5-5:Contract renewー妖精との契約ー

 音も立てずに、まるで煙のように現れたのは真っ赤に光る二つの目。

 長机越しの俺たちを見つめる二つの目がついた黒い煙はあっと今に不気味な姿を露わにしていく。

 牛の顔に、岩地羊ムフロンのような一対の黒く立派な巻き角を生やした異形は、かつて俺に妖精の通り道アンブラクルムを使うことを許した門番だった。

 天井付近で揺蕩たゆた光球妖精イグニス・ファトゥスが門番の角に纏わり付く。それを鬱陶しそうに頭を左右に揺すって振り払いながら口を開いた。


「刻外れの魔法使いよ……何用だ」


 苔が生えた灰色の外套を引きずって、二、三歩こちらに近づいてきた。

 門番の低い声は心底めんどくさそうだという気持ちが込められているように思える。

 怯えた目をしているジュジに座っているように手で示してから俺は立ち上がった。

 長机を飛び越えて、門番の前へ立った俺を真っ赤な炎のように揺らめく目が捉えて動く。


 首をあげた門番の角が天井を擦る。削れた破片がパラパラと自分の上へ落ちてくるのを無視して、俺はうやうやしく其奴そいつに頭を下げた。


彼方と此方を繋ぐ道アンブラクルムを護りし者……我が呼び掛けに応じてくださったこと、ありがたく思います」


「上辺だけの挨拶などもう良い。さっさと用件を述べろ」


 三つ叉に別れた蹄がついた腕を門番が左右に振ると、生温かい風がゴウ……と俺の頬を撫でる。


「連れないねぇ。妖精の通り道アンブラクルムへ持ち込める人間の数を増やしてくれ。ここからの一方通行で構わない」


安息の塔此所からの道だけでいいというなら……考えてやらんこともないが。で、対価はどうする?この前のようにはいかんぞ」


 予想していた通りだった。対価はもう考えてある。

 俺が鶴革の袋コルボルドに手を入れて用意していた取引材料を見せようとしたときだった。

 門番の目が、俺の背後にいる彼女を捉えて止まる。


「そうだな……その娘……」


 ジュジを見て、門番がヌッと手を伸ばした。

 毛むくじゃらで苔がところどころ生えている腕が俺の横を通り過ぎる。

 自分の目の前に差し出された手に、ジュジはビクッと体を強ばらせながら視線をあげた。

 細い喉元が上下して生唾を飲んだのがわかる。

 彼女の元へ行って、その腕の前に身体を滑り込ませようと思ったが、まるで床に足が縫い付けられたみたいに動けない。


「クソ……」


 ジュジには手を出すな……そう続けようとする俺を無視して、三つ叉に分かれた大きな蹄が彼女の黒い前髪に触れ、そのまま肩まで垂れ下がった髪を撫でる。


「私……ですか」


「話を聞くなジュジ。門番、俺との取引だろ。この娘は関係ない」


「くかか……儂を一度出し抜いた小僧が生意気なことを。少し黙っているといい」


 門番の目が強く光る。

 胸が苦しくなって体を折り曲げるとそのまま床に引っ張られるように倒れた。

 これだから妖精たちは嫌いだ。不死でも、魔法が使えても、正攻法では勝てない。

 どうにでもなると慢心していた。ジュジを同席させたのは失敗だ……。床に這いつくばりながら、なんとか顔を持ち上げて彼女と門番の方を見る。

 顔から血の気をひかせてすっかり怯えきったジュジが、俺と門番を交互に見て涙を浮かべる。


「なに……怖がることはない混ざり物の娘よ」


 彼女の深緑色の瞳が、門番の赤い目をまっすぐに見つめる。

 唇をキュッと一結びにして恐怖に耐えているようにも見えて心が痛む。


「同族を痛めつけるような真似は儂も好きではない。簡単なお願いだからどうか聞いておくれ」


「あの……彼を……」


「ああ……アレなら話が終わったらすぐに冷たい床から解放してやろう」


「はい……」


 話なんて聞く必要はない。逃げても俺は死なないから大丈夫だと言おうとするけれど、喉に透明な何かがつかえているようで言葉が出てこない。

 声をあげることも、門番による拘束を振り切ることも出来ない。ただおびえた表情の彼女がどうするのかを見ていることしか出来ない。最悪だ。


 門番の蹄の先に風が渦巻いた。空間を切り裂くような鋭い風切り音がして、ジュジの小さな悲鳴が聞こえる。

 頭がカッとなった俺はありったけの魔力を込めて動いた。多少手足がもげてもかまわない。

 右の肩から鈍い音がしたが、そこだけ少し動ける。

 身体の圧迫感が減った隙に、左腕で上半身を持ち上げて這うようにしてジュジの元まで進んでいく。

 痛みを消そうとしても消えない。表情だけなんとか平気そうに保って、俺は立ち上がるとジュジを動く方の左腕で抱き寄せた。


「てめえ」


 門番を睨み付ける俺を、背後から弱々しい力でジュジが抱きしめてくる。


「毛先が少し切れただけなので大丈夫です」


「くかかか…………刻外れの魔法使いがつがいを持つとはな」


 体を揺すって声を上げて笑う。

 ホッとした俺は、外れた右肩を戻してジュジの頭を撫でた。


「混ざり物の娘から髪をもらえただけではなく、儂を出し抜いて得意げな顔をしていた小僧が慌てる姿を晒しただけでも十分な対価といいたいところだが……」


 門番が笑って身体を揺らすと、頭が天井に擦れて小さな瓦礫がボロボロと落ちてきた。

 落ちてくる瓦礫を魔法で弾きながら思わず舌打ちをすると、門番は俺を見て楽しそうに目を細めてみせる。

 

「……相変わらずあっちの住人どもは最悪ないい趣味してるやがるぜ」


「対価はまだ足りておらんぞ。そうだな……花。花だ」


「は?」


 予想もしていなかった言葉に間の抜けた声を漏らす。そんな俺を無視した門番は、ジュジの目の前に大きな腕を差し出した。


「混ざり物の娘よ、悪いがもう一つお願いを聞いておくれ。儂のために一輪……そうだな、薔薇の花を咲かせてくれないか?」


「薔薇の花……ですね」


 少し緊張した様子で、ジュジが門番の真ん中の蹄にそっと触れる。

 深呼吸をして、目を閉じたジュジの足下が光る。床からは、淡く光る一本の茨が生えてきた。

 それはあっというまに小さな蕾を膨らませ、淡いピンクの薔薇が目の前に現れる。


「これが契約の証……今風に言うと通行証というものか?それだと通り道で蹲る獣ラビツたちに覚えさせておこう」


 門番は、ジュジの作った薔薇を大きな蹄で器用に摘み取る。するとツルは床に溶けるように消えて花だけが巨大な蹄の先に残った。

 ふぅっと唇の先をすぼめた門番が、ジュジの咲かせた薔薇へ吐息をかける。

 すると、薔薇の花は水晶に閉じ込められて小さな宝石のように変化した。


「……きれい」


 薔薇を閉じ込めた宝石には、白い革紐のようなものが通されている。

 大きな蹄に見合わない繊細な動きで宝石を摘まんだ門番は、それをゆっくりとジュジの頭に掛けた。

 ジュジの首元にスッと落ちた薔薇の宝石は、俺が与えていた水色の首飾りとくっつくと、微かに薔薇色の光を放つ。

 水色の宝石の中に薔薇が浮かんでいるような首飾りに変化すると薔薇色の光は消えた。

 俺にも詳しいことはわからないが、おそらく妖精に近い生物にだけ感じられる何かが刻まれたのだろう。


「混ざり物の娘、お前の体の一部、そして魔力の欠片を代償にして、妖精の通り道アンブラクルムの契約は果たされた。お前と共にいる者を正当な利用者として認めよう」


 契約が成立したことを示すように門番の目から赤い光を放つ魔力の糸が伸ばされる。

 そしてジュジの首飾りから伸びた深緑に輝く魔力の糸が絡み合って地面に落ちた。

 本当は俺と門番で契約を結ぶつもりだったが……と歯噛みする。

 不利な契約というわけではないので今回はよかったが、自分の慢心で彼女を危険にさらしてしまったのは失敗だ。戒めを胸にしながら、ジュジへ目を戻す。


「あ、ありがとうございます……」


 門番が腕を引いた。目の前から巨大な蹄が消えて圧迫感が薄れたからか、横にいたジュジが大きく息を吐く。やはり、相当緊張していたらしい。

 門番は、妖精の中でも力が強く、何をするかわからない。俺だって多少心構えが必要な存在だ。

 そんなものを初めて目の当たりにした彼女が緊張をしないほうが可笑しい。


 門番は身体を揺すりながら俺たちに背を向けると、徐々に身体が黒い煙に包まれていく。

 部屋に来たときと同じように身体すべてを煙に変えた門番が、扉の下から去って行った。

 部屋から妖精の雰囲気が消えて、元の穏やかな気配に戻るなり、ジュジはその場にへたり込むようにして尻餅をつく。

 さっきまで慌ただしく動いていた光球妖精イグニス・ファトゥスも、穏やかな動きに戻って天井付近を揺蕩っている。

 

「こ、こわかったぁ」


 俺の顔を見上げた彼女の瞳は。今にも涙が零れそうなくらい潤んでいた。


「よしよし……よくがんばったな」


 まだ立てそうもないジュジを抱き上げた俺は、彼女を寝具の上にそっと下ろした。

 すっかり冷え切ってしまった彼女の肩にキルトのシーツをかけてやると、俺はサイドテーブルに置いてある羊皮紙に、備え付けの極彩色の羽ペンを走らせた。

 羊皮紙の表面が金色に金色に光り、文字が消えると、すぐに扉がノックされる。


「暖かいスープをお持ちしやした。ひひ……今回はここを半壊させられずに済んだようでなによりです」


 扉を開けてやってきたプーカは、ジュジの手に木の器を渡して笑って見せた。

 器から立ち上る湯気からは良い香辛料の香りが立ち上っていて、自分の分も頼めば良かったと少し後悔していると、目の前にスッと同じ器が差し出される。

 中には黄色みがかった透き通ったスープと香ばしい香りの香草が浮かんでいた。


「ここに大きめの門を開いた。明日には発つが……また近いうちに来ることになると思う」


「へい。手入れはまかせてくだせえ。それにしても、不死の旦那がつがいの娘を連れてきたり、ご友人を連れてきたり珍しいものが見られて長生きはするもんですなぁ」

 

 愉快そうに肩を揺すりながらそう言ったプーカが指を一振りすると部屋中に散らばっていた瓦礫が消え失せる。

 元通りになった部屋をぐるりと見回したプーカは、出て行く前に扉の前で一礼をして去っていく。


「おいしそう」


 スープに息を吹きかけて少し冷ましたものにジュジが口をつける。俺もそれを見て器の中身に口を付けた。

 少し薬のような味がするけれど、その風味すらもうまみの一つになっている感じがする。不思議な味わいがするスープは体の芯がポカポカとしてきて、なんだかまぶたが重くなってきた。

 すぐに空になった木の器を重ねてサイドテーブルに置くと、そのまま俺たちは並んで横になった。

 いつのまにか天井を揺蕩っていたたくさんの光球妖精イグニス・ファトゥスはいなくなり、妖精たちが通った痕の鱗粉が夜空に浮かぶ星のように控えめな光を発して消えていく。


「ねぇ……カティーア」


「どうした?」


 眠そうな声。黒い髪の先は闇と溶け合っていて見えない中、彼女の深緑色の瞳が仄かに光って俺を捉える。

 指を絡み合わせキュッと力を入れると、呼応するようにジュジも指に力を入れる。

 鼻をくすぐる甘い花の香りは、なんだか昔イガーサと体を重ねたあの日を思い出してしまいそうで、深呼吸をして気持ちを切り替えようとする。

 蝶の耳飾りが、動いてもないのにチャリ……と音を立てる。少しだけ耳が熱を帯びた気がした次の瞬間、細い手が闇の中から伸びてきて耳飾りを撫でられた。

 そのまま彼女の手が俺の頬から首筋を這っていき、繋いでいない方の手を見つけると、そのまま指を絡め取られる。


「……Rydw i貴方とgyda共にあるchi


 両手の指を絡み合わせた状態で、夢うつつと言った様子のジュジが口を開く。

 耳慣れない言葉。古い妖精語のような響き。

 常時発動させているはずの翻訳魔法が無効化されたわけではないみたいだ。言っていることの意味はなんとなく伝わってくる。


貴方Byddaf yn契約はrhannu私の契約だからeich contract


 いつもより少し鋭い光を放っている深緑色の瞳は俺を捉えて放さない。危険はないだろう。

 彼女の魔力と俺の魔力が、指を絡め合ってつながっている部分で混じり合っているのがわかる。なんだか不思議な感覚だ。

 使い魔ファミリアとして結びを作った時と近いようだが……少し違う。


私はRydw i貴方とgyda共にあることを chi時代も距離もAnwybyddu邪魔amserできない a phellter


 謳うような調子でそう言った彼女は、そのままゆっくりと目を閉じる。

 そのままスースーと規則的な呼吸が聞こえていたので、彼女は眠ったらしい。安心した俺は、絡めていた指をほどいてジュジを抱きしめた。


 彼女が言った契約という言葉に引っかかりを覚える。先ほど交わした契約のことか?それとも……。

 いつもは存在感のない蝶の耳飾りがやけに気になる。……さっきの言葉について考えようとするが、胸元にいるジュジの体温が心地よすぎて思考がまとまらない。

 彼女の寝息に引きずられるようにして、俺も微睡みに身を任せた。

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