7-14:Cradle Of Thornsー薔薇の揺り籠ー

「これ、作ったのでよろしければ……」


「おや……とても良い出来の御守アミュレットだね。ありがたくいただくよ」


 ウィロウさんにも、草編みのブレスレットを手渡す。

 にこやかに微笑んで、ブレスレットをローブの内側に入れた彼は、丁寧に頭を下げて礼を述べると職員待機室から出て行った。


 あれから数日……。相変わらず学院カレッジ迎寒祭サマインの準備で浮き足立っているけれど、特に大きな騒動はないみたい。

 セーロスと、その選抜クラスの生徒達が校内を見回りしていたり、あの事故から実験や実習に使われる魔石や植物を以前よりしっかりと管理するようになったり、警備を強めていると、朝にネスルさんが教えてくれたばかりだ。


「私は、自分にできることを焦らずにやっていこう」


 声に出して自分に言い聞かせる。

 それは、学院カレッジでの教師としての役割も含まれている。

 左手首に刻まれた呪印は、今のところ明確な効果はないらしい。でも、目に入るだけで僅かに憂鬱になる気がする。

 気持ちを切り替えていかなきゃ。

 そう自分を奮い立たせて、授業に向かうために歩いていると、少し遠くで見知った顔の生徒が一人目に入る。


「あれは……フィルと同室の」


 確か……アメリアさん、だったかな。

 青みがかった薄い灰色の巻き髪がすごく綺麗だし、フィルと一緒にいるのを見かけた記憶がある。

 でも、今日は一人みたい。

 ぼうっとしたようなふらふらとした足取りで歩く彼女を、私は気が付いたら追いかけていた。

 今は誰もいない中庭を通り抜けて、彼女はその奥にある小さな植物塔の手前で立ち止まった。

 なんだろう……良くない気配がする。学院カレッジ内では、魔法の授業も行っているから、魔法の気配や魔素の不自然な流れは珍しくない。

 それなのに、胸騒ぎがする。なんだろう?

 近くにいる隣人妖精達がそわそわしているからだろうか。なんだか良くないモノが関わっている気がしてアメリアさんを放っておくことが出来なかった。

 ここで話しかけるべきだろうか? 始業の合図である甲高い鐘の音が響くけれど、アメリアさんは、ここから離れる気配がない。

 立ち去るべきか、それとも……と迷っている間に、植物塔の中から黒いローブを羽織り、フードを深く被った男が姿を現した。顔が良く見えない。

 男が小さな声で何かを発すると、ぼんやりしたままのアメリアさんが扉に入って行こうと歩を進めた。


「アメリアさん……!」


 嫌な予感がする。思わず物陰から出て、彼女の背中に向かって大きな声を出した。

 立ち止まったアメリアさんの、内側に巻かれた髪がふわりと揺れて、彼女がこちらをゆっくりと振り向く。

 どことなく焦点が合わず、虚ろな目をしたままでいる彼女の腕を取って、私はフードで顔を隠している男性に目を向けた。

 その瞬間、パチンと指を弾く音がして、アメリアさんが身じろぎをする。


「あれ? ジュジ先生……きゃ」


 きょとんとした表情で私を見たアメリアさんを押しのけるようにして、男が勢いよく走り出した。

 よろけたアメリアさんを支えてから、男が走り去ったはずの中庭を見る。

 生け垣や花壇、野菜などを育てる菜園……隠れる場所はあるけれど、私は人の気配を追うことも、植物たちや隣人妖精を通して、見えない場所に何があるか把握することもできる。にも拘わらず、走って行ったはずの男はどこにも見当たらなかった。


「わたくし、なんでこんな場所にいるのかしら」


 意識がハッキリしたらしいアメリアさんが、私の腕の中で首を傾げている。


「ぼうっとしているあなたを見かけたから」


 事情を聞こうと思って……そう言葉を続けようとした時、地面が大きく揺れた。それからすぐに中庭の中央から大きな音が響いて、冷えて張り詰めた空気がビリビリと揺れる。

 思わず耳を塞ぎながら、音のした方向を見ると、中庭には本舎の二階ほどの高さがある雛罌粟ポピーの氷像がそびえ立っていた。


「炎の柱 凍てつく花を 灼き払え」


 カティーアの声が上から聞こえてくると同時に、氷像を包み込むほどの大きな炎が地面から噴きだした。

 中庭に現われた氷の華は一瞬で溶けて消え、それと同時に本舎からセーロスとジェミトを先頭にして、白鎧を着た兵士達数人が中庭になだれ込んでくる。

 ギュッと私の腕を掴んだアメリアさんへ視線を戻すと、彼女は細く整えられた眉を顰めて不安そうな表情を浮かべていた。


「多分、もう大丈夫です」


 微笑みながら、そう伝えると同時にジェミトとセーロスがこちらへ駆け寄ってきてくれた。

 大きな音を聞きつけた生徒達が徐々に中庭へ集まってくる。

 人混みをかきわけるように、誰かがこちらへ一直線に歩いてきた。頭一つ飛び出しているからすぐわかる。ネスルさんだ。


「目眩ましってとこっすかねぇ」


 髪をがしがしと掻きながらそういうと、彼は空の方を見上げた。空には数匹の鳥が弧を描きながら囀っている。


「クソ……入り込んだ気配はない癖に、痕跡を残しながら逃げてやがる」


「罠、だろうな」


 ジェミトとセーロスの指示に従って、中庭にいた生徒たちが追い出されていく。

 すっかりと静かになった中庭で、ネスルが何かを調べる様子を見ていると、遠くの方で生徒たちのどよめく声がした。


「ここの守りは私たちに任せなさい」


 中庭と校舎を隔てる扉が開き、よく通る冷たい声が響く。

 そこに現れたのは、青みがかった灰色のローブを身につけた魔法使いを左右に伴って、しずしずと歩いてきたのはヘニオだった。

 彼女が纏っている足首まである水色のローブは、仄かな光を発している。


「ヘニオ」


「微小だけれど、カガチの気配がしたわ。この件は、おそらく彼女が関与している」


 カティーアが鋭い視線を向けているにも拘らず、彼女は相変わらず涼しげな表情を浮かべたまま、淡々と事実を述べていく。


「……わかった。全員で向かう」


 めんどくさそうにフードの上から頭をガシガシと掻いた彼は、そう言って私を見る。


「ジュジ、おいで」


 彼の腕に抱きすくめられる。それから、彼は私の額にそっと唇を触れさせた。


「守護の光、紅鏡輝く宙より零れるは、隻腕の女神が紡ぐ布帛とばり


 青く光る薄膜ベールが、私の体を覆うように現れて、すぐに見えなくなった。

 過去へ行ったときに、カティーアがイガーサさんたちに使った防御魔法だ。


「攻撃だと判断されたものは、魔法だろうが剣だろうが防いでくれる」


 そっと手の甲で頬を撫でられる。

 フードを深く被って顔を隠しているけれど、彼がとても優しい表情を浮かべてるのは、声色だけでわかる。


「行こう」


 セーロスとジェミトが首を縦に振った。

 ジェミトの故郷ケトム・ショーラでは殺し合いをしていたのに、こうして共闘することになるなんて、信じられない。

 少しだけジェミトがどう思っているのか心配だけど、それでもセーロスが一緒に戦ってくれるのはすごく心強い。


天眼アルゴス、奴がどこにいるかはわかってるんだろうな」


 どこへ行くのかな……と思案していると、カティーアが、空を見上げているネスルさんを横目で見て声をかけた。


自分オレはあんたの手足じゃねえんすけどね」


 大きくため息をついて、肩を落としたネスルさんがカティーアを前髪の間からぎろりと睨む。


「ここから東に少し行ったところ……森の中で止まったみたいっすね」


 ネスルさんはそういうと、掌に収まるくらいの大きさの何かをカティーアに投げた。

 彼の手を覗き込んでみると、受け取ったのは薄灰色の薄い板だった。


「助かる」


 それだけ言ってネスルさんに背を向けたカティーアは、私の手を引いて中庭の奥へと向かう。

 植物塔の横をさらに奥へ進み、卒業間近の生徒たちが、実習を行うための特別塔の横を通り抜ける。

 その奥にあったのは見慣れない通用口だった。

鈍く光る黒い鉄門の前には、鉄の鎧を身につけている体格の良い兵士が二人並んでいる。

 長槍を持った彼らは、私たちをジロリと睨んでから、品定めでもするように頭の先から足先まで見回した。


「通してもらうぞ」


 そう言いながら、カティーアがさっきネスルさんから貰った板のようなものを見せる。

 すると、二人の門番は首を縦に振って門の両側へ手をかけた。引きずるような重い音を立てながらやっとゆっくりと開いた門を通りすぎると、そこは魔法院を覆う外壁の外だった。

 門を通り過ぎるときに、薄紫の薄膜ベールが見えて目の前で大きくたわむ。


「魔法院の外に繋がる門には、魔物や許可のないヒトが通れないように結界が張ってある。特に内部につながる門にはこうして少し強力な結界が施してあるんだ」


 そう説明してくれたカティーアが足を止めると、一羽の小さな椋鳥が彼の頭近くに近寄ってきた。


「ネスルが天眼アルゴスと呼ばれる理由だ。どうやらこいつが案内してくれるらしい」


 こちらだと言っているみたいに囀る椋鳥を、私たちは追いかける。

 幸いながら人目はない。

 カティーアは私を抱き上げると、地面を蹴るようにして走り出した。足下から薄緑の光と共に風が吹いて、魔法を使って速く走れるようにしたんだと気が付く。

 ジェミトとセーロスも、自分の足下に風が吹いたことに気付いて、カティーアと同じように地面を強く蹴って駆け出した。

 本当に風になったみたい。景色が馬車に乗っているときも速く流れていく。

 しっかりとカティーアの首に腕を回してしがみつきながら、しばらく揺られていると、小さく息を吐き出しながら彼が足を止めた。

 森の奥……人の気配も感じられないような鬱蒼とした木々の中、不自然に草木が枯れた後がある。

 周りを見てみると、妖精達が落ち着かない様子で辺りを飛び回っているのが見えた。

 椋鳥がジジッと鋭く鳴いて、木々の間を縫うように飛び去ってすぐに見えなくなる。


「ここは……」


 スッと冷たい空気が私たちの頬を撫でるのと同時に、セーロスとジェミトが背後で武器を構える音がした。


「やあ、君たちなら追いかけてきてくれると思ったよ」


 さっきまで無かったはずの気配がいきなり現れて、茂みの中から人影が出てきた。

 白のゆったりした外套クラミドの裾と、肩の上で切りそろえられた黒髪がゆらりと風に揺れる。

 敵意に満ちた視線が送られているにもかかわらず、柔和な笑顔を浮かべているどこか中性的な青年……ミエドは、私の方を見てひらひらと手を振った。


「君たちのお姫様にあげた招待状は、思ったよりも良い働きをしてくれたみたいだね」


 ミエドが、私の左手を指差してそう告げるのを聞いて、カティーアは不機嫌そうに眉を顰めながら抱えている私を降ろす。

 セーロスとジェミトが私の両脇を挟むように一歩前に出るのと同時に、カティーアは強く地面を蹴り上げて少し先にいるミエドに近付いていく。

 炎を纏った右腕を振り抜いたが、上半身を翻してそれを避けたミエドは、風に舞う羽根のように浮いて、頭上にある太い木の枝に立ってわった。


「……妙な動きをしやがる」


 舌打ちをしたカティーアが、ミエドが佇んでいる木を殴って倒そうとする。けれど、それは横から飛んできた氷の槍によって邪魔をされる。

 炎を纏った腕で氷の槍を撃ち落としたカティーアを確信したあと、私たちは森の中に現れた強い冷気を放つ白い大蛇へ目を向けた。


「言っただろう? ボクは戦いが苦手だって」


 ふんわりと微笑むが、ミエドが私へ向けた視線は鋭くて冷たいものに思えた。

 まるで炎天下に置かれた雪のように一瞬で溶けるようにミエドは姿を消す。気配も追えない。


「その代わりと言ってはなんだけど……キミたちと遊べる玩具を用意したんだ。喜んでくれるだろう? カガチ様の新しい体の試作品さ」


 声だけがまるで森の中で何度も反響するみたいに奇妙な響き方をする。

 カティーアが舌打ちをしながら片腕で辺りを凪ぐように大きく振る。私を避けるようにして炎が波紋のように広がって辺りの木々をなぎ倒して燃やすけれど、どこにもミエドは潜んでいる気配がない。


「触れた神の力を無意識に喰らってしまう聖櫃容れ物に、混沌と絶望を司る神の力を放り込んだらどうなるか、知りたくないかい?」


 シュルシュルと僅かだけれど蛇の這うような音が聞こえる。

 左脚にさっと絡みついた蛇が素早く服の中へ入り込み、首元まで上ってきた。左手首がカッとあつくなって声を出そうとしても息が詰まって声が出ない。

 カティーアの背中が見えるのに腕が伸ばせない。

 大丈夫、だってカティーアが絶対に攻撃を通さない障壁を張ってくれたから。自分にそう言い聞かせる。体に纏わりついた蛇を振り払いたくて、なんとか体を動かそうとするけれど、うまくいかない。


「っ……」


 ゆっくりと体が動き始めたけれど、それと同時にぞわりと首筋を何か細いものが撫でた感覚がした。


「あ」


 それしか言えなかった。


「さあ、お姫様、キミが好きなことをしてごらん」


 肩を抱かれて頬をゆっくりと下から上に手で触れられる。振り向いたカティーアの瞳孔がキュッと針のように縮んで、大きく開いた口から鋭くて細い犬歯が見えている。水の中にいるみたい。カティーアの声が聞こえてこなくて、私の体が重くなる。


「面白い見世物だ。生意気にもヒトの身で不死の力を持つものがいると聞いて気になっていたが、妾みずから手を下さなくともよさそうだな」


 すぐ近くで冷たい風が渦巻いている気がする。大きな蛇が女の人の形になる。でも、不思議とどうでもいい。

 なんだか眠くて、それに、体の中はとても温かい。

 

「あーっはっはっは。その神為櫃アークそなたのつがいらしいな? 愛するものに大人しく喰われて永遠の夢に堕ちよ」


 ああ、好きなこと……好きなことって……。

 このまま抱かれているなんてダメだって思うのに、体がどんどん重くなる。

 カティーアと……離れるのは、嫌だなぁ。


「カガチ!」


 ああ、そうだ、この人は、邪魔だ。

 私を背後から抱きしめていた男を蔓で薙ぎ払う。


「ここまでの力を持つのは予想外だったけれど……ふふ……良い姿になったものだね」


 男は軽薄そうな笑みを浮かべて姿を消した。いえ、多分、元の姿に戻って逃げただけなんだとわかる。でも、今はどうでもいい。


Un arallあらあら,mae ynaあそこに neidr aflonydduまだ邪魔者がいるわ


 笑みを含んだ声が聞こえて、意識をそちらへ向ける。

 体はとても重いのに、何故か必要なものは目に入る。

 声が示したのは、腰まで黒髪を伸ばしている白銀の鱗に包まれた女性。つり上がった目元と細い鼻先は、蛇を思わせた。

 彼女が柘榴色をした瞳でこちらを見ると、なんだかとても不愉快な気持ちになる。


Mae冬は nadroedd蛇にとって yn cysguゆっくり寝る yn y gaeaf時間のはずよ


 怒りの感情を向けると、全身を白い鱗で覆われた女性が粉々に砕けた。高笑いが聞こえるのはうっとうしいけれど、これでゆっくり出来るはず。


「クソ……どうなっている」


 苛立っている声がする。私の愛する人。

 目を閉じているはずなのに、彼の姿がくっきりと見える。両腕を伸ばすけれど、彼はまだそれに気が付かない。

 彼をしっかりと抱きしめると、少しだけ苦しそうにもがく。大丈夫、今の私なら、あなたを守れるはずだから。


 彼の全身を私の両腕で包み込むと、頭の中でまた知らないはずなのに、なんだか懐かしい声が響いた。


Beth ydych貴女は chi am fod変われるわ Duw? Brenhines?神にも女王にも

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