3-7:Overnight in Cave -洞窟の中の一夜-
外はどんどん日が落ちて、頬を撫でる風の冷たさが増している。
扉一枚を隔てているとはいえ、ここは身震いをするほど寒い。彼の言葉に誘われるまま、私は
内側に入ると、まだ焚き火もたいていないはずなのに少し暖かい。
「広いですね」
ここなら、ジェミトくらい大きな人が五人くらいいてもぎゅうぎゅうに狭苦しくなることはなさそう。
広々とした空間の奥……私たちが入ってきた扉とは対角線上には、動物の皮で裏打ちされたもう一つの扉がある。
「ちょっと待ってろ」
そう言ったジェミトは、私を残してもう一度外へ出ていった。
薄い肌着のようなもので出て行ったけど大丈夫かな? 少し心配だったけれど、もう出て行ってしまったのだから仕方ない。
私は部屋の中を見回して、何があるのか確かめることにした。
内部はよく慣らされた土の上に干し草で編まれた敷物がしきつめられている。
中央には、少し深く掘られた部分の周囲を石で円形に囲んだ場所が設けられていた。灰が溜まっている場所は、恐らく焚き火の跡かな?
なにかの骨を組み合わせて作った台座の間には細い鉄棒が通されているけれど……多分、ここにお鍋とかをぶら下げて料理をするのだと思う。
焚き火の跡は部屋の中央だけじゃなくて、扉の近くや、奥の方にある毛皮が敷かれている寝床の近くなど複数箇所にあるみたい。
やっぱり寒いから何箇所かで火をおこして温かくするのかな?
「強がって上着を脱がなきゃよかった」
扉が閉まる音と同時に、ジェミトがそう言いながら駆け足でこちらへやってきた。
両脇に薪を抱えている彼は、私の横にある焚き火跡にそのまま少しの薪を置く。
それから部屋の中央、寝床、奥にあるもう一つの扉へと順々に薪を置き、それから順番に火打ち石を使って器用に火を付けて行く。
それから、扉のすぐそばに置きっぱなしの荷物を焚き火近くまで運んでいくと、立ったままの私を見て目を丸くした。
「なにしてんだよ。こっちに来いって」
そのまま立ち上がって、ジェミトは私の目の前まで来ると、固めた粘土に動物の骨を突き刺して長く伸ばした飾りに目を向ける。
「あ、そうだ。それ、脱げよ」
「……は?!」
お礼を言わなきゃなとか、その謎の飾りは何かのおまじないや魔術のためにあるのかとか聞こうとしていた気持ちが一瞬で消え失せた。
後退りをして、うろ覚えだけどカティーアがよくする構えを真似する。ちょっとは強そうに見えてくれればいいんだけど。
「――っ! そんな人だと思わなかった」
助けてくれたから油断してた。この人が逃げ場のないところに誘い込んでそういうことをするような人だったなんて……。
命を助けてくれたことには感謝したいけど……そういうことをするような相手なら話が別だ。
「うぉ……。落ち着けって!違う違う」
咄嗟に腰の短剣に手を添えた私を見て、ジェミトは大きく体を仰け反らせてから「敵意はない」と言わんばかりに両手を小さく上げた。それから、大袈裟な素振りで首を左右に振ってみせる。
「え?」
その狼狽っぷりは、言い訳だとかやましいことを考えていたようにはとても見えなくて、私は短剣の柄に手をかけていた手を離す。
「その立派な毛皮の外套、乾かさないといけないだろ? だから、脱いでそれにかけておけよって言おうとしたんだ」
「ご、ごめんなさい」
自分の勘違いに気が付いて、カッと顔が耳まで熱くなる。慌てて頭を下げた私の頭を大きな手がそっと撫でてくれた。
「いや、あんたみたいな美人はそれくらい警戒して当然だ。こっちも言葉足らずだったよ。悪い」
ククッと肩を揺らして笑ってから、右手に持っていた自分の外套を謎のオブジェにひっかけた。
「なるほど……これはコート掛けなんですね」
「ああ、あり合わせのもんで作ったから見た目はよくないけどな」
ジェミトの真似をして私も外套を脱いで下の方に突き出している枝部分に襟をひっかけた。
それから帽子も脱いで近くにひっかける。
「さすがに火を焚くと熱いな」
そう声が聞こえたと思ったら、私の肩上を掠めるようにして、ぬっとたくましい腕が通る。その手にあるのは、さっきまでジェミトが着ていた肌着だった。よく見るとただの肌着ではなく、内側に毛皮が縫い付けられていていてとても暖かそう。だから、外套を脱いだまま外へ行っても平気だったのかな。
「肌着、これなら温かそうですね」
そう言いながら振り向くと上半身を露わにしたジェミトの姿が目に入る。
肌着を脱いだということは、確かに、そういう姿になるんだろうけれど……。毛皮がもこもこしてるだけだと思っていた彼の上半身は予想していたよりも逞しくて思わず目を奪われる。
褐色の肌に薄っすらと刻まれた数々の傷跡と、靭やかでしっかりとした筋肉は彼が日頃から重いものを持ったり、鍛えているのだということがすぐにわかった。
「わ」
あんまり見つめたらいけないと妙な罪悪感を覚えて、いそいで視線を逸らそうとしたけれど、ジェミトの露わになった上半身に描かれていた模様が目に入る。
左胸には燃えさかる炎を思わせる黒い模様。そして、更に右肩には炎をまとった狼のような絵……。
黒い線で肌に描かれているその二つの絵がすごく綺麗だったのと、どことなく懐かしい気がする。うっすらと魔力を帯びている体に描かれた絵は、よくわからないけれどカティーアの出す炎の気配と似ている気がした。
「そんなに見つめて、どうした?」
ジェミトの言葉で我に返った私は、慌てて彼の体から目を逸らした。
男性の体が珍しいってわけじゃない。だって、カティーアから獣の呪いを受け止めた影響で黒犬の姿に変わっていた時だって、彼以外の裸は兵舎などで目にしていたし、その時はこんな風にならなかった。
筋肉がすごいなーとか傷がすごいなーって関心することはあったけれど……なんで慌ててしまうんだろう。カッと熱くなる頬を冷やしたくて、自分の手を両頬に当てる。
目を閉じて深呼吸をすると、カティーアの傷一つ無いきれいで艶やかな肌や、普段はローブに隠れて見えないけれどしっかりと厚みのある胸板、六つに割れた腹筋やたくましい腕を思い出してしまって、ますます顔が熱くなる気がする。
「な、なんでもないです」
焚き火が熱いせいかもしれないって思いたくて、顔をパタパタと手で仰いでごまかしているとジェミトが一歩こちらへ近寄ってくる気配を感じて、目を開いた。
「ん? 寒くて人肌恋しいなら、夜通しそういうお付き合いも歓迎だぜ?」
屈み込んでいるジェミトは、私の顔を下から覗き込むようにして笑みを浮かべている。
「ひと、はだ?」
首を傾げていると、彼はそのまま立ち上がって私の肩に優しく触れた。そのまま抱き寄せられて、一歩前に出た私の額に、柔らかいものがそっと触れる。
それが、彼の唇だと気が付いて、慌てて後ろに下がって、口付けされたところを両手で抑える。
「ち、ちがいます」
そういうお付き合いの意味はよくわからなかったけれど、とにかく否定をしてから頬を膨らませてジェミトを軽く睨み付けた。
変なことをしてこないって信じているから、これは冗談なんだって思って、短剣にまでは手を伸ばさない。
「半分冗談だって。悪い悪い」
頭をポンと撫でたジェミトが肌着をコート掛けにひっかけると、そのまま焚き火の方へと離れていく。
「半分ってどういうことなの?」
焚き火の前で腰を下ろしたジェミトの隣に腰を下ろして、彼の顔を今度はこちらから覗き込む。
「いやあ、あんたみたいな美人がこんな初心なお嬢ちゃんだと思わなくってさ」
火に照らされた金色の目が少し細められて、薄い色をした睫毛が僅かに揺れる様子をじっと見ていると、根負けしたようにジェミトは笑い声を漏らしながらそう答えた。
「もう! 異性と軽率な身体的接触をするのはいけないと教えられているだけです」
「……え?」
私の言葉を聞いたジェミトは、姿勢を正しながら首をかしげる。
「あれ? 私、何か変なことを言った?」
「見た目からしてもう
私の言葉を聞いたジェミトは、少しの間黙って目を泳がせていた。
けれど、私の言葉が冗談ではないことがわかったのか、言葉を詰まらせながらそんなことを聞いてきた。
同衾と言われて、私は目を開いたまま、固まってしまう。
「師匠ってやつが男なら、あんたと師匠はそういう関係だと思ってたんだが」
「私はもう十八になりますけど……
「あー! わかった。大丈夫だ。オレが全部悪かった。すまん」
私の言葉を遮るようにして、ジェミトはそういいながら頭を下げる。
なんでそんな態度をされているのかわからないまま、私は彼のきれいな薄紫の髪を見て口を閉じた。
「二年……二年かー」
それから、うわごとのように小さく呟いてから、私の頭へ手を伸ばしてくる。
大きな手でわしわしと少し乱暴に髪を撫でる彼の、アーチ状に整えられた形の良い眉が僅かにひそめられている。
「私、なにか、変?」
耳に入ってきた私自身の声は、自分でも驚くくらい不安そうに震えていた。
それを気にしてくれたのか、彼はパッと表情をすぐに明るく変化させると頭を撫でていた手を腕に伸ばしてきた。
そのまま緩く引っ張られるのに任せて、私は彼の体に正面から寄りかかる。
「いや、変じゃない」
ふっと息を漏らすように柔らかく微笑んで、私の瞳をじっと見つめながらジェミトは小さな声で囁くように答えてくれた。
この人は、すごく困ったように眉尻を下げたり、ニコニコと笑ったり、からかうときに意地悪そうに片眉を持ち上げたり、こうやってすごく優しい顔をしたり……コロコロと表情が変わって不思議。
「ほんとに?」
「ほんとだって」
屈託無く笑うジェミトに頭を撫でられて、納得しそうになるけれど、それでも、カティーアの昨晩の態度を思い出して不安が込み上げてくる。
「じゃあ、なんでそんな反応したの?」
「オレたちの村では、
「まぐわ……」
言葉の意味ははっきりわからないけれど、なんとなく思い当たる行為があって、言葉を失う。
外の世界のことを色々知ったつもりだったけれど、そういう場所にカティーアは連れて行ってくれなかったし、話してもくれなかった。
セルセラの記憶が流れ込んできた時に、カティーアは私と同じくらいの年齢の時からそういうことをしていたんだってことは知っているけれど……。
カティーアやきれいな娼婦たちがそういう行為に及んでいる記憶が、再び頭の中に思い浮かんで顔がまた熱くなる。
でも、不思議とカティーアが目の前にいるときみたいにお腹の奥がモヤモヤとしたり、胸の奥が締め付けられるように痛くなったり、頭の中でなにかが破裂したみたいに熱くなる感覚はしなかった。
「七つも離れてるし、あんたは立派な子供だ」
「こ、子供って……」
「子作りをしてないならまだ子供でいいだろ」
「むぅ……してないですけど」
なにか誤解をされている気がするけど、あえて何も答えない。
私の頭をひとしきり撫でたジェミトは、少し離れた場所にあった大きな袋を引き寄せると中をゴソゴソと探り始めた。
しばらく袋の中を物色していた彼が取り出したのは、薄手の毛織物で出来たチュニックと、ふかふかの毛で縁取りされている温かそうなズボンだ。取り出した服を彼は私に手渡した。
「さて、落ち着いたなら、とりあえずこれに着替えてくれないか?」
「あ、ありがとう。でも、こっちはそんなに濡れてないから」
ジェミトは体を起こすと、私から離れて皮袋の中から一枚の布を取りだして、こちらに手渡してくれた。
首を左右に振ったジェミトが、私の言葉を遮るように口を開く。
「大切にされているお嬢さんに風邪を引かせたら、師匠とやらに再会したときに怒られそうだからな」
手渡された布を見て見ると、それはさっきジェミトが脱いだみたいな裏に毛皮が縫い付けてある暖かそうな肌着だった。
「あ、ありがとう。着替えることにする」
「待て待て。手を止めろ」
胸元を止めている細い革紐に手をかけたところで、ジェミトが大きな声を出したので私は首を傾げながら落とした視線を彼の方へ再び向ける。
「ちゃんと後ろを向いててやるに決まってるだろ。着替え終わったら声をかけてくれ」
「あ……わかった」
うっかりしていた。
そういうの、ちゃんと気にしてくれるんだって驚きながら、彼が私に完全に背を向けるのを待つ。
「じゃあ、オレは横になってるから」
部屋の奥まで歩いて行ったジェミトは、そのまま毛皮が敷いてあるところに進んでいくとごろりと横になってから片手を上げた。
「ありがとう」
今度こそ、胴衣の胸元を止めている革紐を緩めていく。
歩いている時は必死だったからわからなかったけれど、それなりの距離を歩いたからか肌着も汗でじっとりと湿っていた。
汗を吸って重みが増した胴着と肌着をコートかけの空いている枝にひっかけて、ついでにブーツも脱いだ。
足が痛かったのは、ブーツから染みこんだ雪が足先を冷やしていたからみたい。すっかり赤くなった足先が、冷たい履き物から解放されてじわりと温かくなったのがわかる。
逆さまにしてブーツもコートかけの枝にさして、脚衣も脱いでしまうことにした。
ほとんど裸になった私は、ジェミトから渡された肌着を頭から被る。
内側に縫い付けられている柔らかな毛皮はふわふわとしていて暖かくて、ごわごわするかと心配していたけれど、思っていた以上に心地よい。カティーアもこういう肌着を身につけたらよろこぶかな……と考えて「またちゃんと会えるよね」と込み上げてくる心配を振り払うように頭を左右に振った。
もう一枚、渡してくれた脚衣を身に付けて、少し腰回りが大きかったので近くにあった編んだ紐で縛って調整する。
気が付いていないだけで、濡れた服を着ていたから体がしっかりと冷えていたみたい。
乾いた服を身につけたことで、体が温まってくるのを実感したところで私は無防備に背中を向けて横たわっているジェミトへ目を向ける。
このまま素直に声をかけてもいいけれど……さっきからかわれた仕返しをしてもいいんじゃないかな? なんて思えてくる。
大声を出して驚かしてみようかな。それとも、背中をそっとくすぐってみようかな?
気配を消して、ゆっくりと彼に近付いていく。それから、大きな声を出すために息を静かに吸い込んだ。
――グウゥ
「ククク……体の割にデカい音が鳴ったな」
私のお腹から豪快な音が響いてしまった。
それを聞いて振り向いたジェミトが愉快そうに肩を揺すって笑う。
恥ずかしすぎて、驚かそうなんて思ってなかったみたいにジェミトの隣に腰を降ろすと、彼は私と入れ替わりになるように立ち上がる。
部屋中央の焚き火まで離れた彼は、しゃがみこんで床に置かれている皮袋の中身を漁る。
「せっかくだし、何か作ってやるよ」
ジェミトはこちらを見ながらそういうと、皮袋から食料らしきものを取り出して立ち上がる。それから部屋を見回した彼は、何かを見つけたのか壁際にある棚の方へスタスタと歩いて行った。
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