7-3:Affinityー同好の士ー
「君は」
薔薇の香りと共に現れたのは、先ほどの女教員だった。
少し離れた位置を歩いていた彼女は、
一瞬間を置いて、左右へ目を配り誰かを探すような仕草をした彼女は、この場には他に誰もいないとがわかると、困ったように眉尻を下げて口を開いた。
「私に、御用ですか?」
「ああ、フィルという生徒について、今朝教えてくれたのは君の連れで合っているか?」
「あ、はい……」
彼女の体から緊張が抜けることはない。
人から嫌われるのも、敵視されるのも、怯えられるのも慣れているので傷付くわけではないが……それでも無力な一般人や研究者を萎縮させるのは心苦しい。
そう思ってはいても、話しかけるだけで怯えさせるとするならば、
目の前にいる、この小動物のような彼女を更に怯えさせないよう、なるべく言葉を尽そうと心がけながら、言葉を続けた。
「怯える必要は無い。
「ああ、それなら……確か図書館に」
そんな
「……図書室、か」
場所に見当が付かない
とりあえず、
「あ……もし、場所がわからないのなら案内しますよ。私も借りていた本を返しに行くところなので」
礼を述べてから立ち去ろうとする
そして「借りていた本」という言葉が気になって、彼女が両手で大切そうに抱えている本に目を向ける。
「……大英雄カティーア叙事詩第387集……第四代目カティーアの冒険活劇を描いたもの、か」
息を呑んで、目を少し大きく開いた女教員は、
何か怖がらせてしまったか? 困惑していると、彼女は顔をあげた。
「はい。あの……史実とは違うかも知れないのですが、その……妖精の女王を護って魔物を切り伏せる英雄カティーアがとても好きなので……」
頬を僅かに紅潮させながら、唇の両端を持ち上げて彼女は微笑む。そして彼女は、まるで壊れ物にでも触れるようなやわらかなタッチで写本の表紙を撫でた。
「紅き妖精女王ネメシアの前に躍り出て、蔓薔薇の魔物を説き伏せる……史実の英雄カティーアは剣を使うことはなかったらしいが、確かにあの物語は英雄譚としての出来も良い上に、大英雄という存在がどのようなものであるのか知らしめるには適している……と思うが……」
話している途中で、ぐいっと彼女が身を乗り出して
「どうした?
女人からすれば心苦しい部分があったのだろうかと気付き、
「あ……その、ちがうんです。その、剣士の方だと聞いていたので叙事詩なんて読むんだなって……。しかも、第387集は当時は人気だったものの最近の流行ではなく、妖精界の実在性も疑わしい今、子供向けのお伽噺だといわれることも多くて……」
「
大きな瞳が、ゆっくりと瞬く。
何か、失言をしてしまったのだろうか。彼女の趣味嗜好を否定をしたいわけではないのだが……。
顎を撫でながら、言葉を選びなおす。どのような言葉を尽くせば、目の前にいる同好の士に
息をゆっくりと吸って、
「幼い子供向けというのは愚かしいという意味ではない。子供にすらもわかりやすいということでもある場合が多いのだ。それに君が手にしているのは原作に近い内容でまとめられている。妖精界での活躍が省かれずに描かれているものはわかりにくいと言われているが、
「珍しい組み合わせじゃん」
扉が開く音と共に、聞き覚えのある声が耳に入ってきて我に返る。
自分が思っていたよりも饒舌に話していたことに驚きながら、
「フィルに用事があるんだって。ウィロウ先生の課題で、本を探すって聞いてたから、
フィルは、親しげに彼女に話しかけながらこちらへ歩を進めてくる。
彼女は、自分よりも少し背の高いフィルに対して、柔らかく微笑んだまま
「なんだよ、白髪」
小さく溜息を吐いてから、フィルはこちらへ目を向ける。光の加減や見る角度によって色合いが碧や翠に変わる様は、以前任務で尋ねた碧く光る湖の底を思い出す。
「これを」
羊皮紙を取り出してフィルに手渡しながら、用件を述べることにした。
「君は
「お、おう」
「ああ、あと」
用事を手短に伝えて、黒髪の彼女へ視線を戻す。
彼女は、
深い森の色をした瞳が、棚に整列されている写本の背表紙を見つめ、細い
「君、
首を傾げる彼女は、先ほど話しかけた時のように怯えてはいないように思える。
しかし、油断をしてはいけない。自分が他人を怖がらせやすいことは自覚している。ここは、慎重に言葉を選ぶべきだ。
「名を……教えて欲しい。君とは、また、その、話をしてみたいと、思った」
言葉が詰まる。
白鎧をヘニオ様から賜った時も、部隊を任された時も、大英雄カティーアと共に任務へ赴いたときも、このように緊張することはなかったというのに。
「私はジュジです。私も、大英雄カティーア叙事詩についてお話しできる相手は少なかったので、
彼女は、自分の名を告げてから柔らかく微笑んだ。
「その、研究や授業もあるので……本当に時々、ですが」
それから、少し考え事をするように視線を動かしてから、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
なんのことかと思ってみれば、それは業務上仕方の無い理由だった。怯えているようには見えないが、困ったような表情を浮かべている彼女を見るとなんだか据わりが悪い気持ちになる。
「もちろん、仕事は何よりも優先すべき事だ。それで構わない」
「はい、ありがとうございます」
にっこりと笑って首を傾げたジュジを見て、怖がらせてはいないようだとわかり、胸のざわめきが止まった。
「セーロス先生、ここにいたんですね。夜の鍛錬について相談をしたくて……」
生徒達の声が廊下に響き渡り、徐々に周囲が騒がしさを取り戻す。
剣術を教えている生徒が数人やってきて、
「すぐに行く。待っていてくれ」
生徒は首を縦に振ると、駆け足で図書室から離れていった。
教えを請うてきた生徒を待たせるわけにはいかない。
「……ジュジ、また、ここで」
ジュジは、穏やかな表情を浮かべて頷いてくれた。
後ろ髪を引かれる思いで、
それが何なのかわからないまま、
夜の鍛錬が終わっても尚、頭からは
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