7-13:A Vow We Made Togetherー誓いを交わすー

「……ジュジ」


 目を開くと、穏やかな表情のカティーアが見えた。私が横たわっている寝具のすぐそばに座って待っていてくれたみたい。

 その横には、先ほど見かけた剣のように鋭い銀色をした髪の女性が佇んでいた。

 瞳孔との境目がわからないほどの黒い瞳は光を全て吸い込んでしまいそうなほど暗い。

 無表情のまま、唇を僅かながら動かした彼女は何か話していたらしい。カティーアを自分の顔を見て頷いたのを確認すると、静かに部屋から出て行った。

 揺れる髪から覗く彼女の耳は尖っていた。

 私の知っている耳長族の人達とは随分ちがった雰囲気だったので、少し驚いて彼女の後ろ姿を見続けていると、頬に温かい感触がする。

 無意識に首を傾げていた私の顔を、カティーアが右手で触れていた。


「あれは手錠マニカエの一人、フネラルだ。お前の腕を調べるのを手伝ってくれた」


「彼女は……なんて言ってたんです?」


「ああ、あいつの言葉は聞き取りにくいから、お前には聞こえなかったか」


 少しだけ体がふわふわと浮遊感に包まれている。

 薬なのか魔法なのかはわからないけれど、ここで眠ると普通に目が醒めたときとは違って、まだ夢の中に半分いるみたいで、なんとなく苦手だった。

 徐々に上体を起こした私の手を取って軽く引いてもらって立ち上がる。


「大したことじゃないさ。さ、検査の結果は出てる。一緒に聞きに行こう」


 私が頷くと、彼はゆっくりと歩き出す。

 白い塔の上層部……魔法の研究が行われているこの場所は、灰色のローブを着た魔法使いか、白鎧の兵士でも一部の人しか入れないとカティーアは説明してくれた。

 一面真っ白の無機質な空間は、足音がやけに響く。

 床のせいだけじゃなくて、ここがすごく静かで他の部屋からの声も音もほとんど漏れてこないからっていうのもあると思う。

 各部屋の出口には、特殊な暗号が組み込まれた魔石がないと通れない障壁が張ってあったりするから、ヘニオさんと初めて顔を合わせた場所よりも警備が厳しいのかもしれない。

 少しだけ歩いた先の扉でカティーアが足を止めた。

 一角馬ユニコーンの頭を模したドアノッカーの取っ手には、菱形にくぼんでいる。ちょうど小指の先端ほどの大きさだ。

 カティーアは手に持っていた小さな白い魔石を、そのくぼみへそっと当てる。


Εγκριση承認


 魔石を手にしていた彼の手元が白く光ると、頭上から抑揚のない声が聞こえた。

 両開きの扉がひとりでに開いて、ヘニオさんが長机の奥で長椅子に腰掛けて何か書類を読んでいるようだ。

 私たちの足音が聞こえたからか、彼女はゆっくりと視線を上げてこちらへ顔を向ける。


「座ってちょうだい」


 私たちが、彼女と向かい合うような位置に並んで座ると、ヘニオさんはカティーアに親指ほどの大きさの魔石を差し出した。

 透き通っている空色の魔石は、カティーアが手を当てると中心部が僅かに光を帯びる。


「……」


 眉を顰めたカティーアを見て、ヘニオさんは長机の上に置いている両手の指を組んで小さく溜息を吐いた。


「総力を挙げて調査をするんじゃなかったか?」


繋縛ミイロの書による誓約は守られているわ。魔法院私たちは全力を尽くしている」


 ちらりと私の方へ視線を向けてから、ヘニオさんは再びカティーアを真っ直ぐ見つめる。

 未だに、私は、彼女からの冷たい視線に慣れなくてなんだか居心地が悪くなりながら、二人の話に耳を傾けた。


「……アルカの娘、彼女は規格外なのよ。原因はこちらにはわからないけれど、の住人に近い性質を持ち始めているわ。それは……その左腕に刻まれた呪印とは全く無関係だということだけはわかったのだけれど」


に近い性質……と聞いて、ドキリとする。

 時々勝手に出てしまう知らない言葉、考えるよりも先に出る魔法。

 知らないのに、知っている。私がどうすべきか導く声がある。

 それは、私ではないし、セルセラでもないどこかからの声。

 薄々わかっていたけれど、改めて言われてしまうと不安が胸を焦がす。何も言えないまま俯いて、ローブの裾を握る手に力を込める。


「この呪印が外傷ならば、あなたのいう通り治癒師フネラルにも治せたのでしょう。けれど、その呪印がアルカの娘に痛みや不調を与えているわけでもない……治癒師フネラルの力はそれを外傷だと判断しなかった」


 カティーアが苛ついたように指で机を叩いた。

 彼が何か言おうとするのを遮って、ヘニオさんは再び口を開く。


「こちらは、最大限あなたに協力している。それは、その魔石を通じて与えた情報でわかるはずでしょう? この場で、魔石それに入れた情報を話しても繋縛ミイロの契約を破ったことにはならないのよ」


「……わかったよ。悪かった」


 ああ、また……私は置いてきぼりにされてしまっているのかと胸の奥に、どろりとした感情が湧き上がる。

 ちゃんと彼なりに話す機会や状態を見極めたいのもわかってる。でも、どうしても私は色々な人と自分が違うんだと知ってしまっている。

 私がセルセラみたいに彼とずっといれば、彼は全部話してくれたんだろうとか、私がイガーサさんみたいに頼もしければ、あの時ちゃんと霜の小人ジャックフロストを倒せていたんだとか。


――呪われて彼と同じになれたと思ったのにね


 そうじゃない。

 同じになれたなんて思ってない。ただ……ただ自分が無力なことが情けないだけだった。

 彼を助ける天才だと、彼が言ってくれたことを自分で自分に言い聞かせて、必死に彼の隣に立っていた。

 私は彼の自慢の弟子のはずだから。

 私がどんなにダメでも、彼は絶対に見放したり、嫌いにならないなんて知っている。

 それじゃ足りないと思ってしまう。もっともっともっともっと……。


「ああ、それとついさっきわかったことがあるわ」


 ヘニオさんの声で我に返る。

 右手で、左手の手の甲に軽く爪を立てていたことに気が付いて、赤くなった部分を手で覆って隠しながら、私は彼女の方へ意識を向ける。


「魔石の入手経路に問題はなかった。妖精が眠る魔石は、学院カレッジ内の誰かの手によって混入されている」


「……生徒か職員が犯人ってことか」


「調査中よ。セーロスだけではなく手錠マニカエも手を回しているわ」


手錠マニカエ……ねぇ。皆殺しにし損ねてよかったと思うことがあるとはな」


 淡々と報告を述べるヘニオさんに対して、大袈裟に肩を落として溜息を吐いて見せたカティーアはそれだけ言って立ち上がった。

 彼が手を差し出してきたので、その手を掴みながら私も席を立つ。


「じゃあな。またなにかわかり次第、遣いを寄越せ」


 そう言い放って、彼は私の肩を抱いて足下に赤く光る魔法陣を浮き上がらせた。

 目を閉じて開くと、塔の中にある自室へ到着していた。

 無言のままカティーアが革張りの長椅子へ腰を下ろす。


「お前がつらそうな顔をしているって……ちゃんと気が付いてる。ごめん」


 何か言おうとしていたのに、そんなことは頭から零れ落ちてしまった。

 謝らせたいわけじゃないのに、最近この言葉を聞いてばかりだなって思いながら、私は首を横に振る。


「ちゃんと……これは俺の口から伝えたいからあいつには黙っていて貰った」


 膝の上に肘を立てて、組んだ手の上に額を乗せていたカティーアが顔を僅かに傾けて私の方へ視線を向けた。

 眉尻を下げて少し寂しげな表情を浮かべたカティーアが上体を起こして、両手を広げる。


「こっちに来てくれないか」


 首を縦に振ってから、彼の前へ行くとそのまま体をぐるりと反転させられて彼の広げた足の間に座るような形になる。

 後ろから抱きしめられながら、カティーアが私の肩に顎をそっと置いた。


「ヘニオに頼んだんだ。お前の体の状態については魔石に入れて俺だけに伝えろって」


 ぼそりと、とても小さな声でカティーアは口を開いた。

 どんな顔をしているのか見えないけれど、それがずいぶん不安そうな声色だということはわかる。


「……セルセラと一つになったお前は、ヒトと妖精が混ざり合った状態だった」


「だった……です、か」


 私の言葉を聞いて、彼が頷いた。言葉を選びながら、彼は話を続けてくれる。


「そうだ。俺はアルカのことを知っていた。でも、認識が甘かった」


 彼がずっと使っていたアルカたちのことに思いを馳せる。

 何度も何度も何度も何度も、きっと数え切れないくらいの私たちを使ったのだろう。


アルカは、ヒトの手で御せる神を入れる器を作るために……旧き神と繋がりの深い者たちを捕らえ、信仰と魔法を奪って世代を重ねさせた一族だ」


「神の御子」


 彼から聞いた、彼の母親の話。それに、女神レスカテが言っていた言葉を口にするとカティーアは静かに頷いた。


「そうだ。今ではもうほとんど使われていない言葉。旧き神の権能の一部を授かり、ヒト族にも拘わらず奇跡を行使した一族達……その末裔がお前だ」


「それなら……私は気にしてなんて」


「いや」


 首を横に振った彼の柔らかな髪が私の頬を撫でる。でも、それはいつもみたいに甘くて幸せな気持ちには慣れなくて、私は何も言葉を返せないまま、ただ私を抱きしめている彼の腕をそっと掴んだ。


「ヒトの手で御せる神を入れる器……その計画は頓挫した。妖精とアルカを融合させる計画も、魔獣とアルカを交わらせることも、アルカの体に魔物を混ぜることも全て失敗したからだ」


「ああ、でも、私は……」


 成功……してしまった。


「そう、お前はセルセラと混ざった。それだけなら、まだよかったんだ」


 全部を言い切る前に、カティーアが言いたかったことを言ってくれる。それからぎゅうと私を抱きしめている腕に更に力を込めた。痛くはないけれど、彼が辛いというのが伝わってきて胸の奥が締め付けられるように痛くなる。


「お前は神獣ツンバオの力を……俺を通して取り入れた」


 犬の姿になった時に、確かに体の中に魔力が満ちる気がした。

 でも、それがあの巨大な亀の神獣の力だなんて、わからなかった。


「それだけじゃない。炎を封じた村ケトム・ショーラでもヤフタレクの力と、シャンテの中にある精霊の力を……それにフィルの姉を呪った妖精達の声を聞き、旧き神レスカテの加護にあやかった」


 私がわかっていないことを、彼は言葉にして説明してくれている。

 きっと、空色の魔石に入れられた何かを見て確信を得たから、こうして話してくれているだけで……なんとなく気が付いていたのかもしれないなって、彼が白角コルヌスの館であれだけ心配していたのを思い出しながら思案する。


「事情は全て魔法院には伏せている。しかし、何も知らないやつらが調べてもわかるほど、お前の中身は……これまでよりもずっとへ引っ張られやすい。セルセラに魂と身体の調整メンテナンスはして貰った状態で、それだ」


 言葉を一瞬詰まらせた彼が、少しだけ詳細を濁した。

 ああ、だけど私は気が付いてしまう。

  へ引っ張られやすいということが、私が死んだり消えたりするに近い状態になるってことを。


へ近付きすぎたお前が、どうなるのかは俺にもわからない……」


 カティーアは優しいから、それを言わないでいてくれる。

 優しいから……私が気が付かないうちに私を助けようと無理をしていることもわかる。

 今、セルセラの記憶の中にあるそれを思い出した。彼が妖精の国ティル・ナ・ノーグで何をされたのか。

 死んだ方がマシなことをされた場所へ、彼は私のために行くと言っている。


「そんな顔するなよ。呪印が消せたらすぐにでも大地と叡智の妖精都市ファリアスへ向かおう」


 自分がどんな顔をしているのかわからなくて、思わず頬をぺたぺたと触って確かめると、ぱっとカティーアが私のことを抱き上げた。そのまま立ち上がったので慌てて彼の首に手を回してしがみつく。


「セルセラの記憶にあるんだろ? 俺が紅き妖精女王エリュテイアの試練を耐えた後の様子が」


 額をこつんとぶつけられて、彼がやわらかく目を細める。

 死に匹敵する痛みを数秒間のうちに千度与えられ、それを百年続けられる。その間に想い人のことを全て忘れなければ、愛する者への気持ちに免じて命を奪わないでやるなんて無茶な試練。

 セルセラの記憶にあるのは、条件と、それを乗り越えて……イガーサの名前だけは忘れずに帰ってきた彼の姿。綺麗な紅い瞳から光は失せて瞳孔は開ききり、目の下には深い隈が刻まれていたし、体はガタガタと震えていた。

 それでも、彼は紅き妖精女王エリュテイアを睨み付けてイガーサさんの名前を言って見せたんだ。

 それを叙事詩として描いたのが、紅き妖精女王ネメシアの話……。

 機嫌が良くなった紅き妖精女王エリュテイアは、カティーアに妖精界の宝を授けた。

 それが鶴革の袋コルボルドそして、魔法の知識の数々……。


「お前を失わないためなら、あのクソ女王からの拷問を一千回は耐えられる」


「もう」


 それが強がりだとわかる。

 そのくらい、彼のことを見てきたつもりだ。

 でも、カティーアがあまりにも優しく微笑んで、堂々と言うものだから、根拠なんてないけれど大丈夫かもしれないって思えてくる。

 暗い考えを吹き飛ばしたくて、首を左右に振ってから私は愛しい彼の顔を真っ直ぐに見つめた。


「そんなことをしなくても大丈夫です。私は、私も壊れたりしない……ちゃんとあの時も言ったはずですよ?」


 私も、彼に習って強がりを言ってみる。

 自分に言い聞かせるように。大丈夫。壊れたりしないって。


「……そうだな。ああ、お前は壊れたりしない。きっと」


 彼が指をさっと振って、チッチと舌を鳴らした。

 どこからともなく現れた薄い水のベールが私たちの肌を撫でて汚れを洗い流していく。

 爽やかな丸葉の芽ミントの香りがして、ちょっとだけ気持ちもすっきりした。

 扉が控えめにノックをされて、プーカが私たちに夕食の準備が出来たと教えてくれる。

 目を見合わせてうなずき合いながら、私たちは指を搦め、二人で手を取り合いながら食卓へ向かった。

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