3-27:Voice of regretー悔いる声ー

――……ヤール…………すれば…………――


 謎の声が脳に響いて目を開く。

 意識が途切れている間に景色が変わっていることに気がつく。

 ハッとしてあたりを見回すと部屋の外に立っていた。

 家の周り以外は一面の雪景色だったはずのさっきまでとは違い、全く別の地域のように雨と草の匂いが立ち込めている。

 季節が違う?眠らされていた?場所の移動?

 あの戦斧になにかが仕込まれていたことには変わらないが、とにかくあの場にいた全員に影響を及ぼしたものだとしたらジュジも巻き込まれたのかもしれない。

 魔力や魔素を探ろうとしてもうまく周囲の様子が見えない。


 目と足で探すしかない……か。

 とりあえず誰か探してみないと話が始まらない。そう思って辺りを注意深く見ながら歩いていると、俺と同じようにキョロキョロと辺りを見回しながら歩いていたジェミトと鉢合わせた。


「ジュジの師匠か……。ってことはシャンテも近くにいるかもしれねーな。手分けして探そうぜ」


「そうしたいところだが、ここは……」


 なにかの気配を察知して話を止める。ジェミトも同じだったようで、二人で気配のする方へ視線を向けながら咄嗟に茂みの中に身を隠した。

 ジェミトを見て、実際にそこにいる存在とこの場所の違和感には気がついたが、まだ仮説の状態だ。用心することに越したことはない。

 茂みの中に隠れて息を潜めている俺達の目と鼻の先を、馬と変わらないほどの体高の赤銅色の毛並みをした巨大な狼が通り過ぎていく。

 狼は傷を負って弱っているのか怒っているのか、口から僅かな火炎と黒煙を漏らしながらゆったりと歩いていたが急に足を止め、その場に横たわった。


 身の危険を感じて武器を手にしたジェミトの手を抑えて首を振って静止する。

 狼の後から金色の髪をした女性が現れたからだ。ジェミトもそれがわかると頷いて武器を地面に下ろした。


「よかった。まだ森にいてくれたのね」

 

 どうやら女性は狼に対して話しかけているようだ。ゆるくウェーブのかかった髪の毛をかき上げながら狼の鼻先に屈み込んだその女性は穏やかな顔で狼の頭に手を伸ばす。

 

「昨日のお礼に、ミルクを持ってきたの」


 どことなくネコ科を思わせるその女性は、小さな体で抱えるようにして持っていたそこそこ大きな壺を傾けて、中にはいっているミルクを浅い器に注いでいく。

 目の前に差し出されたミルク入りの器と女性を見比べていたが、食欲には抗えないのか、狼は女性を上目遣いで見ながらおとなしくミルクに口をつけた。

 舌でピチャピチャと音を立てながら喉を潤していた狼は、器を空にすると、女性の髪の毛に鼻先を突っ込んで頭をこすりつけながら口を開いた。


「……俺が怖くないのか?」


「全然。貴方、私に噛み付いたりしてこなかったし、こうしてお話できるんだもの」


 無邪気に微笑んだ金髪の女性の頬に、狼は自分の濡れた鼻を押し付ける。

 人語を話す巨大な赤銅色の狼……俺の中に入ってきたあの頭の個体と同じか?

 なんだか胸の奥がザワザワする。

 俺は隣にジェミトがいるにも関わらず、女性と狼のやりとりを食い入るように見つめていた。


 横たわった狼の上に寝そべりながら会話をしていた女性だが、どこからか鳴る乾いた鐘の音で体を起こす。女性が狼へ手を振って、狼が鼻を「クゥン」とさみしげに鳴らしたところで予想通り急に辺りの風景がゆがみ始める。



――どうして……オレはずっとそばにいたのに……どうして君は――


 記憶の持ち主らしき声もはっきりと響いてきた。

 予想通り、これは誰かの記憶世界らしいとわかって安堵する。

 何故ジェミトが一緒にいるのかはわからないが、意識だけが取り込まれているのだとしたらジュジと恐らくシャンテはあの家の中にいるのだろう。

 ジュジに危険はないと安心した俺はゆっくりと記憶の鑑賞を楽しむことにして、グニャグニャと歪む足元の景色を気にせずに腰を下ろして座り込む。


「なんだこれ!?どうなってんだ?」


 足元も頭上もひっくるめて景色と闇がかき混ぜられるように溶け合う光景が広がる中で、ジェミトは立ち尽くして大きな声を出している。

 仕事で誰かの記憶を見る経験もあったから、記憶世界にも記憶の転換中の光景にも慣れているが……説明もされずに急にこんな目に遭えば焦るのも当然だ。


 立ち上がってジェミトの元まで歩いていって手を差し伸べる。ジェミトは俺の手をそっと掴んでもう一度「どうなってんだ?よく落ち着いていられるな」とこわばった表情をこちらに向けてくる。


「多分これは誰かの記憶だ。あの戦斧の中に俺たちの精神だけ取り込まれたんだと思う」


「シャンテとジュジは……無事なのか?」


「多分な」


「よかった……」


 二人は無事だろうと聞いた途端、緊張がほぐれたように朗らかに笑うジェミトを見て、頭の片隅がチリ付く。

 俺みたいに感情を隠さないこういう男が確かにジュジには必要なのかもしれないと自分に言い聞かせながら、適当な場所に座って次の場面が構築されていく様子を眺めた。

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