1-4:Scary Forest and Evil Spiritsー試験のためにー

 転移魔法で飛ばされた先の森の中、いくら歩いても不気味な景色は終わりそうにない。

 それどころか道らしい道もない。

 元の場所へ戻った方がいいかな? そう思ったけれど、戻ろうにも自分がどこを歩いてきたかなんてわからなくなってしまっていた。

 紫がかった葉や、普段見ていたものよりも黒い土を見ながら、ここは黒壁に近い場所なのかな? と予想してみる。考えることがないと怖い想像ばかりしてしまうから……。

 確か、以前読んだ本で、魔素は大気や植物に影響を及ぼしたり、気候にも影響を与えることがあるって読んだ気がする。


「あれは……」


 きらきらとした光の筋が何本か見えて目を奪われる。

 暗い森の中では、妖精たちが振りまく鱗粉の光が見やすい。昔住んでいた村や箱庭の近くではあまり見なかったけど、この森にはたくさんの妖精がいるみたい。

 本で読んだし、魔法使いたちからも教えて貰った。妖精は滅多に耳長族以外には話しかけてこないって。

 私たちヒト族は耳長族たちと違って妖精たちと意思疎通が行えないから。

 それに……そもそも私たちは妖精が見えないのが普通らしい。それは嘘ではなくて、確かに箱庭の中にいる子たちは妖精なんて見えないと言っていた。

 だから、見えない振りをした方がいいとなんとなく思った。

 それに魔物になる前の……なにか気持ち悪いものからも話しかけられたら答えてはいけないって教わった。

 悪霊というらしいそれは、声が聞こえる個体を探すために彷徨っているし、声に反応すればそいつを食うのだと兵士の人も魔法使い達も言っていた。

 でも、普段は聞こえないから気にしなくて良いとも……。私には、そういう声が聞こえやすい。でも、村にいた頃みたいな冷たい目で見られるのは嫌だったから、見えても見えないふりをしようとか、声が聞こえても知らんぷりをしようと決めていた。

 森の中は、妖精以外の気配にも満ちている。

 ヒトの笑い声に似た音や、叫び声みたいな音が木々の上から聞こえてくるし、近くの茂みはガサゴソと何かが潜んで動いている音がした。

 それに、さっきから耳元で何か声が聞こえる気がする。聞き取れないし、聞きたくない。妖精のいたずらかもしれない。

 ごにゃごにゃとしわがれた老人みたいな声は、森を進む毎に大きくなってる気がする。

 嫌な予感がする。これは、なんだっけ。不安が胸の中でどんどんと膨らんでいった。


「ひゃっ……」


 木の隙間から私の足下に飛び出してきたのは、ぬらぬらとテカる黒い肉塊だった。 

 兎くらいの大さの、ナメクジみたいなそれは、うぞうぞと側面に触手を生やす。そして、短くて小さな触手を地面に這わせてこちらへ近付いて来た。その不気味な姿に、小さな悲鳴をあげて後退りをする。

 肉塊は、私の声に反応したらしい。ゆっくりだった動作が素早くなる。あっと言う間に近場にあった木に登り、私の目線近くまでやってきた。

 にょっと触手が体から伸びた……と思ったら、体を縦に開いたソレが、私の顔目がけて近付いてくる。開かれた部分は赤黒くて、内側にびっしりとヒトの奥歯みたいなものが並んでいる。


 小さいけれど……これは魔物だとやっと気が付いた。

 安全な箱庭にいたお陰ですっかり忘れていた。私は、私たちを引き寄せやすい体質なんだ……。

 逃げようと思うけど、魔物から目が離せない。体が強ばって上手く動けない。後退りしようとしたけれど、背後には別の木があって行き止まりになる。

 伸びた触手がしゅるしゅると伸びて私の両手首を掴んだ。引っ張ろうとしたけれど、まるで動かない。

 追い詰めた獲物が怖がるのを楽しむように、魔物はゆっくりと大きく開いた口を近付けてくる。鼻先にかかる生温かい息遣いからは肉が腐ったような臭いが漂ってくる。

 怖さの余り、悲鳴すらあげられないまま、私は僅かに体を捩った。


「……うう」


 私は魔法も使えないし、武器もない。

 死んじゃうのかな……と諦めの気持ちが浮かんでくる。

 ああ、でも死ぬ前に……せめて本物のカティーアはこの目で見たかったなあ……。現実逃避をしながら、私は目を閉じた。


「きゃ」


 肩を掴まれて、すごい勢いで身体を引っ張られた。

 ブチンと言う鈍くて湿った音と共に、両手首が自由になる。


「っう……」


 勢いよく背中を硬いものに打ち付けたせいで、呻き声が漏れた。目を閉じたまま尻餅を着いた私の頬を、鋭い風切り音が掠める。

 怖い。

 体を竦めたまま、閉じている目に力を込めた。

 なるべくなら一撃で仕留めてほしい……。魔物に襲われて生き残れるはずがない。

 いつ痛みが体を襲ってもかまわないように、私は息を止めて体を丸めて待つ。


 ……けれど、いつまでたっても覚悟していた痛みが来ない。魔物の気配も何故か感じられない。


「…………?」


 あれ? これはなに? 私の感覚がおかしくなっているのかな?

 目を開いた瞬間に、魔物のびっしり並んだ歯を見るのは怖いな。


 心の中で5つ数えてみた。でも、何も起こる気配はない。

 いつまでこうしていても仕方が……ないかな……。


 えいっと勇気を出して目を開こうとした。すると、突然頬に柔らかいものが触れて体が跳ねる。


「ひゃ…………」


 力が抜けたのと、痛くなかったことで気が抜けて、思わず変な声が出た。

 ずっと止めていた息を思い切り吸い込んで、目を開く。

 この甘い香りはなんだろう?

 ええと……商隊にいた女の人が持っていた……そうだ、この香りは薔薇の花だ。


「ん?」


 目を開いて、更に予想外のものが飛び込んできて首を傾げる。

 掌くらいの大きさの少女が飛んでいる。ピンクがかった金色の巻き髪と、深い緑色をした瞳。


「え?」


 背中には蜉蝣みたいに透き通った翅が一対生えている。キラキラと薔薇色の鱗粉を振りまいている彼女は、間違いなく妖精だ。

 でも、ここで新たな疑問が芽生える。妖精が人間を助けるってどういうことなんだろう?


「なぁに?」


 妖精の少女が、私に向かって口を開閉させた。話をしたがっている?

 でも、声が聞こえない。私には魔法の才能がないし、耳長族でもないから。


「わからないの……。ごめんね」


 私からの言葉が通じたのか、思い通りの反応を示さなかったからか、妖精の少女は眉尻を下げて悲しげな顔をした。

 がっくりと肩を落とした彼女が背中の翅をぱたぱたとはためかせる。背中を向けた彼女は、まるで「着いて来て」とでも言っているように見えた。

 彼女の背中を追うために立ち上がる。

 足に力が入らない。でも、このままでいたら別の魔物が来るかもしれない。さっきは生きることを諦めかけたけど、助かったのなら話は別だ。

 もうあんな怖い思いしたくない。


 妖精の少女を追いかけようとしたとき、ガサガサッと再び茂みが音を立てた。

 進めようとしていた足を止めて、身構えて前方にある茂みへ目を向ける。


「唯一の生き残り……か。よくやったセルセラ。こっちも周りの掃除が終わったところだ」


 茂みの奥から気怠そうに歩いて出てきたのは私より背が少し高いくらいの男性のようだった。

 少し高めだけれど、男性特有のざらつきのある低さを含んだよく通る声。

 白っぽいローブに身を包んでいるその人は、フードを目深にかぶっているからか顔がよく見えない。


「あの……ありがとうございます!」


 迎えが来てくれた。ってことはやっぱり転移魔法のミスだったのかな?

 あの魔法はとても高度なもので、難しいし事故も多いって本に書いてあった。アレは本当だったんだ!

 助けが来たことで、一気に安心して足腰の力が抜けてしまった。せっかく立ち上がれたのに、お礼の言葉と共に、私はその場に座り込んでしまった。


「なるほど……セルセラも、魔物に変異する前の悪霊ものか。アルカが三つしかないのに、やけに騒がしいと思ったんだ」


 私を見ながら男性は、胸の前で腕を組んだ。

 ふっと薄い唇の片側を持ち上げて短く笑うと、独り言のようなことを言って頷く。


「え?」


「いやあ、君はとても優秀だ。ここ数千年で一番魔物を引きつける力がある。きっと器に蓄えている魔力の方も規格外なんだろう」


 彼は、私へ手を差し出してきた。

 白くて滑らかな肌は、僅かに青い血管が透けている。

 細いけれど、筋肉が付いた腕、そして女性とは違って骨張っている長い指。丸くて綺麗に整えられて、艶のある爪。

 恐る恐る手を重ねる。身長はそんなに変わらないのに、指は彼の方が一関節分長い。


「そりゃあ、他の魔法使いが手に負えなくなるわけだ」


 立ち上がった私から手を離した彼は、もう片方の黒い鉄製の籠手ガントレットでフードを取った。

 首の付け根ほどの長さに伸ばされた金色の髪は少し癖っ毛で、毛先がふわっと外側に跳ねている。

 血のように赤い瞳の中に、猫のような縦に長い瞳孔がはっきりと浮かんでいて、その瞳がしっかりと真ん中に私を捉えていた。


「まぁ……一人だけでも生き残っていてよかったってことで……」


 握手をするために、彼が手を差し伸べた……と思った。その瞬間、彼の姿を見失う。

 カエルを踏み潰した時みたいな変な音が背後から聞こえてきて、遅れて起こった風が私の一つにまとめてある髪を揺らした。

 

 破裂音とミシミシという生木が折れる音がして、頬に生温かい液体が数滴降りかかる。

 ギョッとして、音がした方へ視線だけずらした。

 私が寄りかかっていた大きな木が折れて、他の木々を巻き込みながら地面に倒れるところだった。

 

「……っと。危なかったな」


 倒れていない木の幹に、黒い肉片がめり込んでいる。周りに飛び散っている紫色の粘液は、さっき私の頬を濡らしたものか……と気が付いて慌てて腕で頬を拭った。

 私の背後に、さっきよりも小さな魔物がいたらしい。そして、それは私のすぐ横にいる男の人に倒された……ってことでいいのかな。


「俺としたことが、危うく折角の生き残りを殺すところだった。油断大敵……ってやつだな」


 ガントレットを振り下ろして、紫の粘液を拭う。びゅっという音と共に彼の黒いガントレットは鈍い輝きを取り戻したみたいだった。


 男性は、固まっている私にガントレットをしていない方の手を差し出す。私は、その手を恐る恐る握り返した。


「カティーアだ。とりあえず、試験合格おめでとう」


「あ、あの……」


「ああ、こっちは俺の使い魔ファミリア。薔薇の妖精。名前はセルセラ。短い間かもしれないけど、一応よろしく」


 白いローブと黒いガントレット……薄々気が付いていたけど……まさかって思ってた。

 あと、魔物に襲われてそれどころじゃなかったっていうのもある。

 事情はわかってないけど、とりあえず試験も終了したみたい。

 立ったまま動けないでいる私の手を、カティーアが軽く引いた。


「ええ?」


 足下を見て、私は驚いて大きな声をあげる。

 彼の足元で赤い光を放っている魔法陣が、転移魔法のものだと気が付いてしまった。

 まさか、人生で二度もこの魔法を見ることになるなんて思ってもみなかった。


「こ、これ……転移魔法の魔法陣ですよね?」


「……ん? ああ、そうだが?」


 急に彼の服を引いたからか、カティーアは立ち止まって私を振り返る。


「あ、あの……転移魔法は消費魔力の関係上、祭典や儀式的なものに使われるんですよね? ……今、一人で起動したように思えるんですけどどうなってるんですか? それに……こんなすごい魔法……ここで使うなんて駄目ですよ……倒れちゃったりしませんか?」


 質問をした私に、彼が目を細めながら首を突き出すように一歩近付く。

 小さな声で「ああ」と漏らす彼の、半分だけ開いた口から、上下の細い犬歯が見える。

 綺麗。偉大な魔道士に素人の小娘が心配をしてしまって失礼だったかな? 心配したけれど、でも、彼は笑った。

 怒ってはいないのかな?

 上目遣いをしながら、恐る恐る彼を見上げる。


「……まぁ、俺は特別だから大丈夫。それより、さっさとここをでないとまた魔物が来るぞ?」


 茶化すように言われて、再び優しく手を引かれた。

 カティーアが魔法陣の内側に足を踏み入れると、弱かった光が強くなった。


「おいで」


 勇気を出して、魔法陣に足を踏み入れる。

 その瞬間、周りの景色が歪んでめまいがした。背中を支えられてハッとして周りを見る。

 そこは、さっきまでの紫っぽい木々に囲まれた森じゃなくて、私が知っている緑の木々が生い茂る森だった。

 目の前にある開けた場所には小さな柵と門がある。連れらるままに歩いて行くと、菜園と小さな川の流れる庭と私が住んでいた家よりも大きな二階建ての建物が現れた。

 信じられないことに、彼は詠唱無しで転移魔法を使ってしまったのだ。それも、大量の魔力を使うはずなのに疲れた様子もない。

 これが、選ばれし大魔法使い……と感動しながら、彼の後ろを着いていく。


「ここが君……えーっと……琥珀色の目をした君の……」


 手を離した彼が、振り返って後ろを歩いていた私を見た。

 琥珀色。耳慣れない言葉。でも、ハシバミ色よりは、こっちの言い方が好きな響きでちょっとうれしくなる。

 今さらだけど、彼に自己紹介をしていないことに気が付いて、私は慌てて頭を下げた。


「ジュジです」


「ジュジ、君がしばらく暮らす家だ。そして、ここが君の私室。好きに使っていい」


 金で作られた龍の頭を模したドアノッカーがついたマホガニーの扉。

 そこを開いてすぐ横を見ると、小さな部屋がある。彼は、その小さな部屋(といっても私が箱庭で暮らしていた家より二周りくらい大きい)を指して私の私室だと告げた。

 部屋には足の低いベッド、小さな机と椅子、薬草などを煎じるための道具が入っている棚が置いてある。

 白木造りのベッドにはきめ細やかな布で作られたマットが敷かれ、その上には鮮やかな黄色で染められたキルトの掛け布団がかけてある。更に部屋の隅にあるカゴの中には白っぽいリネンで織られたワンピースが数着置いてあり、その下には黒い脚衣も数枚畳まれて置かれていた。


「あと、これは試験合格のお祝いみたいなものだ。肌見放さず付けておくこと」


 これが……私の私室……。箱庭にいた頃とは大違い。

 部屋を見て固まっている私の首元に、ひんやりとなにかが当たる。驚いて体を竦めると、カティーアが唇の片側だけ上げて、また「フッ」と短く笑った。

 彼が私の頭からかけてくれたのは、首飾りだった。

 革紐で楕円形の小さな石が括り付けられている。石は周りの景色を写しそうなくらいつやつやしていて、空みたいに淡い水色をしている。


「あの……私、がんばります」


「……あー。とりあえず、まぁ適当によろしく」


 これだけのことをしてもらうんだから、がんばらないと。

 意気込んで彼の顔を見る。一瞬だけ、彼は止まって目を逸らす。それから、にこりと微笑んでそう言うと、手をひらひらと振りながら私に背中を向けた。


「今日は疲れたろう? のんびりしてくれ」


 そのまま家の奥へ去って行くカティーアとセルセラの後ろ姿を見ながら、私は新しく始まる日々に胸を膨らませてた。

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