1-3:Bring to Custodyー箱庭での暮らしー
箱庭で、私たちは
成人を迎えると偉い人たちが決めた場所で働くために、転移魔法で箱庭の外に連れ出され二度とここに戻ることはない。
だから、
将来私たちが働くのは、魔法院や、魔法の研究施設。結界の張られた安全な場所なので、魔物や悪霊を呼びやすい体質でも安全に働けるらしい。
良い人と出会えば、家族を持つことも、子供を持つことも可能だと魔法使いたちは教えてくれた。
だから、貧しい村で必死に働くよりも、都市で生きていくよりも、考えようによっては恵まれている……と思う。
子供を育みたくなったら、その時の上司に伝えれば方法を教えてくれるのだとも言っていた。
だから、私は希望を持っていた。
退屈な箱庭から出たら、きっと素敵な出会いが待っているのかもしれない。そうじゃなくても、少なくともここよりは面白いことがあるのだろう。
そんなことを漠然と考えていから、私は先に出て行く同世代の子たちがうらやましかった。
「ジュジ、わたし、出て行く日が決まったよ」
「おめでとう、シェルク。どこへ行くかは教えてもらったの?」
「ふふ……じゃじゃーん! なんと、黒壁の中で働けるのよ」
先月、箱庭を出て行ったシェルクとそんな話をした。
隣に住んでいた彼女は、私と同時期にここへ来た。裁縫と薬草を煎じるのが得意だったので、黒壁の内側へ行っても活躍できるだろうな……。
「耳長族の研究を手伝えるの。でも、ジュジの方が魔法については詳しいのに、残念ね」
「うふふ……私もきっと魔法研究の仕事に就くわ。だって希望書にそう書いたもの」
私たちは穂刈の月から黎明の月までに生まれた子、撒種の月から葉穫りの月までに生まれ子と時期を二つ分けて、それぞれ全員が同じ
そこで、仕事の適性と、私たちの希望を聞いて生涯働く場所を魔法院の院長ヘニオ様が決めるのだ。
魔法院からずっと北へ向かった場所に黒い壁がある。そこはかつての邪王が城を構えていた土地らしい。
今は、耳長族たちが暮らす都市になっていて、異界から伝わってきた特別な魔法の研究をしているんだって魔法使いの先生が話していたことを覚えている。
私は魔法の研究が大好きだった。大英雄カティーアが使用していたらしい古代魔法の研究や、歴史研究をしたいと希望に出した。
だから、実際に大英雄カティーアが戦った場所である黒い壁の向こうへいけるのは、すごくうらやましい。
同じ時期に検査を受けたみんなは、次々に外へ出て行ってしまった。
早く自分の番になって欲しい。そう思いながら、年下の子たちに仕事の引き継ぎや、最年長の子がしなければいけないことなんかを教える日々を過ごしていた。
「ジュジ、よろこびなさい。あなたに手紙ですよ」
魔法使いから渡された手紙は、少しくすんだ黄色い封書だった。
封書は赤い蜜蝋で閉じられている。
魔法院の象徴である
『
次の新月を向かえる朝、黒壁門にて執り行われる180代目大魔道士カティーアの弟子候補生として、試験参加を命ずる。
早朝転移魔法にて以下三名を召喚することとする
ジュジ
エスカ
デコイ
各自 自宅にて待つように』
羊皮紙には、薄らと青く光るインクで、そう書かれていた。
「カティーアですって?」
思わず大切な手紙を投げ捨てそうになって、なんとか耐える。そして、もう一度手紙を読む。
何度読んでも、文面にはカティーアの弟子候補生と記してある。
こんなの、すごすぎて夢にすら見なかった。嬉しすぎる内容のせいで、頭がくらくらする。
何故なら、カティーアは、お伽噺の中だけの存在ではないからだ。
初代の大英雄カティーアは、ずっとずっと昔、魔王なんて呼ばれる怖い魔物がいた時代に死んでしまった。
でも、彼の名はここ偉大なる魔法院でずっと受け継がれ続けている。
大魔道士カティーアは、この世界の魔法使いなら誰でも憧れる存在……いいえ、この世界に生きる人間全ての憧れの存在だと思う。
そんな人の弟子になるなんて、考えただけでも倒れてしまいそう。
本で読んだこと以外、外の世界のことはほとんど知らない。
薬草を煎じるのも得意な方ではないし、勉強も一番ではない。けれど、そんな私でもカティーアの物語のことなら、多分箱庭の中だけじゃなくて、外で生きている人よりも知っている自信がある。
初代カティーア以外の話だって、たくさんあるのも知ってる。この箱庭に持ち寄られたカティーアについての本は、歴代カティーアのものを全て読んだ。赤髪のカティーアも、老人でもカティーアという肩書きを取ったという物語も、綺麗な長い波打つような銀髪を持つカティーアの物語も。
それに、教育のために来訪していた魔法使いにお願いして、魔法院から伝記の写本を持ってきてもらったこともある。
物語だけではなく戯曲や詩も、読めるものには目を通した。唯一目にしたことがないのは、戯曲や演劇くらいだもの。
それも、箱庭で演じてくれたなら絶対に何が何でも見たって言うのに……。そのことだけは、外の世界の人達がうらやましかった。
カティーアの名前を継ぐことを許された者は、今までの人生を捨てる。
でも、代わりに魔法院の象徴であり最高の誉れである一角馬の紋章が胸に入った白いローブを身に纏うことが許可される。
そして、左手には漆黒のガントレットを付ける決まりになっている。それは、初代カティーアが命を落とす原因にもなったという魔王からの呪いを忘れないようにという意味を込められているらしい。
そして、カティーアが就任する以前の正体は、魔法院の統括以外には報されないという部分もとても神秘的で好きだった。
「確か……今のカティーアは数年前に変わったばかりよね?」
思わず独り言を漏らしながら、ボロボロになった木簡に書いてあるメモを取り出して読み直す。
今のカティーアは180代目だ。小柄でとても若い男性らしい。
カティーアは歴代小柄な男性が選ばれやすいという噂もあるけれど、全部のカティーアを実際に見て覚えている人はいない。何せずっとずっと昔から受け継がれていたんだから。
180代目のカティーアは、2年前に就任披露会が行われた。魔法使いの人たちが話していたので私も覚えている。
私が、大英雄カティーアの話を好きだというと、180代目カティーアの武勇伝や逸話をたくさんの人達が教えてくれた。商隊の人や、魔法使い、話し好きの護衛の兵士さんにも聞き回って、私は逐一木簡に記して記録した。
そんな人の弟子になれるチャンスがある……魔法の才能なんてない自分が選ばれた……そのことがうれしすぎて踊ってしまいそうな気分。
それから、新月の朝まで、記憶は正直曖昧だ。
ずっとニヤニヤしたり、一人で鼻歌を歌ったりと少々挙動不審だったかもしれない。
でも、仕方ないよね。
新月の夜。準備は完璧にした。
髪の毛を梳いて、少し高い位置に括ってまとめる。
お気に入りの朱い革紐を結んで、服も一番綺麗な灰色の毛織物を着る。
あとはすり切れているけれど、それは次に村に来る子のために譲る決まりになっている。
部屋の掃除をして、カティーアの物語をメモした木簡だけ入れた鞄を手にして私は魔法使いを待つ。
しばらくして、控えめに扉を叩く音がした。
慌ててドアを開けると、青みがかった灰色のローブを身に着けた魔法使いがぬっと姿を現す。
「お疲れ様です。あの、試験はどんなものなのですか? 私、魔法は使えないけどカティーアの伝説は好きなんです」
はしゃいで色々話しかけるけど、魔法使いはなんの反応も示さない。
私を無視した魔法使いは、黙ったまま部屋の中央に転移用の魔法陣を書いていく。白い粉は石灰を砕いて作ったのかな?
旅立ちの日、呼び出された当事者以外は家の中にいる決まりになっている。
他の子たちも、転送魔法で移動したはず。でも、決まりのせいもあって魔法陣を実際に見るのは初めてだ。
初めて目の当たりにする魔法に胸が躍る。
「すごい……」
魔法陣を書いていた時には白かった線が、模様を囲んでいた円の部分と繋がる。
そして、白いだけだった線は徐々に紅い光を発し始めた。
魔法陣の前に立って、綺麗な光を覗き込んだ。
すると私の背中を、魔法使いは乱暴に突き飛ばした。
「もう! 物みたいに扱わないでよ!」
文句を言いながら振り向くと、そこに見慣れた部屋はなかった。代わりに、真後ろには見慣れない景色が広がっている。
「あれ……ここは」
辺りを見回した。そして、自分が鬱蒼とした森の中にポツンと放り出されていることに気が付く。
確かまだ陽が昇っている時間だったはずだよね?
時間を確かめたくて空を見ようとしたけれど、私の頭上は分厚い森の木々や葉に覆われていた。
しかも、葉の色は見知った緑や黄色ではなく紫がかっていたり、黒みを帯びたものだった。
あの手紙には試験を執り行うと書かれていた。だから、てっきりどこかの部屋……例えば魔法院にある白い塔の中とか、部屋じゃなくても黒壁門の前とか……。
でも、私がいるのは紛うことなき森の中だ。
「なにかのミスかな……試験って書いてあったよね確か……」
心細さと、不安と恐怖で、独り言でも言わなければおかしくなってしまいそう。
期待していたわけではないけれど、やはり誰からの返事も返ってこない。
「どうなってるの……」
わけもわからないまま、とりあえず私は歩き出した。
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