第12話Gカップ超えると数キログラムは余裕であるらしい
父の浮気疑惑から一夜過ぎた。
「はぁい、まことさん。お弁当」
見たこともない喜悦に浸った笑顔で母は、テーブルの父に弁当箱を手渡す。
父は蓋を開け、すぐさま閉じた。母の目が離れた瞬間その顔がひきつる。
「おい、りくと」
聞こえるか聞こえないかの小声で俺の肩を叩く。
「ん、なんだ?」
父は席ごと俺の方に寄った。手で口を覆うようにぼそりと言う。
「弁当を交換してくれ」
訳のわからない要件だった。
戸惑う俺に弁当箱の蓋を半開きまで外して、母の目から隠すようにテーブル下で中を見せてくる。
弁当箱の中身に俺はぎょっとした。誤ってミニトマトを喉を詰まらせそうになった。
「さ、桜でんぷか?」
「桜でんぷはいい。上の文字が困るんだ」
桜でんぷの上に錦糸玉子で『大好き♡』と器用にのせてある。
正直、痛い。
「見てわかっただろ。恥辱の極みだぞ、こんなの。会社に持って広げられるわけないだろう?」
「だからって俺になすりつけるなよ」
気持ちは痛いほどわかるが、要求は受け入れられない。
「そこをなんとか、なありくと?」
「頭を下げたってダメだ。というか俺だってそんな恥ずかしい弁当は嫌だ」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「……食べるしか、ないだろ」
父は深く溜め息を吐く。
「仕方ない、今日は会社のトイレの個室で食べよう」
絶対トイレで食事は美味しくない。気の毒に。
そこで母がキッチンからテーブルに振り向く。父は急いで弁当箱を閉じた。
「りくと、りつなはもう行っちゃったわ。あなた遅刻しちゃうわよ」
指摘されて俺はリビングの掛け時計を見てみる。うん、まだ25分ある。20分で着くから間に合う。
「相変わらず、りくとはルーズね」
「まぁな」
ちょっと誇らしげに振る舞った。
実際は悠々している時間はないのだが。
よく晴れた日曜日、朝起きてリビングに顔を出すと珍しく妹がニットのプルオーバーとトッパーカーディガンとレギンス、と外出用の装いに着飾っていた。
ちょうど今から出掛けるところらしく、テーブルの上のハンドバッグを肩にかける。
一瞬俺と目が合ったが、冷たく逸らされる。
服装が変わっても兄の俺に薄情なところは変わらないらしい。
「おはよ、どこ行くんだ?」
「どこでもいいでしょ、兄さんには関係ないし」
俺のさりげない問いを愛想なく切り捨てて、妹はリビングを出ていった。
そしてすぐに玄関のドアを開け閉めする音がした。
朝食のため俺はテーブルにつき、何かを鼻唄で歌いながらキッチンで動き回る母に尋ねる。
「あいつ、どこに行くのか聞いてるか?」
鼻唄を続けながら答える。
「街の方でお買い物、だって聞いたわ。それがどうかしたの?」
「いや、やけにお洒落してたから気になって。まさか男じゃあるまいな?」
「さぁ、お母さんにはわからないわ。それよりお母さんはまことさんと久しぶりにデートするのよ」
愉悦に浸って緩んだ笑顔で言った。
ああそう、と気もなく適当に返す。
あの一件から輪をかけて母の父への執着、というか好感度? が増した気がする。
「だからお母さんも仕度してくるわ」
母はエプロンを脱ぎながら、意気揚々と自室に向かった。
じゃあ今日、俺一人なのか。
ああ、暇だ。
熱中することもなく時間を浪費している。
動画も見飽きたし、日曜のテレビ番組はニュースばっかだし、ああ暇だ。
時計が夜の七時を打った、なんとなくリビングでコーヒーを淹れて啜った。
うわ苦、砂糖入れるの忘れてた。
苦虫を噛み潰した気分で、入れ忘れた砂糖を入れにソファから立ち上がる。
とその時突然、固定電話の呼び出し音がコールされた。
カップを持ったまま電話に出る。
「はい、井上ですが」
『兄さんだよね?』
「ああ、そうだけど。何か用か?」
妹の声のトーンはいつもより低い。何か深刻そうだ。
『今から……に来れる?』
ん、なんだって?
「どこにだ? 聞こえないぞ」
『近くの公園』
「また、なんで?」
『歩き過ぎて疲れたから、荷物持ち……へへ』
電話口から妹の力ない笑い声を最後に通話は切られた。
なんだよ俺が優しいからって、こき使いやがって__まあ行ってやるか。
街灯に照らされた砂場に妹が倒れている。
歩いて十数分にある遊具が少ない古びて侘しい児童公園に着いて、その光景を目にしすぐに俺は駆け寄った。
わりと華奢な肩を持って抱き上げてやる。
ううう、と苦しそうに呻いた。
「何が……あったんだ?」
「知らない人達に襲われた、みたい」
土と砂で汚れた顔で弱々しく微笑む。その汚れを拭ってやる。
「お気に入りの服が砂まみれになっちゃった……へへへ」
「服の心配なんかすんなよ。痛いところとかは?」
微笑みが途端に歪み、絞るように喋った。
「もう全身……痛かった」
「じゃあ歩けないか?」
ゆっくり首を横に振るが、けどと付け加える。
「歩きたくない、兄さん」
「なんだよ、それ歩けるなら……」
「こういう時くらい、かっこよくなってよ」
甘えるような声で妹は言う。
「どうすれば、いいんだ?」
「わかんないの、家までおんぶしてってこと」
頬を染めて妹は答えた。
俺はおんぶしていいのか、迷った。
「昔、一度だけやってくれたじゃん」
「……ああ、そういえばあったな」
でも小学校の頃のことじゃん。
「いいから早く」
「お、おう。ほら、乗れ」
俺は背中を向けてしゃがんだ。
確かな重みが背中に乗る。高二にもなって恥ずかしい。
「荷物もちゃんと持ってってね」
背負われながら妹は、辺りに落ちた紙袋を指し示す。
「へいへい」
言われるがままそれを拾って、家まで歩く。
「それで何があったんだ?」
「帰ったら話す」
きっぱりはぐらかされた。
おんぶして歩いていると、ふと小学生の頃にもおんぶしてやったことがありありと思い浮かばれる。そう思うと今は__
「重くなったな」
「なにそれ、太ったって言いたいの!」
心の中で呟いたつもりなのだが、口に出ていたらしい。
そういう意味で言ったんじゃないぞ。
「前にお前をおんぶした時のこと思いだしたからさ、その時と比べるとだよ」
「……ま、まぁ重いかもしれないけど、それはあれだから。そう! 胸が大きいから、って変なこと言わせないで!」
太ももの脇を蹴ったくってきた。自分から言って俺に当たるのかよ。
妹を背負ったまま家にたどり着いた。玄関前で下ろしてやり、紙袋を手渡す。
「ありがと、久しぶりにかっこよく見えた」
はにかみを含んで妹は、そう俺に言った。
そして紙袋を受け取った。
妹も恥ずかしいには恥ずかしかったのかな?
俺はすぐに鍵を開けて、俺達は家の中に入った。
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