7-16:I don't want to, but I'm ー気が進まないけれどー

「あ、あの……私、きっと素敵な大人になりますから。あなたの隣に立って一緒に戦えるような立派な魔法使いに」


 薄い唇の両端を持ち上げて、少し困ったように笑う彼女は紛れもない本物か……精巧な偽物か……。


「イガーサみたいに……か?」


「え」


 きょとんとした表情でジュジが固まる。

 左腕に先ほど感じた、ぞわぞわとした不快感が込み上がってくる。彼女の手首を掴んだままの俺の左手は、指先から這い回るように広がった金色の毛皮で覆われ、丸まっていた爪は漆黒の鉤爪へと変異していた。


「か、カティーア」


「……」


 怯えた表情を浮かべた少女は僅かに身を捩る。伸びた爪で彼女の皮膚を傷つけないように少しだけ力を弱めながら、俺は彼女から魔力を奪おうとした。

 けれど、ばちりと若苗色の光が弾けて彼女から魔力が流れてくることはない。


「――っ!」


「きゃ……ご、ごめんなさい」


 上半身を仰け反らせた俺を見た彼女は、目を丸く見開いた。それから、大慌てで頭を下げて謝る。


「大丈夫だ」


 オロオロとした表情で俺を見上げるジュジの髪を撫でながら、そう声をかけて笑いかけてやると、彼女はほっとしたように指を組んだ手を自分の胸に置い。


 「よかった」


 力の抜けたような声を漏らした彼女を見て、ふと気が付いたことがある。

 魔力をジュジから受け取ることは出来なかったが、直前に弾けた光からはジュジの気配がした。おそらく、目の前にいるのは紛れもなくジュジ本人なのだろう。

 何度も体を重ねて、何度も魔力をやりとりした俺が間違えるはずがない。

 理由も方法もわからないが、どうやら彼女は幼い姿になっているらしいし、自分の記憶も俺の記憶もまとめて改竄していたらしい。


「あの……カティーア? どうしたんです?」


「俺の呪いと、俺の罪を……思い出したんだよ」


 ゆっくりと息を吐く。甘い夢に浸っていた自分を体の中から追い出すように。それから、俺は彼女の手首から手を離した。

 まだ少し怯えた表情を浮かべているジュジを、膝の上に抱き上げる。

 少しだけ体が強ばっている幼い彼女の体を、俺は背中から抱きしめながら小さな肩に自分の顎をそっと乗せた。 

 

「なあ、ジュジ、きっとこれは夢だ。いい子だから目を覚まそう」


 きょとんとしているジュジの耳元で呟くと、彼女は大きく頭を横に振ってイヤイヤと身を捩る。


「ちがうもん。私は、カティーアに育てて貰うんです! それで……私が大人になったらお嫁さんにしてくれるって約束したから」


 取り乱すジュジとは逆に、自分の記憶は段々と明確クリアになっていく。

 確か、魔法院で騒ぎを起こしたミエドが、東に進んだ先の森へ逃げた。

 罠だとわかっていたが、駆けつけた俺たちの隙を突いて、ミエドに何かをされたジュジがうずくまった。動けない彼女の近くにカガチが姿を現して……そこからの記憶は曖昧だ。


「そんな約束を、俺はしてないよ」


 甘くて優しい空間に止まりたい気持ちを抑えながら、俺はジュジを怖がらせないように、穏やかな口調で話しかける。

 ここに留まれば、恐らく俺たちは平気だ。だが外にいるジェミトやシャンテ、フィルたちは無事では済まないだろう。


「やだやだ!」


 首を大きく左右に振ると、彼女の後頭部でまとめられた一房の黒髪が馬の尻尾のように元気よく跳ねた。

 こうやって駄々を捏ねるのも、わかりやすく不服そうな表情を浮かべることもジュジはしなかったから、こういう姿を見られるのは悪くは無いんだが……な。

 溜め息を一つ吐いて、俺は彼女の頭に手を伸ばした。


「わかった。じゃあ、別のお話をしよう」


 四肢を大きく動かすジュジをなだめるように、頭をそうっと撫でる。


「お話?」


「そうだ。大切なお話だよ」


 少し落ち着きを取り戻したジュジと目を合わせて、俺はゆっくりと微笑んで彼女をもう一度背中から抱きしめた。そして、頬をそっとくっつけながらなるべく柔らかい声で彼女に話しかける。

 

「俺の知ってるお前はね、俺が情けなダサくても、醜くても、呪いに負けそうになっていても俺から離れない頑固で困ったやつなんだ」


「あなたが情けなダサかったことなんて一度も……」


「しぃ……。今は俺が話す順番だよ」


 大きく頭を動かして、こちらを振り向こうとしたジュジの頭に手を当てて、前を向かせながら俺は話を続けた。


「俺の知っているジュジって子はさ、俺よりもずっとずっと強いんだよ」


 彼女と出会った日から今まであったことを思い出しながら、目の前にいる小さな背中を抱く手に力を込める。


「そんなことないよ! だってあなたは英雄で……」


「そんなことある。だって、お前はその英雄を助ける天才なんだから」


 体を大きく捩ってこちらを見たジュジを今度は止めないで、頬を両手で挟んで笑いかける。

 幼い体に精神が引っ張られているからか、いつもよりも表情が豊かな彼女はめずらしく眉をつり上げて頬を赤らめて怒りや納得がいかないというような気持ちを露わにしていた。

 普段は手が掛かりすぎない分、少しくらいワガママも聞いてやりたいんだがな。今、言うことを聞けばお前は多分人では無い者そっち側へ近付いてしまうだろうから。


「ここでお前の子供時代をゆっくりと眺めたいというのは、抗いがたい魅力だが……それに甘んじると、せっかく出来たお前の大切な友人おともだちを失わせちまう」


 彼女の軽い体を抱き上げて、向かい合うように座らせ直す。

 それから、薄いジュジの体を正面から抱きしめた。


「おとも……だち? 私に?」


 首を傾げる彼女の動きに合わせて、綺麗な黒髪がサラサラと音を立てて俺の手の甲を撫でるように流れていく。

 少し落ち着いて、こちらの話に耳を傾け始めたジュジの頬をもう一度そっと撫でて、俺は話を続けることにした。


「ああ、俺だけじゃない。あいつらはきっと、お前を待ってる」


 ジュジは僅かに眉間に皺をよせながら、目を伏せる。

 春の柔らかな日差しが彼女の頬に影を落とす様子を見ていると、ゆっくりと彼女が顔を上げた。

 瞬きを何度かしたまま、俺の顔を見つめていた彼女が小さく口を開く。


「……わかりました」


 少し大人びた声だなと思った。聞き慣れた響きの声色が、幼い見た目の彼女から聞こえているのでなんだか不思議な気持ちになりながら、俺は彼女の言葉に耳を傾ける。


「カティーアが、そこまで言うのなら、きっと今の私は、いつもと違う……のでしょう」


 顎に手を当てたジュジは、困ったような表情を浮かべて、俺の服をキュッと小さな手で掴んで問い掛けてくる。


「どうすれば、元に戻れるのでしょうか」


 外から吹き込んでくる春の陽気と、柔らかな薔薇の香りが俺たちの周りに漂っていていて心地よい。

 こんな心地よい空間から出なくてもいいのではないか? そう思いそうになる自分を抑えて、俺はジュジの両手を自分の両手で包むようにしながら、胸元まで持ち上げた。


「そうだな……。目を閉じてごらん。それから、元に戻りたい自分に言い聞かせるんだ」


 色々と碌でもない目には遭ってきたが、正確な解決法なんざわからない。

 だが、今のこいつが夢を見ている状態に近いなら……きっと自分に言い聞かせてこの空間の制御を取り戻せばいいはずだ。


「わかった。やってみる」


 にっこりと笑った彼女の表情は、幼いけれど俺が見慣れているジュジそのものの表情だった。

 目を閉じた彼女の額と自分の額をくっつけて、指を絡み合わせながら繋ぐ。

 ジュジが息を深く吸うと、深緑色の光が足下からあふれ出して辺りを包んだ。

 光と共に吹き上げてきた風に、黒くて長い髪を靡かせたジュジの体がゆっくりと浮かされていく。


「……カティーア、ごめんなさい……私」


 目を開いたジュジは、眉尻を下げて、眉間に皺を寄せてこちらを見ていた。


「謝るな。お前は十分すぎるくらいよくやったよ」


 空中に浮かんだ彼女を抱き寄せようとしたが、彼女は首をゆっくりと横に振ってから、ベッドの対面にある壁を指差す。


「私、また、すぐ寝ちゃうと思うんです……だから、早くここから……」


 壁には、緑と黒の顔料を混ぜている途中のような渦が浮かび上がっていた。


「ああ、わかった。後でな」


 後ろ髪を引かれる思いで、その渦の中へ足を入れて彼女がいた方を振り向く。

 しっかりと頷いたジュジの姿が徐々に歪んでいって、俺の体は渦の内側へ引きずり込まれていく。

 体も意識も重くなって落ちていくような感覚に包まれながら、俺は一度意識を手放すことにした。

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