3-11:Guilt overー兄への負い目ー

「鉄の糸で出来た網や鉄の杭でなら私の自由を奪えるのに、貴方はそうしようと思わないの?」


 出会ってはじめての年の夏の終わり、甘い時間の余韻に浸るようにオレの胸の上に頭を乗せながら、カンターレはそんなことを聞いてきた。


「鉄はね、私達……特に花や木を司る肉の体を持たぬ者妖精の力を奪うの」


 いきなり、鉄なんてもんを持ち出す理由ににピンときていないことが顔に出ていたのか、彼女はオレの体に細い指を這わせながらいたずらっぽく微笑んだ。


「だから、鉄の糸で出来た網を使えば私の不思議な術魔法を封じられる。そうしたら、この綺麗で愛しい私のことを、ずっとそばに置いておけるのよ?」


 それはかつてこいつが他の男どもから言われたことなのだろうか。それとも、実際に鉄で自由を奪われたことがあるからだろうか。

 そこまで考えて、くだらねえと心の中で悪態をつく。それから、上体を起こして彼女の体を優しく組み伏せた。


「一緒にいられる時間に限りがあるから、オレはこうして君を愛せる」


 そのままカンターレの柔らかく甘い唇を奪って、舌を絡める。

 雪のように白い肌が赤みと熱を帯びていく様子を見て満足したオレは、彼女から顔を離した。


「貴方のそういうところが大好きだわ」


 彼女は蕩けそうな顔をしたまま満足そうに微笑んで、自分の方からオレの唇に吸い付いてきた。細くてひんやりとした手が背中に回されて、もつれるようにして俺たちは体を重ねながらしとねに寝転ぶ。

 そして、お互いに愛してると囁きながら、吐きそうになるほど甘いひとときを過ごすんだ。


 甘い逢瀬を重ねている間に、炎が封じられた村ケトム・ショーラの短い夏はすぐに終わりを告げ始めた。広葉樹は色付いたかと思えばすぐに葉をはらはらと落とし始め、森も湖ももうすぐ雪と氷で閉じられる。

 夏が終わらないうちにしてしまわなければいけない仕事もたくさんある。

 冬眠に備えて森や山から村へ現れる猛獣を追い払ったり対峙するのは番犬クーストースの主な役割だ。親父に代わってオレが長として兄弟たちや、叔父たちに支持を出す。

 商隊に来年渡す品物をどう加工するか、村の取り分はどうするのか、春に植える種の管理に、冬の間に使う薪や大角鹿トナカイたちの頭数調整をどうするかの話し合い。仕事は次から次へと舞い込んでくる。

 そんなめまぐるしい夏の終わりからは、カンターレと過ごす頻度は減ったが、それでもなんとか合間を縫って彼女との逢瀬を重ねていた。


「兄貴のお陰で思ったよりも早く話し合いが終わったな」


 唐突に空き時間が出来たのがいけなかった。

 秋を飛び越してやってきた冬の足音が聞こえ始めた湖に、時間が空いたからと言って数日ぶりに足を運んだ時のことだった。

 森の貴婦人は、冬になると姿を消す。冬の女神が来てしまうと力が衰えてしまうので氷の呪いから逃げるためにあちら妖精の世界に帰るだとか、常緑樹の隣人妖精たちを守る為の森の奥深くで眠るとか色々言われているが……。

 まだ、彼女は森の中にいた。

 湖の畔にある切り株の上で物憂げな顔をしているカンターレを見かけ、声をかけようとしたが、少し先に人影が見えた。オレがここにいるとバレてはマズいと、咄嗟に茂みに屈んで身を隠しす。


「カンターレ」


 親しげな声で彼女の名を呼ぶ、聞き慣れた声。

 目を擦って、もう一度カンターレに近付いていく人物を見る。心の中で「なんでだよ」って思いながら、オレは、兄貴ディレットの背中を穴が空くほど見つめていた。

 ディレットに駆け寄ったカンターレは、オレに向けるような優しい目つきと、あの脳を焼き切るような甘い甘い声色で何かを囁いている。

 それから、彼女は白くて冷たう腕をディレットの首に巻き付ける、そのまま深く何度も口付けをした。

 しばらくしてから顔を離したカンターレは、再びオレの兄ディレットを見つめてにっこりと薄紅色の可愛らしい唇の両端を持ち上げて微笑む。それから、オレと同じ色をしたディレットの白金色の髪を愛おしそうに撫で回し、草と花が敷き詰められたしとねにゆっくりともつれ合いながら倒れていく。


 カンターレが、オレ以外と体を重ねることが嫌なわけではなかった。オレだって、彼女以外とそういうことを楽しむことだってある。

 それに、自分とそういう関係を持っている相手が別の人と関係を持っているなんてことは、この狭い村では珍しいことでもない。

 もちろん「心に決めた相手と共に暮らし、財産を分け合って生きる」という誓いをする関係性もあるにはあるが、妻を二人持つ男や、体の関係を複数人と持つこともよくあることだ。

 実際にオレも村の女や旅の女から夜の誘いをされれば断ることはしないし、商隊に混ざっている女性たちに誘われれば応じることも少なくない。

 村を存続させていくためには、子供をたくさん作ることが何よりも重要だから。そして、強い男の子供はたくさんいた方が村の利益になるからだ。

 カンターレと愛し合うようになってからも、特に彼女だけと愛し合っていたってわけじゃなかったし、あれだけ美しい姿をしているんだ。ああいう存在はオレたちとことわりも違うし、そんなことに不満があるわけじゃない。

 だから、ディレットがカンターレと愛し合っていようが、体の関係を持っていようがそれは気にならないはずだった。理屈ではそうだ。

 だけど、今のオレは、胸が、体が、全部がばらばらになりそうなほど痛い。


 音をさせないように立ち去ってから、その年は、最後の挨拶をカンターレと交わさないまま冬を迎えた。

 誰にも言えない胸の痛みと変な罪悪感を抱えたまま、冬が過ぎていき、また夏が来た。


「ねぇ、ジェミー。私が他の人と愛し合っていたら、あなたは悲しむのかしら」


「くだらねえことを聞かないでくれよ。せっかくの甘い時間なのにキスが苦くなっちまう」


 オレは、誘惑に勝てずにまたカンターレに会いに来ていた。

 彼女からの問いを誤魔化して、オレは彼女の唇を少しだけ強引に奪う。


「オレもお前もそういう生き物だ。今更気にしねえよ」


「そう。ねぇ、愛しているわ……あなたのこと。貴方の子種を独り占めしてしまいたいくらい」


 口直しをするように、彼女に余計なことを言わせないように、彼女の小さな唇に自分の唇を重ね合わせ、軽くついばむと、背中に回された彼女の指先に力がこもる。


「知ってる。オレもだよ」

 

 ……例えお前が他の男を愛しても。それがオレの兄貴でもいいさ……と心の中で付け加えて、彼女の唇をもう一度自分の唇で塞ぐ。

 胸の痛みや、ディレットのことをこの時だけは忘れたくて、ただただ無心でカンターレと体を重ねた。

 熱い吐息が、彼女の甘い嬌声が耳にかかって頭が沸騰しそうになる。

 欲望に任せて彼女の華奢な体を組み敷く。彼女の体温を感じながら肌を触れ合わせ、夜があけるまで何度も混じり合った。

 今だけだって自分に言い聞かせながら、束の間の夏を楽しみ始めた時だった。


「ジェミト、話したいことがあるんだ」


「は?」


 彼女との逢瀬を終え、何気ない顔をして戻ったタイミングだった。

 ディレットからそんな風に声をかけられて、思わずぎょっとした。


「話しにくいことだから、お前の部屋で話さないか?」


「……ど、どうしたんだ兄貴、めずらしいじゃねえか」


「その、実は好きな女性が出来て。お前にしか話せないんだよ」


 まさか自分とカンターレの関係がバレて糾弾されるんじゃないか? なんて考えて身構えてみたものの、ディレットはオレの糾弾をするどころか相談を持ちかけてきたのだ。

 まさか、恋愛相談だとは思わなかった。別の意味で心臓に悪い。カンターレのことじゃありませんようにと祈りながら、オレは素知らぬ顔をして、自室に酒を持ち込んで二人きりでささやかに乾杯をする。

 オレは笑顔をうまく作れているだろうか。

 あの日見てしまったディレットとカンターレの逢瀬を思い出して胃がキュウっとなる感覚を味わいながら、オレは一気に木のジョッキに注いだ果実酒を飲み干した。


「さっきも言ったけど、その……すごく好きな人がいるんだ。でも、好きになった人は……その……」


「……もしかして森の貴婦人に会ったのか?」


 兄貴がはっきり言わないことで、逆にわかってしまう。村の女だったら、こんなに回りくどい言い方をするはずがない。覚悟を決めて、オレはカンターレのことを切り出した。

 オレの言葉に、ディレットはやけに真剣な表情でコクリと頷く。

 大切で大好きな兄に白々しく嘘を付くことにも、彼女を名前で呼べないことにも胸が少し痛む。

 森の貴婦人はカンターレの別名だ。

 森の貴婦人は夏の間に妖精の国から現れ、男を誑かして冬になると妖精の国に連れて帰ってしまうと村では言い伝えられている。

 そんな危険もある存在が何故倒されたり憎まれていないのかと言うと、森の貴婦人は豊穣の恵みを与える女神でもあると言われているからだ。

 彼女の滞在した跡地には翌年大量の果実や花が咲く。

 森の貴婦人を見たことがない者にとっても、目に見える形で”いた”という証が在れば存在は身近なものになる。

 夏になり、森の一角や湖の周囲にたくさんの果実が落ちていたり、色とりどりの花が咲き乱れているのを見て「森の貴婦人はここを家にしていたのか」「自分も一度くらい愛されてみたい」なんて軽口を叩くものもいるくらいだった。


「そりゃあ……困ったよな」

 

 妖精とヒトは愛の形も、正義も、理屈も似ているようで違うものだ。

 そして、圧倒的な美しさを誇るヒトならざるものに精神を蝕まれてしまうものが過去に出たこともわかる。

 誰が話していたのかまではわからないが、精霊に心奪われた男たちが、精霊の奔放な愛し方に耐えられず恋敵同士で殺し合いに発展する事件があったなんてことも聞いたことがある。


「ヒトならざるものと一線を越えてはいけない。ヒトならざるものを村に招き入れてはいけないって掟があるのは、もちろんわかってるんだけどさ」


「財産を奪われて、着の身着のままで村を追放されるってことも、もちろんわかってるんだよな、兄さん」


 村からの追放は、近隣に人里もないこの地での死刑宣告に近い。

 きっとこういった一線を引くことで、誰かの自由を少し縛ることが神の子の帰る場所を守るためにも、村のみんなのためにも必要なことなんだと頭ではわかってる。

 ほぼ一年中雪と氷と険しい山に閉ざされた、商隊さえも滅多に足を運ぶことのない辺境にある小さな村は、こういった多少の不自由がなければ維持し続けるのは難しい。


「わかってる。だけど……俺は……」


「まぁ、子供でも出来なけりゃ好きにすればいいんじゃねーかって正直思うよ」


 重苦しい空気に耐えられずに、オレはそんなことを言って、パンを口に放り込む。

 こうでもしなければ、今すぐに叫びだしてしまいそうだったし、カンターレを名前で呼べない苦しさにオレも関係を持っていると話しかねなかったから。


「でもさ、もしお前が俺の立場だったらどうする?」


 真っ直ぐな瞳でディレットに見られて、オレは食べていたパンを喉につまらせそうになった。

 ここで、オレが超えてはいけない一線を越える訳にはいかない。

 ただでさえ、オレは大切な兄の将来を奪って、兄がなるはずだった番犬クーストースの長としての力も得た。


「オレは……」


 だから、オレは心の中で足元に引かれた一本のラインを見つめて覚悟を決める。

 

「オレは番犬クーストースの長だからさ、本気でを愛することはないよ」


番犬クーストースの長じゃなければ、どうなんだ?」


「んー……すげえ美人なんだろ? それなら、そりゃ手くらいは出すだろうな」


 冗談めかしてなんとか口にしたオレの言葉で、ディレットはようやく笑顔を見せてくれた。内心ホッとしながら、罪悪感と苦しさで心の中はめちゃくちゃだ。

 オレはどうやらちゃんと笑えて、ちゃんと軽口を言えているらしい。

 

 兄貴から力も愛する人も両方奪うなんて真似絶対にしたくないという気持ちと、オレが神の力に選ばれたのだから彼女にもオレが選ばれるべきだという気持ちがぶつかり合って心がバラバラになりそうになる。

 きっとこれは「一線を踏み越えるな」という神様とやらの思し召しだろう。そう自分に言い聞かせた。

 オレはディレットと話をしたその夜から、彼女への逢瀬をやめた。

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