7-4:「It's not like me.」ー「らしくないことをしたものだ」ー

「そうだ。次の行動を意識して動け」


 いきなりオレの選抜クラスに入ったというのに、フィルは気後れ一つせずに細腕で剣を振るっていた。

 手数は多い。型はめちゃくちゃだが、的確に人間の弱点を突いてくる実践的な動きだった。

 見た目は華奢な少女だが、屈強な年上の生徒にも引けを取らない威力の一撃を繰り出している……が、やはり一つの挙動に対しての隙が大きい。


「剣に振り回されるな。そう、しっかりと意識をして柄を握れ。腕だけ振り回そうとするな」


 少人数制のこのクラスは、今のところ六人で構成されている。

 女生徒はフィルだけだ。彼女を知っている者もいるようだったが、大半の生徒は最初、怪訝な表情を浮かべていた。

 しかし、そんな彼らも彼女の動きを見て何か得るものがあったようだ。最初の授業が終わる頃には、彼らは軽口を叩き合うほど親睦を深めていた。

 オレはともかく、部下や生徒に軋轢がないのは良いことだ。士気も高まるし、連携も上手くいきやすい。

 特に、下手に利害関係が絡まない若者たちならば、ウマが合えばこうしてすぐに打ち解けることも出来る。


「クソでけえから動きが鈍いと思ってたが、お前強いな」


「おれもお前のことを細せえ女だなって舐めてたんだが、強かったよ。また手合わせよろしくな」


 輪になって訓練場の木陰でたむろしている生徒たちを眺めていると、短く整えられた黄褐色の髪をした青年……ラソンが立ち上がってこちらへやってきた。


「ちょうどいい。フィルを呼んで来てくれないか」


 この生徒はフィルと元々知人だったようで、細かな規則の説明や、道具の位置などを率先して教えていたのを覚えている。名前を覚えられなくとも、誰と誰が親しいのか把握をしておくのは部隊を率いる者ならば誰でも心得ているはずだ。


「わかりました」


 人当たりの良さそうな笑顔を浮かべたラソンは、嫌そうな素振りを見せずに友人達の輪にいるフィルへ真っ直ぐと向かっていく。

 なにやら軽く言い合っていたようだが、間もなくして半ば引きずるようにフィルをオレの前まで連れてきた。


「すぐに用事は済む。君は友人達と休んでいるといい」


「そういうことらしい。じゃあ、あとでな」


 オレの言葉に素直に頷いたラソンを見て、フィルは「げ」と不満そうな声を漏らす。

 自分の言葉を無視して去って行く友人の背中に舌打ちを投げつけた彼女は、唇を尖らせ、顔をめいいっぱいひそめながらこちらへ視線を向けた。


「……フィル、ジュジへ伝言を頼みたいのだが」


「なんであたしなんだよ。別のやつでもいいだろ?」


「……君は、あの教員と親しいのだと思っている。そして……こういう取引に応じてくれるとオレは知っている」


 今にも噛みついてきそうな勢いのフィルに、懐から出した葉の包みを開く。

 一瞬間を空けて、それから手のひらの上にあるものを確認した彼女は、大きく見開いた目を輝かせた。

 ムノーガで仕入れた高級なチーズの燻製と、蜂蜜漬けの果実を載せた焼き菓子……酒の肴にでもしようと先日購入していたものを持ってきた。

 本人を探して伝えればこのような賄賂めいたものを渡さなくとも済むはずだ。しかし、何故かオレはジュジにこれを直接手渡すのを躊躇した。

 常に誰かと一緒にいる彼女に、いきなり自分が話しかけては迷惑ではないだろうか……そう思っているうちに数日経過してしまった。

 そして、昨日、フィルに頼もうと思いつき、こうして軽食を用意して彼女と取引を行っている。

 効率的とは言い難い自分の行動理由を思案している間に、待ちきれないと言わんばかりのフィルが、手の上に乗せている食料をパッと手に取った。


「まぁ仲は良いけどさぁ……。で、伝言ってなんだよ」


 焼き菓子をさっと口の中へ放り込んだフィルは、半ば引きずられてオレの前に連れてこられたとは思えないくらい上機嫌な様子でこちらを見ている。……オレにすらわかりやすい性格というのは助かるのだが……と少々心配になりながらも、今は伝言の話だと割り切って話を続ける。


オレはこの後、授業がない。もし、予定がなければ図書室で待っていると伝えてくれ。あと、これを渡して欲しい。オレが持っている大英雄カティーア叙事詩の目録だ」


「なあ、せんせー、ジュジは……」


 オレが差し出した木簡を手に取ったフィルが何か言いかけた時、ちょうど授業の終わりを告げる鐘が鳴った。

 生徒達が立ち上がり、フィルの名を呼んでいる。


「ん、まあいいか。伝えといてやるよ!」


 僅かに間を空けて口ごもったフィルだったが、すぐに思い直したようだ。


「じゃあな、先生せんせー


 そう言って背を向けた彼女は、中庭でたむろしている生徒達の輪に加わって少し騒いだ後、連れ立って校舎の中へと戻っていった。

 彼女が来るかはわからないが……学院カレッジの蔵書を眺めるというのも悪くはない余暇の過ごし方だろう。


「あんたがぼうっとしてるなんざ珍しいっすね」


 背後からネスルの声がして、振り向くと何やら上機嫌そうな笑みを浮かべていた。

 相変わらず目元は前髪で隠れていて見えないが、表情は口元だけ見ればよくわかる。

 何故そんなににやついているのかわからずに黙っているオレの隣へやってくると、ネスルはオレの肩に肘を載せて寄りかかってきた。


「ん……珍しいこと続きで逆に普通か? んまあ、そんなことはどうでもよくて」


 ヒヒッと声を漏らし、体を軽く揺すって笑ったネスルだったが、前髪の間から覗いている瞳は真剣そのものだった。


「具合が悪いわりぃなら早めに教えてくれねえと困るんすよ」


「……体は平気だ」


 声を低くして、唸るように囁いたネスルを見つめ返す。すると、ふっと噴きだして肩を竦めて目を柔らかく細めた。


「この間、魔物が出た時も傷が開いたんすから、無茶はしねえでくださいよ」


「わかっている」


 治癒師殿の力を借りて塞がった傷だが、完全に治癒したわけではないらしい。身体に負荷を強くかければ、傷が開くことも多いと聞いた。

 先日、学院カレッジ内に入り込んできた魔物を倒すときに無茶をした際に傷口が開いてしまい、再び治癒師殿の世話になってしまったことを思い出す。

 傷の治癒は、治癒師殿の体へ与える負荷も大きいらしい。


「あ」


 申し訳なかったと、ネスルに対して謝罪を重ねようとしたとき、少し遠くから小鳥の囀りのような透き通った声が聞こえてきた。

 金糸で縁取られたローブを身に纏っている姿がまず目に入り、それからあおの黒髪と磨かれた銅色あかがねいろの肌を視認する。

 花が咲いたような笑顔を浮かべながら、彼女は小走りでこちらへ近付いて来た。


「セーロス先生、さっきフィルから聞きました。見かけたから、ちょうどいいと思って」


 急用でもあるのかと思ってみれば、彼女の胸元には先ほどフィルに渡した木簡を抱かれている。

 切らせた息を整えるように、大きく息を吸い込んだジュジは、顔を上げて綺麗な深い緑色をした瞳でオレを見た。


「今日、私も次の授業が終われば午後は用事は無いので、図書室へ行きますね。あ、あと、これ、ありがとうございます! 目を通しておきます」


 どうせ来なくても良い。そう思っていたというのに、彼女が来るとわかった途端に、なんだか落ち着かない浮かれた気分になる。

 元々表情がわかりにくいと言われているので、この浮かれた気持ちが表情に出ている心配はしなくても良いだろうが、ほころびそうになる口元を手で押さえる。


「あ、ああ。承知した」


「へぇ」


 オレが頷くと、隣にいたネスルが唇の片側を持ち上げて、ジュジを見下ろして笑みを浮かべた。


「ああ、ええと……この前案内してくださった……」


 ネスルへ視線を向けたジュジが、少し思案した後、胸前で音をさせない程度に両手のひらを合わせてそう言った。


「ネスルっすよ。どぉも」


「お仕事ご苦労様です。じゃあ、私は次の授業の準備があるので」


 ひらひらと手を振って名を名乗ったネスルに、丁寧に頭を下げて何かの礼を述べたジュジは、ふわりとローブを翻しながら本舎へ戻っていく。

 わざわざオレを見つけてここまで来たというのか。物好きというか、物怖じしないというか……ああいった女性は珍しい部類に入ると思うが……。

 かつて己に近付いて来た女性達を思い返してみても、オレの地位を気に入って声をかけてくれる令嬢の方々や、粗悪な剣を売るために商人が呼び寄せた娼婦たちしか思い浮かばない。

 それも大体はオレの気が利かないだとか、何を考えているかわからないと憤慨させたり、怖がらせて疎遠になることがほとんどだったが。


「ジュジちゃん、可愛いっすよね。あのクソ野郎にゃもったいねえ」


「……知り合いか?」


「ああ、そうか」


 渡り廊下を通って姿が見えなくなるまで彼女の背中を見ていると、隣でネスルが呟いた。

 まるで彼女を以前から知っているかのような物言いをする。昔からの知人かと思って聞き返してみると、ネスルは長く伸びた前髪の間から覗かせている目を丸くしてから、頭をがしがしと掻いて視線を逸らした。


「まあ、ちょっと前に別の仕事でってとこっすかね。まあ、あっちは覚えてねーでしょうけど」


 そう言いながら、頭の後ろで手を組んだネスルは「んじゃあ、仕事に戻るっすかね」と告げてスタスタと中庭の奥に歩いて行った。

 妙な引っかかりを覚えたが、あいつのことだ。問い詰めたところでのらりくらりと真相をはぐらかすのだろう。

 手錠マニカエ絡みの仕事か? まあ、塔に出入りをしているような学者なら、そういうこともあるのだろうが……。

 ネスルが本来携わっているであろう血生臭い仕事と、仔兎一匹ですら殺せないようなジュジはどうにも結びつかない。


「本当に、らしくないことをしたものだ。考えても仕方がない」


 思考を切り替えるために声に出してそう呟く。

 大英雄カティーアのこと以外のことを考えないわけではない。オレも、部下や部隊のこと、生徒についてなどに考えを巡らせることはある。

 同好の士……というものが少なかったからだろうか。

 オレの趣味に合わせて大英雄カティーア叙事詩を読むものはいないこともなかった。それに、魔法院に仕えていると時折、信仰者とも言えるほど大英雄カティーアを好いている者もいた。

 だが……大抵彼らが好むのは初代カティーアの冒険譚がほとんどだ。それも悪くは無い。しかし、言語化出来ないモヤモヤのようなものが自分の中になかったといえば嘘になる。

 図書室の扉を開くと、司書の女性がオレを見てビクリと体を竦ませた。兵士という肩書き、そして自分がヘニオ様の命令ならどんなことでもする冷酷な男だと言われているのは知っている。

 よく知らない相手が萎縮したり怯えるのは、慣れている。

 司書は、オレが身に付けている金糸で縁取られているローブを見ると「何か御用ですか」と少し震える声で話しかけてきた。


「……職員の利用に申請や許可が必要だったか? それならば申し訳ないことをした。今から申請書を」


「い、いえ、そういうわけではありません。失礼致しました」


 ジュジを誘った手前、必要な申請を通していなかったとあれば大事だ。そう思い話しかけてきた司書へ先んじて謝罪をしたが、申請や許諾は不要のようなのでオレは受付カウンターを通り過ぎて奥へと向かった。


 本棚には大英雄カティーアの児童向けに書かれた冒険譚の写本たちが並べられている。初代の冒険譚や恋愛譚が多く、他世代の冒険譚は片手で数えるほどしかなかった。

 更に奥に行くと薄らとホコリを被っている写本が目立つようになる。いくつかは最近貸し出されたのか表紙も綺麗なものが多い。


「ここの数冊は、大英雄カティーア叙事詩……か」


 彼女に名を聞いた日、ここにジュジが立っていたことを思い出す。

 今の職員用の寮には持ち込めなかったが、本来の自宅に戻れば書庫に全ての大英雄カティーア叙事詩の写本は揃っている。暗記するほど読んでしまったもので目新しくはないのだが……。

 気が付くと、オレは昨日彼女が読んでいた大英雄カティーア叙事詩第387集を手に取っていた。

 学院カレッジの図書室で貸し出されるものだけあって、表紙の装飾は非常に質素シンプルだ。おそらく、頑丈さを優先しているのだろう。

 樫の木板に透かし彫りで茨のツルを描いている表紙を指で撫でてから、微かに人の出入りする様子や、司書の話し声に多少気を配りながら写本を捲る。

 羊皮紙を使って描かれている叙事詩の写本は表紙こそ違えど、自宅の書庫にあるものと遜色ない内容だった。

 こういった写本は、時折勝手な改稿を加えられている物も多いが、さすが魔法院の蔵書だ。内容は正確に書き写されている。


「あの、お待たせしました」


 こちらへ近付いてくる足音と声で、誰なのかすぐにわかった。

 ヘニオ様やネスル以外を、声だけで判断出来るなんて我ながら珍しいこともあるのものだと思いながらゆっくりと、声の主を見るために顔を上げる。

 視線の先には、予想通り、あおの黒髪を後頭部の高い位置で括ったジュジが佇んでいた。

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