4-14:THE NAME‐贈り物‐

「姉さん!」


 担がれていたファミンが、カティーアの手から抜け出して転びそうに成りながら走っていく。

 嫌な予感がして手を伸ばしたけれど、ファミンの腕はつかめずに私の手は空を切る。


「……姉さん、ねえさ……」

 

 私の動きに気がついていたカティーアが、姉にもう少しで触れられそうなファミンの首根っこを掴み、そしてその腕を引いた。

 風切り音とともに、ファミンの鼻先を鋭利な鎌のようなものが通り過ぎる。


「せっかく殺してやろうとしたのに」


「目覚めるなり、実の娘を殺そうってのは穏やかじゃないねぇ」


 右腕を鎌のような形に変えたドゥダールが自分を睨んでいるのを見て、カティーアは私とファミンから手を離すと、少し大げさに肩を竦めてみせる。


「こんな出来損ないなんて生かしておかなきゃよかった!そうすりゃあたしは幸せに暮らせたんだ」


「あたしのことは殺していい!だから姉さんは……姉さんは壊さないで……」


 鎌を大きく振りかぶってカティーアに凄んでみせたドゥダールの前に、ファミンが立ちふさがる。

 まだ足がうまく動かない私は、カティーアに支えられながらやっと立ち上がると、見つめ合っている親子に目を向けた。

 さっきまで凛々しい顔をして剣を振るっていたファミンと同じ人物とは思えないくらい、彼女の声は上ずっているし、足も震えている。

 親に縋ることでしか子供は生きていけない。だから……ファミンの気持ちが少しだけわかって胸が痛くなる。


「まだあの化け物を姉さんなんて言ってるのかい?もういっそのこと一緒に死んじまいな」


 真っ赤な唇の片側を吊り上げてニタリと笑ったドゥダールは、鎌のように変形させた腕を振り下ろす。


「ぐ……」


 次の瞬間、口元から血を滴らせくぐもった声を上げたのはファミンではなくドゥダールだった。

 鎌の切っ先はファミンに当たることなく、そのまま大きく曲がってドゥダール自身の腹を貫いている。


「は?どうなってるんだこれ……」


 ジェミトとシャンテの戸惑った声がする。

 今の状況をどう説明しようかと考えあぐねていると、ドゥダールの背後にあったファミンの姉だったものが淡い光を発し始めた。


『時が来た』

贄の娘ラクスは解き放たれた』

『氷の檻無き今こそ我らの盟約を果たす時』

『贄の娘の残滓を持つものよ……汝に幸のあらんことを』


 声が聞こえた。

 多分……私とファミンにだけ聞こえる声。

 徐々に強くなった光は夜空にまで届くような円柱になって消えた。

 光に驚いていると、光で目覚めたかのようにさっきまで半楕円状に固まっていたファミンの姉―ラクスが、粘獣のように地面を這った。

 素早い動きでドゥダールを捉えたラクスは、彼女の身体を足元から呑み込んでいく。


「な……なんで今さら動くんだ!グズ!化け物!さっさと離れろ」


 気がついたときにはもう顔から下がすっぽりとラクスに包まれて動くことも出来なくなっていたドゥダールは、絶望の表情を浮かべながらもラクスを罵り、目の前で立ち尽くしているファミンを睨みつけた。


「ぐっ……げっ……早く……助け……役立たず……ああ……」


 ファミンは、動こうとしない。目を不安そうに泳がせている間にドゥダールは頭の先まですっぽりとラクスに包まれ、声もあげられなくなった。

 そのままドゥダールを飲み込んだラクスの体の中が真っ赤になる。

 それが、体内に生やされた無数の棘でドゥダールが貫かれたせいだとわかったのは、ラクスが無造作に彼女の死体を地面に吐き出してからだった。

 

 ラクス……だったものは黄褐色の光を放ちながら粉になって空へと登っていく。身体を天に還しながらも、再び粘獣のように地面を這ってきたそれは、ファミンではなくて、彼女の後ろに立っている私の方へ一本の触手を伸ばしてきた。


「待って……多分大丈夫です」


 先程ドゥダールを無残な姿に変えた化け物だけど不思議と怖くない。私に危害を加えることを危険視したカティーアが炎を手に纏わせる。でも、私はそんなカティーアの手を取って攻撃を止めてもらった。

 敵意がないのがわかる。多分、これは私がやるべきこと。

 私は、柔らかい橙の光を放つ触手にそっと触れた。


『伝えてくれ大いなる器アークの少女……我らの言葉を……』


 腕をそのまま引っ張られて、透き通っていて黄褐色に鈍く光るラクスだったものに飲み込まれる。

 不快でも怖くもないのは、きっと彼らの声が暖かくて、ここは草の匂いがして冷たくないから。

 ポカポカと温かい液体の中に飲み込まれると同時に、ラクスの記憶が頭の中に流れ込んでくるのがわかる。




―わたしは悔いていた


―わたしは嘆いていた


―だから、わたしは願った


―あの子が幸せになりますように



 病気で弱っていく父の姿。

 村の男と享楽にふける母から耳をふさいで寝たふりをする日々。

 母に殴られているファミンを見るしか出来なくてやるせなかったこと。

 あの魔法使いからもらった宝石に祈った本当の願い。


 目を開くと、橙色がかった景色が見える。

 心配そうな顔のカティーアたちに声をかけたいけど今はできないみたい。

 私の身体は、今にも泣き出しそうな顔をしているファミンを見る。手の代わりに触手が動いて、ファミンの青と緑が入り交じる瞳からこぼれ落ちた涙を掬った。


「ファミン……大切な妹。もうひとりのわたし……ごめんね、助けてあげられなくて……ごめんね」


 私の口が、私の声が勝手に動き出す。

 ラクスの言葉が、私から流れ出す。


「あなたはこれからもわたしの分まで生きるの……飢えた子ファミンなんて名前は捨てて……」


 ファミンが私が差し出した触手をギュッと握りしめる。

 彼女が握った部分がまるで太陽に照らされたみたいに熱くなるのがわかる。


「わたしからの最期の贈り物だよ……満たされる子フィル……その名前で……わたしの分まで幸せになってほしいな」


「姉さん……あたし……全然、姉さんがいればそれで……」


 ポロポロと大粒の涙が、新たにフィルと名付けられた少女の頬を伝って落ちていく。

 もう涙を拭いきれなくて、触手は彼女の少しぱさついて色あせた金色の髪の毛をそっと撫でた。


「ごめんね……願い事……失敗しちゃったから……ごめんね……今までありがとう」


 砂のように崩れながら半液状の物体が私から離れる。完全にそれらが私から離れきる直前に一人の少女の姿が瞼の裏側に見えた。綺麗な金色の髪をしたファミンと同じ顔の少女は私に寂しそうに微笑んでそのまま消えていった。

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