7-17:Guardians of Thornsー薔薇の守護者ー

「やっと起きたか。飢え死にしちまうかと思ったぜ」


 やたらと体が重くて怠い。目を開くと、クソガキフィルが疲れたような表情を浮かべながら腰を屈めて俺の顔を覗き込んでいた。

 ぬめぬめとした感触がする床に体が縫い付けられていると錯覚するような倦怠感の中、なんとか今の状況を整理する。

 こいつが言っていることは、いつもの軽口ではないらしいなと気が付き、俺はローブの内側に鶴革の袋コルボルドがあるのを確認してフィルに声をかけた。


「食料なら俺の腰に括り付けてある革袋の中にある。それを食ったら、今どうなってるか話せ」


「いやっほう! 外に出るまで飯にはありつけねえと思ってたぜ」


 体の下にあるぬめぬめは透明な何からしい。何かが動く感触と共に地面の一部が不自然にぐにゃりと歪むのが見える。

 あたりを取り囲んでいる赤黒い肉壁は、ところどころから太い茨のツルが突き出ていた。

 見覚えのない不思議な空間の一部は、粘獣スライムが動いたときの後ろの景色のように蠢き、俺の周りにいる何かが細い触手を一本作り出したようだった。


「ああ、これはフィルの姉……か」


 思わず声を漏らしたが、フィルには聞こえていなかったようだ。

 粘獣スライムに酷似した姿になり果てたフィルの姉……ラクスだったものは、妖精の呪いによって肉体を失った。

 変異した直後に切り離された自我の残滓が、こうしてフィルと共に現世に留まっているという変わった存在。

 ごそごそと俺の腰に括り付けてある鶴革の袋コルボルドを触手で漁った粘獣ラクスは、一欠片の白パンと干し肉を取りだしてフィルの元まで運んでいった。

 取りだした食料をフィルに届けるためか、大きく風景が歪み、粘獣ラクスが穴を開けたと知る。その瞬間、俺の体から僅かに魔力が抜けて行く感覚がして、ぞわぞわと左手首下を蝕んでいた獣の呪いが肘上まで浸食を深めた。

 なるほど……こいつが俺を包んでいないと、魔力を奪われるってわけか。


「はあ、助かった。んじゃあ、あんたが糸紡の月冬のはじまりから黎明の月春のはじまりまでのんびり寝てた間に何があったか話してやるよ」


 口元を腕で雑に拭ったフィルは、満足そうに腹をさすると、近くにある木の瘤に腰掛けた。

 ゆったりとした枯れた茅に似た色くすんだ橙色胴衣チュニックに、厚手の布地で作られた丈夫そうな濃い茶色の脚衣を身に付けたフィルは、腰にぶら下げた剣の柄に手を乗せる。右腕に嵌めたエラン

の葉で編まれたブレスレットが軽く揺れるのを見ながら、俺はフィルから話を聞くことにした。

 といっても、話すのはこいつだ。話の順番はめちゃくちゃだし、要領を得ない。情報はほとんど無に近かった。

 ミエドは逃げ、カガチはジュジの一撃の下粉々に砕けたが多分死んでいないこと、それとセーロスが忙しいということはなんとか聞き取れた。


「あたしもシャンテもなーんにも聞かされてねえんだよ。まあ、だからムカついてあいつシャンテ学院カレッジを抜け出してあんた起こしに来たんだけどな」


「……その無謀さに今だけは感謝するよ」


 つまり俺が目覚めたってことを誰も知らないというわけか。

 頭の痛くなるような話だが、目覚められただけでもいいとしよう。実際、こいつがいなければ、俺はあの甘く幸せな夢から抜け出せなかった。

 立ち上がって伸びをしたフィルを、座ったまま見上げる。魔力を奪われないからか、少しずつ体は楽になってきているが、まだ十分動けるまで回復したとは言い難い。

 しかし、ジュジが触れた人間の魔力を吸い取ってしまうならば、なんでこいつは粘獣ラクスに包まれていなくても平気なんだ?


「ジュジが薔薇の樹木精霊ドライアドに酷似した姿へ変異して、俺を取り込んだってのと……お前の姉がジュジからの干渉を遮断するってのはわかったが……お前は姉に包まれて無いだろ?」


 無駄だとわかりながらも、一応問い掛けてみる。


「ああ、それは……多分この腕輪アミュレットのお陰だよ。ジュジが編んだコレを付けてるとジュジから魔力を吸われないんだ」


 フィルはそういうと、腕にはめているエランの葉で編まれたブレスレットを見せてきた。

 細いが筋肉のしっかりついてきたフィルの腕にはめられたままのそれを手に取ってよく見てみる。

 綺麗な格子状の編み目のブレスレットは、脱色された葉と淡い水色で染めた葉で幾何学的な模様が描かれていた。


原初の呪文ルーン文字で茨……か。こいつを俺に使えなかったのか?」


 薔薇の巨木になったというジュジを思い浮かべて思わず苦笑が込み上げてくる。

 恐らく、彼女が樹木精霊ドライアドのようなものに変異したときに、これが精霊の加護を受けた強力な護符アミュレットにでも変異したのだろう。

 妖精や精霊という者の奮う力がどれだけでたらめかということを改めて思い知る。


「えーと……たしか、これはジュジから受け取った本人が付けないとダメだったって聞いた。学院カレッジの職員から腕輪アミュレットを回収したけど、装備した兵士達が東の森ここに来た途端に軒並み動けなくなったんだってさ」


「……まあ、俺をここで眠らせておく利点はない。不可能だったと考えるのが妥当か」


 ヘニオなら利点さえあれば俺を眠らせたまま閉じ込めておくことくらいしそうだが、セーロスが忙しく動き回る事態になっているということは、俺の力も必要だと考えた方がいいだろう。

 ぼそりと呟いたつもりだったが、フィルは俺の言葉を聞いていたらしい。 


「なんだよ! 疑ってたのかよ」


「現状把握をしているだけだ。で、ジュジを傷つけてでも俺を助けるってやつはいなかったのか?」


 舌打ちをしながら、怪訝な表情を浮かべるフィルを適当にいなして話の続きを促した。


「それが……これを付けてるとジュジを傷つけるようなことをしたくなくなるんだよ。あたしも無理だったし。それにジュジの木や茨は刃物で切っても炎で燃やしてもすぐに生えてくるから、ここら一帯は立ち入り禁止にされたまんまだ」


 俺の質問に、唇を突き出して少し拗ねたような表情で回答したフィルは、そう言い終わると腕輪を指で撫でる。


白髪セーロスがあんたを助けようとしたらしいけど、どうしても無理だったってさ」


「すごい威力だな、その護符アミュレットの力は」


「だろ? 大人達が毎日毎日あんたをどう助けるかって部屋にこもって話してる中、あたしとシャンテがやってやったってわけ! あーあ、あいつらがどんな面をするか楽しみだなー」


 胸を張りながら腰に両手を当てるフィルは、得意げな表情をしながら横たわっている俺を見下みおろした。

 少し楽になってきた俺は、上半身を持ち上げながら、大切なことをフィルに伝える。

 恐らく、本当に何も考えずに話に混ぜて貰えなくてムカついたとか、友人たちが驚く顔が見たいとか、大人……まあ、ジェミトだろうが。あいつに褒められたいみたいな単純な理由でシャンテと連れ立ってここまで来たんだろう。


「……お前、その粘獣のことがバレたらヤバいってわかってるか?」


「あ……」


「ばぁーか。あいつらが無理に手を出してくる可能性は低いが、一応、その粘獣お前の姉さんのことは魔法院のやつらには黙っておけよ」


「そうだった! クッソ……あいつらに自慢できると思ったんだけどなー」


 目を見開いてから舌打ちをしたフィルは、そういうなり立ち上がり、自分が座っていた瘤を蹴った。

 相変わらず、行儀も足癖も悪い。とはいえ、こいつがいなければ目覚めていないのは確かだ。

 制御不能の精霊もどきと俺ならば、前者を犠牲にして俺だけどうにか取り戻そうという選択を魔法院が取ってもおかしくない。

 繋縛ミイロの書に「俺たちを傷つけない」とあった気はするが、それは樹木精霊ドライアドもどきになったジュジにも適用されるかはわからない。新しい体を用意したヘニオが、自分の体を犠牲にして強硬策に出る可能性も考えると、こいつの軽率さは思った以上に良い結果を生んだとも言える。


「……バカの浅慮でも、お前らに助けられたのは事実だ。ジュジをなんとかしたあとになんでも好きなものを買ってやるよ」


「褒めてねーだろ! まあ、なんか買ってくれるならいいけどよぉ」


 げんきんなもので、少しだけ不満そうだったフィルはパッと表情を輝かせると犬歯を見せながらニカッと笑う。

 こいつのわかりやすい部分は嫌いではない。


「んじゃあ、動けそうならさっさとここから出ようぜ」


 緩慢な動作で立ち上がる俺を見たフィルは、背筋をゆっくりと伸ばし、体を左右に捻って準備運動のようなことをしている。その背後に、ゆらりとこちらに向かってくる影が見えた。


「魔力を奪うのは阻害できても、俺が目覚めたことには気が付いたみたいだぜ?」


 フィルの腰にぶら下がっている剣を掴んで、こちらに向かって伸びてきた何かを切り付ける。俺の体を包んでいる粘獣ラクスが剣を包み込み、薄く伸びるといつもより軽い力しか込めていないにも拘わらず、大人の胴くらいはありそうな太さの植物のツルが地面に落ちた。

 鋭利な切り口からは、元の太さよりも一回りほど細いツルがもう生え始めている。

 どうやら、このツルは俺だけを狙ってくるらしい。フィルを迂回するような動きをしながら俺の方へゆっくりとツルを伸ばしてくる。


「足下がいきなり崩れて飲み込まれるみたいなことがないのは助かるが……」


 粘獣ラクスは、ある程度俺の意図をくみ取って動いてくれるらしいが……僅かに魔力を持って行かれる。

 普段なら問題はない範囲だが……今は動けなくなる寸前まで魔力が枯渇している。こちら側に伸びてきたツルの何本かを更に切り落として、息が上がる。

 なんとかならないか……そう思っているとフィルが俺の腕を掴んで走り出した。


「ここにいたらヤバそうってのはわかった」


 ツルと木の根が絡み合っている狭い道を通り抜けると、円形の空間へ出る。

 捌きたての鶏肉に似た色の壁からは、太さが様々なツルがところどころから飛び出すように生えていた。まるで生きているように壁は脈打ち、それに呼応するように中央にそびえ立っている緑光を発している柱が瞬いている。


「もっとヤバそうな場所に来たな」


「あっれ? あたし、こんなところ通ってねえぞ」


 髪をくしゃくしゃと乱暴に掻いたフィルがそういうのと同時に、背後に開いていた穴のような入り口が閉じて壁と同化する。

 持ったままでいたフィルの剣を構えながら、俺は辺りを警戒するために通路の中央へとゆっくり歩を進めた。


「へ? なんだあれ」


 急に聞こえた声に内心驚きながら、俺はフィルの方を振り向いた。

 天井部分を指差しながら目を大きく見開いているので、視線をそちらへ向けると大人一人は入れそうな大きさの蕾が徐々に柱に沿って下りてくる。

 固く閉じている蕾の下部には棘の生えた太いツルが伸びていて、それが天井に繋がっているようだ。

 剣を構える。先ほどの話や、ツルの動きを見た限り、攻撃されるのは俺だけだろうからフィルのことを守らなくて良さそうなのは気が楽だ。


「時を刻まぬヒトの子よ、何故甘き夢に身を任せない? お前は混ざり物の姫この子の番であろう?」


 蕾がゆっくりと開くと、赤みを帯びたピンク色の薔薇が花咲く。甘い芳香と共に花の中央に腰上だけ生えた褐色の肌をした少女がこちらを見ながらそう言った。

 ジュジによく似た顔立ちをしているが、彼女と明確に違うのは髪だ。髪の代わりに頭部から生い茂る深緑の茨は、まるで蛇のように蠢いている。

 妖艶な微笑みを浮かべた彼女の体に蕾の付け根から伸びたツルが絡みつき、コルセットのように体を締め付けていく。


「我は混ざり物の姫ジュジを守る為の防衛機構と言ったところだ。守護者デウンとでも呼ぶと良い」


 茨と薔薇のドレスを身に纏ったような姿になった少女は、何も答えない俺を見てなにやら嬉しそうに目を細めた。

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