0-11:Huge beformityー異形と化すー
予想していた通り、城内には数人の耳長族が残っていた。すっかり怯えきっていて戦意喪失をしている相手を使いながら、俺は大きな音の出所へ急ぐ。
内部にもう少し護衛の兵を置いていると思ったが、そんなことはないみたいだった。想定していたよりも、すんなりと目的の部屋が視界に入る。
痛覚を魔法で鈍くしているはずなのに、体が軋んで悲鳴を上げていた。
まだ、大きな音は響いている。きっと、あいつらは生きていると信じて必死に足を進めて、ようやく見上げるほど大きな瑠璃色の扉がある場所へ辿り着いた。
扉に両手を当てて、力を込める。恐ろしく重い扉がゆっくりと開いていくと、部屋の中央にいる巨大な化物が目に入った。代わりに、王の姿は見えない。
「カティーア、そいつがアルパガス王よ」
イガーサの声が聞こえて、咄嗟に化物に向けて火球を放つ。
報告書でのアルパガスは、額に透明な一本角が生えている美しい男の耳長族だと聞いていた。青みががった銀髪は耳長族の王族だけに受け継がれるものだから、見間違えないはずだと言われていたが……今、その髪の面影は頭から尾の先端にかけて生い茂っている
青みを帯びた白い硬い鱗に覆われた体、高い天井に届きそうなくらい大きな体躯、そして丸太のように太い手足からは鋭い鉤爪が生えている。
火球が当たる瞬間、変わり果てた姿のアルパガスが首をこちらへ向けた。額に生えているのは、光を帯びた黄金の一本角。振り向いたアルパガスは
火球がすぐにアルパガスの顔や頭部に当たって破裂をする。不意を突けたのか、巨大がゆっくりとバランスを崩して床に尻餅を着いた。
そのまま走り出して、部屋の奥へ走り出りながらアルパガスの上にある天井を目がけて火球を放って瓦礫を落とす。
「全員、生きてるな?」
「……カティーアが来たからには……休んでる場合じゃないネ」
声をかけてから、仲間たちの惨状に気が付く。
壁に叩き付けられたのであろうアルコは、瓦礫の破片の中に力なく横たわっていた。あいつは俺の姿を見ると、弱々しく立ち上がろうとして、ガクリと膝を着く。
すぐに駆け寄って肩を貸してホグームを探そうとした。
「こっちだ」
アルコを担ぎ上げて、視認するよりも速く声のした方へ向かう。
少し離れた場所には、盾を構えながら立っているホグームが俺たちを手招きしていた。
「遅せえじゃねえか……」
ホグームの構えている盾の影に滑り込むようにして入ると、アルコは俺の腕から下りてよろよろと立ち上がる。
「悪い。少し迷ってた」
額から流した血を腕で拭ったホグームは、ニッと笑って見せたが、満身創痍で強がっているなんてことは見るだけでわかった。
「来てくれるって、わかってたよ」
後ろの方から声がして振り向くと、弱々しい笑顔を浮かべたイガーサが肩をぶつけてくる。
ふと、違和感を覚えて視線を下に向けた。彼女の左腕はダラリと脱力していた。真っ赤に染まった腕は、どこかが深く抉れているということはわかっても、傷が傷口がどこなのかもわからない。
唇を噛みしめながら、ローブの一部を無理矢理引き裂いて、彼女の腕に巻きつける。少しでも止血になればいいと思ったが……俺の自己満足だったのは自覚している。
大きな音がして、煙の中でアルパガスが瓦礫を退けて立ち上がるのが見えた。
俺たちは、顔を見合わせてうなずき合って、それぞれ武器を握りしめる。
「大した力もない虫けらどもが次から次へと……」
怒りに満ちた声が響く。六つの目が、俺たちをまっすぐに見つめていた。
「劣った文明の未開人よ。我らにおとなしく燃料として使われていればいいものを……」
「絶対に嫌よ! あたしたちだって生きてるんだ」
アルパガスは、イガーサの言葉を聞いて表情を歪めた。
「ククク……知っているぞ。そこにいる金色の髪を持つ男、そいつも生きた人間を燃料として喰らっているだろう? 私と何が違う?」
「それは……」
言葉に詰まったイガーサが、目を逸らす。俺は、正直、あいつらとは何も違わないと思った。だから「俺はこの仕事が終わったら廃棄されてやるよ」と言おうとした。ちょうどその時、アルコが一歩前に進み出たので口を噤む。
「食べたもの、戻せないネ。でも、カティーア、ワタシたち見下さないヨ。あんた、ワタシたち見下してムカつく。だから、ワタシ、アンタを殺したいネ」
そう言い終わるが早いか、
しかし、投げられた石は分厚い鱗に守られた手であっけなく叩き落とされた。
「不愉快だ。そんな戯れ言を二度と吐けぬよう、お前らの体を徹底的に破壊してやるとしよう」
そう言った後に、アルパガスが大きく口を開いて咆哮する。ビリビリと空気だけではなく、部屋全体が揺れた気さえした。
前に突き出された両手の中心に、大量の魔素が集まっているのがわかる。
障壁を張らなければ……と焦って詠唱をはじめるが、間に合いそうになかった。
「させるかよ」
短く吼えるように叫んだホグームは、俺の前に立ちはだかる。盾を地面に突き刺して構え直した瞬間に、アルパガスの手からは紫の熱光線が放たれた。
盾に当たった熱光線はそのまま勢いを失って消えていくが、熱までは完全に防げないようだった。盾の裏はまるで蒸し風呂の中にいるように熱くて、数秒もしていないのに全身から汗が噴き出してくる。
「お前の出番は、あいつにトドメを刺すところだろ? ここは俺に任せとけって」
前を向いたままホグームは軽口でも叩くように言ってのけた。かっこつけやがって……と思いながら、俺は戦況を打開できそうなものがないかアルパガスと、熱線を防いでいる盾に目を向ける。
ガタガタと揺れている盾を必死で押さえているホグームの額に玉のような汗が滲む。先ほど拭った額の傷が開き、血が流れ出す。苦悶に歪んだホグームの表情が一層険しくなるのと同時に、盾の縁が熱に負けてぐにゃりと大きく歪んだ。
「淀んだ力を喰らう夜の蜘蛛 過ぎたる力を奪え 魔性の糸」
凜と澄んだ声が聞こえた。それと同時に、青白い光がアルパガスの頭上を越えて俺たちの方へ飛んでくる。それは、盾に当たると円形の美しい魔法陣に変化した。
「いいところ……取られちまったな」
ホグームが少しだけ表情をやわらげた。青白い光が紡いだ魔法のお陰で熱線から放たれていた猛烈な暑さも感じない。
アルパガスが熱光線を放ったまま首だけを回して背後を見る。
「遅れてしまって申し訳ありません。ヘニオも、ただいまより前線で任務を継続します」
声の主は、やはり彼女だった。
魔法陣を維持するために手を前に掲げながら、アルパガスの横を素早く駆け抜けて、俺たちの方へ向かってきた。
彼女が展開している魔法陣の前でアルパガスが放った熱光線はキラキラと光の粒子に分解されていく。
「やっぱり、私は指揮官の器じゃないですよ」
眉尻を下げてヘニオは困ったような顔をして笑う。
それから、彼女はホグームの盾の前に立ってアルパガスと向き合った。
「魔素を分散させる魔法くらいしか取り柄がないですが……あなたとの相性は悪いみたいですね」
アルパガスが、前に突き出していた腕を下げた。上を向いて再び咆哮をする。
思わず耳を塞いだヘニオの体を抱き寄せて、盾の後ろへ引きずり込んだ。
「おのれ……角すら持たない半端物が生意気に……」
アルパガスは吐き捨てるようにそう言うと、足をこちら側へ踏み出した。ずしん……と部屋が揺れる。
ホグームの盾も限界だ。今度こそ俺がこいつらを守らなければ……。
そう覚悟を決めて、盾の外に飛び出そうとした。その時、俺たちとアルパガスの間に、一筋の青白い光が差し込んだ。
後ろを振り向くと、アルコが弓を番えて、次々に矢を放っている。
放たれた弓矢には、ヘニオの魔法が宿っていた。耳長族が魔素を体外から吸収するのを妨害する魔法だ。この旅の中で、何度も使っていたから覚えている。
自分を狙っていない矢を不思議そうに目で追いながらも、アルパガスはゆっくりと確実にこちらへ近付いてくる。
「カティーアさん! これを……」
ここで魔法を使うしかない。そう覚悟を決めて、意識を集中しようと息を深く吸い込もうとして、名前を呼ばれた。声がした方へ視線を送ると、ヘニオが懐に隠していた黒い小箱を、こちらに向かって放り投げた。
五つほど連ねられたそれを、しっかりと両腕で受け取り、手早くベルトにぶら下げる。
「帰還時の転移魔法用とのことですが……死んだら無意味ですから……ね?」
「悪いな」
一つ目の小箱は、腰に付けた直後にキュウゥという苦し気な音を立てて、弾け飛んだ。
地面に落ちた箱からは、赤い液体と小さな黒い毛玉が飛び出す。
「詠唱に入る。頼んだぞ」
ガランと大きな音がした。盾を投げ捨てたホグームが剣を持ってアルパガスの方へ走り出す。
イガーサも、手負いのままホグームの後ろに続いていた。箱を見て、あいつらはなんて思ったんだろう。そんなこと、考えるべきではないとすぐに考えを切り替えて、詠唱の準備に入る。
地面を蹴って跳んだホグームが大剣を振り下ろすも、鱗に守られた腕で防がれて振り払われる。風の魔法を纏ったイガーサが月牙の刃で巨大な足を捉えよとするが、太い尾に薙ぎ払われそうになり、地面に伏せて紙一重でそれを躱す。
セルセラが俺の周りに茨のツタを張り巡らせた。こいつらが必死で時間を稼いでくれている。だから、絶対に失敗できないと思った。
今出来る、最大火力を叩き込むしかない……。このときの俺が一番威力を出せるのは炎の魔法だった。
手を前に出して、炎の妖精たちに集まれと念じながら魔力を放つ。すぐに、きらきらと火の粉みたいな鱗粉を身に纏った妖精たちが、俺の周りに集まって来た。
太陽の光に似た輝きを放つ魔法陣が、腕の周りに四つ現れる。炎の魔法二種類と、それぞれの威力を高める魔法だ。
複雑な絵柄で描かれた魔法陣が大きくなり、光が強くなると集まった妖精たちのドレスが煌々と燃え始める。詠唱に呼応するように、妖精たちは笑いながら魔法陣を囲んで踊り出した。
妖精たちが身に纏っているドレスの裾が勢いよく燃えはじめると、ベルトに付けていた小箱たちが次々と断末魔を上げて弾けていった。
それでも、獣の呪いによる侵食は停まらない。ぞわぞわという気持ちが首元までせりあがってくる。
呪いが自分を蝕んでいるのを自覚ながらも、詠唱を続ける。アルパガスは元人間だ。なんとか絶命する前に呪いを移せれば……あるいは。
地響きのような低い音と共に、部屋が大きく揺れて、俺は詠唱を続けながらそちらへ目を向ける。
アルコが放った弓矢で、アルパガスの左目が貫かれたようだった。大きな震動は、アルパガスが膝を着いたことによるものだ。
その隙を逃すはずがない。間髪入れずに、地面を蹴って跳んだホグームが、アルパガスの首を狙って大剣を振り下ろす。
獣のような唸り声をあげながら、振り上げられた丸太のように太い腕が大きく振られると、ホグームの胴を捉えた。赤い鎧がヘコみ、彼のたくましい体は吹き飛んだ。そのまま強かに背中を、壁に打ち付けたホグームはそのまま沈黙する。しかし、詠唱を止めるわけにはいかない。
流血する左目を片手で押さえながら、アルパガスは身を屈めて太くて長い尾を振り回す。
アルコを庇うために駆け寄ったヘニオは、障壁もろとも吹き飛ばされたのが見えた。怒り狂ったアルパガスが、魔法に気が付いてこちらへ向かってくる。
視界の半分が奪われていながらも、アルパガスがセルセラの張り巡らせた茨のツタを片腕と尾で引きちぎりながら、真っ直ぐこちらへ突き進んできた。
これだけ魔力を消耗しているのだ。今更詠唱を止めるわけにもいかない。
どうせ不死の体だからと、俺は覚悟を決めて魔法を放つことに集中する。これだけ威力がある魔法を避けられない超至近距離で当てられれば、いくらアルパガスといえど無力化出来るだろう。そう信じて魔法を放つしか無かった。
「天に輝く紅鏡より遣わされた者よ……紅く輝く焔の
いっそのこと魔法の発動と共に、俺が呪いに呑まれて魔獣になったのなら、処分が楽で良いのかもしれない。相打ちになれば、きっと……あいつを魔法で殺せなくても……。
目の前までアルパガスが迫っている。セルセラが苦しそうな顔を浮かべて、ツタの網を再び張り巡らせようとする。
視界の隅で動くアルパガスの尾らしきものが見えた。吹き飛ばされることを想定して狙いを定める。
詠唱を終えて、あとは発動の呪文を言うだけだった。
アルパガスが俺に触れた瞬間に放ってやろうと思っていた。しかし、尾が俺にぶつかることはない。
「今よ!」
代わりに聞こえたのは、愛しい人の声。
「小娘の分際で……!」
そして、アルパガスの尾を受け止めているイガーサの姿だった。足下に自分の血で血だまりを作っている彼女の背に、怒鳴り声をあげたアルパガスの鋭い牙と爪が迫る。
彼女を助けるために、今すぐ走り出したいのを必死に堪えて、俺は魔法の起動呪文を口にする。
「今、命ずる!……炎の剣 焔の嵐、全てを燃やし尽くせ」
魔法陣からは目も開けていられないような眩しい光と共に無数の炎の槍が放たれる。
イガーサを助けないと……そう思いながらも、獣の呪いによる体の軋みが大きくて、俺は思わず地面に膝を着いた。
耳に入ってきたのは、アルパガスの断末魔。顔を上げてイガーサの姿を探そうとするけれど、燃えさかる巨体と、そこから上がる黒煙でよく見えない。
生き物が焼ける嫌な臭いだけが鼻の奥にまで入り込んでくる。
「やった……」
「イガーサ」
イガーサの声が聞こえた。彼女は無事なのだとわかった瞬間に、体の痛みも軋む音も聞こえなくなった。
あの柔らかい体に触れたくて、俺は地面を蹴る。
視界の隅で、動くものが見えた。首だけ動かして、動いたものを確認する。体が軽くて、先ほどまで呪いと疲労で疲れ果てていたのが嘘みたいだった。
俺が見たのは、焼けたアルパガスが黒焦げの体でイガーサを掴もうと腕を伸ばす姿。
体が軽い代わりに、意識は今にも飛んでしまいそうだった。俺は、最後の力を振り絞って体を捻り、アルパガスの首元に噛み付いた。牙が焼けた鱗をかみ砕く感触がして、鉄の味と煤の苦みが口の中に広がっていく。頭を大きく振って、俺はアルパガスの体から首を引き抜いた。
それから、目の前にいた美味しそうな獲物の体に噛みついて……そこで我に返る。
後から違和感に気が付いた俺の視界は、ぐるぐると回り始める。噛みついた? どうして? と混乱しながら、数歩前に歩いて立ち止まった。
「カティーアさん? そんな……」
ヘニオの声。混濁する意識。抑えきれない体。
遠吠えのような声が少し遠くの方で聞こえた気がする。
血の味。甘い花の香り。黒い髪。琥珀色の瞳。
「泣かないで……大丈夫よ……あたしは……元々そういうものなんだから……覚悟はしてたもの……」
床に置いてから、俺が最後に噛みついたものを見る。
腹にある大きく抉れたような傷痕は、俺が付けた傷だとすぐにわかった。彼女を食ったお陰で意識がはっきりしてくる。
呪いに呑まれた体が……急激に元に戻っているため体に激痛が走るし、骨も皮も軋むような音を立てている。
彼女の方が何倍も痛いだろうに、イガーサは穏やかな表情で俺を見た。
こんな顔を見るために頑張ったわけではない。目からこぼれ落ちる涙を止められないまま、俺は彼女の体を抱き上げて、胸元に顔を埋めた。
「……休暇……一緒に過ごせないみたい……ごめんね」
それが彼女の最期の言葉だった。
琥珀色の瞳が光を失うと、彼女の体は真っ黒な獣に変わっていく。代わりに、左手首より先以外の俺の体はヒトの形に戻っていた。
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