Celos

7-1:Unfamiliar mission.ー新たな使命ー

 「……生き残っちまったか」


 悲鳴以外の声が聞こえた。僅かに不満そうな感情を滲ませた男の声。

 石造りの暖炉の中に小さく体を丸めるようにして隠れていたら、すぐ横の壁に大きな穴が空いて、傾いた屋根から土や石、それから板が大きな音を立てて崩れ落ちてきた。

 驚いて硬直をしているオレの視界は舞いあがる土煙だけが見えていた。そんな中、ぬっと顔を覗かせたのは白いローブを実に纏った細身の男。

 さきほど聞こえた声の主なのだろう。止まない悲鳴の中で、唯一聞き取れる言葉を話すとしたら、ここで平気な顔をして立っているようなこの男くらいのはずだ。


「確かガキは持ち帰れって話だったよな。クソ、面倒だ」


 両腕を腰に当てながら、その男は芝居がかったような大袈裟な動きをして溜息を吐いた。そして、まだ暖炉の中から這い出さずにいるオレに手を差し伸べてきた。


「よぉ、ガキ。歩けるか? じゃあ、これを持って走れ」


 腕を惹かれて立たされるなり、胸に何か硬くて大きいものを突きつけられる。よくわからないまま黒塗りの小箱をとりあえず両手で抱えるオレを見た男が、前方を指差しながらそう告げてくる。

 辛うじて見えたのは、目深く被ったフードの中から覗く血のような色をした瞳。光の加減のせいなのか顔は見えにくい。

 オレは、自分が手にしている箱へ目を向ける。ごつごつとした模様が刻まれた黒い小箱は、見た目の割に重くはない。


「死にたくないなら、せいぜい必死に走れよ」


 死にたくないのかも、自分でよくわからなかった。

 ただ背中を押されたから……という消極的な理由で、大人たちよりも大きな姿の魔物が闊歩する村を無我夢中で足を前へ進める。血の匂いを嗅ぎつけた山犬みたいに素早い動きでオレの元へ集まって来た魔物たちを、白いローブを着た男が次々と倒していく。

 ずっとここで暮らしていたはずなのに村はオレが隠れている間にほとんど面影を残さないくらい変わり果てていた。

 あちこち建物は崩れているし、知った顔が血まみれになって倒れていたり、食い散らかされたりしている。魔物が出たと大人達が騒いでからすぐに村に来てくれた銀の鎧を身に付けた厳めしい大人たちも、村のみんなと同じように無惨な姿に変わり果てていた。

 進むにつれて、まだ剣を振るっている大人たちが目に入るようになってきた。けれど、オレを助けた男みたいに軽々と魔物を倒しているわけではない。

 どちらかというと、魔物にやられて喰われている方がよく目に入る。

 そんな絶望と死と血の匂いが満ちた中で、一人だけ白ローブの男だけが舞うように戦っていた。それが酷く美しく見えて、オレの恐怖心を軽くした。


「ガキ! それを右に投げろ。思いっきりだ」


 言われた通りに抱えていた黒い箱を右に投げる。すると、家よりも大きなミミズに似た黒い魔物が地面から飛び出してオレと男の頭上に影を作った。

 腕に太陽みたいな色をした炎を纏わせた男は、地面を蹴って高く跳ぶと、魔物の頭を勢い良く殴りつける。

 あれだけ恐ろしく見えていた巨大な魔物は、紫色の粘液をまき散らしながら地面に横たわり、あっけなく動きを止めた。

 きっと、神様が気まぐれでオレを助けてくれたのかもしれない。この白い美しい男は神様が遣わした神々しいなにかなんだ。


「かみ、さま……」


 粘液を浴びてべたべたになったローブをどこからか呼び出した水で濯いでいた男は、オレが思わず漏らした言葉を聞いたからか、その場で立ち尽くしている自分に近付いて来て手を差し伸べてきた。


「神じゃない。お前の命の恩人は大英雄カティーア様だ。覚えておけよ?」


 ニヤリと不敵に笑う口元だけが見える。男はやってきた灰色のローブを身に纏った大人たちにオレを引き渡して背中を向けた後に、思い出したように振り返ってこう付け加えた。


「恩を返したいのなら魔法院で捨て駒にでもなることだな」


 顔はよく覚えていないが、その言葉と、血のように赤い瞳をオレはずっと忘れていない。

 

 目を開くとまだ登り切らない太陽に薄らと照らされた天井だった。

 懐かしい夢を見たな……と独り言を漏らしながら、オレは、180代目のカティーアと仕事をしたことを思い出す。フードを深く被っているお陰で顔は見えなかったが、影の中で浮かび上がるあいつの瞳は、かつて見た英雄と同じ、血のような赤だった。

 オレと似た色の瞳。自分が次期カティーアに選ばれるのかもしれないなどと夢見た幼少時代もあった。しかし、残念なことに……というか、当たり前のことだがただのヒト族の自分には魔法の素養なんて物はない。

 子供とはいえ、無邪気な夢を胸に抱いたいたものだ……と苦笑しながら体を起こす。

 懐かしい夢のせいか、少し体が重い。

 朝の鍛錬を始める前準備を行うために徐々に背筋を伸ばして体をほぐしていく。


 寝床から抜け出して、肌着を纏うと、まだ生々しい痕が残る傷跡が目に入った。

 肩の傷は確か……辺境の村ケトム・ショーラへの任務で、村長が使った謎の魔法で付けられたものだ。

 それからの記憶は曖昧で、思い出そうとすると頭の奥がずきりと重く痛む。

 ヘニオ様からは、災害級の魔物から剥いだ外殻を利用した黒鎧と氷の魔法を封じ込めた魔石の相性が良すぎて事故を起こしたとだけ告げられたが……。


オレが、任務を失敗するとはな」


 自分のせいではないとヘニオ様直々にお言葉を頂いた。

 それでも、たかが辺境の村一つ落とせなかったこと、力に呑まれて暴れ、記憶を失っていること、そして……繁葉の月から穂刈の月夏が終わるまで碌に動け無かった自分に腹が立つ。

 今は夕闇の月秋の暮れ……、胸に刻まれた傷はもう痛まないが、軽く撫でると真新しい赤みを帯びた皮膚の凹凸がこの傷が酷かったことを物語っている。

 手錠マニカエにいる貴重な治癒師のお陰で一命を取り留めたそうだが……オレにそんな価値があったとは思えない。


 己の価値など考えていても仕方が無い。瓶に溜めた水を頭から浴びて気持ちを切り替えて、ブーツの紐を締める。そして、今まで身に付けていた鎧の代わりに、支給された黒いローブを羽織る。

 一時的な所な上、ヘニオ様から直々に次世代の育成に携わる経験も必要だと言われたが……学院カレッジに自分が教員として在籍するのはまだ慣れない。

 もう体は十分に動く。金で白鎧の地位を買った軟弱者共よりは、病み上がりのオレの方がよほど動けると思うのだが……。

 

 そこまで考えて自分の思い上がりを戒めるために両頬を手で軽く叩く。

 オレは道具だ。余計なことを考えるべきではない。学院カレッジの中から新たな大英雄カティーアが生まれるかもしれない。そう考えれば、このぬるい環境も悪いことばかりではない。

 身支度を調えてから、鍛錬も兼ねて宿舎を出て軽く走る。冬が近付いて来ているからか、吐き出す吐息が白い。

 学院カレッジの周りを二周ほど走り終わり、ちらほらと大通りに人の声がし始めてきた。視線を上げた先では、見覚えのある女生徒が職員用の寮から駆けて出て行くのが見える。

 周囲を見回して人目が途切れたのを見計らっていたらしい女生徒は、肩甲骨を隠すほど長い金色の髪を靡かせて、背丈の二倍はありそうな塀を素早い身のこなしで跳び越えた。

 どうやら、オレのことは門の後ろにいたお陰で見えなかったらしい。

 アレだけずば抜けた身体能力を発揮した女生徒は、素知らぬ顔をして大通りを横切って走る。あれほどの人材ならば魔法院を支える良い剣士になれるだろう。そう思ったオレは、気が付けば彼女を追いかけていた。

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