0-10:I promised.ー約束したんだー

「対アルパガス最終決戦です」


 通信用の魔石が緑の光を灯す。口元に近付けた魔石に、静かな声でそう告げるヘニオの言葉を聞きながら、自分の左耳に触れた。

 イガーサと初めて体を重ねた夜に、彼女から貰った蝶の形をした耳飾りは、触れるとチリリと熱を持った気がした。

 なんだか嫌な予感が脳裏を過ったけれど、かぶりを振ってそんな気持ちを切り替えようとする。耳飾りに付いている小さな紫色の石を指の腹で撫でながら、彼女の無事を祈る。


「にしても……薄情なもんだな」


 いよいよアルパガス城へ乗り込むという時に、他国からの援軍は一つも無い。

 様々な国が、援助を打ち切る旨を魔法院へ通達したという噂と、魔法院の魔法使いが、各国の防衛を請け負ったので安心だという両極端な噂が同時に回ってきたが、本当のところは俺にもわからない。

 所詮俺は兵器なので、重要なことなど何も教えられていなかったのだろう。


 東の大陸の北部に近付くにつれて、魔素が濃くなるからか魔物の強さも増していく。街道は全てアルパガス兵たちが検問所を設けていた為、俺たちは森の深くや山間を抜けるような道なき道を行く羽目になった。

 足下も悪く、寒さや満足な食事も取れない環境でヘニオも憔悴していた。彼女の透き通るように白かった肌は、今はかさついて、大きな丸い目の下には濃い隈が刻まれている。


 デコイとして目立つように設置された転移魔法用の魔法陣の光が、ゆっくりと強まっていく。

 この作戦が失敗すれば、みんな死ぬ。それどころか、仲間たちこいつらが守りたかった大切な場所や人も壊されてしまうのかもしれない……そう思うと、胸の内側が締め付けられるように痛んだ。

 幼かった頃の俺は言われた仕事をするだけで、指示する奴が死のうが、世話係がいなくなろうがどうでもよかった。

 そんな自分の変化が信じられずに自分が変わると、世界の価値も変わるのだな……と、柄にものないことを考えて苦笑する。「世界はなかなか変わらないけど、自分を変えることは出来る」と、イガーサが話してくれたことを思い出したからだ。

 自分を変えるのは、この戦いが終わってからだ。そう自分に言い聞かせながら、胸いっぱいに空気を吸い込んで、これから始まる戦いに備えて気持ちを切り替えようと努力をした。


「生きて……生きて帰りましょう……」


  緑色の魔石に再び光が灯る。祈りを捧げるような、切な気な声でヘニオが囁いた。

 ホグーム、アルコ、イガーサの三人は、俺が正門で暴れている間に城へ潜入することになっている。

 昨日、紫の木々が生い茂る森の中へ進んでいく三人を見送った。

 ヘニオは三人と繋がっている通信用の魔石を、指が白くなるほど握りしめている。俺は、そんな彼女の手から通信用の魔石を取り上げた。


「俺がしっかりと敵を引き付ける。全部倒したらお前らのところに絶対駆けつけるから……なんとか生き残っててくれよ……」


 気弱になっていることが伝わらないように……と願いながら、俺は魔石の向こうにいる仲間たちに声をかけた。


「お前の出番なんてないかもなぁ。まあ、ゆっくり来いよ」


「ワタシタチ、とても優秀ネ」


「カティーアが来る前に全部終わらせてアルパガスの秘蔵のお酒でも貰っちゃおうかしら……」


 声はひそめているが、暗い様子は窺えない。昨晩はゆっくりと休めたのだろうか?

 不調ではなさそうだということに胸をなで下ろしながら、俺は仲間たちの言葉を忘れたくなくて、目を伏せた。

 ふわりと飛んできたセルセラが俺の髪を撫でながら顔を覗き込んできた。心配そうなセルセラに「大丈夫」と言う代わりに、笑って見せる。やせ我慢をしているのが彼女にだけはバレているのだろうが、それでも自分を奮い立たせるために、気弱な顔ばかりしているわけにはいかなかった。


「お前ら……」


 本当に、こんな時まで変わらないな……と言いたかったが、聞き慣れない少女の小さな笑い声が聞こえて言葉を止める。

 何があったのか聞こうと迷ったが、きっと彼女たちが今言わないということは俺が知らない方がいいことなのだろうと、考え直す。

 気を取り直して、気の利いた言葉でも話そうとした時に「じゃあ……後でね」とイガーサが囁く。

 何も返事を出来ないまま、通信用の魔石に灯る淡い緑の光はゆっくりと小さくなって消えてしまった。

 重要な任務が待っているというのに、随分と緊張感のない会話で締めくくることになったが、きっとこれでいい。全部が終わったら、イガーサと……仲間たちあいつらと休暇を取ってゆっくりしたり、馬鹿騒ぎをしたりするって、約束したんだ……そう自分に言い聞かせて、魔石をヘニオに返した。

 


「カティーアさん……わかってますね。あなたが呪いに呑み込まれて魔獣になってしまっては意味がないんです。用意したヒト型素材フムスとルトゥムを使い切ったらあなたは撤退してください」


「……わかってる」


 俺はヘニオの肩を叩いて、高台から下って足下へ広がっていた森へ向かう。

 先刻から展開している転移魔法陣はすさまじい魔力を周囲にまき散らしている。これならば十分デコイの役割を果たしてくれるだろう。

 これからこの魔法陣で運ばれてくるのは、急ごしらえで作られたらしい三千人ホムンクルスの兵士たちと、ろくに戦闘訓練もされていない素材フムス消耗品ルトゥム五百人だ。

 戦力などではない。全部、俺が使ための道具として、ここに運ばれてくる。

 どうやら魔法院に残存しているホムンクルスの2/3と、残っている素材フムスアルカと交配予定のない消耗品ルトゥムをすべてこちらに持って来る予定とのことだった。今まで支援を出し渋っていた魔法院に、何が起きたのかはわからない。しかし、使えるものは使うべきだと思った。もう、ヘニオからもらった黒い小箱は残っていなかったことが、人間を自分の為に殺すという行為に少しの正当性を与えてくれた。

 これで最後にすればいい。とにかく、生きてどうするか考えよう……そんなことを考えていた様に思う。


「世界はなかなか変わらないけど、自分を変えることは出来る……か。これが終わった先に、希望なんてあるのか?」


 思わず、自嘲的な独り言を呟いてから、呪文の詠唱を始める。

 イガーサといる間だけ、こいつらを使のをやめたところで俺は善人になれるわけでも、大量の命を使ったことがなくなるわけでもないと、本当は薄ら気が付いていた。

 家畜ひつじは、自分の同胞を殺しまくる外敵おおかみを好きになんてならない……と。


『カティーア、今は集中しなさい』


「ああ……」


 セルセラに言われて、集中力を取り戻すために深く息を吸い込み、詠唱を再開した。

 転移魔法で大量の生物を送るからか、魔素が濃い地域にも拘わらず、魔力が大量に持って行かれる感覚がする。痛覚の類いを遮断しているはずなのに、獣の呪いが俺の体を蝕んでいくむずむずとした感覚が両腕から胸元にまで広がっていくのを感じながら、両腕を広げた。


「開け 導きの門 偉大な魂の頂点 肉の殻を持たぬ王 英華を誇る妖精が穿つ穴 ヒトの子に恵み賜え」


 赤い閃光が魔法陣から放たれる。

 大量の魔素が集まって来たかと思うと、閃光が徐々に魔法陣の上で人の形になり始める。光が失せると共に現れた黒髪のホムンクルスたちは、素材ルトゥムたちを取り囲むような陣形を組んでいる。

 遠くから飛竜の影が近付いてきた。あちらの斥候兵だろうと判断した俺は、準備していた次の魔法を放つために、呪文を詠唱しはじめた。


「進軍開始します」


 高台の上から、凜としたヘニオの声が響く。

 詠唱を進めながら、広げていた両手を胸の前で合わせた。

 集まって来た火の妖精たちが、俺の周りで美しく舞っているのを感じながら、指を組んで目を閉じる。


「焔の仔たち 紅鏡の如く輝け 黒き角の契約の下 行く道を阻むもの 焼き尽くせ」


 目を開くと同時に、ありったけの魔力を込めて巨大な炎の球を投げつけた。

 即座に隣を歩いていたホムンクルスたちの頭を掴んで使。胸まで蝕んでいた金色の毛皮が両腕から消えていくのを感じながら、俺はアルパガス城の正門へ向けて投げた炎の球を追いかけるようにして駆ける。

 道すがら人間の形をしたものを手当たり次第使いながら駆けていると、俺の放った巨大な炎が、城門と、近くを羽ばたいていた飛竜の影を呑み込みながら破裂するのが見えた。

 城門近くに集まっていた敵を、これで半分でも持って行けていたらいいのだが……と祈るような気持ちで思いながら突き進んでいく。

 黒煙が辺りに立ち籠めている中に飛び込んだ。視界が悪い内にたくさん殺しておかなければ。

 風の魔法を使われたのか、黒煙は思っているよりも早く消え去った。

 視界が開けた瞬間、しっかりと敵の全貌を目にしてしまったことを後悔したのを覚えている。なぜなら、目の前には、広々とした庭園いっぱいにひしめき合う魔物と耳長族たちが見えたからだった。


「これ全部が相手ってまじかよ……」


 思わずそんな言葉が口から漏れる、だが、俺はやるしかなかった。

 そのまま足を止めずに、手近にいる耳長族を使ながら、敵陣の真ん中へと突き進んでいく。

 呪いを移せない黒竜や魔物は魔法を使って薙ぎ払い、人間の形が見えたら、とにかく使。敵でも味方でも、俺の呪いが転化出来るならどうでもいい。

 俺の影に潜んだセルセラが、茨のツルで、敵を拘束する。喚く人間の頭を掴んで黒い毛皮の化物にして、地面を蹴る。空中から竜を探して急降下して、魔法でその一帯を焼き払う。

 数え切れないくらい魔法を使って、人間もたくさん使……思考が麻痺していく。腕をもがれても足を切られてもとにかく、がむしゃらに目の前の動くものを屠り続けた。

 何度も、この場に仲間がいなくてよかったと思った。このおぞましい行為を見られたくなかったし、間違って仲間を手に掛けたら……なんて気にしていたら、多分こんなことは出来なかったはずだ。

 セルセラから『もう、いいのよ』と言われて我に返る。気が付けば怒号も悲鳴も聞こえなくなっていた。

 屍の山を目の前にして、俺はよろよろと城壁へ向かう。

 背中を石造りの壁に付けると、ひんやりと冷たくて心地が良かった。通信用の魔石を取りだして、口元に近付ける。


「……全部終わったはずだ。そっちから見て異常はないか?」


「こちらからは……庭園にいる生存者は確認できません。数人の生き残りは城内にいるかもしれませんが……」


 通信用の魔石から聞こえるヘニオの言葉を聞いて、胸をなで下ろす。

 イガーサたちのことに触れないのは、彼女たちは無事に城に潜入出来たからだろうか?

 体のあちこちが軋むように痛い。痛覚を切っているはずなのに……と乱れた呼吸を整えるために胸に手を当てて息を深く吸い込む。

 ぞわぞわとする感覚が、首元にまで届く。多分、この時点の俺は首から下が全て毛皮に包まれていたのだろう。その感覚を無視して、城の中へ足を進めた。

 城内を進むと、怯えたような顔をした耳長族が、こちらへ槍を向けながら突進してくる。そのまま槍を体に受けるが、痛みは無い。そのまま怯えた顔を浮かべて固まっている耳長族を使と、首から胸元がすっきりしたような感覚がした。中にいる耳長族を数人使ばなんとかなるはずだ……と判断して、俺は更に進んでいく。


「残念ですが……もうこちらには、ヒト型素材が残っていません。戻ってきてください」


 ヘニオが俺を止めるために声をかけてくる。しかし、俺にその言葉を聞き入れる気持ちはなかった。


「悪いな……。絶対に行くってあいつらと約束したんだ」


「そんな!? これは命令です! 戻ってカティーアさん! お願いです! あなたまで死んだら……」


 彼女の悲痛な叫びが聞こえる魔石をそこら辺に放り投げて耳を澄ます。同じ方向から何度も大きな音と振動が響いてくる。多分、音がする方ににイガーサたちはいる。


「行こうか、俺の相棒ファミリア


 覚悟を決めたような表情で頷いたセルセラを肩に乗せて、俺はイガーサたちを見つけるために走り出した。

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