4-13:Be Clad In Flameー焔を纏う剣ー
カティーアは私の「任せてください」という言葉に笑って頷くと、片手でファミンを持ち上げて肩に担いだ。
ファミンが「離せよ」と彼の背中を叩いてるのに、それを「こっちのほうが早い」とだけ言って彼はくるりと背中を向ける。
「頼む」
彼の足が地面を蹴る前にそっと髪に触れられて、溶けてしまいそうなくらい優しい声が耳の奥を撫でていく。
カティーアが青みがかった灰色のローブを靡かせながら屋根から屋根を飛び移って大蛇に向かっていく。
カティーアみたいに炎や氷を作り出すことも出来ないし、セルセラみたいに彼の影に潜んで敵を倒す手伝いをすることは出来ないけれど……私には私にしか出来ないことがある。目眩ましをすることは得意だ。
大量のツルを街中に張り巡らせるために、私は目を閉じて精神を集中する。
「っう……」
こめかみに鋭い痛みが走ってすぐ消えた。
頭の中によくわからない映像が流れ込んでくる。大きな苔に塗れた大木……たくさんの妖精……下半身が鹿の妖精に
セルセラの記憶……じゃないことはわかる。
深呼吸をすると、身体が勝手に動き出す。嫌じゃない。
まるでこれがするべきこと……そう知っているような知らない誰かが言っているみたい。
知らない声に導かれるように、私は片膝をついてひざまずくような姿勢になると、両方の手で地面に触れた。
「
私の声じゃないみたい。
話したこともない聞いたこともない言葉が勝手に口から紡がれる。
唄にしては短く、詠唱にししては長いそれの意味は何故かわかったけれど、驚いている間に巨大な深緑色の魔法陣が地面から浮かび上がる。
そして、地面から浮かんできた魔法陣は大蛇と向き合うような位置で止まるとそのまま眩く輝き始めた。
地響きのような音と共に魔法陣は消えて、それと入れ替わるようにして緑色の風が波紋のように音がした場所の中央から広がっていく。
甘くて濃い花の香りがする魔法の緑風が魔物に触れると、魔物たちは次々と鱗の一枚すら残さずに消えていく。
地面に倒れていた魔物たちも、石畳にこびり付いていた魔物の紫色の粘液もまるで最初からそんなものなかったみたいに消していく緑色の風が、ジェミトとシャンテの目の前に迫っている。
どうなるのかわからなくて手をのばす。ツルの壁を作って間に合えばいいけど……そう思っていると、ツルが出るより早く風は両腕を前に出して身を守るような格好のジェミトとシャンテを通り抜けていった。
ほっと胸をなでおろしていると、その風は私が出した魔法陣から出たアレのついでだったということに気がつく。
消えかかった魔法陣からは、立ち並んでいる家ほどの高さもある見慣れない生き物が姿を現していたからだ。
それは、さっき頭痛がした時にみた
まるで大きな樹木そのものが動いているみたい。
左右に生えている太い枝のような腕を振り回しながら
尾を振り回し、家々を破壊していた大蛇は、こちらを向いてチロチロと二股に分かれている舌を出す。
こちらを向いたのならちょうどいいといわんばかりに、
口を大きく開けてシューと威嚇音を立てている大蛇だったけれど、それを物ともせずに近寄ってくる大きな邪魔者に対して威嚇をやめて体をよじった。
そのまま回転を加えた動きで大蛇は尾を
ベシンと音がしたけれど、
尾で相手がひるまないとわかった大蛇が今度は大きな口を開いて、自分のすぐ近くにある枝の部分に牙を立てる。ミシミシと牙が身体に食い込んでいるけれど、痛みを感じていないのか
足元にはカティーアとファミンがいて、キョロキョロと大蛇に近づけそうな場所を探しているみたいに見える。
「ジュジ!なんなんだあれ?」
肩を揺すられてハッと我に返る。
いつのまにか目の前にいたジェミトの手を握って頭を左右に振ると、ぼやけていた景色がくっきりと見えるようになった。
「私にもよくわかってないの!」
「とにかく、街はオレたちに任せてあっちにいってやれ」
ちょっと頭がぼやっとするけど大丈夫。そう自分に言い聞かせてジェミトに「ありがとう」と言って私は走り出した。
さっき見えたのが幻の類じゃないのなら、二人は足場を探しているはず。
「カティーア!」
ファミンを抱えたままのカティーアが見えてきた。私が背後から声をかけると、カティーアが驚いたような焦ったような顔をしてこちらを向いた。
「ジュジ、アレはどうしたんだ?」
「今はそんなことより、ファミンを早くあの場所へ」
なにか言いたそうなカティーアの話をはぐらかしながら、私は彼の手を取って目の前で蠢いている大蛇の腹を指差した。
「私がツルを巻きつけて足場を作ります」
しゃがみ込んで、地面に自分の両手を触れさせた。
「は?」
カティーアの驚いた声が聞こえると同時に目眩がして、身体から急に力が抜けていく。
何に驚いているのかもわからないまま、私はふらつく身体を立て直せずにそのまましりもちをついてしまった。
「はわ……」
グイとお腹のあたりに腕が入ってきて身体を持ち上げられる。
カティーアはファミンをおろして、代わりに私を持ち上げていた。
「無自覚にこれをやったのか……。ったく……後で話を聞くからな」
カティーアが顎で指した方を見ると、
大蛇はなんとかそこから抜け出そうと、太い樹木に噛みつきながら体を僅かにうねらせる。でも、
「一気に行くぞ」
私を抱き上げて駆け出そうとするカティーアの足元が急に緑色に光る。
あっという間に地面から生えてきた木々が階段のような道を創り出した。それは、大蛇の頭の上にまで続いている。
「ごめんなさい」
走り出したカティーアの顔を見て泣きそうになる。
役に立ちたかったのに、私は結局彼の足手まといになってこうやって自力で動けずに運ばれている。
もう少し出来ると思ったんだけどな……と思っていたら目に涙が浮かんできてしまう。今は泣くべきではないってわかっているのに。
カティーアの後ろを走っているファミンを見て更に申し訳無さがこみ上げてきて、情けない気持ちになっていると、頬に温かい手が触れて涙を拭われた。
「あのデカイ木についてお説教をしようと思ってたんだけどな。大丈夫、十分すぎるくらい助かってる」
少しの間だけ……そう思って私はそのまま彼の胸に顔をうずめた。
ギチギチという大蛇が
拘束を免れている大蛇の尾だけが地面や建物を叩いたり、
大蛇の頭上まで辿り着くと、さっきまで私達が走っていた木の道は緑色の甘い匂いのする風になってどこかへ消えてしまった。
「金髪!早く」
「へいへい。剣を用意してしっかり構えろよ?」
自分の姉の元へ駆け寄って剣を構えているファミンに言われて、カティーアは私を下ろすと彼女と共に大蛇の頭上に生えた宝石の元へ向かう。
足を肩幅に開いたファミンの手には、輪郭が殆ど見えないくらい薄い、ガラスで造られたような剣が握られている。月の光を時折跳ね返すその剣は、多分子供の背丈くらいの長さがある。
カティーアは、ファミンの両肩に手を乗せると、薄く形の良い唇を尖らせてフゥっと綿毛を飛ばす時みたいに優しく吐息を吐いた。
彼の吐息は、真っ赤で細い炎の光になってファミンの剣にまとわりついていく。
ファミンの剣を螺旋を描きながら包み込んだ炎は、彼女の緊張した面持ちを鮮やかな赤で照らし、チリチリと小さな音を立てた。
「よく見てろよ」
肩越しに腕を伸ばしたカティーアの指先が、ふわっと柔らかいものを撫でるように動く。
彼の指先からそっと離れた赤い光の粉たちは、ユラユラと揺れながらドゥダールが閉じ込められている黄褐色に光る宝石の表面を撫でるように走っていく。
宝石の表面を覆った光の粉たちはキラキラと明滅して夜の闇の中へと戻っていった。
「わざわざ目印を残していやがった。
ちょうどドゥダールの心臓あたりにぼうっと浮かび上がったのは一本角を生やした蛇に小さな鳥の足を一対生やしたような奇妙な生き物の絵だった。
「目印」と呼んだその絵を見てカティーアが苦笑する。
「ここを貫け。中のやつは多分傷つかない。だから思いっきりやっちまえ」
カティーアはそう言ってファミンの背中から離れた。
静寂が辺りに張り詰める。スゥッとファミンが息を呑む音がして、彼女は足を思い切り踏み込んだ。
――カキン
まるで楽器のように透き通った綺麗な音が響いて、ファミンの剣先が「目印」の中心に食い込む。
静かに佇んでいるだけだった宝石は、剣が刺さった場所小さなヒビを作った。そして、ひび割れはあっという間に宝石に広がっていく。
「……っ」
ファミンが剣を抜くと、パキパキという乾いた音と共に宝石が砕けていく。
パラパラと足元へ落ちたはずの宝石の破片は、蛇の胎内に吸収されてしまうみたいにすぐに見えなくなった。
グラっと足元が揺れる。
気がついた時には、私とファミンを両肩に担いだカティーアが足元を蹴って跳んでいた。
地面が近付いてくると、ぶわっと風が吹いてきて葉っぱが空高く舞い上がる。
やけにゆっくり地面に着地したカティーアの足元を見ると小さな緑色の魔法陣が消えかけていた。
なんでわかるのか自分でもわからないけど、これは
「大蛇が……」
さっきまで確かにこの街で暴れていた大蛇は、砕けずに半分ほど残っていた宝石の中へ吸い込まれてどんどん小さくなっている。
みるみるうちにあんなに大きかった黒い蛇は消えて、壊れた石壁があった場所には気を失って倒れているドゥダールと、子供一人分ほどの大きさのぷるぷるとした黄褐色の塊が並んでいる。
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