7-3:Affinityー同好の士ー

「君は」


 薔薇の香りと共に現れたのは、先ほどの女教員だった。

 少し離れた位置を歩いていた彼女は、オレが声をかけると、体を僅かに強ばらせて、立ち止まる。見開かれた深緑色の瞳は、緊張からか僅かに縮まっている。

 一瞬間を置いて、左右へ目を配り誰かを探すような仕草をした彼女は、この場には他に誰もいないとがわかると、困ったように眉尻を下げて口を開いた。


「私に、御用ですか?」


「ああ、フィルという生徒について、今朝教えてくれたのは君の連れで合っているか?」


「あ、はい……」


 彼女の体から緊張が抜けることはない。

 人から嫌われるのも、敵視されるのも、怯えられるのも慣れているので傷付くわけではないが……それでも無力な一般人や研究者を萎縮させるのは心苦しい。

 オレは、大英雄カティーアではない。その礎になれればいい。だから、万人に好かれようなどとは思わず、自分の職務を全うすべきだ。

 そう思ってはいても、話しかけるだけで怯えさせるとするならば、オレに大きな落ち度があるのだろう。

 目の前にいる、この小動物のような彼女を更に怯えさせないよう、なるべく言葉を尽そうと心がけながら、言葉を続けた。


「怯える必要は無い。オレは、将来の大英雄カティーア候補を育てている教員全てに敬意を払っている。それで用件についてだが……フィルがどこにいるのか知っているか?」


「ああ、それなら……確か図書館に」


 オレは人の身体的な状態を見ることは得意だが、表情から何を思っているのかを読むのが苦手だ。ネスルや部下たちからも頻繁に指摘をされる。

 そんなオレから見てもわかりやすいくらいに表情を和らげた女教員は、快くフィルの居場所を教えてくれた。


「……図書室、か」


 場所に見当が付かないオレは、つい、間抜けのように彼女の言葉を繰り返してしまう。

 とりあえず、学院カレッジ内にいるなら良しとしよう。今からネスルでも捕まえて案内させれば用件は済むはずだ。


「あ……もし、場所がわからないのなら案内しますよ。私も借りていた本を返しに行くところなので」


 礼を述べてから立ち去ろうとするオレを、彼女はそう言って引き留めた。

 そして「借りていた本」という言葉が気になって、彼女が両手で大切そうに抱えている本に目を向ける。


「……大英雄カティーア叙事詩第387集……第四代目カティーアの冒険活劇を描いたもの、か」


 オレの言葉を聞いて、彼女の動きが止まった。

 息を呑んで、目を少し大きく開いた女教員は、オレの目をじっと見つめてから、目を伏せる。

 何か怖がらせてしまったか? 困惑していると、彼女は顔をあげた。 


「はい。あの……史実とは違うかも知れないのですが、その……妖精の女王を護って魔物を切り伏せる英雄カティーアがとても好きなので……」


 頬を僅かに紅潮させながら、唇の両端を持ち上げて彼女は微笑む。そして彼女は、まるで壊れ物にでも触れるようなやわらかなタッチで写本の表紙を撫でた。


「紅き妖精女王ネメシアの前に躍り出て、蔓薔薇の魔物を説き伏せる……史実の英雄カティーアは剣を使うことはなかったらしいが、確かにあの物語は英雄譚としての出来も良い上に、大英雄という存在がどのようなものであるのか知らしめるには適している……と思うが……」


 話している途中で、ぐいっと彼女が身を乗り出してオレをじっと見つめるものだから、つい言葉に詰まる。


「どうした? オレの顔に何か付いているか」


 オレは無骨な人間なものだから見目を必要以上に気にする習慣はない。

 女人からすれば心苦しい部分があったのだろうかと気付き、オレは、話を中断して目の前の彼女へ意見を素直に求めることにした。


「あ……その、ちがうんです。その、剣士の方だと聞いていたので叙事詩なんて読むんだなって……。しかも、第387集は当時は人気だったものの最近の流行ではなく、妖精界の実在性も疑わしい今、子供向けのお伽噺だといわれることも多くて……」


オレは……なんといえばいいか……ええと大英雄カティーアに関することはなんでも知りたい質でな。現存している叙事詩は全て目を通した。その上で、オレは、第四代目カティーアの妖精界での冒険活劇を好ましいとも思っている」


 大きな瞳が、ゆっくりと瞬く。

 何か、失言をしてしまったのだろうか。彼女の趣味嗜好を否定をしたいわけではないのだが……。

 顎を撫でながら、言葉を選びなおす。どのような言葉を尽くせば、目の前にいる同好の士にオレの内心を正確に伝えられるのだろうか。

 息をゆっくりと吸って、オレは言葉を尽すことにした。


「幼い子供向けというのは愚かしいという意味ではない。子供にすらもわかりやすいということでもある場合が多いのだ。それに君が手にしているのは原作に近い内容でまとめられている。妖精界での活躍が省かれずに描かれているものはわかりにくいと言われているが、オレも改編を重ねられた後期の作品よりも、君が手にしている古い写本は非常に好ましいと思っている。なにが言いたいのかというと……そうだな、君の感覚は決して恥ずかしいものでもなければ、誰かに嘲られることでもないということを……」


「珍しい組み合わせじゃん」


 扉が開く音と共に、聞き覚えのある声が耳に入ってきて我に返る。

 自分が思っていたよりも饒舌に話していたことに驚きながら、オレは声がした方へ視線を向けた。


「フィルに用事があるんだって。ウィロウ先生の課題で、本を探すって聞いてたから、図書室ここにいると思って」


 フィルは、親しげに彼女に話しかけながらこちらへ歩を進めてくる。

 彼女は、自分よりも少し背の高いフィルに対して、柔らかく微笑んだままオレを指差してそう応えた。 


「なんだよ、白髪」


 小さく溜息を吐いてから、フィルはこちらへ目を向ける。光の加減や見る角度によって色合いが碧や翠に変わる様は、以前任務で尋ねた碧く光る湖の底を思い出す。


「これを」


 羊皮紙を取り出してフィルに手渡しながら、用件を述べることにした。


「君はオレの生徒になった。直近の授業は明日だ。朝一の授業は高等部の非魔法科棟の入り口まで来るように」


「お、おう」


「ああ、あと」


 用事を手短に伝えて、黒髪の彼女へ視線を戻す。

 彼女は、オレに背を向けて、本棚の前で真剣な表情を浮かべていた。

 深い森の色をした瞳が、棚に整列されている写本の背表紙を見つめ、細いあかがね色の指がそっと壊れ物でも触れるように伸ばされる。

 オレの声を聞いてから、僅かに間が空いたあと、彼女は手を止めて、ゆっくりとこちらを見た。


「君、みどりの黒髪が美しい君のことだ」


 首を傾げる彼女は、先ほど話しかけた時のように怯えてはいないように思える。

 しかし、油断をしてはいけない。自分が他人を怖がらせやすいことは自覚している。ここは、慎重に言葉を選ぶべきだ。


「名を……教えて欲しい。君とは、また、その、話をしてみたいと、思った」


 言葉が詰まる。

 白鎧をヘニオ様から賜った時も、部隊を任された時も、大英雄カティーアと共に任務へ赴いたときも、このように緊張することはなかったというのに。


「私はジュジです。私も、大英雄カティーア叙事詩についてお話しできる相手は少なかったので、図書館ここでお話する程度なら……時間を作ります」


 彼女は、自分の名を告げてから柔らかく微笑んだ。


「その、研究や授業もあるので……本当に時々、ですが」


 それから、少し考え事をするように視線を動かしてから、申し訳なさそうに眉尻を下げる。

 なんのことかと思ってみれば、それは業務上仕方の無い理由だった。怯えているようには見えないが、困ったような表情を浮かべている彼女を見るとなんだか据わりが悪い気持ちになる。


「もちろん、仕事は何よりも優先すべき事だ。それで構わない」


「はい、ありがとうございます」


 にっこりと笑って首を傾げたジュジを見て、怖がらせてはいないようだとわかり、胸のざわめきが止まった。

 オレの返答に、彼女が微笑んで頷いたと同時に、夕刻を告げる鐘が鳴る。


「セーロス先生、ここにいたんですね。夜の鍛錬について相談をしたくて……」


 生徒達の声が廊下に響き渡り、徐々に周囲が騒がしさを取り戻す。

 剣術を教えている生徒が数人やってきて、オレの名を呼んだ。


「すぐに行く。待っていてくれ」


 生徒は首を縦に振ると、駆け足で図書室から離れていった。

 教えを請うてきた生徒を待たせるわけにはいかない。


「……ジュジ、また、ここで」


 ジュジは、穏やかな表情を浮かべて頷いてくれた。

 後ろ髪を引かれる思いで、オレは図書館を後にする。

 大英雄カティーアについて、語れる相手が出来たのははじめてではない。だが、彼女と話すことは……他とはちがう高揚感に似た気持ちが伴っていた。

 それが何なのかわからないまま、オレは帰路に就く。

 夜の鍛錬が終わっても尚、頭からはあかがね色の指が、優しく写本の背表紙を撫でる彼女の姿が離れなかった。

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