0-3:Rosy girlー薔薇の妖精ー

 体を蝕む呪いは放置された。

 何体かのホムンクルスを使ったけれど、手足を覆っている毛皮はほとんど減らない。


 ある日、いつもとは違う黒塗りの箱が目の前に運ばれてきた。

 ガタガタ音を立てるソレの中身は、なんとなく予想が付いていた。けれど、俺は考えない振りをした。

 大人たちに言われるがまま、黒い箱に空けられた小さな穴に腕を差し込む。

 細い子供くらいの腕のようなものを掴んだ。


「結果を出さない呪われた孤児を、いつまでも世話するわけにはいかないんだ」


 それだけ言って、ローブを着た男は俺に背中を向けて、透明な扉の向こう側へ去って行く。

 今ほど知恵でもついていれば、俺のように貴重な個体を捨てるはずが無いとわかるが、当時の俺にそれを判断する余裕も知恵も無い。

 幼い俺は息を呑む。目を閉じて、意識を集中する。

 何か呻き声みたいなものが聞こえる。握った腕が強ばっているのがわかる。

 ごめん……と、思ったのかも知れない。もう、よく覚えてはいないが。


 ホムンクルスたちにしたように、俺は腹の中にあるモヤモヤを相手に押しつけることを思い浮かべた。


 箱が僅かに揺れる。

 くぐもった声。聞き取れない喚き声。

 聞きなれた骨が軋んで、肉が引きちぎれる嫌な音。


「ほぅ……たった一体でホムンクルス十体分以上とは……」

「多少運用の問題はあれ……実用化へ向けて繁殖を考えてもいいでしょう」

「生体でなければ効用がないと言っていたが、騒がしくて構わないな。どうにか出来ないか?」


 パッと手を離して、箱から離れた。嫌な汗で服は濡れている。胸は早鐘のようにうるさいし、黒い箱の下からは赤黒い液体がじわりじわりと染み出していた。

 ぐるぐると視界が揺らぎ、そして……俺は久し振りに腹の中にあったものを足下にぶちまけた。


 自分の肩を自分で抱きながら箱から目を逸らす。

 わからないふりをした。中身はなにか本当はわかっていた。

 大人たちの話を聞かない振りをして言うことを聞いて入れば俺は大丈夫。

 そう自分に言い聞かせて、ホムンクルスたちに介助されながら「アレは人間ではないんだ」と自分に言い聞かせていた。

 大人たちの言うことを聞いて入れば大丈夫だというのは正解だった。

 段々と黒い箱に入ったものを使うことにも馴れていった。人は肉を食べて生きる。そのために家畜を殺す。

 俺も、肉の他にああやってホムンクルスや、を使って生きるしか無い。そういうことだと自分に思い込ませた。


「呪いが与えた莫大な魔力、そして不死の力。呪いに感謝するんだよ」


 こんなときでも、俺へかけられる言葉は変わらない。


 日々、魔法院に通うための馬車の窓から、俺と同じくらいの子供が目に入った。

 あいつらは、隣にいる大人と手を繋いで歩いている。それだけじゃなくて笑った大人に頭を撫でられたり、抱き上げられたりしていた。

 それに、大人と仲睦まじくしている子供たちは大きな声を出したり、大きく口を開いたりしながら、表情をコロコロと変える。大人は、そんな子供を見て目を細めて口元を緩ませていて、俺はそれを見る度に胸がモヤモヤした。

 魔法院へ向かう途中はそれなりに栄えていた。だからか、みすぼらしい見た目をした子供が、怖い顔をした大人に追いかけられて、殴られるのを見かけることもしばしあった。

 不思議に思った俺は、魔法以外のことを学ぶ時間――確か教養と呼ばれていた――の時に、追いかけられる子供と、そうではない子供について魔法院のやつらに聞いたことがある。


「孤児は、ああやって汚い格好をして盗みをして生きて、いつか野垂れ死ぬのが運命だ。奇跡の子カティーア、君は魔法が使えて本当によかったね」


 フードから僅かに覗いた冷たい瞳で、俺を見下ろした魔法院の大人は口角だけ僅かに持ち上げた猫なで声でそう答えた。

 身よりもない上に、呪われた子供の俺は、魔法院ここで役に立たないとダメなのだと、幼い俺が理解するのは遅くなかった。

 魔法を失えば、呪いを完全に解いてしまえば俺はあんな風に殴られて、そして惨めに野垂れ死にをする。

 お前と出会った時も、その考えは違うとわかっていても消えていなかった。刷り込みと言うものは恐ろしいもんだと思う。


 幼い俺は、自分は恵まれている。そう思った。

 道ばたでゴミと糞尿に塗れて野垂れ死ぬよりは、ホムンクルスなり素材フムスと呼ばれるヒトのようなものを使って生きた方がマシだ。

 だって俺は、奇跡の子なのだから、邪神アルパガスを倒すために必要なヒトなのだと自分に言い聞かせる。

 耳長族の歌を真似して、魔法を使い、そして悲鳴を出す素材フムスを使って呪いを移す。その繰り返しの日々だった。

 食事をして、寝るだけの家と魔法院の往復の日々。友達と呼べる者も、家族とやらもいない日々だったが、一つだけ楽しみがあった。

 それは、出窓から見る夜の庭園だ。色とりどりの淡い光の粒が舞い踊り、囁くように聞こえるの妖精語の歌。

 妖精たちの饗宴は、いくら見ても飽きない。


 数え始めてから、八回目の葉穫の月が来た。

 この季節は暑くて嫌なこともあるが、薔薇が咲くから好きだった。

 ふっくらとした美しい花弁と、芳しい香り。そして、易々と人を近付けない棘の生えたツル……そして、薔薇の花弁で着飾っている花の妖精たち。

 たくさんいる妖精たちの中でも、一番目立つのはピンクブロンドの巻き髪を揺らす一体の妖精だ。薔薇色の光を纏って踊るあいつだけは、毎年やたら目立つからすっかり覚えてしまった。

 

 夜風に当たりたくて、珍しく出窓を開いた日の夜だった。両開きの窓を開きっぱなしのまま、半身を乗り出す。こうすると、風が花の香りを運んできてくれるので心地よい。

 少しだけ涼しい風が心地よくて、ぼうっとしていると、一体の妖精が突然目の前に姿を現わした。


「な……なんだよ」


 それは、俺が唯一覚えていた巻き髪の妖精だった。

 妖精とは関わるなと言われていたこともあったし、突然のことで驚いたこともある。

 声をうわずらせる俺を見て、にっこりと微笑んだ妖精は、俺の鼻先まで近付いて小首を傾げてみせた。


『あなた……いつもひとりぼっちね』


 驚いて、思わず体を仰け反らせる俺に、彼女は小さな小さな手を差し伸べてきた。

 掌よりも少し大きいくらいの小さな少女は、翡翠のように輝く双眸で俺の顔をじっと見つめてくる。

 近くで見ると、本当に不思議な生き物だった。

 彼女の頭の上には、まるで貴族がかぶる帽子のように薔薇の花がくっついているし、腰にはパニエのように薔薇の花弁が重なっている。

 花弁は、彼女の背中に生えた二枚の透明な翅が羽ばたく度にゆらゆらと小さく揺れていた。


『わたしが、おともだちになってあげましょうか?』


 頭の中に直接響いてくるような、高くて聞き取りやすくて柔らかい声で「ともだち」と言われて、少し戸惑う。

 友達というものは知っていた。魔法院で学んだからだ。作る必要はないが、言葉を知っておけと言われたのを覚えている。

 俺は、キチンと大人が言ったことを守ろうと思った。だから「友達は作らない」そう言おうとしたんだ。でも、妖精の少女は、俺に顔を近付けてきて、にっこりと微笑む。それから、膝の上に載せていた俺の指を両手で掴んだ。


『よろしくね』


 その笑顔が余りにも可愛らしくて、そして、優しくて……。今まで誰からもそんな表情を向けられたことがなかった俺は、思わず首を縦に振ってしまったんだ。


『ふふ……ヒトと話すのも面白いわね』


 妖精の少女は、それからほとんど毎晩、俺のところへやってきて話し相手になってくれた。

 以前は薔薇の季節が終わると、姿を消していた彼女だったが、俺と「友達」になってからは、季節関係なく毎日顔を見せてくれた。寒いと魔法を使うのが少し面倒だと文句を言っていたのをよく覚えている。

 だけど、彼女は心の底から楽しそうに笑うから、きっと嫌ではないのだと思えた。

 薔薇の妖精が来たからかわからないが、俺の魔法もどんどん上達していった。以前は同じ呪文を唱えても魔法の規模がまちまちだったのに、そんなことが減っていった

 大人たちは不思議がりながらも、喜んでいたと、彼女に伝えると、薔薇の妖精は目をスッと細めて『ヒトの子って大人になると本当におバカさんになるのよね』と悪戯っぽく笑う。

 それでも、時折魔法がうまくいかない時もあった。

 俺が、元気な時でも、そうじゃなくても、彼女は毎晩一緒にいてくれた。

 髪を小さな手で触れて、頬に唇で触れた。彼女に、ヒトも妖精も行う親愛を示す行動なのだと教えられた俺は、なんだかこそばゆい気持ちになりながらも、それを享受していたのを覚えている。


 薔薇の妖精だけが心を許せる唯一の存在だった。

 もしあの夜、彼女が俺に話し掛けてくれなければ、俺はずっと孤独だったのかも知れない。どこかで頭がおかしくなってしまっていた気がする。

 まあ、今、俺がおかしくなっていないとは言い切れないのだが……。


 それからしばらくして魔法院は、アルパガスたちに対抗するために兵隊や魔法使いを育てることに力を入れ始めた。

 学院カレッジを作り、子供たちをかき集めたので、俺は自分と同じくらいの年齢のヒト族を近くで見る機会が増えていった。

 馬車の窓から見ていただけの存在は、少しは距離が近くなると思っていた。でも、そんな都合が良いことは起きたりしない。

 俺とあいつらは、全然違う生き物みたいだと思ってしまった。笑ったり、ふざけあったり、故郷のことを話すといった未知の行動が理解出来ない。

 大人たちからも「奇跡の子、君は模範生でいればいい。凡人と関わる必要はない」と言われたので、遠くから見ているだけに留めた。 


「ヒトのようなものを使生きていると知れたら、きっと他の子供は怖がるだろう。彼らは君と違うのだから」


 そう言われたことを今でもずっと覚えている。

 誰が言ったのかも、言った相手が男か女かも忘れてしまったというのに。

 それでも、薔薇の妖精だけは『あなたは、わたしにとっては可愛い子供なのだけどね』と微笑んで小さな体で俺の鼻先を抱きしめてくれた。


 魔法院の大人たちと日中を過ごし、家では薔薇の妖精と話す。そんなことを続けていたが、突然彼女が真剣な表情で俺の前に現れた日があった。


『おねがいがあるの』


 彼女から、俺に何かをねだってくるのが初めてで、俺は戸惑いながら耳を傾ける。


『わたしを、あなたの使い魔ファミリアにしてちょうだい』


「あんたには世話になっている。それに友達だ。友達の願いは出来るなら叶えたいが……」


『大丈夫、簡単な事よ。わたしに名前を付けてちょうだい。そうすれば、わたしとあなたはもっと深い絆で結ばれる』


「そんなことか。お安い御用だ」


 確かに彼女は嘘を吐かなかった。名を与え、絆を深めるということが、どんなに重要なことなのかを俺に教えなかっただけで。

 俺が初めて薔薇の妖精と出会ってから五回目の葉穫の月、俺たちは結ばれた関係ファミリアとしての契約を結んだ。


セルセラ……どこかで勉強した異界の言葉だ。あんたの名前はセルセラ、美しい薔薇いばらで出来た鎖の絆」


『ふふ……悪くない名前ね』


 何か見た目が変わった感じはしなかった。

 ただ、薔薇色の光が俺に降り注いで、胸の辺りが少しだけ温かくなった。


『よろしくね、カティーア』


 お互いに始めて名前を呼び合う。名前を教えていないのに、セルセラが俺の名を知れたのは使い魔ファミリアになったかららしい。


『あなたが死ねば、わたしも死ぬ。私に与えた名が、あなたとわたしの魔素を繋いで混ぜているの……。でも、まあ、わたしはちょっとだけ特別だから、あなたが弱ってもそこまで力が落ちたりはしないのだけど』


「は?」


『だから、がんばって生きてちょうだい』


 悪戯っぽく笑ったセルセラは、俺の驚いた顔を見てクスクスと笑った。

 俺のせいで自分が死ぬことになったというのに、変わったやつだと思った。

 でも、これで一人じゃ無いんだって思えて、俺は少しだけ嬉しかった。彼女が俺に触れるといつもと違う温もりを感じた気がした。

 実際には言葉でしか知らないが、何故か母親というものはこんな感じなのかな……と不思議な安心感に包まれたのを覚えている。

 その日は、セルセラの歌声に包まれるようにして、何の恐怖も不安も抱かないままただ微睡みに身を任せた。


 初めてと言っても良い安眠を得た翌日は、今でもはっきりと覚えているくらい大変な一日だった。

 魔法院の偉いやつらは、俺の使い魔ファミリアになりそうな精霊を用意していたらしい。

 それが使えないことになり、暴れた精霊を耳長族たち総出で鎮めたというのを魔法院の大人が苦い顔をして伝えてきた。


(なあ、昨日、急に俺と使い魔ファミリアになるって言ったのは……)


『すごい偶然ねぇ』


 念話テレパスでセルセラに話しかけるが、俺の肩で足を組んで座っている彼女はクスクスと微笑んで、それ以上のことを話さない。

 だが、よくわからない精霊につきまとわれるよりは俺はセルセラと一緒にいたい。だから、内心ホッとしていたのは事実だ。


「今からでもそのどんなものともわからない羽虫を取り除けないか?」


 耳長族にセルセラのことを聞いたらしいフードの男は、顔を歪めて、吐き捨てるようにそういった。

 少しだけ不安になる。すると、少し離れたところにいる耳長族の女がこちらへ近付いて来た。

 眉間の少し上から生えている透明な角、そして白銀の長い髪は後頭部の低い位置でまとめられている。角付きと呼ばれている強力な魔法を使える耳長族だ。

 スラッと背が高く、華奢な体に青白い肌の女は、薄い水色のローブを靡かせるようにして、俺と男の間で立ち止まる。姿勢を正して「お言葉ですが」と言いながら、彼女は片膝立ちで跪いた。


使い魔ファミリアとの精神的結びつきが強い方が魔法というものは安定します。今、無理に契約を破棄すれば、彼の精神は壊れ、計画は台無しになるでしょう」


『あら、耳長族はそういうことまで知っているのね』


 ふふ……と笑ったセルセラの方を、その女は一瞬見た気がした。でも、その視線はすぐに目の前にいるフードの男へと戻る。


「彼と使い魔ファミリアになった彼女は、花の精です。旧くからこの土地にいる彼女たちは、きっと我らの力となってくれるでしょう」


 この耳慣れない女性は、最近アルパガスが支配していた領地から逃げてきたプネブマという魔法使いなのだとセルセラが念話テレパスで伝えてくる。


「……新参者がワシに口出しをするとはな。まあいい。失敗したら貴様の角を叩ききってやる」


「はい。ありがとうございます」


 ふんぞり返って背中を向ける男に頭をさげていたプネブマは、男の姿が見えなくなると立ち上がって後ろを振り向いた。


「……その可愛らしい使い魔ファミリアを大切にね」


 彼女は、それだけいって俺たちに背中を向けると早足でどこかへ消えてしまう。


『あの子が来たお陰で、ホムンクルスが量産出来るようになったし、魔石の加工も楽になったのよ。だから、彼女はさっきのフードの男より本来は偉いはずなのにね。ヒトの価値観や身分は難しいわね』


 セルセラは楽しそうに教えてくれるが、俺は魔法院の人間関係はよくわらかないし、興味も無い。

 便利な道具は、使う奴のいうことだけ聞くのがいいと知っている。

 プネブマがあれから働きかけて、お偉方はセルセラが俺の使い魔ファミリアでいいと認めることとなった。


 まだヒト族が使い魔ファミリアを持つという前例が無かった上に、耳長族の方でも滅多にないことらしい。

 だから、プネブマのいうことに反対出来なかったのだろうと思う。

 この頃になってヒト族がほとんどだった魔法院にも、かなり耳長族が増えた。

 小規模ながら魔法の研究や魔導書の回収をしていた魔法院が、アルパガスの支配下から逃げてくる耳長族を積極的に受け入れ始め、一国の軍にも勝る兵隊や魔法使いという戦力を備えることとなった。

 俺がセルセラと使い魔ファミリアの絆を結んだ頃は、純粋な角のある耳長族は多くなかったらしい。この世界で生まれた角のない耳長族や、耳長族とヒトの混血も多くなっていたと後から聞いた。

 魔法院の中では、俺の知らないところで権力争いが絶えなかったらしいが、道具である俺には関係が無い。

 俺はただ言われたことをこなせばいい。自分で考えて動く必要なんて無い。

 そう思っていた。

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