3-13:What a crybabyー二度目の涙ー

 自分の呻き声で目を覚ますと、そこはいつも通りの自分の家だった。

 久しぶりに見た昔の夢。夢だよな? ということを確認するために隣を見てみると、シャンテが寝息を立ててぐっすりと眠っている。

 あの日彼女から託された子供……シャンテ。カンターレ譲りの整った顔と緑がかった金色のサラサラとした髪に指を通して、よく寝ていることを確かめてからそっと寝床から抜け出した。


 悪夢を見たからか、体中汗を掻いている。このまま寝直すのも嫌だった。体を拭えば苦い気持ちと一緒にさっぱりするだろうと目論んで、広間の隅にある水瓶へと向かった。


 室内で焚いている火のほのかな光を頼りに、同じ部屋で寝ている他の兄弟たちを踏まないように気をつけながら部屋を出る。広間へ出て杓で水を汲み、顔を洗うために土間へ向かうと、窓辺に佇んでいるジュジが目に入った。

 狼に襲われているところを見かけてたまたま助けた彼女は……どうやら複雑な事情を抱えているらしい。

 本人が言うには剣の修業のためにあちこちを旅して回っているのだが、師匠と雪崩で離れ離れになったと言っているが……今は夏になっても雪が解けないからと山向こうの商隊がこちらへ来るルートは先日封鎖されたはずだ。元は素直な性格なのだろう。嘘をついていることを申し訳なく思っているのがなんとなく伝わってきて、そういう性格だからか放っておけなくなる。


 ここらへんではあまりみない真っ黒な、夜から紡ぎ出したような美しい髪と、俺と似た褐色の肌をしたジュジは、カンターレに似た深い緑色の瞳で外の景色をぼうっと眺めている。


師匠が恋しいホームシックか?」


 杓を適当なところへ置いてから、からかうような口調で話しかける。振り向いた彼女は驚いたように目を丸く見開いていた。

 まだあどけなさを残す彼女にカンターレと似た雰囲気を感じながら、オレはジュジの頭に手を当てて少し乱暴に撫でた。

 目を閉じて心地よさそうな顔を浮かべたジュジの表情が少し和らぐ。一人で外を眺めていたときよりは安心したのかオレに向かって微笑む。その姿が子犬を連想させて思わず笑ってしまうと、ジュジは拗ねたように頬を膨らませた。


「まだ二日しか経っていないのに……カティー……し、師匠と離れたのは初めてなのでなんだか寝付けなくて……」


「言っただろ? 寂しいときは肌を触れ合わせ……」


「お断りします」


 ジュジは真面目な顔を一瞬作ってそう返事をしてきた……がすぐに耐えきれずにケラケラと笑いだした。オレもつられて笑う。


「オレもしばらく眠れそうにねーからさ、またなにか話してくれよ。そうだな……お前の師匠についてとか?」


 すっかり目が冴えてしまった。でも、夢でみた苦い記憶の口直しは出来そうだ。

 オレは共用の広間の中央にある焚き火の前に陣取ると、敷いてある毛皮の上をポンポンと叩いて窓辺に立つジュジの方をみた。


「ししょう……」


 隣に腰を下ろしたジュジは、オレに無遠慮により掛かる。

 伏し目がちにしているお蔭で睫毛が頬に影を落としている。彼女の切なげな表情に少しだけドギマギしたことを気取られないようにしながら、オレは椅子代わりに部屋に置いている丸太によりかかった。

 パチパチと心地よい音を立てている焚き火に目を向ける。

 その時、一瞬だけ背筋がゾクッとしたような気がして慌てて立ち上がった。


「どうかした?」


「ん? いや、なんでもない」


「つかれてない? 無理はしなくてもいいよ?」


 辺りを見回してみたけど、おかしなものも見えないし、一瞬感じたはずの気配も既に消えている。

 あんな夢を見たから神経質になっているのかもしれない。

 オレは改めてジュジの隣に腰を下ろすと彼女の髪を再びクシャクシャと撫でる。


「恋する乙女の悩みくらい、経験豊富なオレが聞いてあげよーじゃねーか」


「ち……ちがうもん」


「じゃあ、そういうことにしておいてやるから話してみろよ」


「好きな人となんていうか……気まずくて……。昔の恋人とか……えっと……彼が昔お気に入りにしてた娼婦の人とかが……なんていうか……みんな黒髪だから。その、昔の恋人に似てるから……わたしをそばに置いてるのかなとか、大切な人の代わりに私が生きてること、本当に良かったのかなとか」


 ポツリポツリと話し始めたジュジの話は、かわいい師匠に憧れる少女の恋心かと思っていたら思いの外重い話でオレは気楽に聞き出してしまったことを軽く後悔する。

 先日、避難所レフュージュにいたときに泣き出したのもきっと似たようなことを考えたんだろうなと、なんとなく気がつく。


「わたし……カティーアのお蔭で生きていられて……それなのに……よくわからない理由で彼が求めたことを拒否して……。でもカティーアは怒らないでただその夜はわたしのこと抱きしめてくれていて……謝ろうと思ったけど出来なくて」


 彼女の頬を伝う涙を指で拭いながら、彼女の悩みを聞き流す。

 何も出来ないオレに出来ることは、泣きじゃくる彼女の声が、部屋に響いて他の家族たちが起きてこないようにすることだけだ。

 そっと泣きじゃくるジュジのことを抱きしめると、柔らかく弾力のある黒い艶髪をゆっくりと撫でた。


「そいつが、お前を誰かの代わりにしてるって言うと思ってるのか?」


「わかんない……」


「……だよなぁ」


 オレも同じ状況になったらどうすればいいかわからない。だから、まだ大人になったばかりの彼女がわからないのも当然だった。

 誰かのために自分が死ねばよかった……その気持だけはわかる気がして、オレは彼女を抱きしめる手に力を少し込める。

 そのまま小さな子供みたいに泣きながら愚図るジュジを胸に抱いていると、温かさと心地よさで眠気がやっと訪れる。

 重くなる瞼に抗いながら下の方に目をやると、ジュジはいつの間にか寝息を立てていた。

 オレは彼女を抱き上げて部屋に運び、寝床へとゆっくりと下ろす。

 毛布をかけてやって、オレも自室へ戻って眠るか……と背中を向けようとした。


「ん? 寂しくて眠れないってやつか?」


 体が後ろへ引っ張られる感覚がして前につんのめった。起きているのかと思って、彼女を見たが、ジュジは毛布の中に手足をしまってスースーと寝息を立てている。

 オレの手足をひっぱっているのは何だ? 疑問に思って引っ張られた場所へ目を向けると、そこには緑色のツルが巻き付いていた。ツルの出ている先は、彼女が寝ている布団の中だ。

 不思議と怖くはない。

 懐かしいな……寝ぼけているカンターレもよくこうしてツルを絡めてきたっけ。

 ん、でもなんでジュジがカンターレと同じことを?

 ああ、まあ、いいか。眠くて頭が回らない。

 オレはツルのされるがままに彼女の隣に引きずり込まれ、抗いようのない状況と眠気と人肌の恋しさのせいで、オレはそのまま彼女を胸に抱きすくめて眠りに落ちた。

 今度は良い夢でも見られそうだ……なんて呑気なことを考えながら。

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