烙印

@otaku

第1話

 生後三日で、「天才」という烙印を押された。同世代人口約100万人に対し、「天才」は僅か1000人しか生まれてこない。確率で言うと0.1%だ。

 この国における「天才」の定義、それは知能向上脳外科手術に耐え得る適性を持っているか否かである。検査が終わり「天才」であることが判明すると、まず子に件の脳外科手術を受けさせるか否かの選択肢が親に与えられる。合意した場合、その時点で子は国家のものと見なされて親から引き離されるのだが、勿論拒否をして自らの手で普通に育て上げることも可能だ。だが、ここで拒否という選択をする親は全体の二割程度しかいない。考え得る原因として、手術に合意して子を国に引き渡すと5000万円の補助金が支給されるのだが、これは現在の我が国の平均年収の凡そ25倍である。まあ嫌な言い方をすれば僕は金に目が眩んだ親に売り飛ばされたのだ。しかし恨む気持ちは全くない。大抵の場合、子はまた産もうと思えば産めるのだし、「天才」と国が烙印を押した子を自分達のエゴで凡人に育て上げることに何ら罪悪感を持たない人間は、恐らくこの国ではかなり珍しいはずだ。そして何より僕自身「天才」として充実した人生を歩んできたのだ。両親について文句を一つ、強いて挙げるとするならば、それは「祐一」という如何にも前時代的な名前を僕に付けたことくらいだった。



 食堂で子供たちに混じりうどんを啜っていると、

「よお!」

と僕に話しかける声があった。振り返るとシノハラが立っている。

「久しぶり」

「卒業した後もわざわざここに飯を食べに来る奴なんて知っている限り君くらいだ」

「たまに見かけるけどな。それに、誰が何と言おうと僕はここのふやけたうどんの味が好きなんだ」

「物好きな奴だよ」

 そう言うとシノハラは右手に持ったアイスコーヒーをテーブルに置いて、僕の対面に腰掛けた。ここのコーヒーは泥水のような味わいで有名だ。一口飲むと、彼は大袈裟に顔をしかめた。

「いやあ、君とこうしてここで向かい合っていると何だか酷く懐かしい気分になるね。もうそんな日々を送っていた頃から七年も経つのか」

「研究の調子はどうだい、シノハラ?」

「まあボチボチって感じだよ。……そんなことよりも、聞いたぜ、悩んでるらしいじゃないか」

「悩んでるって?」

「まどろっこしいな、手術を受けるかどうかに決まっているだろう」

「ああ」僕は尋ねる。「君はそのまま此処に残るのかい?」

 勿論、と彼は答えた。

 学園都市の実態はあまり一般には知られていないことだ。僕たちは個別のカリキュラムをこなしながら、大体十二歳までに自分の専門領域を見つけてゆく。何故十二歳なのかというと、十二歳になると寄宿舎を追い出され、都市内に個人の研究室兼家が与えられるからだ。個人の家が与えられると、僕たちはそれぞれアシスタントを雇えるようになり、即ちそこから本格的な研究が行えるようになるのである。

 因みに寄宿舎には六歳になると入れられるのだが、そこで僕たちは将来的に必要となるだろう社会性を否応無しに学ばされる。それまでは乳母(別にその女性の母乳で育てられる訳ではないのだが、慣習的にそう呼ばれている)一人に対し、六人の子が平等に、恐らく一般の赤子と殆ど同じように育てられるのだが、寄宿舎では学年による上下関係が存在し、また基本的には自分のことは自分でこなさなければならない。もし一生を学園都市内で暮らすならば必要のない訓練であるが、国家は建前上はそれを推奨していないため、こうしたシステムが導入されているのだ。

 僕とシノハラは同じ乳母に育てられており、物心つく前からの長い仲であった。彼はどうやら僕が手術を受けて凡人に戻ろうとしているのが気にくわないらしい。

「確かに、二十七で死ぬのは早過ぎるという感情が全く無いわけではないよ。でも、それはあくまでも人間という尺度で考えた場合の話だろう。ニホンザルの平均寿命は25年だ。僕らは『天才』という別の種族だと考えればいいんだよ」

「でも僕の場合、手術を受けた後も幸い研究は続けられるのだし、寧ろそこからが本番ですらあるんだよ。まあ、術後、今までと全く別の思考体系になってしまうことに恐ろしさが無いと言ったら嘘になるけどね」

「凡人は恐ろしいぞ。最近、事あるごとに突っかかってくるハズレのアシスタントを引いてしまってね。適材適所と言うように、考え事は丸っ切り僕に任せてアシスタントは言われたことをただこなしてゆくのが一番合理的だってことは、多分幼児だって理解出来る理念なのに、でも感情というのが理性的な考えを阻害してしまうらしいんだ。本部に言って、直ぐクビにして貰ったけどね」

「僕に言ってくれれば引き取ったのに」

「お茶汲みにでも使うつもりか? バレたら怒られるぞ」

「性処理用に雇ってる奴らと比べたらまだマシさ」

「間違いない」

 あまり長い間、研究室を空けておく訳にはいかないからね、と言ってシノハラは大体10分ほどでさっさと帰って行った。理系は大変そうだなあと思う。でも、現状「天才」の九割以上が理系分野の研究に従事しているのだから、本当は、シノハラは普通で単に僕が暇過ぎるだけなのだ。

 14時5分前に自ら門まで車を走らせると、ナツメくんは既に到着していたみたいで、中には入らずその前で佇んでいた。

「どうしたの? 入構証は渡されているんでしょう」

「先生のお顔を拝見する前に中に入るのは失礼かと思いまして」

「ふーん。よく分からないけど、君の方が年上なんだからそんなに畏まらなくていいのに」

 四年制の大学を卒業していないとアシスタントになれない為、必然的に最短ルートでなれたとしても二十二歳なのだ。民間での研究がすっかり廃れている理系分野と違って、文系でわざわざ外から志願してアシスタントになる人間はかなり珍しく、故に変わり者には違いなかった。

「ナツメくんは何でアシスタントになろうと思ったの?」

「聞いていないんですか?」

「うん、殆どの研究室はアシスタントの個性に興味を示さないからね。不要な情報として勝手に処理されてしまうんだ」

「僕はずっと、『天才』と話してみたかったんです。多分知らないと思いますが、先生たちは、世間ではまるで宇宙人みたいに扱われているんですよ」

「僕の専門分野は古典文学だけど、腐っても人文系の研究者だ。流石にそれくらい知っているよ」

「それは、大変失礼致しました」

「だからそんな畏まらないでくれって。第一、僕はあと二月で凡人に戻る予定だ。でも後任者はちゃんと居るから心配しないで欲しい。十二歳の女の子だけど、問題無いよね?」

「はい!」

 家に到着し、インターホンを押すとヤマダくんがドアを開けてくれた。僕の場合、アシスタントを二人しか雇わない為、彼らをそのまま家の二階に住まわせている。今回前任のハコザキさんが満期になった為、ナツメくんが補充されたのだ。

「こちらはヤマダくん。元々はエネルギー開発系の研究室に居たんだけど、二年前からここで働いて貰ってる」

「よろしくお願いします!」

「こちらこそよろしくお願いします。アズマ先生はもうすぐいなくなっちゃうけど、僕は何事もなければ再来年の頭までいるはずだから」

 ナツメくんに説明を施すヤマダくんの姿を見て、彼も成長したなあと思う。元居た研究室が消滅して以降、誰も引き取り手が居なくて全く専門外のここまでたらい回しにされてきた、謂わば落ちこぼれだったのだ。しかし今の彼は自信に満ちているように見える。おかげで僕は安心して論文執筆に精を出すことが出来た。

 18時頃に作業を切り上げて、夕食を作り始めた。と言っても、ポークソテーと簡単な付け合わせだけなので、そんな手間でもないのだが、ナツメくんは大層驚いてくれた。

「もうヤマダくんから聞いたと思うけど、夕食の支度は当番制だから、明日はナツメくん頼むよ」

「それは全然構わないのですが、何というか、先生も料理されるんですね」

「当たり前だけど、僕だって人間だ。四六時中研究ばっかしている訳にはいかないさ」

「アズマ先生は少し変わっているんだ」

「僕も変わっているし、こんなところに来た君たちも十分変わっている。変人同士仲良くしようじゃないか」

 二人はビールを、未成年の僕はウーロン茶をグラスに注ぎ、乾杯する。この後で彼らには討論して貰う予定なのだが、面白い意見を引き出す為には、却って少し酔っているくらいの方が良い塩梅なのである。

「ナツメくん、『地獄変』はちゃんと読んでくれた?」

「はい」

「今から二人には感想を自由に言い合ってもらうから、よろしくね」

「先生は参加されないんですか?」

「これは知能向上脳外科手術の確立する遥か前に書かれた小説で、従って頭にマイクロチップの埋め込まれた人間の分析などではなく、君たちが読んで率直にどう感じたかが重要なんだよ。……有り体に言ってしまうと、国家は君たちにゼロから何かを作り上げる発想力を求めていないから、学校でやって来た国語のカリキュラムは作者の意図を答えさせるものばかりだったと思うけど、でも本来文学に明確な答えなんてないんだ。『地獄変』が書かれた時代、きっと人間はもっと伸び伸びと生きていたんだろうな」

「アズマ先生がわざわざ僕たちを雇う理由、分かるかい?」ヤマダくんがナツメくんに質問する。

「分からないです。どうやら論文執筆の補助ではないみたいですし……」

「制度上の話をするなら、どんな研究室にも最低二人はアシスタントが割り当てられるようになっているからだ。でも、実際僕のような研究テーマだと一人で進められてしまうんだよ」

「ずばり言うと、先生は僕たちを小説家に仕立て上げようとしているんだ」

「小説家ですか?」

「我が国は斜陽だ。近年、自殺率はうなぎのぼりだけれど、それは皆現状を変える術が分からないからだ。そこで、君たちには人々の発想力を刺激するような面白い小説を書いて欲しい」

 白熱した議論が二時間程続けられた後で、ついにナツメくんの呂律が回らなくなって来たため、会はお開きになった。どうやら彼は下戸だったらしい。僕はアルコールを摂取したらどうなるのだろうか。正直二十歳から先のことはあまり考えないようにして来た。十五になって学園都市を出る選択肢が与えられて以降、それなりに覚悟を決める時間はあったけど、やはり不安なものは不安だ。周りには手術をすると言っておきながら、心の何処かではまだ葛藤している自分がいる。

 脳に埋め込まれたマイクロチップを取り除くことで僕たちは凡人に戻ることが出来る。しかし、時間が経過するにつれて段々チップは身体に馴染んでいってリスクが伴うようになる為、二十歳を過ぎてからの除去手術は禁じられている。一方でチップを埋め込んだままの脳は、ある時期を境に急速に衰え、肉体の寿命の遥か前に壊死してしまう。シノハラが言っていたように、「天才」でいることを選択した研究者たちは、そんな見っともない死に様を晒さないよう慣習的に二十七の誕生日で安楽死を志願するのだ。


 明くる日の早朝、シノハラの研究所をクビになった例の元アシスタントの男が、学園都市の門の前で首を吊って亡くなっているのが見つかった。僕はそれをテレビのニュースで始めて知った。数日後、食堂でうどんを啜っていたらシノハラがこの間よりも幾分やつれた姿で現れた。

「色々大変だったみたいだね」

「全くだよ。ただでさえ時間が足りないというのに、ここ三日、ずうっとメディアの対応に追われていたんだ」

「テレビで散々言われているのを見たよ」

「自分たちが日頃賜っている恩恵も知らないで、こんな時だけ悪者扱いだ。……優秀なアシスタントが二人、都合退職を申し出て来たんだ。どうやら親が報道を間に受けてしまったらしくてね。なあ、僕は自分のしたことは間違っていないと信じているんだ。でもあの時クビにするんじゃなくて、君に引き取って貰っていれば多分こんな事態にはならなかったのだろうな」

「過ぎたことを言っても仕方がないさ」

 ニュースでは連日、男がこれまでどんな人生を歩んで来て、また如何に素晴らしい人間であったかが仔細に報じられていた。彼は幼い頃から学業の成績が極めて優秀で、将来の夢は一貫して科学者であったのだという。非の打ち所の見当たらない学生生活を送ったのち、念願のアシスタントになったのだが、そこで想像を絶する非人道的な仕打ちを受けて、最後には精神に異常をきたしてクビになった。

 背広の胸ポケットに入っていた男の遺書にはたった一言、

「これは復讐です」

とだけ綴られていたらしい。馬鹿げている、と思った。でも、それが果たして本当に復讐という非合理的な行動に対してのみ思ったことなのかは怪しかった。

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