君の屍をこえて
裳下徹和
第1話 現代 至嶋時積
「私は呪われている」
そう書き置きを残し、
僕は書き置きを見つめたまま、香沙音の部屋で立ち尽くしていた。
ようやく顔を上げることが出来、まわりを見回してみた。部屋の中は、いつも通りに見える。香沙音は几帳面という程でもないが、部屋の中は整理されていた。変わったものと言えば、テーブルの上の書き置きだけだった。
少しずつ停止していた思考が動き始めた。
男と別れる時、こんな形をとる女性がいるだろうか。「好きな人が出来ました」や「あなたとの未来が見えない」とかならわかるが、「私は呪われている」とは、一体どういうことなのか。
香沙音に電話してみた。応答はない。メールも送ってみたが、返信はない。
共通の知り合いはいない。実家の場所は知っているが、行ったことはない。僕と会っていない時間、何をやっているのかも良くわからない。
同棲とはいかないまでも、この家には良く来ていた。どこに何があるかは、何となく把握している。それでも、香沙音のいないところで、パソコンの中身をのぞいたことはなかった。携帯電話の次くらいに、プライバシーが詰まっている物だ。罪悪感に駆られながら、パソコンを立ち上げた。セキュリティはかかっておらず、たやすく中身をのぞけた。
ネットの検索履歴を調べてみると、「自殺」について検索されていた。
画面を見ながら、血が冷たくなっていくのを感じた。
手がかりを探して、部屋の中を動き回った。行先がわかるものはないだろうか。引き出しを開けてみる。公共料金の請求書などが出てきたが、香沙音の行く先がわかるようなものはなかった。名刺の類も見当たらない。
部屋の中を動き回っていると、ごみ箱を蹴り倒してしまった。中から少しの紙屑と一緒に、体温計が転がり出てきた。壊れたのか、間違えて捨てたのかわからないが、香沙音は熱を測ったのだろうか。少し前に胃腸炎で寝込んだ時期があったが、また具合が悪くなったのだろうか。デジタル式で壊れていないなら、前回の計測が見られるはずだ。体温計を拾い上げた。目に近付けて見ても、温度を表示する液晶がない。裏を見てもない。丸い小窓のようなものが付いていて、中に一本線が入っている。これは何なのだろうか。ごみ箱を漁ってみると、この器具の箱と説明書が出てきた。これは妊娠検査薬だ。そして、判定は陽性。
香沙音は妊娠している。思い当たる節はあるが、香沙音は経口避妊薬を服用していたはずだ。
自分の置かれた状況を処理することが出来なかった。とにかく「呪い」という言葉で思い浮かべた者に相談することにした。
友達の
「私は呪われている、という書き置きを残して、香沙音がいなくなった」
僕の切実な相談にも関わらず、呑気な声が返ってきた。
「買い物に行ってきますとか、好きな人が出来ましたとかではないのか。新しいパターンだな」
「勒賢。お前神主だし、イタリアでエクソシストの修行したこともあるのだろう。呪いは得意分野じゃないか」
「バチカンはイタリアじゃない。独立国だ。エクソシストと交流は持ったが、修行はしていない。そして俺は大学で神主になる為の修行中の身だ」
「とにかく香沙音がいなくなって、連絡もつかないのだ。パソコンを見たら、自殺を検索していた。ついでに…、妊娠している…」
「お前が、結婚したくなくて殺して埋めたんじゃないのか?」
「そういうブラックジョークに耐えられる精神状況じゃない。真面目に聞いてくれ」
ふざけ気味だった勒賢の顔つきが申し訳なさそうなものに変わった。一言詫びを入れてから語り出した。
「そりゃまあ、我が家は代々神主だから、頼まれれば開運、厄除けとかの祈祷はする。こう見えても、うちの神社は、東京神社御利益ランキングで十位に入ったことがある」
そんなものあるのか。
「だが、呪われたとか憑りつかれたとか言っている人は、何らかの病気を患っている人が多いのだ。そういう場合は、病院に行ってもらう」
「現実的だな」
「人の弱みにつけ込んで金儲けする気はない」
勒賢に相談すれば、何らかの糸口がつかめるかと思ったが、それも無理そうだ。
「とにかく香沙音さんに会うのが先決だろう。どこか思い当たる場所はないのか」
香沙音は、謎が多い女だった。友達の存在もわからないし、僕と同い年だが、中学を卒業すると、いつの間にか一人暮らしを始めていた。高校には入学したようだが、通っていたのかも卒業したのかもわからない。隠れた部分を垣間見ようとすることもなく、今まで来てしまった。
悩んでいても埒が明きそうにないので、僕らは香沙音の実家に行くことにした。
僕は勒賢と一緒に、香沙音の実家と思われる場所に向かった。
香沙音と初めて会った時、世田谷にある実家の前まで来たのだった。うろ覚えの記憶をたぐり寄せ、どうにかたどり着いた。
その家は、閑静な高級住宅街にたたずんでいた。少し古くなっているが、それなりに大きい洋風の建物だった。
表札には
緊張しつつ呼び鈴を押した。インターホン越しに聞こえた声は、年配の女性のものだった。最初は突然の訪問で怪しまれていたが、玄関まで出てきてくれ、最後は家に上げてくれた。
出てきてくれた年配の女性は、香沙音のお祖母さんだった。家の中にはお祖父さんもいた。
勒賢と共に居間に通され、紅茶とお菓子が出された。
二人は、香沙音の父方の祖父母は、上品で穏やかそうな印象を受けた。
僕は、あらためて自己紹介をし、香沙音と交際していたこと、そして、書き置きを残して香沙音が消えたことを伝えた。香沙音が妊娠していると思われることは、告げられなかった。
香沙音が残した書き置きを見せると、二人とも悲し気な眼差しを紙に落としていた。
紙から目を上げたお祖父さんが、ゆっくりと口を開いた。
「
ある程度、予想していた言葉が出てきた。
「それは、どのような病気なのですか?」
二人は顔を見合わせた。話して良いものか悩んでいるようだ。
今度は、お祖母さんが口を開いた。
「その病気は、見た目が変わってしまいますし、心も変わってしまいます。いや、
人の心はほぼ無くなってしまいます。目は血走って、肌は青白くなり、血管が浮き出て、本当の怪物のようになってしまいます。信じられないでしょうが、香沙音の母親は、本当にそんな状態になり、苦しんで死にました」
にわかには信じ難い話だ。しかし、お祖母さんが嘘を言っているようには見えなかった。
「現代医学でも、原因がわからない病気、治療法がない病気は、まだまだたくさんあるそうです。香沙音の病気も、その中の一つなのだと思います。ただ、呪いという言葉を使った、香沙音の気持ちもわからなくはありませんが…」
勒賢と顔を見合わせた。何か考えている目をしていた。
「香沙音さんの病気は、何代も前から続いているのですか?」
「はい。私達が直接会ったのは、香沙音の母親の初奈さんだけですが、言い伝えによると、江戸時代から続いているようです。残念ながら江戸時代の記録は残っていませんが、明治時代に書かれた、手記のようなものは残っています。見てみますか」
「是非」
お祖父さんが、応接間から出ていき、お祖母さんは我々に紅茶とお菓子を勧めた。
カップを手に取り、紅茶を口に運んだ。高級そうな味と香りだったが、美味しさは感じられず、ただ喉を過ぎていった。
お祖父さんが、手に木の箱を持って戻ってきた。テーブルの上に箱を置き、蓋を開けた。中からは、紐で綴られた和紙の束が出てきた。これが、明治時代に書かれた手記なのだ。
勒賢は興味津々だったが、僕が先に手を伸ばした。これが、香沙音の行方につながるかもしれない。
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