐに二人の間へ割って入れるようスタンバイする。


 ケイトはオロオロと胸の辺りで指いじりを始める。何か言いかけたけど、なかなか言葉にならないようだ。


「ん? 図星ずぼしか?」


 スコットの右腕が小刻こきざみにふるえ出し、右のこぶしに力がこめられた。それを制止せいししようと、僕はスコットの腕にソっと手をかけた。


「オフィスには誰が戻りましょうか!? やっぱり、私ですよね!」


 声を震わせながらも、ケイトが能天気のうてんきな調子で言った


「さあ、チーフも一緒に戻りましょう」


 ケイトが腕を引っ張り、この場からチーフを連れ出そうとする。


「チーフって確か、数年前までは辺境守備隊ボーダーガードでデカい顔をしていたそうじゃないですか」


 チーフがみずから一歩を踏み出すも、その言葉を聞くと足を止めた。


「ウォルターも俺も本気でジェネラルの座を目指しています。同じ〈氷の家系アイスハウス〉だから、チーフは仮想かそうジェネラルとして格好かっこうの特訓相手になると思うんです。ひまを持てあましているなら、未来ある後進こうしんのために一肌ひとはだ脱いでくださいよ」


 これでもかという挑発的言動げんどう。ケイトが口を半開はんびらきにして固まった。その言葉が胸に突きささったのか、失笑しっしょうをもらしたチーフがひとみに怒りを宿らせる。


 初めてチーフの人間らしい一面いちめんを見た。これまでのうつろな視線とは違う。まさしく、一触いっしょく即発そくはつの状態におちいり、しばらく両者のにらみ合いが続いた。


 けれど、それも長く続かず、チーフは気のぬけた普段の顔を取り戻すやいなや、「嫌だよ、面倒くさい」とスコットの怒りをいなすように視線をそらす。


 そして、おもむろに右手の指輪をはずしたチーフが、それをスコットの前に差し出した。指輪には〈氷の家系アイスハウス〉のあかしたる白濁はくだくした宝石が取り付けられている。


「だったら、これやるよ。これでお前が彼の相手になってあげればいい。何なら、試合でも使ってくれ。犬も食わないカッコつけをやめれば、お前もほどを知ることができて一石いっせき二鳥にちょうじゃないか」


「チーフ、指輪は気安きやすくプレゼントするものじゃありませんよ!」


 二人の世界に入り込んでしまい、ケイトの言葉は耳に届いていない。当然ながら、スコットは差し出された指輪に手を伸ばす気配けはいを見せない。


「しょうがない。代わりに、将来有望な君にプレゼントしよう」

「さあ、オフィスに戻りますよ!」


 見るに見兼みかねたケイトにうながされ、チーフは連行されるように立ち去った。スコットがくちびるを固く結んだまま、地面に目を落とす。彼の口からもれたのは「そうだったのかもな……」という意外な言葉だった。


     ◇


 チーフはどうしてこんな、ひねくれた無気力むきりょく人間になったのか。昔からこんな感じなのかと、以前聞いたことがあったけど、その時はケイトに「チーフの過去を詮索せんさくしてはいけません」とはぐらかされた。


 こんな事があったので、ほとぼりが冷めてから、思いきってケイトにもう一度たずねてみた。


「中央広場事件の前に起きた〈樹海〉での戦闘のことを知ってますか? チーフはその唯一ゆいいつの生き残りなんです。応援を呼びに現場を離れたため、なんのがれたらしいです。〈樹海〉で何があったかはよく知りませんけど、チーフが現場に戻った時には、もう部隊は壊滅かいめつ状態だったそうです」


 そうだったのか。自分だけ生き残ったがために、後悔に押しつぶされ、やり切れない思いを抱えたまま、ふさぎ込んだのだろうか。


「〈資料室〉の所属となったのは事件後ですが、最初からあんな感じでした。うわさによると、あれでも昔は女性にだらしないと悪名あくみょうだかい人だったそうですよ」


 それにしても、それほど圧倒的あっとうてきな力を持つ〈侵入者〉達が、五年前からさしたる事件を起こしていないのはなぜだろう。もしかしたら、彼らの魔の手が、もうすぐそこまで忍び寄っているのかもしれない。

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