3-2:Be Cherished -着飾る私-

 月と百合が彫られている美しい木製のドアノブを捻ると、正面に大きな窓の設けられた広間が出迎えてくれた。

 上品な薄い橙色をしたステンドグラスからは、日光が差し込んでいて床には綺麗な夕陽みたいな光を落としている。

 カティーアは、私を抱き上げたまま部屋を窓辺と壁側で左右に二分するような位置に並べてある二つの衝立を通り過ぎ、部屋の奥にある大きな木組みのベッドの上に降ろした。真っ白で清潔そうなシーツが張られたすごく大きなベッドは、二人で寝転んでも広々と使えそう。それに、キルトの掛け布団と、ふわふわで軽い掛け布団が畳んでおいてあって、いい匂いのする花びらが散りばめてある。

 部屋を改めて眺めて見ると、衝立の間には大きな布がかけられていた。ベッドの上からは見えにくいけれど、その奥には大きな石造りの湯船が床にはめられているみたい。


 ベッドと湯船と甘い香りの漂う空間に緊張して動けないで居ると、微笑みを浮かべたカティーアがベッドに腰掛けてから私の顔を覗き込む。

 彼は私の額にそっと唇を触れるようなキスを落としてから、髪をそっと手で梳いた。

 これは……よく恋物語とかで描かれていた……愛する人同士が行う行為? ついに私も? と思ったのもつかの間、彼はすっと私から離れて、背中を向ける。

 あれ?

 なんでもないような感じでスタスタと壁際へ向かっていったカティーアは、肩に掛けていた荷物をチェストへ放り込んだ。

 ホッとしたような、残念なような……。

 ぽかんとしながら彼の背中を見ていたら、カティーアはこちらに戻ってくるなり、私の手を優しく握ってニッコリと笑った。


「さて、行こうか」


 どこへだろう? 聞き返せないまま、手を引かれて来た道を戻る。

 目的も行き先もわからないまま街中に繰り出すと、カティーアは布や毛皮が所狭しと並んでいる建物の中へと進んでいった。


「え? あの……」


「すぐ戻る。店内を好きにみてるといい」


 カティーアはそう言って私の手を離して店の奥へ向かっていくと、ふくよかで人の良さそうな御婦人と、なにやらああでもないこうでもないと話をしはじめる。

 好きに見てるといいって言われても、服の仕立て屋さんなんてカティーアが例のマントを仕立ててもらった時に来たきりだし、どうしていいのか見当もつかない。あのときは私、犬の姿だったし……自分の服を仕立てて貰ったことなんてないし……。

 よくわからずに目の前にある布を手に取りながら、カティーアが話しているふくよかな女性の方を盗み見る。

 どうやらカティーアが先程から熱心に何かを話している御婦人はこの店の女主人らしい。

 何を話してるのかまではわからないけれど、彼女が時々こちらを見てくるので目が合ってしまう。

 目が合うたびに微笑まれておじぎをされるので、私はそのたびにぴょこんと小さく頭を下げる。


 灰色の狼の毛皮や、丁寧になめされた鹿の皮、見慣れない鱗が付いた革……色々なものが並んでいて見ているのは面白い。

 部屋の奥には牙が六本ある猪の剥製はくせいがあるのがみえる。

 高価そうなものだけど全部商品なのかな?飽きてきたわけではないけど、なんだか少し気疲れをしてしまう。

 一体いつまでここにいるのだろう……と少し不安になってきた頃にやっとカティーアがこちらに戻ってくるのが見えた。


 心細かった私は彼のマントの端をしっかりと握ってなにか文句の一つでも言おうと頰を膨らませてみせる。


「もう……」


「今までしてやれなかった分、しっかりと手入れしないとな」


 顎に手を添えられ、低い声でそう言われた瞬間、なんて文句を言おうかと考えていた私の頭は、再び熱くて沸騰ふっとうしそうになって、怒ろうと思っていたことなんて忘れてしまった。

 私の頭を抱き寄せ、前髪の部分にそっと口付けをして口の片方だけ持ち上げて笑う彼は、魔法院に行くときに見かけた神の使いの彫刻みたいに美しかった。


「さてさて……どれが似合うか見せてもらおうかな」


 そう言って両手をあげた彼の腕に掛けられた色とりどりの布たちを見て、私のために服を見繕ってくれていたのだとやっと気がつく。

 カティーアに促されるまま、見たこともないひらひらのついた服、体のラインを出すためにお腹の部分を締め上げるように着る服、キラキラと光る夜空の星をそのまま取ってきたような石のついた腕輪、鮮やかで大きな花の飾りがついた髪飾り……数えきれない程の服や靴、それに髪飾りを次々と身にまとう。

 カティーアと布屋の女主人さんに言われてくるっと回って全身を見せると彼が目を細めて口元を緩める。それがなんだかとても嬉しくて、そして顔から火が出そうなくらい照れてしまう。


「やはり、お嬢様に似合うのは、こちらの鮮やかな色のスラッとしたドレスなどがお似合いだと思います。素敵な小麦色の肌にも映えますわ」


 布屋の女主人さんは、私を勝手にどこかの貴族の令嬢だと思っているみたいに丁寧な話し方で接してくれる。

 何度もお嬢様と呼ばれてなんだかくすぐったいような、ムズムズするような気持ち。


「あの……私……」


「大丈夫だ。全部似合っている」


 服なんて新しいものをあつらえたことがないから、よくわからないけれど、一着でも大変な買い物なのにたくさん新しい服を買うなんて貴族とかそれなりの身分の人しかしないよね……って気がついてなんだか身の丈に合わないようなことをしてるみたいでドギマギする。

 でも、カティーアが目を細めて、とても優しい表情を浮かべるから……思わず口を噤んで彼の顔を見る。

 服というものに頓着とんちゃくのなかった私は、箱庭にいるときも、カティーアの弟子として働いていたときも身体が寒さや汚れから保護されればいいとしか思っていなかった。

 箱庭でも、破れたりほつれた服は繕ったり、縫い合わせたりして箱庭のみんなで融通し合っていた。

 だから、初めてカティーアの家に連れて行かれたときもやたらキレイなリネン製のワンピースが用意されていて内心驚いたんだった。

 

「そうだな……じゃあ、この既製品を一式貰う。それと……彼女は狩りもたしなむのだが、女物で機動性がある丈夫な服をいくつか……あと……」


 カティーアは、面倒を起こさないためなのか布屋の女主人さんに話を合わせているみたいだった。

 私達が魔法院から逃げた直後から、こうやって相手の勘違いを訂正しないで話を合わせる様子は見ていたけれど……。

 やっぱり英雄としての顔以外も仕事で必要だったからなのかな……なんて考えて少し胸がざわざわした。私の知らない彼が、どんなことをしているのか……ふと、セルセラが見ていた景色がぼんやりと頭の中へ浮かんでくる。

 それに……カティーアが、私にもそういう風に、私が彼にしている勘違いを利用したり、勘違いを訂正するのが面倒で話や立ち振る舞いを合わせているだけなのかもしれない……と考えない日がないと言ったら嘘になる。

 どんどん大きくなっていきそうな不安をかき消したくて、私は頭を小さく横に振った。


魔法院あっちにいた頃は、可愛くて愛らしい弟子をこうして飾り立ててやることも出来なかったからな」


 女主人さんが私の服を見繕うために店の奥へ姿を消すと、いつの間にか背後にいたカティーアが、私の黒い髪を手櫛で梳かしながら優しい声でそう囁いた。

 たったそれだけのことで私のさっきまでの不安はどこかへ隠れてしまって、彼の仕草になんだか胸が痛くなるほどドキドキしてしまう。


「狩りに行かれるのでしたら、こちらのベヘモト革の鎧などはどうでしょう? それと……こちらは、妖精や悪霊の魔法から身を護る効果のある花鳥はながらすの羽根をあしらった帽子で……」


 女主人が見繕ってきた幾つかの商品を見たカティーアは、顎に手を当てながら商品をまじまじと見ている。

 彼に真っ赤な顔を見られなくて済んだことになんだかホッとしながら、私は真剣な顔で鎧や装飾品を見比べているカティーアの横顔を見つめた。

 ぼーっと女主人とやり取りとして、色々な商品を見比べているカティーアを見ていたけれど、ふと彼の前にある作業台の上に目が向いた。

 作業台の上には、色とりどりの布やきらきら煌めく宝石が飾られた装飾品の数々がうず高く積まれている。

 もしかしてこれ全部買うつもり? 毎日着替えても全部着られるかわからない量じゃない? と焦っているとカティーアが「足りないようなら言ってくれ」と言いながら革の小袋を4つ程雑に机の上へと置いた。

 机の上に置かれた小袋からした重そうな音に驚いた顔をした女主人さんは、小袋を手早く開いて中を覗き込むんで、すぐに口元に手を当てて、目を大きく見開いた。

 そして、慌てた様子でカティーアの腕に手を伸ばしてマントの端を掴むと、背を向けようとする彼のことを引き止めるように引っ張った。


「足りないなんて滅相もございません……この小袋2つで十分なくらいで……」


「感謝の気持ちとして受け取っておいてくれ……と言いたいところだが、俺たちはすぐ近くの大きな宿に泊まっているんだ」


「宿というと……月華亭ですか?」


「ああ、そこへ買ったものを運んで置いてくれると助かる。なにぶん、使用人も最低限しか連れていない旅なのでな」


 申し訳なさそうな顔をしていた女主人さんだったけれど、カティーアの言葉を聞くと、彼女が「ああ、そういうことなのですね」と落ち着きを取り戻したような声を出した。

 さきほどまで慌てていたとは思えないくらい満面の笑みを浮かべた女主人さんは、頭を深々と下げてからすぐに顔を上げて、近くにいた下働きの男性二人に私たちの荷物を運ぶように言いつけた。


「あんたらの給料にもちゃんと上乗せするからね! ご無礼のないようにするんだよ」


「へい! しっかりとあちらの宿にお運びしておきやす」


 女主人の言葉に元気に答えた男性達は、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうという言葉がとても似合うような出で立ちをしている。

 しかし、動き始めた彼らは私が想像出来ないくらい繊細で丁寧な動きで作業台に山盛りに並べられた布たちを畳みはじめた。

 別の男は大きな手先を器用に操り、小さな装飾品をどんどんと羊皮紙で包み、手早く袋の中にしまっていく。


「よろしく頼むよ」


 男たちの働きに対して満足そうな表情を浮かべたカティーアは、私の肩を抱いたまま店をあとにした。

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