1-8:Fake Geniusー偽りの天才ー

「いい子にしてたみたいだな」


 自分の血と、魔物から飛び散った紫の粘液にまみれたカティーアは、疲れた様子でローブを脱いだ。

 ここまで疲れているのは珍しい気がする。彼が脱いだ白いローブを受け取って赤い革袋の中に入れた。

 さっき考えていた「彼を消耗させる魔法院の利点」についての考えが、頭からなかなか離れない。


 麻痺してしまっているんだと思う。彼が人格的に破綻していても、非道な行為を行なっていたとしても、あまり怖くない。

 どうせ近いうちに死ぬのだから、怖がっていても仕方ないと開き直れたのかもしれない。

 だから、私は口を滑らせたんだと思う。


アルカが手元にあるからって、無茶な戦い方をしすぎじゃないですか?」


 セルセラが作った蔓の籠の中で魔物除けのお香を焚くと、上半身を露わにしたまま寝転んだ彼を見て、思わずそんなことを言っていた。


「――!」


 セルセラが激しく翅を羽ばたかせて、鱗粉が強い光を放つ。

 彼女は口をパクパク開閉させながら、私たちの周りを飛び回った。

 私に……というよりは、カティーアに文句を言っているような感じだ。


 寝転んだまま、彼は私とセルセラを見て少し眉を顰めた。でも、何も言を言うわけでもなく、私に背を向けるように寝返りを打つ。


「魔法院の言いつけを守って、自分を傷つけながら戦うなんて……自傷行為みたいです」


 最近の彼は特にそう見える。

 率先して体の部位を欠損させてるみたい。

 肩まで覆った腕衣の上に微かに金色の毛並みが微かに見える。

 無言のまま背中を向けている彼に、私は言葉を続けた。


「天才だからって油断してるといつか呪いが解けた後……」


「ジュジ」


 今まで聞いたこともないような冷たく鋭い声で、カティーアは私の名前を呼ぶ。

 溜息を吐きながら、彼はゆっくりと上半身を起こした。

 そのまま立てた膝に肘を置いて、頬杖を着きながら、カティーアは赤い瞳で私の目を見つめる。

 口元には笑みを浮かべているけど、目元は全然笑っていない。


「天才なんていうけどさ、ジュジは天才ってなんだと思う?」


 不機嫌な様子を隠すこと無く、カティーアはそんな問いかけをしてきた

 普段ヘラヘラしている彼が、不機嫌さを隠さないなんて珍しい。

 彼の怒りを感じた私は、自分なりに真剣に考える。


「天才……は、すごい能力を……持ってる人……」


「じゃあ、強化魔法をかけられれば、みんな天才か?」

 

 首を横に振る私を見て、彼は大袈裟に後ろに仰け反る。芝居がかったように大きな身振りで拍手をしてみせながら、目を鋭く光らせる。

 

「じゃあ俺は天才なんかじゃない」


 上辺だけの笑顔を一瞬だけ消したカティーアは、低い声で唸るように言った。


「だから、俺を天才だなんて言うのはやめろ」


 カティーアは気怠そうに私に背中を向けると、赤い革袋から黒いサーコートを出して頭から被る。

 このまま黙っていれば、彼は怒りを収めてくれる。それはわかってる。

 でも、彼が自分自身を低く見積もっていることが、私はとても嫌だった。

 だって、彼のことを私は天才だと思っているから。

 魔力が、借り物だとしても、それを活かすのは彼の才能だ。

 息を深く吸って、彼に背中を見つめる。


「そんなことない! ……です」


 首だけを動かして、カティーアは私の方を振り向く。

 見開かれた目には、確かに驚きの色が浮かんでいる。けれど、その驚きの表情はすぐに消えた。

 それから、目を伏せて口角を微かに上げる。


「……ジュジ」


 しばらく、顔を見つめられる。撤回なんてしないぞという気持ちを込めて彼の目を見ていたら、カティーアが先に私から目を逸した。

 長い溜息を吐きながら、ふわふわの髪を掻き上げると、彼は、体ごと私の方へ向き直る。

 それから、少しだけおどけたように両腕を広げてみせた。


「俺が魔法を使えるのは呪いのお陰だって話してなかったか?」


 鼻で笑いながら、彼は私の方へ数歩近付いてくる。


「呪いに飲み込まれれば、敵味方の区別もなく生き物を食い散らかす狂った獣の化け物になる呪い。その祝福としての側面が不死の体と莫大な魔力……」


「知っています」


 怖じ気づいて、後退りしそうになるのを耐えて、私は彼の顔を見つめ返す。握り込んだ手に少しだけ爪が食い込んで痛い。


「それなら、わかるだろ? 俺は天才でも何でもない。呪いで得た力で天才のふりをして、何も知らないお前みたいなやつらを騙してる。英雄ごっこをしてるだけの詐欺師みたいなもんだ」


 否定の言葉を探す。

 納得のいかない様子の私を見て、カティーアは首を傾げた。

 更に一歩踏み込んできた彼は、ゆっくり顔を近付けてくる。鼻先が触れあいそうな至近距離に彼はいる。

 

「納得がいかないって顔してるねぇ……」


 呆れたように、彼が眉尻を下げて笑う。もう、怒っている雰囲気は感じない。


「はい。納得なんてしてないです」


 これに関してだけは、謝罪なんてしない。

 カティーアは、わざとらしく肩を落とすと、いつも通りの少し胡散臭い笑顔を浮かべた。

 それから、もう何度目かわからないくらいのため息を吐く。

 自分でも、なんでカティーアのいうことが認められないのかはよくわからない。でも、ここでそれを認めるのは嫌だった。


「魔力が借り物だったとしても、貴方にとっては英雄ごっこだとしても、私にとって貴方は本物の天才で、英雄です」


 目を逸らしてはいけない気がした。深い紅色の瞳をしっかりと見つめながら答える。

 丸みを帯びた楕円形の瞳が、針のように細くなる。

 また怒られる……と覚悟はしたけれど、予想は外れた。

 彼は、気が抜けたように笑って肩を竦めると首を横に振る。


「変なところで強情だな」


 それだけ言うと、彼は私に背中を向けた。


「帰るぞ」


 セルセラが、私たちを囲っていた蔓を収めた。

 そのまま歩き出した彼と共に、私は帰路に就く。


 家に帰った後の彼はいつも通りだった。

 朝、目が覚めた後も、昨日のことなんてなかったみたいにいつも通りに振る舞う。

 でも、不自然なくらいに彼は、呪いや魔法の話題には触れようとしなくなった。

 彼はどうしたいんだろう。

 私は……どうしたいんだろう。

 彼の力を本物だと証明したい? それとも、彼の呪いを解きたい?

 わからないまま、ただ日々は過ぎていった。

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