対抗戦・襲撃

ジェネラルの憂鬱

     ◆(三人称)


 天高てんたかくそびえる〈とま〉を左手に見ながら、男はレイヴン城の西棟と東棟をつなぐ渡り廊下を進んでいた。


 顔立かおだちからは聡明そうめいさがうかがえ、身のこなしは気品きひんにあふれている。そして、恵まれた体格の持ち主ながら、穏やかな眼差まなざしからは少しも威圧的いあつてきな面が感じられない。


 男はセドリック・オニールという名前を持っているが、長らくその名で呼ばれていない。周囲からは最強魔導士の称号――ジェネラルと一様いちように呼ばれている。


 その地位ちいにあることが常態化じょうたいかし、親族や友人はおろか、生みの親ですら本当の名を口にするのを控えていた。同僚どうりょうの中には彼の名を忘れた者も多い。


 彼は現状に強い不満を覚えていた。本名で呼ばれないことでは断じてなく、ジェネラルの座にあることが、あたかも自然の摂理せつりのように周囲が受け入れていることに。


 今や、その座を本気で奪う気概きがいを持つ人間は、序列じょれつ二位のクレア・バーンズをのぞいて他になく、彼女ともすでに勝負づけは済んだと自他じた共に認めていた。


 マッチアップされたら運のつき。いつからか、彼はうとまれる存在となり、義務ぎむである年二回の試合(その内の一回は決まってクレア)を淡々たんたんとこなす日々をむなしく送り続けた。


 そんな彼にも、自身と遜色そんしょくない実力の持ち主と見込んだ男が、過去に一人いた。その人物の名は辺境伯マーグレイヴ。実力はジェネラルを凌駕りょうがしているという噂が、たびたび彼の耳に届いていた。


「もしお前に勝ったら、俺をジェネラルにって話がどうしても出てくるだろ。俺は大自然の中でゾンビとたわむれているほうがしょうに合っているんだよ」


「まるで、いつでも俺に勝てるような言いぐさじゃないか」

「昔はかなわないと思った。でも、今はわからない。ただ、勝つ気がないのに勝てる相手だとは思っていない。そんなことしたって、お互いのためにならないだろ?」


 しかし、辺境伯マーグレイヴはたわいのない理由で彼との真剣勝負をさけ続けた。しまいには中央広場事件を引き起こし、大罪人だいざいにんとして国を追われる身となった。彼が夢見た頂上決戦は永遠につゆと消えた。


 彼にしてみれば、辺境伯マーグレイヴの存在は技をみがき続ける動機どうきであり、希望だった。ライバルの喪失そうしつは生きるかてを失ったと言っていいほど重大じゅうだいだった。


 自身の地位をおびやかす人物は未来永劫みらいえいごう現れないかもしれない。悲観的ひかんてきな考えが胸にきざし、進むべき道を見失っていた。


 ところが、二ヶ月間の休暇きゅうか中だった彼の耳に、胸をおどらせる話が飛び込む。公然こうぜんと『ジェネラルの座をねらう』と宣言した新人が定例会合の場に現れた、と。


 さらに、その新人は赤子あかごの手をひねるように士官の一人を試合で退しりぞけたらしい。


「思い上がりもはなはだしい」


 一緒に話に耳を傾けていた親族は鼻で笑った。だが、彼の受け取り方は真逆まぎゃくだった。一筋ひとすじ光明こうみょうを見出した心地ここちとなり、胸の高鳴たかなりがおさえられなかった。即刻そっこくレイヴンズヒルに戻り、その新人と一目ひとめ会いたい。


 そんな欲求にかられたが、休暇の予定がまだ一ヶ月近く残されている。面会の約束もいくつかあった。おいそれと故郷を離れられず、心ここにあらずといった様子で物憂ものうげに日々を過ごした。


 〈樹海〉で魔導士の失踪事件が発生したのはそんな時だった。それにともなって、ユニバーシティより彼に帰還命令が下る。僥倖ぎょうこうとばかりに、勢い込んでレイヴンズヒルに駆け戻った。


 しかし、が悪いことに、その新人がストロングホールドへ出発したと聞かされ、彼はガクリと肩を落とした。


    ◆


 失踪事件が解決してから数日った今日。帰還した例の新人が出仕しゅっししたとの一報いっぽうを受けた。冷静沈着れいせいちんちゃく堅物かたぶつと評されるジェネラルが、わき上がる感情を抑えられず、意気揚々いきようようと〈資料室〉へ足を運んだ。


 私的な用事のため、戸口のそばからこっそり部屋をのぞき込む。けれど、中には見知った顔しかいない。応対に出てきたマリオンにたずねると、新人は資料を届けるために城外へ出ていると知らされた。


 またもや空振からぶりに終わり、意気消沈いきしょうちんと「出直してくる」と答えて、トボトボと引き返した。中庭の回廊かいろうに出る手前で男とすれ違い、相手は〈資料室〉から出てきたジェネラルに軽く頭を下げた。


 初めて見る顔に例の新人という考えがジェネラルの頭をよぎる。けれど、覇気はきのない大人しそうな様子が、頭に思い描いた人物像じんぶつぞうとかけ離れていて、声をかけるタイミングを失った。


 足を止めたジェネラルはウォルターの背中を目で追った。戸口で立ち止まった相手が、中の人間と二言三言ふたことみことかわしてから、ジェネラルのもとへ引き返してきた。


「君が新人のウォルターか?」

「はい」

「セドリック・オニールだ。ジェネラルと名乗ったほうがわかりやすいかな」


 ユニバーシティの頂点に立つ相手を前に、ウォルターがづかないわけがない。パトリックが行った挑発的ちょうはつてきな発言が思い返され、ウォルターは生きた心地がしなかった。


「いろいろと君に関するうわさ小耳こみみにはさんだんだが」

「……どんな話ですか?」


「君が『ジェネラルの座をねらう』と宣言した話とか」

「それは学長が勝手に言ったことで……」

「君は心の中で思っていただけということかな?」


 このままでは泥沼どろぬまにはまると思い、ウォルターが気まずそうに口をつぐむ。ジェネラルの座に興味がないわけではないが、心構こころがまえはできていない。多忙たぼうのため、魔法の鍛錬たんれんもおろそかになっていた。


 相手は挑発に乗るどころか、反対に萎縮いしゅくしていく始末。ジェネラルは期待を裏切られた気分だった。自身に立ち向かってくるような心意気こころいきは感じない。大口おおぐちをたたく人物にも見えない。何かの間違いではないかと疑った。


「まだ君は下士官かしかんだそうだが、士官しかん昇格しょうかくしたくないか?」

「士官に……ですか?」


 ユニバーシティには士官・准士官じゅんしかん・下士官という三つの階級かいきゅうがあり、加盟かめいして間もないウォルターはまだ下士官の身分だ。


 ユニバーシティに所属する魔導士はおよそ二千名。士官の階級にあるのは二百人程度で、決して珍しい存在ではないが、部署ぶしょで役職につく場合は必須ひっすに近い。


野良のら試合とはいえ、君は士官相手に勝利をあげた。それだけで昇格させるのは拙速せっそくだという意見もあったが、つい先日の失踪事件で君は解決に一役ひとやく買った。

 私個人としてはその資格をすでに有していると思う。君が望むというなら、私の専権せんけんで取り計らってもいい」


「士官になると、何か良い事があるんでしょうか?」


 おいしい話には裏がある。ウォルターの経験則けいけんそくが告げた。交換条件を提示されそうな雰囲気を感じ取り、遠回とおまわしに相手の腹を探った。


「もちろんある。君の待遇たいぐう劇的げきてきに向上し、相応そうおうの役職につくことができる。何よりも、胸を張って私への挑戦権を得ることができる」


 ジェネラルが紳士的しんしてきな語り口と不釣ふつり合いの、ギラギラとした好戦的な目つきを見せた。彼の思いは純粋だ。ウォルターが好敵手こうてきしゅとなり、情熱を呼び覚ましてほしいと切望せつぼうしていた。


 闘争心をみなぎらせたジェネラルを前に、当然ウォルターはひるむ。ことなかれ主義で人生を歩んできたウォルターは、根本的こんぽんてきに競争心が欠けていた。


「返答は待ってもらっていいですか? ちょっと学長に相談してみます」

「それはかまわないが……」


 普通の人間なら手放てばなしで飛びついていい話だ。欲がないのか、はたまた自立心じりつしんに欠けるのか。ウォルターへの第一印象は闘争心に欠けた頼りない少年であり、ジェネラルは落胆らくたんの色を隠さなかった。


 そんな時、「ウォルター!」とクレアの陽気な声が中庭に響いた。回廊の反対側から中庭を突っ切って、二人のもとへ元気よく走り寄ってくる。


「ジェネラルじゃないですか。どうしたんですか?」

「彼に少し内緒ないしょの話があってね」


 クレアは二人の顔を交互こうごに見た。


「君は彼とデビッドの試合を見たのかい?」

「私は見ましたよ」


「君の目に、彼はどのように映った?」

「彼は――不思議な技を使いますよ」


 ウォルターへの並々なみなみならぬ関心をジェネラルは隠していない。それを感じ取ったクレアは、わざと好奇心こうきしんをあおるように言った。


 ウォルターが制止の意味を込め、すかさずクレアのそでを引っ張る。先日、空中飛行の事実がクレアに露見ろけんした際、交換条件と引きかえに口外こうがいしない約束をかわしている。


「この間の試合で見せたアレのことを言ってるの」


 ただし、クレアとの約束はあくまで空中飛行に関すること。ウォルターにとってはそれも隠したい事実だが、多数の観衆に目撃された以上、彼女だけ口止めしても意味がない。


「ウォルターには私という先約せんやくがいますから。彼と戦いたいのなら、私の後にしてくださいね」


 クレアがウォルターの腕にさりなく手を回した。本来なら喜ぶべき状況だが、ウォルターはくさりにつながれた気分だった。


 ジェネラルは嫉妬心しっとしんを覚えた。クレアのライバル心は、今までジェネラルただ一人に向けられ、それに少なからず心地よさを感じていたからだ。


「君は彼に勝てると思うかい?」

「もちろん、負ける気はありませんよ。やってみなければわかりませんけどね」


 ジェネラルの中で一旦いったん冷めた熱が息を吹き返す。相手の瞳に闘志の再燃さいねんを見たウォルターは、この国の魔導士は戦いにえているのか、とうんざりする思いだった。

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