パスタ会議

     ◇


 僕達は共同生活を始めてから、ほぼ毎日自炊じすいを行っている。調理全般ぜんぱん仕切しきるのはコートニーだ。手際てぎわの良さを見ると、現実のほうで日頃ひごろから料理をしているのかもしれない。


 手に入る食材や調味料ちょうみりょうは少なく、調理道具もかぎられている。現実のメニューを再現するのは簡単なようで簡単でない。


 始めのうちは、ダイアンから教えられた通りに作るのが精一杯せいいっぱいだったけど、最近はアレンジを加える余裕よゆうが出てきて、新たな食材をどんどんと取り入れている。


 基本的にスープを作る。調味料が少ないので、一緒に煮込にこんで味付あじつけするのが手軽てがるだからだ。パンをひたして食べることもできるし、水分を補給ほきゅうできる点が何より大きい。


 なぜなら、安心して飲める飲み水が少ない上に、エールなどの酒類しゅるいかたよっているからだ。牛乳は手に入らない。おそらく、賞味しょうみ期限や輸送の問題がからんでいると思う。


 現実でも水道水は直接飲まないし、井戸水いどみずをガブガブ飲むのは躊躇ちゅうちょがある。沸騰ふっとうさせれば問題ないけど、手間てまをかけるわりには味気あじけない。


 未成年みせいねんの飲酒を制限する法律はないので、ロイはエールをチビチビ飲んでいる。苦味にがみがあるし、酔うことには酔うので、ロイ以外はあまり口をつけない。


「そうだ、到頭とうとうアレが完成したぞ」


 夕食の最中さいちゅうに、ロイが唐突とうとつに切り出した。


「アレって何ですか?」


 ロイは口でなく〈梱包パッケージング〉を使ってそれに答えた。差し出した手を数回開いたり閉じたりした後、手品てじなのように一束ひとたばの乾燥パスタを出現させた。能力を使う際、この動作を毎回見せられるので、僕らは食傷しょくしょう気味だ。


「乾燥パスタですか?」

試行錯誤しこうさくごすえ、ようやくかたちになってきた」


 一週間以上音沙汰がなかったので忘れかけていた。乾燥の作業が一日がかりらしく、おのずと試行錯誤も一日がかりになって、時間がかかったのだろう。他の作業の片手間かたてまというか、放置ほうちした状況でできるのがせめてもの救いだ。


 ロイいわく、保存期間を伸ばすための基本は乾燥・冷凍・密封みっぷうの三つで、後者こうしゃの二つは技術的にハードルが高い。乾燥にこだわっているのはそんな理由だ。


「食べられるんですか?」

「味は保証できないけど、食べられるんじゃないか」


 そんなわけで、夕食の時間を利用してゆでてみた。わざわざ乾燥させたものを、すぐにゆでることほど不毛ふもうな作業はないとはいえ、期待を胸にふくらませて完成を待つ。


 正確に製造方法を再現しただけあって、乾燥した状態も、ゆで上がった状態も、日頃食べているパスタと遜色そんしょくない。


 ためしに一本食べてみる。味付けしていないパスタを食べないので単純比較は難しい。一本一本が短いのと、多少食感しょっかんがおとるくらいで及第点きゅうだいてんだと思う。


 コートニーも「悪くないんじゃない」と同じ感想をいだいたようだ。


 スージーは味がないからか口に入れても無反応むはんのうだったけど、追加で数本手に取ると、自身のスープにそれをひたした。ゆっくりと味をしみ込ませるようにかき混ぜ、スプーンで悪戦苦闘あくせんくとうしながら口へ運ぶ。


 この時代にはまだフォークが存在しないようで、スプーンで食べる物以外は手づかみだ。スージーは数回かみしめてから「スープにひたすとおいしいです」と言った。


「そうか。味付けや食べ方も提案しなければいけないな」

「普通にミートソースとかカルボナーラじゃダメなんですか?」


「簡単に言うが、こっちに来てからトマトを一度も見かけていない。チーズはあっても、日常的にちじょうてき食卓しょくたくに上がる感じではないからな。

 庶民しょみんに手の届く食材でなければ、富裕層ふゆうそうが食べる贅沢品ぜいたくひんになるだけだ。それは何としてもさけたい」


「それなら、ペペロンチーノとかボンゴレとか……」


 スージーが次々つぎつぎと名をあげる。いくつか頭に思い浮かんだけど、自分は参戦さんせんできない。現実の話をしようとすると、ノドがつっかえてしまう。もう周知しゅうちが行き渡ったので、最近は現実の話を振られなくなった。


「ペペロンチーノはニンニクと唐辛子とうがらしか。ボンゴレはアサリが入っているのだっけ?」

「オリーブオイルは手に入るの?」


「オリーブオイルじゃなきゃいけないのか?」

「よく知らないけど、パスタって大体だいたいオリーブオイル使ってない?」


 ロイとコートニーが黙りこくる。自分はオリーブオイルがどんな油なのかすらわからない。スパゲッティを作るだけのことが、こんなに大変なのかと身にしみて感じた。


「たらこスパゲッティはどうですか。あれはすごくシンプルじゃないですか」

「そういう露骨ろこつに日本人向けなのはやめよう。口に合うかもわからないし、たらこが手に入るかどうかもわからない」


 スージーの提案はロイの不評ふひょうを買う。ここにきて、ようやく出番が回ってきた。こっちで聞いた話なので問題なく話せる。


「たらこって、タラの卵だからたらこなんですよね。ベレスフォード卿がタラの豊漁ほうりょう荒稼あらかせぎしてるって、前に言ってませんでした?」

「そういうばそうだったな……。でも、そうだとすると、仮にたらこが調達ちょうたつできてもダメだろう。敵に塩を送る真似まねをしてどうする」


 得意げに披露ひろうしたけど撃沈げきちんされた。もっともです。浅はかな思いつきでした。


「フォークも必要じゃない?」

「そうだな……。どうしてフォークはないんだろうか」


 あるところにはあるのかもしれないけど、フォークは見たことがない。スプーンでは食べられないし、問題は山積やまづみだ。あと、気になったことが一つある。


「ロイ自身が量産りょうさんして、それを販売するつもりなんですか?」

「いや、僕は乾燥パスタ製造機せいぞうきじゃないから。この程度の量を作るのに一日がかりだし現実的ではない」


 それなら、パスタを乾燥させる大がかりな設備せつびを作るのだろうか。それはそれで現実的でない気がする。


「とはいえ、生のパスタを作って、それを乾燥させるだけだから、原理的げんりてきに量を増やしても所要しょよう時間は変わらないか。ただ、質量に比例ひれいして『梱包こんぽう』に時間がかかるし、必要な水や熱量ねつりょう飛躍的ひやくてきに増える。

 好都合こうつごうにも、ここに水と火の製造機がいるから、それらが無料かつ無尽蔵むじんぞうに手に入るけど、その作業に毎日付き合うのは君も億劫おっくうだろ?」


 魔法によって発現はつげんした水は、術者じゅつしゃ発動はつどうをやめればやがて消失しょうしつする。ただ、消える前にロイが『梱包』すると、それを解かない限り、永遠に保持ほじが可能で、作業にも活用できると発見した。


「確かに面倒くさいですけど……、でも、能力を使えば、基本的にったらかしで済むんですよね? その程度のことならやりますよ」


 アシュリーのために何かしたいという気持ちが日に日に大きくなっている。いそがしいというのもあるけど、顔を合わせづらくなっているし。


当面とうめんはそれでかまわないが、ものには限度げんどがある。小麦の需要じゅよう激増げきぞうさせるには、全土ぜんどへパスタを普及させる気概きがいが必要だ。僕らの手だけでそれを実現するのは難しい」


「でも、『忘れやすい人々』の問題があるでしょ」


 コートニーが言った。この国には、一週間以上前の記憶を保持できない人達が多数たすう住んでいる。


「そうか……。製造方法はおろか、調理方法まで忘れ去られたら目も当てられないな。忘れない人達を集めて、レストランを経営したほうがいいだろうか」


 乾燥パスタの前に立ちはだかる壁は予想外に大きい。特段とくだんのアイデアが出ないまま、就寝しゅうしん時間がせまってきた。後片付あとかたづけをして、二階へ上がって寝間着ねまきに着替えた。


 現実のほうは夏休み中だから、以前より夜ふかしになった。ただ、規則きそく正しい生活を送るコートニーに合わせているので、せいぜい一時間くらいだ。


 二階は就寝時以外はあまり上がらない。四人でも悠々ゆうゆうと横になれる巨大ベッドがスペースの大半を占有せんゆうしているし、日用品にちようひんや衣服を入れた物入ものいれが所狭ところせましと床に置かれ、足の踏み場もないからだ。


 いざ寝ようと、コートニーがランプに手をかけた時、ふいにロイが言った。


「明日にでも現実のほうで会わないか? 腰をすえてゆっくりと話し合いたいんだ」

「別にかまいませんよ」

「私も特に用事はありません」


 夏休みさかりの僕とスージーは即答そくとうした。受験生のコートニーはじゅく夏期講習かきこうしゅうがあるため、少し考え込んだ後に「明日は大丈夫かな」と同意した。


「その都度つど調べものができるように、図書館あたりなんかどうだろう」


「ロイとコートニーはアレで忙しいんじゃないですか?」

「受験勉強のことか?」


 ここまで親身しんみになって協力してくれるのはうれしい。けれど、受験生の二人は大事な時期だ。現実の生活にまで影響をおよぼすとなると後ろめたい。


「明日は休みだけど、明後日あさってからは五日続けて塾がある。異世界にかまけていられないが、今からこんをつめていたら、受験当日まで持たないからな」


「こっちにいる時は受験のことをきれいさっぱり忘れられるし、いい気分転換きぶんてんかんになってるのよ。その点ではウォルターに感謝してるの。こっちに参考書さんこうしょを持って来れるようにしてくれたら、何も言うことないんだけどね」


 コートニーが茶目ちゃめたっぷりに微笑ほほえんだ。


「僕も同じ気持ちだ。難点なんてんを一つあげるなら、こっちで新しいことを覚えると、昨日勉強したことを忘れるような気分になることかな」


 何か、怖いくらいにやさしい。二人とも、前からこんなだったっけ。

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