7-2:Replaceable pieceー有能な駒ー

「何をしている」


「ぎゃ!」


 気配を消して後を追ってみると、女生徒は水蛇ヴァルナ寮の門を潜り、三階の窓から垂れているシーツを掴んで壁を登ろうとしていた。

 肩に手を置いて声をかけると、尾を踏まれた猫のような声を出して大きく後ろへ跳ぶ。それから、目を大きく見開いて、短剣を構えながらこちらを睨み付けてきた。

 しかしオレの姿を視認した、女生徒は怪訝そうに首を傾げた。


「なんだよ。白髪しろかみ野郎か」


「ああ……君のことを思い出した。確か……先日、魔物と対峙していたな」


 頭を掻きながら肩を落とす仕草をした女生徒は、手にしていた短剣をベルトにぶら下がっている革の鞘に納めた。

 碧と緑が入り交じった不思議な色合いの瞳を、他人を覚えるのが得意ではない自分でも記憶していたらしい。

 女生徒は、ヤマネコを思わせるつり目を伏せて溜息を吐くと寮の上階を見上げた。


「あたしは大人しく部屋に帰るから見なかったことにしてくれよ」


 こちらに背を向けた女生徒は、そう言って三階の窓から垂れ下がっているシーツを握り、壁に右足をかける。

 それから、こちらの返答を待たずに、シーツの強度を測るためか、何度か力強く引っ張った。

 特に咎めるつもりがないのは確かだ。良い人材だと思って後を追ったものの、具体的にどうしたいのか自分で決めていなかった。


「少し考えさせてくれ」


 このまま見逃すのは惜しいと判断して、彼女を引き留める。

 オレもいつかは死ぬというのは、前回の任務で実感した。

 魔法院のためにも、次期大英雄カティーアのためにも、強い兵士というものは必要だ。かねで鎧の色や階級を買うやつらがいても問題が無いようにしなければならない。

 だから少人数で特級魔物を倒せるオレのような兵士を増やせば問題はないとまで考え、選抜クラスを学院カレッジに設けたが……。ここで彼女を誘う方が魔法院の利益になるだろう。

 そう思ってオレは彼女に一つ条件を出してみることにした。


「……そうだな。条件が一つだけある」


「はいはい、掃除でも買い物でも課題でもなんでもしてやるから頼むよ」


オレの選抜クラスに入れ」


 目を見開いた女生徒は、ゆっくりと瞬きをした後に、シーツを掴んでいない方の手で顎を一撫でする。それから、眉間に皺を寄せながら首を縦に振る。


「……おう。意外な条件だけど、黙って貰えるならそれでいいや」


「手続きはこちらでしておこう。そうと決まればオレは忙しい。君も早々に部屋へ戻るんだな」


「ああ、じゃあな」


 女生徒が壁を登り始めたので、オレも彼女に背を向けて校舎へ戻る。

 名前を聞きそびれたな……と振り向いたときにはもう彼女の姿は見えなくなっていたし、窓から垂れていたシーツもきれいにしまわれていた。

 まあ、先日魔物と戦った女生徒のことを職員の誰かに訊ねれば、名前くらいすぐにわかるだろう。


「……あれは」


 視線を前へ向けると、本塔に続く正門から二人の人影が歩いてくるのが見えた。

 塔から学院カレッジへ来る者は珍しいので注視してみると、あちらもオレに気が付いたらしい。


「げ」


 黒いローブが金糸で縁取りされていると言うことは同僚だろう。

 立ち止まった二人のうち、金髪の男の方は眉を顰めながら体を後ろに仰け反らせてこちらを見ている。どうやら面識があるようだが思い出せない。

 あの赤い瞳に見覚えがある気がするが……。


「セーロス先生、おはようございます」


「そのローブは……学院カレッジの教員だな」


 表情を引きつらせた金髪赤眼の男性教員の代わりに、隣にいた褐色の肌をした女性教員が緊張した面持ちを浮かべたまま軽く頭を下げた。


「先日は魔物の件でお世話になりました」


「ああ、あの時の学者か。そうだ……あの場で魔物と対峙していた女生徒、確か金色の髪をした子だ。あの生徒の名前を知らないか?」


 ちょうどいい。魔物が入り込んだ騒ぎに同席していたなら、きっとあの生徒のことを知っているだろう。そう思い、オレが質問を投げかけると、女の教員は眉を顰めて、僅かに身体を強ばらせた。


「……何か問題でも起こしたんですか?」


「いや、そういうわけではない。オレの選抜クラスに欲しいと思い、本人の承諾を得たまでは良いのだが、名前を思い出せなくて困っていたところだった」


 上擦った声で心配そうに顔を覗き込まれて、少々面食らう。

 そのようなつもりはないと丁寧に伝えると、女の教員は怯えるような表情から一転、眉尻を下げて困惑したような表情を浮かべた。


「ええと……」


 少し迷ったような表情のまま女の教員が後ろへ視線を向ける。金髪の教員は、先ほどまでオレから顔を逸らすようにそっぽを向いていたが、渋々といったような様子で溜息を吐くと、気怠そうにこちらへ向き直った。


「あいつはフィル。ヴァルナ寮、高等部に在籍しているが諸事情で座学は初等部と中等部を取っている」


「情報提供感謝する」


 不機嫌そうな表情でそれだけ告げて、金髪の教員はもう一人の教員の肩を抱き寄せて背中を向けた。

 どうやら、以前なにか不快なことをしてしまったらしいが、心当たりがありすぎてわびることすら出来ない。わびたところでいつも不興を更に買ってしまうので、黙った方がいいという処世術は身に付けたが……。

 他人の名を覚えることも顔を覚えることも不得手だという至らぬ点が原因なので、不快に思う相手のことを悪く言うつもりはない。

 更に、どうも気の利いた一言というものが言うということもできないらしい。

 至らぬ点が多いオレでも、幸い慕ってくれる部下などはいる。そのお陰で実力がすべてではない場所で煙たがられたり、嫌がられたりするのは慣れている。

 呼び止めることをせずに、二人の背中を見送って、オレは忘れないうち先ほど聞いた名を書き留めておこうと、立ち止まる。

 ローブの内ポケットへ入れていた書写板を取りだし、名を書き終わったところで、背後からこちらへ近付いてくる足音が耳に入った。聞き覚えのある足音だ……と振り向いてみると、背の高い男と目が合った。


「めずらしいっすね。あんたが大英雄カティーア以外に興味を持つなんて」


 目が合うなり声をかけてきたのは手錠マニカエに所属しているはずの男――ネスルだ。


「雑務なら自分オレがやっておくっすよ。確か、フィルってのはジェミト先生の妹っすよね」


「ネスル……お前か。まあいい。手続きを頼む」


 辺境の村ケトム・ショーラで倒れたオレを回収したネスルは、どうやらその後学院カレッジでの潜入任務を遂行中らしい。

 長く伸びた前髪を下ろしているため、鋭い鉛白色の三白眼がすっかり隠れている。

 目付きの悪い男とだけ覚えていたので最初はこいつが誰だかわからなくて苦労したが、最近は前髪をうっとおしいくらい伸ばしている背が高い男と覚えることにした。

 付き合いもそれなりに長いこいつは、オレが名を覚えている数少ない部下以外の人間だ。


「いやあ、まさかあんたが教師になるとは思わなかったっすよ。ヘニオ様は何を考えてるんすかねぇ」


「ヘニオ様直属の手錠お前らが把握していないことをオレが知るはずもないだろう」


 軽口を叩きながら、ネスルは事務室へ向かってオレと並んで歩を進める。


「直属って言っても、まあ自分ともう一人以外はが死んじまったんすけどね」


 災害級の魔物が魔法院に突如発生し、ヘニオ様が負傷した日、彼ら手錠マニカエは大半が命を奪われた。

 大英雄カティーアの強さはオレが誰よりもよく知っている。しかし、大英雄は死に、当然ながらその場にいた十人の手錠マニカエたちも全員死んだ。生き残ったのは離れた場所でオレと一緒に行動をしていたネスルと治癒師だけらしい。


「ええと……これで手続きは完了っすよ」


「……助かった。感謝する」


「仕事っすからね」


 ヘニオ様に大怪我を負わせ、大英雄を失った事件が起きた時、オレは何故遠くにいたのだとこいつに八つ当たりのようなことをした。

 だが、こいつはそんなことは気にしていないらしい。

 あっというまに手続きを終えて、羊皮紙をオレの上へ載せると、そのままどこかへ立ち去ってしまった。

 さて、この羊皮紙をあの女生徒――フィルに手渡さないといけないのだが……。

 フィルを探そうにも所属する寮を知っているだけで、普段の行動を把握しているわけではない。

 仕事終わりから朝まで生徒の寮近くでで待ち伏せをするというのはいささか面倒だ。

 壁により掛かって思案していると、どこからともなく薔薇の良い香りが漂ってきて、オレは顔を上げた。

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