3ー12:Said me "ask you" -「おねがい」-

 カンターレとはしばらく会っていなかった。

 もうすぐ夏も終わる。

 空を見上げれば、重苦しい黒い影が立ち籠めていて、大きな雨粒が激しく地表を打ち付け始めた。


「ディレットは見たか?」


「いや、見てない。そのうち戻るだろう」


 父親や兄弟とそんな言葉を交わしたのを覚えている。

 オレはどうせ兄貴はカンターレに会いに行っているんだろうと思い、知らない振りをしていたが、夜が明けてもディレットは帰ってこなかった。

 数日経っても兄貴は帰って来る気配がなかったため、さすがにオレもおかしいと思い、村人総出で捜索をすることにした。

 けれど、ディレットの姿はどこにも見えない。

 冬眠に備えている飢えた獣が襲ってきても大丈夫なようにと、女子供を村に残し、護衛のため更に数人の男たちを村に残し、オレと弟たちを筆頭にして、森へと向かう日々が続いた。

 森だけではなく、村近くを流れる川を上流まで遡りもした。

 しかし、兄貴の足取りは掴めないままだった。

 いよいよ心配になり、普段は踏み入れない森の奥まで捜査の手を伸ばすことにした。 

 カンターレに妖精の世界あちら側へ引きずり込まれたのか?

 それとも、獣に襲われちまったのか?

 嫌な予感を抱えながら、オレは村のみんなを置いて、まるで暗闇が口を開けているように見える夜の森の中へと松明を掲げながら入っていく。

 昨日までの大雨が嘘だったように空は透き通っていて月が辺りを明るく照らしていた。そのお蔭で視界は確保できている。

 大雨だったら、いっそのこと兄貴は死んだと割り切って、捜索は打ち切っていたのにと、弱気な考えが脳裏を過った時だった。


『たすけて』


 聞き慣れた声が聞こえた。

 小鳥がさえずるような可憐で、そして脳を焼き切るような甘くて切ない声。恋い焦がれた女の声を、オレが聞き間違えるはずがない。

 我を忘れたオレは村のヤツらに声をかけることも忘れて足場の悪い中、森の木をかき分け岩を駆け上り、普段は入らない森の奥深くまで足を踏み入れていく。

 夏ですら雪が溶けない森の奥深く……木は少なく、辺り一面を凍りついた岩山が囲んでいる。そんな過酷な場所の、少しだけ開けたところに声の主はいた。

 泥と血に塗れて力なくへたりこんでいる彼女の目は、泣きはらしたのか真っ赤に腫れている。

 そんな彼女の前に広がっているのは赤黒い花……ではなく腹を割かれて息も絶え絶えなディレットの姿だった。

 あまりにも痛々しいその姿に、周りを警戒するのも忘れて思わず駆け寄ると、ディレットはかすかに目を開き、オレの顔を見る。


「ジェミト……悪いな。おれ、知ってたんだよ……お前、も」


「うるせえ! そんなことどうでもいい! 今は怪我のこと聞きてえんだよ……なんだよこれ」


 カンターレの本来の力なら、歌の一つでも歌えば少しは傷を癒せるのに。

 焦りと怒りと悲しみで混乱しながら、へたりこんでいる彼女の足元へと目を向ける。


「クソ……そういうことかよ」


 彼女の右足に、禍々しい鉄の爪が深く食い込んでいるのを見て全ての合点がいった。

 この村で鉄の罠なんて使うやつはいない。

 食料を探しに来た旅人か氷の竜魔法院のやつらが仕掛けた猛獣よけの罠にかかったのだろう。

 以前聞いたから忘れるはずがない。カンターレは、鉄が体に触れていると本来の力が使えなくなると。


「熊にやられてる彼を、熊がいない間に助けようとしたの。そしたら鉄の爪が脚に食い込んで……それで私、どうしたらいいかわからなくて」


「チッ……揃いも揃って」


「ジェミー……」


 鉄の爪はカンターレの真っ白な肌に酷く食い込んでいるが、不思議なことに血は溢れていない。

 まるでちぎられた若木のように人の肌がひしゃげているのをみて、カンターレが人では無いと言うことを突きつけられながらも、腰にぶら下げていた斧でどうにか鉄の爪をこじあけようと力を込める。


「今助けるから……」


「あのね、このままだとお腹の中の子まで死んでしまうの……。ジェミー、お願い……」


 カンターレの足に食い込んだ鉄の罠を外そうと手間取っていると、後ろの方から嫌な気配を感じた。周囲の見回りをしていた熊が戻ってきたのだ。

 のそのそと四足歩行で歩いていた熊は、オレという外敵を見つけると、上体を持ち上げて二本の後ろ足で立ち上がってこちらを威嚇をした。

 幸いなことにこの熊はそこまで大きくはない。威嚇をしている熊の鼻先に手に持っていた小型の斧を突き刺すが、冬眠前で気が立っている熊はそんな奇襲に怯むことはしないでこっちに突進してくる。

 丸太よりも太い腕から繰り出される爪での一撃に当たらないように気をつけながら、突進をなんとか躱し、一撃、もう一撃と熊の顔に斧での攻撃を加えていく。

 熊の頭蓋骨は固く、脂肪も多いためなかなか倒れない。しかし、若く経験が足りないからこそ勇敢な熊とはいえ、何回か顔に痛みを感じる内に危険を察知したのだろう。

 果敢に繰り返していた突進を止めた熊は、ディレットを惜しそうに見た後、いそいそと背中を向けて森の奥へと姿を消した。

 これで少なくともオレがここにいる間にアレが戻ってくることはないだろう……。熊の背中が見えなくなったのを確認して、斧についた血を振り払ったオレは倒れているディレットとカンターレの所に急いで戻った。


「兄貴! 兄貴……」


 やはり時間をかけすぎた。ディレットの体はすっかり冷たくなっている。


「っ……ジェミー、お願い……」


「カンターレ!」


 兄の死を悲しむ間もなく、カンターレの呻き声で我に返ったオレは返り血に染まった手で彼女の手をつかみ、名を呼んだ。

 オレの声に気がついた彼女はつらそうに目を開くと、足の罠に視線を向けて今にも泣き出しそうな声を出す。


「わたしの、足……ごと切って。じゃないと……こども、しんじゃう……おねがい」


 最悪な願い事だ。

 オレは叫びたいのを耐えながら、斧で彼女の足に狙いを定める。

 思い切り振り下ろし、嫌な手応えと、彼女の声にならない悲鳴が耳に入る。

 切断された足は、血を流すこともなく、植物の茎の束が解けていくように彼女の足先は消えていった。肉の体を持たないと言っていた理由を嫌な場面で理解したと、込み上げてきて耐えられなかった胃の中身を横に吐き出しながら思う。

 もうヒトの姿を保つのも限界だったのか、カンターレの真っ白で美しかった肌は切断されたところから徐々に暗褐色になっていき、潤いのあった陶器のような肌触りの四肢はどんどん乾いていく。


「おねがい、この子を……わたしと……の……子」


 言葉が途切れ途切れで聞き取れない。

 言わなくてもわかる。こいつはきっと、カンターレと兄貴の子供なんだろう。

 緑色の光りに包まれたカンターレは、みるみるうちに立派な針葉樹の大木の姿に変わった。

 信じられない出来事の連続に、思わず神に祈ってみる。だが、目の前の惨劇は急に幸せな結末に変わるわけじゃない。

 再び込み上げてきた胃液を吐き出して、改めて目の前に横たわっているディレットの遺体と、その隣に現れた立派な大木に目を向ける。

 その大木の根は、ディレットの体を一部絡みとっていて、カンターレの屍と兄貴が死後も尚よりそっているように見えて頭がおかしくなりそうだった。

 もう帰ろう。ここにいてもつらいだけだ。

 そう思って背中を向けようとしたときに違和感に気がついた。


「子供、って言ってたよな?」


 おそるおそる、見るのも辛いカンターレだった木に対して勇気を出して振り向いた。

 真っ直ぐなはずの針葉樹の幹に不自然な膨らみがある。巨大な虫こぶのようなソレを見て「お腹の中の子」という言葉を思い出した。

 まさか……と思いながらも、何故か体は前へ進むのを止められない。

 まるで導かれるように虫こぶのような膨らみに触れると、それはオレの手に反応したようにピシピシと表面に少しずつ亀裂が入っていく。

 咄嗟に二、三歩退いたと同時に、虫こぶのような膨らみから光と黄緑色のドロッとした液体が流れ出てきた。まるで粘獣スライムのような液体と一緒に薄い膜に包まれた子供がズルリと音を立てて地面に落ちる。

 それは赤子ではなく、生まれて五、六年は経っているような子供の大きさだ。


「嘘だろ」


 コレがヒトではないということはわかった。だが、カンターレがオレに託したアイツの子供だ。

 膜の中身を傷つけないように斧で慎重に膜に切れ目を入れて破ると、木から出てきたものと同じような液体がドロっと流れ出し、膜の中にいた子供は空気に触れると同時に激しく咳き込んだ。


「大丈夫か?」


 背中を撫でながらよく見てみると、その子供は、緑がかった金髪のとても美しい少年だった。どことなくカンターレとディレット二人の面影を感じさせる顔立ちをしている。

 産声の代わりに小さなうめき声をあげたその子供を川まで連れていき、体に残ったヌメヌメを取って自分の服で包む。

 どうすべきかなんて決まっている。オレは「お願い」と言われた。オレの兄貴と心から恋い焦がれた相手の子供だ。助けるに決まってる。それが例えヒトではない存在だとしても……。


 スヤスヤと寝息を立てている子供を抱きしめながら、村のヤツらの声がする方へ向かって走り出す。

 うまく村のみんなと合流したオレは「ディレットを探していたら川で溺れている子供を見つけた」という嘘をみんなに伝えた。

 残酷な話だが「数日見つからない生存の可能性が薄いディレットよりも、弱っている子供の命を救うほうが優先だ」という判断をしたオレたちは、子供の安全のためにオレと半数の男たちが村に戻ることになった。

 森に残った半数も結局なにも見つけられずにオレの兄貴は、行方不明ということにされた。ささやかな送りの儀式をして、捜索は打ち切りにされ、あっという間に冬が来た。

 あの場所で、彼女といることを邪魔したくなかったのもあるし、オレはアレを再び目にするのが嫌だった。


 森の貴婦人は、オレの兄を連れて行った。永遠に会えない場所に……。

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