7-5:Unrequitedー胸に残る違和感ー

「いや、構わない。こちらから君を呼びつけたのだ。時間を作って貰ったこと、感謝する」


 写本を本棚へ戻し、彼女を窓辺に設けてある机へ先導する。

 確か、こういう場合は椅子を引くべきだったか? 貴族の娘達に対しての振る舞いはそれとなく覚えたはずだが……同僚の女性というものに対してこれが正解なのか確信が持てない。

 オレが迷っている間に、ジュジは自ら椅子を引き、しずしずと腰を下ろした。

 授業が終わり、生徒たちは次の授業に備えて移動をしているようで多少ざわついているようだ。

 周囲にいる生徒達の視線を僅かに感じるが、遠巻きから生徒同士で何かを話しているだけのようで、直接用事のある者はいないようだ。

 ジュジに用事でもあるのか? と思ったが彼女も気にしていないようなので、生徒達のことは気にしすぎないことにした。

 それから、彼女が座っているすぐ横の椅子に手を伸ばし、動きを止める。

 それほど親しくない男性が、特別親しいわけではない女性の隣に座るべきでは無い……はずだ。

 彼女と対面の位置まで移動してから、腰を下ろす。

 顔を上げると、正面に座っているジュジは首を傾げてこちらを見ていた。

 小動物を思わせる丸みを帯びた深緑色の双眸が、僅かに細められ、眉尻が僅かに下がっている。ゆるりと弧を描いた薄い唇を見る限り、怯えてはいないと捉えても問題はないだろう。


「セーロス先生、先ほどいただいた目録、目を通したのですけれど……これは」


オレの書庫に保管してある写本だ。同好の士である君にならば、オレ蒐集品コレクションを貸与してもいいと思ってな」


 見開かれた瞳を、すぐに三日月のような形に変えたジュジは、ローブの内ポケットから目録を取りだした。

 目を伏せている彼女の長い睫毛が、昼下がりの太陽に照らされて頬に影を落とす。


オレが180代目と任務に同行した時の逸話などは機密事項となっているので話せないが……先々代に助けられたことは、そうだな、話せる、だろう」


 ゆっくりと顔をあげた彼女の瞳が、オレの目を捉える。


「君がよければ、だが」


 やけに気恥ずかしく感じて、目を逸らしながら咳払いをするとジュジは柔らかい声で「聞きたいです」と応えてくれた。


オレの村が、魔物に襲われた時のことだ……」


 この話をするのは、ヘニオ様に魔法院の兵士となるきっかけを尋ねられた時以来かもしれない。

 じぃっとオレを真剣な表情で見つめながら、ジュジはずっと話に耳を傾けてくれた。

 ずいぶん長く話してしまったな……と一息吐いた頃には、もう図書室へ差し込む光は、赤みを帯びたものに変化していた。

 扉が開く音が響く。

 音が聞こえた方へ目を向けると、緩やかに波打つ金髪の男が立っていた。

 どこかで見かけた覚えがあるな……と思案していると、男を見たジュジが驚いたような表情を浮かべて、素早く椅子から立ち上がる。


金色フリソス、来てくれたんですか」


 弾んだ声をさせながら、彼女は男の方へ駆け寄っていく。

 そして、親しげに金色フリソスと呼んだ男の腕を取ると、彼は流れるような所作で彼女の腰に腕を回した。

 その時、急に胸の辺りが掴まれたような感覚がして、驚いて自分の胸に手を当てる。

 傷が開いたか?

 服の上から目視しても、手で軽く胸の辺りを抑えても異変らしきものは確認出来なかった。


「フィルに聞いたらここだろうと教えられてな。俺の仕事も終わった。一緒に帰ろう」


 彼女の前髪に触れるような口付けを落としてから、フリソスはふっと顔をあげてこちらへ目を向けた。

 黒いローブ……ああ、今朝彼女といた教員の一人か。

 ようやくあの時に見かけた同僚だと気が付いて、挨拶の言葉を投げる代わりに頭を下げる。しかし、彼は眉を顰めて首を傾げただけだった。


「あ、待ってください」


 ジュジが、フリソスにそう告げて彼の腕から離れて、こちらへやってくる。

 幾分か息を弾ませた彼女は手にしていた木簡に、ローブから取りだした尖筆で印を付けてオレに差し出してきた。


「こちら、お借りしたい写本なんですけど……本当にいいんですか? 貴重な物ですよね?」


「君ほど熱心な愛好者になら貸すのは惜しくない。ちょうど用事があったところだ。今度の休日、家に戻る。その際に持ってこよう」


「ありがとうございます。楽しみにしてますね」


 ジュジが頭を下げると、高い位置で括られたあおの黒髪が大きく揺れる。よく手入れされている馬の尾を思わせる彼女の髪は、揺れると甘い薔薇と燻らせた香草ホワイトセージが混ざった香りが微かにする。

 すぐに頭を上げたジュジは、オレに背を向けて、フリソスの方へ駆け戻っていった。

 彼女との距離が離れると、日だまりが遠くに逃げてしまったみたいな肌寒さを感じて、思わず腕を前に伸ばした。彼女の肩を掴みそうになって、我に返る。


「ジュジ……」


「え?」


 目を丸くした彼女が首だけで振り向いた。

 馬の尾に似た髪が揺れて彼女自身の肩をぱたぱたと叩くように微かな音を立てる。その一つ一つがなんだか胸を締め付けてきて、伝えようとした言葉に詰まる。


「また、会えるだろうか?」


「はい、もちろん。写本、楽しみにしてますね」


 絞り出すように告げた言葉に、柔らかな笑顔を浮かべながら応えてくれた彼女は扉の前に寄りかかるようにして待っていたフリソスの元へ駆け足で戻っていく。

 彼女は、フリソスに優しく肩を抱かれて廊下へと出て行った。

 急に襲ってきた穂刈の月の肌寒さを感じながらジュジが手渡してくれた木簡へ目を落とす。

 いくつかの写本に記された×印を見ていると、僅かにだが彼女がいたときとにた温かさが戻ってきた気がして、少しだけ気が和らぐ。


「……用事があるなど、咄嗟に言ってしまうとはな」


 そう独り言ちながら、オレも図書室を後にした。

 本当は家に用事などない。生活に必要な物は運び込ませていたし、武器も魔法院から直接寮に支給される。

 家には使用人がいるので掃除のために戻る必要も無いが……。

 何故自分がそんなことを口走ってしまったのか理解出来ないまま、違和感の残り続ける胸の辺りに手を当てた。

 脈拍が僅かに早い。以前、傷口が開いた時になにか問題があったのだろうか。

 体に問題が出たときは、すぐに相談をしろと命じられている。気が進まないが、ネスルに声をかけ、必要ならもう一度治癒師殿に世話になるとしよう。

 オレは、ジュジから受け取った木簡をローブの内側へしまうとネスルを探すために学院カレッジの庶務室へ向かった。

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