3-6:From The Old Villageー旧き村の男ー

「オレの名前はジェミト。あんたは?」


「ジュジといいます」


 握手を交わしてから歩き出したジェミトさんの背中を追うように歩く。

 雪に脚を取られながら歩く私に対して、彼は慣れた足取りで前に進んでいく。


「ジェミトさんは……封じられた炎がある村ケトム・ショーラに住んでるんですよね? 何か用事があって遠出をしているのですか?」


 ここがどこかはわからないけれど、彼の言い分を聞いていると、どうやらここは村からは離れた場所らしいということまでは察することが出来た。

 必死で彼の後を追いかけながら、私はふと浮かんできた疑問を投げかける。

 

「年がら年中氷と雪に晒されているこの地域でも、夏はそれなりに温かくなるんだ。大体、今くらいの時期には外側から商隊が来るはずなんだけど……今年は夏になるってのにこんな気候だしって心配になって様子を見に来た」


「ああ、先ほど言っていた通行路を見に来たのですね」


「そういうこと。その帰り道で、あんたが狼に襲われてるのをたまたま見かけたってわけだ」


「本当に助かりました」


 雪と氷で閉じられた世界と聞いていたから、季節なんてないと思っていたけれど、意外なことに変化が小さいながら夏というものはあるらしい。

 これを聞いたらカティーアはおもしろそうな顔をするのかななんて考えて、昨晩のやりとりを思い出して胸の奥がずきんと痛む。 


「あー。あと、さ、ジュジ」


「はい?」


「その、ですとかますとかそういうかしこまった話し方はやめてくれ。呼び方も、呼び捨てでかまわない。なんだかむず痒いんだよなー」


「かしこまった……ですか」


「そうそう。それ。かわいいとは思うんだが、なんか気を使われてるみたいでおちつかねぇんだよ。あんたはの言葉も流暢に話せるみたいだしさ」


 の言葉が? と少しだけ考えて、それから首を捻る。

 言葉が違う……考えてもみなかったけれど、確かに私たちが描く文字は「共用文字」と言われていたし、カティーアが昔は獣人たちの言葉は翻訳魔法が使えなかったと言っていた気がする。

 自分で気が付いていないだけで……私の言葉は魔法で翻訳されているの? なんてぐるぐる考えたけれどカティーアがいない以上、きっと一人で答えには辿り着けない。


「わかった。がんばってみま……がんばってみる」


 慣れないけれど、私はジェミトの顔を見てそう伝えた。

 少しだけ心配そうに眉尻を下げていた彼だったけれど、私の言葉を聞いてニカッと歯を見せて笑ってくれたので、多分言葉のニュアンスは伝わっているんだと思う。


「ああ、それでいい。じゃあ、先を急ごうぜ」


 再び歩き出すジェミトの背中を見ながら、思い出す。

 こうやって誰かと気さくに話すなんてこと、箱庭にいたときくらいだったなって。

 カティーアにも、名前こそ呼び捨てにしているけれど、どうしてもまだ少し遠慮があるというか、ずっと憧れていた存在だというのも相まって丁寧な言葉で話そうとしている自分がいる。

 だから、こうして砕けた口調で話すのはなんだか楽しい。


「ジェミトは、村とかその周りを守ったりするお仕事をしてるの?」


「まあ、そんな感じだな。余所者を助けたり、商隊をやりとりしたり……だから、外側の言葉も少し話せる」


「私が見たことのある狼はもっともっと小さかったから、驚いちゃった」


「ああ、そうらしいな。だから狼の毛皮は高く売れるんだぜ」


 色々なことを話しながら、私たちは一面銀色に光る道を歩いていた。急な斜面が終わり、葉が落ちた木々と冬なんてものは知らないというように深い緑の葉を茂らせた木々がまぜこぜになっている森が前方に見えてくる。


「ここらへんだな。ちょっと待ってくれよ」


 そう言ってジェミトは辺りを見回してから、走り出す。

 ぽつぽつと生えている白い幹の木まで駆けていった彼は、その根元に斧を振り下ろした。

 器用に斧で雪を掘り終えたらしいジェミトがこちらへ戻ってくる。彼の手元には、小さな子供くらいなら入りそうなほど大きな革袋だった。

 雪の中にあったのに、表面がびしょびしょになっていないのは、そういう特別な加工をしてあるからなのかな?

 袋の表面に付着した雪をパッパッと払いながら私の目の前まで戻ってきたジェミトは「気になるか?」と悪戯っぽい笑みを浮かべながら、袋を縛っている紐を緩めてこちらへ傾けてくれる。


「これ、商人のやつらと会えたら取引しようと思って俺が持ってきたんだ。動くのに邪魔だから埋めて隠しておいた」


「知らないものがたくさん……」

 

「去年の夏の間に取れた果実を酒にしたものと、干した果物……あと香辛料と、毛皮とか獣の角……あとは獣の脂を固めたものと、薬とか石とか花の粉だな」


「花の粉とか石は……何に使うんですか?」


「ああ、これはな、染髪をしたり、化粧品に加工するらしいんだ」


「化粧品! 加工前のものをちゃんと見たのは初めてです」


 布を染めるとか、貴族や富裕層が見た目を整えるために化粧をするってことは本で読んだことがある。

 でも、実際に化粧品や、その材料を目にするのは初めてで思わず手を伸ばしてジェミトが広げてくれた袋に手を伸ばす。

 すぐに、勝手に触ってはいけない……と伸ばした手を止めたけれどジェミトは片手で大きな袋を抱えながら器用に小袋の口を緩めてくれた。

 小さな袋に入っている濃い色の粉末や、鮮やかな色の小さな石たちを手に取って眺めてから、そっと袋へ戻す。


「この髪もそれで染めてるんだぜ? お前みたいなキレイな黒髪だと色は入りにくいだろうけど、おれたちは白金の髪だからこうやって色も入りやすい」


 菫の色に似た粉末を戻したとき、ジェミトはそう言って被ってたフードを外した。


「わあ……。変わった髪色だと思っていたけれど、こうしてみると本当にきれい」


 白銀の雪からの照り返しと、背後に見える太陽の光で薄ら透けて見える薄紫色をした髪は本当にとてもきれいだった。

 菫の薄い花弁を太陽に透かした時みたいにきれい。


「ジュジの故郷では髪を染めたりしないのか?」


 小さく拍手をした私を見て、満足そうな笑みを浮かべたジェミトは再びフードを深くかぶり直しながらそう言った。

 頷いた私を見てから「へえ」と不思議そうに呟いて彼は歩き出す。


「まあ、でも、ジュジの夜みたいな色をした髪の毛はそのままで十分きれいだから染める必要はないよな」


 歩きながら、私の方を振り返ってジェミトはそんなことを言う。

 私に何かを説明するときに、視線を合わせるために屈み込んでくれたり、こうして歩いている時は度々振り返って私が付いてこれるか確認してくれる様子が、なんだか大きな犬のように思えてなんとなく微笑ましくなってしまう。

 見上げるほど大きくて最初は怖かったけれど、今はとても頼もしい。


「ありがとう。故郷では髪を染めている人はいなかったけれど……ジェミトの髪色はすごく素敵だと思う」


「飽きてきたなーと思ってたが、もうしばらくこの色にしておくのも悪くねーな」


 嬉しそうに笑ったジェミトは、額にかかる髪の毛を指で摘んで光に透かす。元の髪の色が少し透けているのかきらきらと光っているように見えた。


「この色を出すための顔料は貴重なんで高く売れるんだ。さっきの小袋五つで金貨三枚になる」


「金貨……三枚」


 きっととても高いといいたいのはわかるけれど、私はジェミトの発言で自分の金銭感覚がずれていることを自覚する。

 色々な買い物はカティーアに任せていたし……さらにあの人は面倒だからなのか、それとも、本当にすごく高級なものを購入しているからかわからないけれど、だいたいは金貨を詰めている小袋をそのまま渡している。

 最初は私も彼のお金に使い方にハラハラしていたはずなのに、いつのまにか彼の感覚に慣れていたんだ……。


「まぁオレらは物々交換が主流だから金貨なんて使うことめったにねーけどな」


 そんな風に脳天気に答えたジェミトは、頭の後ろで手を組んで歩き出した。

 先ほどまで晴れていた空は、いつのまにか灰色の分厚い雲に覆われていて、隙間から弱々しい太陽の光が差し込んでいる。

 冷たい風が木々を揺らしながら吹き抜ける音と、雪を踏む自分とジェミトの足音を聞きながら、前へ進んでいく。

 とにかく、今はジェミトと村へ辿り着こう。カティーアもきっと来るはずだから……。

 慣れない道を歩いているからか、少しずつ足が痛くなってくる。吐く息が白い。徐々に呼吸が荒くなっていることを自覚しながらも、彼に迷惑をかけないようにとにかく足を必死に動かした。


「日が落ちてきたな」


 しばらく無言で歩いていた。ジェミトの言葉で辺りが暗くなっていることに気が付いて、空を見上げてみると、深い紅色が頭上に広がっている。


「ここらで一度休んで、日が登ったら出発だ」


 ジェミトは、そう言って岩肌の方へ近付いていく。

 置いていかれそうになって慌てて追いかけようとしたけれど、ここは雪が深いからか、踏み出した足が膝まで沈んでなかなか前に進まない。

 まるで泥の中を歩いているみたい。

 こういう道になれているらしいジェミトは、ずんずんと雪の中を進んでいく。

 雪は深くなっていって、いつのまにか胸元まで自分の体が埋まってしまった。待ってという余裕もなく、私は必死で両手を動かして雪を掻き分けながら進もうともがく。


「待ってろって言い忘れた。悪い」


 声を掛けられて顔を上げると、戻ってきてくれたジェミトがこちらに手を差し伸べている。


「オレの足跡を踏みながら進めって言えばよかったな」


 私をグイッと片手で引き上げたジェミトは、そういって自分がつけた足跡を指差した。

 恐る恐る彼の歩いた後に自分の足を乗せると、全然体は沈まなかった。まるでそこに魔法がかかってるみたい。

 安心して、足下だけ見て再び歩き出す……けれど、前を見ていなかったからかジェミトが立ち止まっていることに気が付かず、彼の背中に頭をぶつけてしまう。

 ビクともしないジェミトの代わりに、私は後ろに反り返ってその場に尻餅をついてしまった。


「ドジだなぁ。ほら、着いたぜ」


 笑いながら私を助け起こすジェミトに「急に止まるから…!」と頬を膨らませて抗議をしようとしたけど、彼の指差した方向に扉が見えてそれを取りやめる。

 太い木の枝を縄で括って造られた少し頼りない扉が、岩肌に張り付いている。


「ここは?」


「オレたちの避難所レフュージュだ。遠出したときに入る用の簡易的な家で、吹雪とかで足止めを食らったときに入れるようにあちこちに作ってある」


 扉を開くと、洞窟みたいになっていて、その中にもう一枚木の扉があった。

 毛皮で裏打ちをされた扉を開いた先には大きめの部屋のような空間が広がっている。

 部屋に入るとジェミトはフードを脱いで褐色のなめらかな肌を露わにした。


「寒いだろ? こっちに来いよ」


 アーモンド形の大きな目を細めて優しく笑いながら、彼は毛皮の外套を脱ぐ。そして、二つ目の扉の前で立ち止まっている私に手招きをした。

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