3-8:Night Of Tearsー涙が止まらない夜ー
「期待してくれていいぜ?」
驚かせようとしたことが失敗したことと、お腹から大きな音が鳴ったことがどっちも恥ずかしくて、私は毛皮の敷物に寝転んで、ふかふかした毛皮の毛布を頭から被った。
そんな私に対して、ジェミトはまるで子供に諭すような言い方をすると、棚に引っかかっていた小さなお鍋とスープ皿を二つ持ってきて焚き火の前に腰を下ろす。
「拗ねるなって」
笑われて悔しいので、目元だけ敷物から出した私は、彼の手元へ目を向けた。
お鍋の中に入れていた食材を皿の上に置き直したジェミトは、焚き火の上に通された鉄の棒に鍋の取っ手を引っかける。それから、ベルトにぶら下げていた短剣を手に取ると、さっき皿の上に出した根菜らしきものを皮を剥かないまま一口大に切って鍋の中に落としていく。
機嫌が良さそうに口ずさんでいる鼻歌は、聞いたことが無い変わった旋律だったけれど、どこか懐かしいような気持ちになる。子守歌かなにかなのかな?
根菜のようなもの、赤身のお肉、香草のようなもの……なんとなくはわかるけど、見たことが無い材料がたくさん混ざっていて面白い。
材料を全て切り終わったジェミトは、再び立ち上がって部屋の隅にある大きな
戻ってきた彼が手にしていたのは、拳大はある氷の塊だった。
「やっぱりすぐには溶けねえな。凍ってれば持ち運びは楽でいいんだが」
ゴトンという音を立てて氷の塊をお鍋の中へ落としながら、ジェミトは笑う。
床に直接寝転がっていると、箱庭から出たばかりの頃や、まだ呪いが解けなくて犬だった時に野営をしたことを思い出す。こうしてお話をしてくれながら、カティーアが料理をしてくれたよねって。
水の表面では無く、瓶に入れた氷が全部固まるなんて場所があると思わなかったし、こうやって塊の氷を使ったりするのも、使っている材料達も全部が珍しくて、ジェミトの手元へついつい目が行く。
「これを入れたら、あとは煮込むだけだ」
焚き火の近くに置かれていた乳白色の革袋から手のひら大の白い塊を取りだしたジェミトは、それをそのまま鍋へと放り込んだ。
ぼちゃんと音を立てて沈んだ白い塊は、独特な匂いを放っている。多分、匂いからしてチーズの一種なんだろうけど……。
お鍋からは、ふつふつという美味しそうな音が聞こえはじめてきた。ジェミトが慣れた手つきで、長い木の柄杓で鍋の中身をかき混ぜると香ばしさと脂や乳の甘さが混ざった香りがしてきて、再びお腹がきゅるると小さな音を立て始める。
「出来たから毛布から出てこいよ」
木製のスープ皿にとろみのついた乳白色のスープをよそってくれたジェミトは、のそのそと毛布から出てきて、敷物の上に座ったわたしにスプーンを手渡してくれた。
灰色がかった白くてツヤツヤしたスプーンは、木では無くてなにかの骨で作られているみたい。
「ありがとう」
「火傷しないようにな」
動物から染み出した脂が金色のきらきらとした膜を張っている。スプーンで掬ったスープを冷ますために息を吹きかけると、いい香りのする湯気がふわりと空気の流れにそって靡いていく。
ゆっくりと乳白色のスープを口に含むと、お肉の味と香草の香り、そしてミルクの甘みが一気に口の中に広がって、すっかり冷えた体がじんわりと熱が染み渡っていく。
「おいしい!」
「
口の中に広がるミルクの香りと、野菜の甘み、それに噛みしめるとジュワーッと油と塩気が染み出してくる初めて食べる食事はとてもおいしくて、夢中でスープを口に運んでしまう。ちょっと独特の風味があるけど、それが食欲をそそる。
「うまそうに食ってくれると、作った甲斐がある」
噛みごたえのあるお肉をもぐもぐと噛んでいると、私の頭にジェミトの手が触れた。
カティーアよりも太くて、節くれ立った指が少し乱暴に髪の毛を見だしていく。カティーアが撫でるときは、もっと優しいんだけれど、ジェミトは私を犬とか猫みたいに思いっきり撫でるから、なんだか男の兄弟がいたら、こういう感じなのかなって思った。
大人しく撫でられていると、彼は気が済んだのか体を離し、自分の分のスープを鍋から皿に取り分けて口に含む。
しばらく黙ったままスープを食べていたジェミトだったけれど、急に食べるのを止めると、考え込んだようにこちらを見つめてきた。
「どうしたの?」
食事を中断して、そういうと彼は皿を置いて、真面目な顔をしてこちらに上半身をグイッと近付けながら口を開く。
「なぁ、助けた礼に一つ頼んでもいいか?」
「さっきみたいな悪ふざけならダメって言う」
「だから、アレは冗談だって!」
私が頬をふくらませて少しだけ顔を背けると、ジェミトは体を仰け反らせて「わはは」と笑い、また私の頭を撫でた。
「そんなんじゃなくてさ、外の話、聞かせてくれよ」
「外の話って?」
外、というものがどの範囲を指すのかわからなくて、私は首を傾げながら聞き返す。
「ジュジは遠いところから来たんだろ? オレは、この雪と氷まみれの土地からでたことないからさ、遠くから来たやつらの話聞くのがすっげえ好きなんだ」
大きく目を見開いたジェミトは、そういうと少し照れくさくなったのか目線を少し落として鼻の横を人差し指で掻くと「ジュジがよければだけどさ」と小さな声で付け加えた。
なんとなく、そんな彼の姿に昔の自分や、セルセラの記憶の中で見た幼いカティーアが重なって見えた。
外の世界の話、本の中の話、私も聞くのが好きだった。実際に行けなくても、夢の中で話してもらった世界を歩ける気がしたから。
「いいけど……私も旅を始めたの本当に最近だから……なにから話そうかな」
「なんでもいいぜ! 例えば、そうだな……育った村で怖がられていた動物とか」
「ええと……狼なんだけど、でも、ここにいるような大きくて白いのじゃなくて」
ジェミトは、私が話しやすいように色々なことを聞いてくれた。それに対して私は、箱庭のことや魔法院のことをそれとなく隠しながら色々なことを答えていく。
頭に浮かんでくることは自分の記憶以外のものもあったけど、そこは避けて話すことにした。知ってるだけのことと、私が経験した話は違うし、ジェミトが聞きたいのは、珍しいだけの話ってわけでもないと思ったから。
初めて見た海のこととか、深い森の中に輝く妖精の館、大きな市場の並ぶ大都市……そんなことをとりとめもなく話した。
「それで……その髭がもじゃもじゃのおじいさんは妖精と暮らしていて……」
今話しているのは全部、カティーアが私を助けてくれたから見れた景色で、そんな中、あの夜、カティーアからの口付けを拒否してしまったことを思い出して涙が勝手に溢れてくる。
「あの……」
さっきまで色々と話題を振ってくれていたジェミトも、驚いたのか黙っている。せっかく楽しく話したかったのに……。
話を中断してしまったことを、謝ろうと顔を上げると、真面目な表情を浮かべている彼の金色の瞳と目が合った。
「ごめ……え?」
口を開くと同時に、ジェミトの大きな手が私の手首を優しく掴んで、そのまま彼の方へ引き寄せられて、彼の逞しい腕が私の体をぎゅうと抱きしめる。
見慣れない、カティーアよりももっと厚い胸板に顔が埋まって、慌てながら息を深く吸い込むと、爽やかな香草を燻したような匂いが肺の中に満ちていく。
「わ」
少しだけ気が緩んで、そのまま体重を預けてしまいそうになったけれど、すぐに「カティーアじゃない」と思い直して、体に力を込める。カティーア以外の男性に抱きしめられることも、それで少しだけ落ち着いてしまったことにもなんだか胸の奥がキュウと締め付けられるように痛んだ。
離してと言おうとしたけれど、言葉が出なくて、代わりに彼の厚い胸を軽く叩く。でも、ジェミトはビクともしない。
どんな表情で私を抱きしめているのか気になって顔を上げて、ジェミトの顔を見ようとしたけれど、背中に回された腕にしっかりと抱きしめられていて体を離せないからよく見えない。
でも、ジェミトは抱きしめる以上のことはしてくる気配がない。別に特別嫌というわけでもないし、心地よくて温かい。まだ胸は少し痛むけれど、それでも、大人しく彼に抱きしめられることにした。
私が彼の胸を叩くのをやめて体の力を抜くと、すぐにジェミトが私を抱きしめる手を緩める。
すっと片手が私の背中から離れて、ジェミトの大きな手が私の髪の毛を優しく梳いていくように撫でて離れていく。
「ね……ジェミト……?」
撫でるのをやめた手は、器用に横においてあった毛皮の毛布を取った。
私を抱きしめながら寝具の上に寝転ぶと、毛布を上にかけられる。見たことが無い動物の毛皮はふかふかして心地よい。
体を倒す時にそっと後頭部に手を添えられる。カティーアも、一緒に寝る時にこうして優しくしてくれたなって思い出すと、また胸の奥がチクリと痛む。
このままカティーアと会えなかったらどうしよう……と考えるとジェミトの胸に当てている自分の指先が少し震える。
手の震えが伝わってしまったらしくて、ジェミトは骨ばった大きな手をそっと私の頬に添えた。
「あの、」
「信頼されねえだろうけどさ」
目元を拭われて、自分がまだ泣いていることに気がつく。
「なにもするつもりはねえし、話したくないことならオレは何も聞かない」
眉尻を下げて、少しタレ目気味のジェミトが優しく笑った。それから、髪を優しく撫でられながら、彼の胸に再び頭を押し付けられる。
「泣きたい時は好きなだけ泣いておけ。抱き枕代わりくらいにはなってやるから」
頭の上でジェミトの声が優しく響く。
少しの息苦しさはあるけど、その一言ですごく安心してしまった私は、彼の胸に涙まみれの顔を埋めながら泣いた。声を押し殺したくても、小さな子供みたいな泣き声がどうしても噛みしめた唇の合間から漏れていく。
安心感と、悲しさと、眠気がごちゃまぜになりながら目を閉じる。私の背中をポンポンと規則的に叩いていたジェミトの手がいつのまにか止まって、ジェミトの寝息が聞こえてくる。
彼の小さないびきと、焚き火が立てているパチパチという音を耳にしているうちに私は微睡みの中へ落ちていった。
「あれ……」
頬に当たる少し冷たい風で目を覚ます。
隣にジェミトはいない。
体を起こして部屋を見回してみるけれど、どこにも彼の姿は見当たらなかった。
焚き火は消えていないし、あの大きな革袋もまだ室内にあるから……多分戻ってくると思うんだけど……。
のそのそと寝床から這い出した私は、ジェミトに借りた毛織物の上に、しっかりと乾いている温かい毛皮の外套を羽織って、解けた髪を一つに括る。
「お。昨日はよく眠れたか?」
ちょうど外を覗きに行こう出口の方へ目を向けると、扉が開く音と共に頭と肩に雪を軽く積もらせたジェミトが戻ってきたところだった。人懐っこい笑顔を見せながら、彼はこちらへずんずんと近付いてくる。
昨日のことが恥ずかしくてなんて声をかけようか迷っていたけど、先にそんなふうに言われて恥ずかしい気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。
「……おかげさまで」
「拗ねんなよ」
すねたように頬を膨らませてそういった私に、大股で歩いて近づいてきたジェミトは、笑いながら私の頬を指でつつく。
私の頬から抜けていく空気を見て、ケタケタと笑ったジェミトは私の頭をくしゃくしゃと撫でる。整えた髪が少し崩れるけど不思議と悪い気はしない。
雑に撫でたくせに髪が乱れたことは気にしてくれるのか、乱れた私の髪を撫で付けて整えながら、ジェミトは腰を少しかがめる。
「少しくらい仕返ししたかったんだもん」
金色の瞳と目が合って、再び照れくささが込み上げてくる。少しだけドキッとした気持ちを誤魔化したくて、冗談めかしながら眉を持ち上げた。
「泣いてる女には何も言わないで、とにかく抱きしめろってのが先祖代々のいいつけなんだ」
急に表情をキリッとさせてジェミトがそう言った。
「ほんとに?」
「……ぷ……くく……はははは」
徐々に破顔して、最終的にはその場でお腹を抱えながら笑いだしたジェミトを見て、ようやくそれが嘘だと分かる。
「ひどい! 信じたのに!」
彼に向かって頬を再びふくらませて怒っていることを強調してみると、ジェミトは目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら私の肩に手を置いた。それからグッと顔を近付けてきて、私の額と自分の額をくっつける。
「悪い悪い。コロコロ表情が変わるから面白くてつい……さ」
笑いすぎて息も絶え絶えなジェミトの肩を軽く叩いて文句を言おうとすると息を吸い込んだ。
「やっぱりここにいた!」
急に扉が開いて冷たい空気が一気に洞窟内に入ってくる。
大きな声と共に、こちらへ入ってきたにのはとても綺麗な顔をした人だった。カティーアもジェミトも整っている顔だと思うけど、なんていうか……細くて壊れてしまいそうなガラス細工みたいな綺麗さがある。
真っ白というよりも皮膚が薄くて薄い桃色のような肌に、肩辺りまで伸びた少し緑がかって見える金色の絹の糸みたいな髪は、揺れるとサラサラと透き通った音が聞こえてきそうだし、長い睫毛に囲われた丸くて大きい緑色の瞳は翡翠みたい。そんな大きな目をめいいっぱい見開いて静止しているその人は、口調からしてジェミトと親しいみたい。恋人? それとも妹かな?
「ったくよー。
桜色の小さな唇から発されたのは少し掠れた声。
外套のボタンを外した隙間からは、少し骨ばっていて筋肉のついた上体が見える。これは……もしかして男の子?
自分と同じくらいの年齢に見えるその少年は、小動物が知らないものを警戒をするように顔をしかめながらこちらへ視線を向けた。
「あれ……こいつ誰?」
それから、私のことを指さしてそういった。
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