Chapter0 Epilog:Moment of peaceー安らかなひとときー

「寝たのか?」


 膝の上で規則的に寝息を漏らしているジュジの背を撫でる。

 彼女の体は長い毛皮に覆われ、愛らしかった太陽に愛された色褐色の肌も、今は見ることも叶わない。

 返事がないのを確かめて、彼女の長細いマズルをくすぐるように撫でる。


「お前が話してくれって言ったんだぞ。ったく、どこまで起きてたんだか」


 少しほっとしながら、そう呟く。伝説ではない、貴方の話が聞きたいですと、そう言ってくれたのが嬉しかった。

 だから、誰にも話したこともない俺の話を……まるで懺悔みたいな物語を話すことにした。


 すっかり夜も更けて、ヒト族たちが寝静まっているからか、妖精たちの囁きが遠くから聞こえてくる。

 視線を上げるとステンドグラスがあしらわれた窓からは月光が差し込み、よく磨かれた大理石の床に美しい影を落としている。

 魔法院を離れた開放感のせいで浮ついていたとはいえ、豪商や貴族向けの宿を借りたのは正解だな……と寝ているジュジの背を撫でながら思う。

 外から漏れ聞こえてくる妖精たちの歌声を聴きながら、俺は息を深く吸い込んで大きく伸びをした。


 予想していた通り、魔法院からの追手が来る気配は無い。

 ちまたでは『英雄カティーアは魔法管理議院マギカ=マギステル 院長を災害級の巨大で強力な魔物から守り名誉の死を遂げた』などと騒がれている。結構なことだ。

 寝具の横に備え付けてあるサイドテーブルに手を伸ばし、陶器のゴブレットに残っている果実酒を喉に流し込んだ。


「世界はなかなか変わらないけど、自分を変えることは出来る……か」


 誰に言うでも無く、声を漏らす。もしかしたら、ジュジの中にいるセルセラには聞こえているのかもしれないが……聞いていたとしてもきっと優しく微笑んでくれるだろう。

 ジュジの寝息が響く中、俺は彼女の黒く濡れた鼻に唇をそっと落とした。


「……俺なんかには無理だって諦めていた。でも、こいつが背中を押してくれたんだ」


 寝ているジュジを抱き上げて、寝具に運んでから、俺はバルコニーへ出た。

 少し冷たい風が頬を撫で、窓の近くにいた妖精たちがサッと夜空へ飛んでいく。


「少しは、変われたと思う。でも、俺は、この子と共に、もっと変われると思うんだ……あんたの理想通りとは違うかもしれないけど」


 空を見ながらそんなことを言っても、もう死んでしまった彼女には、この言葉が届かないのはわかっている。けれど、俺はイガーサを思い浮かべながら、そう口にした。

 俺の都合のいい妄想なのはわかっている。けれど、夜空に浮かんでいる彼女の幻影が俺に微笑んでくれた気がした。


「あんたのことを、もう二度と忘れたりはしないから」


 それだけ告げて、俺は部屋へ戻る。

 寝具の上で寝息を立てているジュジを抱きしめながら、彼女の小さな額に自分の額をくっつけて目を閉じた。


「聞いてくれて、ありがとう」


 それだけ言って、俺はジュジの毛皮から微かにする薔薇の香りを感じながら、俺は微睡みに身を委ねた。

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